第32話「感謝」
ってなわけで、俺――暁宗一郎は、坂本龍馬を預かることになった。
時に龍馬十二歳、俺はまだ六歳。年齢差は、兄弟に近いような関係だが、
そんな堅苦しいものじゃない。俺たちは、ある意味で同志だった。
いや、まだその言葉を使うには早いかもしれないけれど、
少なくとも俺はそう思っている。
龍馬は、俺の実家に今でいうところの“ホームステイ”をすることになった。
目的は、江戸での勉学と剣術の修行。土佐から遠く離れたこの地で、
彼は新しい知識と技術を身につけるためにやってきた。
「ホームステイ」って聞くと、なんだか優雅な生活を想像するかもしれない。
町医者の家に滞在するってことは、さぞかし立派な屋敷に住むんだろうって
思うかもしれないけれど――いやいや、全然そんなことないからね。
寝殿造なんて夢のまた夢。うちなんか、風が吹くだけで家全体がきしむ、
そんな庶民的な家だ。
その辺の事情は、左内さんに説明してもらうのが早い。
彼の父君も医者だから、俺の言葉よりずっと説得力がある。
「宗一郎の言い方だと、たぶんだけれど二百年後は医者の地位や稼ぎってのは、
随分とよくなってるみたいだね。どうやらこの江戸の世にあっては、
真逆の存在みたいだね。医療分野の技術や知識はまだまだ未熟であるのと
同時に、ほぼお金持ちしか利用できないイメージかな。」
左内の言葉は、俺の時代とこの江戸の現実とのギャップを見事に突いていた。
確かに、俺の時代では医者は尊敬される職業だった。
でもこの時代では、医者といえども庶民の一部。
龍馬がうちに滞在することが可能だったのも、そういう背景があったからだ。
それにしても、俺みたいな怪しい少年が、江戸から土佐までやってきて、
龍馬の家族の信頼を得て、彼を江戸まで連れて行く
――これ、冷静に考えるとかなり無茶な話だよな。
龍馬は、俺が彼を江戸に連れて行くことをどう思っているんだろう。
俺はそのことがずっと気になっていた。
だから、思い切って聞いてみることにした。
今後のこともあるし、ここでちゃんと気持ちを確かめておきたかった。
「龍馬さん、これから俺の家に滞在すると思うけれど、
俺が龍馬さんを仲間にするっていうこの強引なやり方について、
どう思ってるのか、ぜひお聞かせ願いたい。」
龍馬はしばらく目を閉じて黙っていた。
そして、ゆっくりと身体を動かし、俺の真正面に座り直すと、静かに口を開いた。
「まずは宗一郎殿に、お礼を言わんといかんがです。
姉上が母上の代わりに、おれを立派な大人に育てるいう重たい役目から、
宗一郎殿が姉上を解放してくださったこと、ほんまに感謝しちょります。
「母上がまだこの世におった頃のことじゃ。あの人は、
時に雷のように厳しゅう、時に春風のように優しゅう、
わしによう接してくれちょった。“物事っちゅうもんは、
ただの平面で見ちゃいかん。裏も表も、上も下も、斜めもある。
立体でとらえんと、ほんまの姿は見えてこんがやき”
――そう言うて、よう教えてくれたがよ。
それだけやない。人の話には耳を澄ませ。意見には心を寄せてみい。
そんで、自分の言いたいことがあるなら、ただぶつけるんやのうて、
ちゃんと考えて、相手の気持ちも踏まえたうえで、伝える努力をせえ
――母上は、そういうことを、何度も何度も、わしに言うてくれちょった。
その教えは、母上が亡うなってからは、姉上が引き継いでくれた。
あの人もまた、母上に負けんくらい、芯の強い人じゃ。
“龍馬、おまんはまだまだ未熟じゃけんど、心根はまっすぐや。
人の痛みを知る者になりや”――姉上の言葉は、わしの胸に深う刻まれちゅう。
そして今――その姉上が、宗一郎どのを“認めた”言うた。
あの人が人を認めるっちゅうんは、並のことやない。わしにとっちゃあ、
それは何よりの後押しじゃ。江戸では、いろいろと教えてつかぁさい。
わしはまだまだ学ぶことが山ほどあるき。けんど、母上と姉上の教えを胸に、
宗一郎どのとともに歩む覚悟は、もうできちゅう。
これからも、どうぞよろしくお願い申し上げますき。」
「わしは、親しいもんには“直柔”っち呼んでもろうちゅうがやき。
宗一郎どのも、これからはそう呼んでくれんかのう。」
その言葉を聞いた瞬間、俺は思った。
――龍馬の性格も、行動も、思想も、この時点でほぼ完成していたんだな…と。
十二歳にして、すでに彼の中には一本の芯が通っていた。
俺はその強さに、少しだけ嫉妬した。そして、同時に誇らしくも思った。
これから一緒に江戸へ向かう仲間が、こんなにも頼もしい人間だということが、
俺の胸を熱くした。
次は、CIOについても龍馬の意見を聞いてみよう。
彼なら、きっと面白い答えを返してくれるはずだ。
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