第八話『この感情の名前』
眠りに付く前、ティアの提案で私達は軽く水浴びをする事にした。水場はそこまで深くは無いし、危険なものも見当たらない。とはいえその水をそのまま飲水として使うとするなら流石に煮沸は必要だろうから、その前に多少自分達の汚れを落としても良いだろうという考えは、互いに一致した。
しかし、やっと出会えた水場だというのに、私は目のやり場に困っていた。なんとなしに気まずさを覚えながら、ダンジョンの床を凝視する。
「んむむむむ……」
「もー! こんな時なんだから一緒はいろーよー!」
――水場から、全裸のティアの、声がする。
物心ついた頃からずっと暮らしているというのに、なんともピュアなお心持ちだとは自分でもちゃんと理解しているのだけれど、私はティアとの裸の付き合いというものがとても苦手だ。
それこそ物心がつく前はそんな事もあったのだろうけれど、感情というものがしっかりと芽生え始めてからは、ティアの裸体をまともに見た事が無い。勿論着替えの時に肌着が見えるだとか、スキンシップで胸を触られるくらいの事は今更なんてことない……こともないけれど、それは慣れているとして、それでも裸同士でいるというのは気恥ずかしい。
その感情について長い事考え続けているというのが、何とも色気の無い私の悩みだった。なんというか、羞恥よりも、見てはいけないものをみてしまうような感覚。
要は禁忌を犯すような感覚がしてしまうから、始末が悪い。この感情は書物を紐解いても出てくる事がなかった。娯楽小説で読んだ恋愛も、こんな感じでは無かったはずだ。
だから悩む。実に長い事、小さく小さく悩み続けている。この感情の答えは何なのだろう、と。
ティアの事は大事だし、親友なのは間違いない。家族だと言っても良い。かけがえのない存在だ。向こうもそう思っているだろうと、答えを聞かずともある程度確信出来る。家族愛はどうやって生まれるのか、恋愛とどう違うのか、それを私は知らない。
ティアとの関係性は、種を知らずに気づけば芽吹いていて、悩んでいるうちに大きな花が咲いていたようなものだ。その花の色を、私は知らない。
「この感情の名前かぁ……」
ため息混じりに呟いてしまうこちらとは真逆で、向こうは「げへへー」なんて言いながら、ことある度に私の身体を見たり触ったりする。性格もあるのかもしれないけれど、行為自体に色気があるようには思えない。彼女のそれが恋のような物だとも、どうにも思えない。かといって家族同士のじゃれ合いにしては中々に懐かれている気がしないでもない。
そう考えると、決して彼女からのスキンシップが嫌では無い自分に気づく。逆に言えば見られたり触られたりする事に対して羞恥は無いのだ。勿論、ティアに限っての話なのだけれど。
「んむむむむむむむー……」
「ねーえ! ククは入らないのーー? 汗だくは嫌だぞー、ククは永遠に良い匂いでいてくれー!」
顔を上げようとすると、全裸で水浴びをしているティアがこちらを呼んでいるのだろう。私はいつの間にか、地面を眺めるのを辞めて彼女の衣服を手洗いしていた。
水を汲む時もなるべくティアを見ないようにしている。お風呂じゃないからとはしゃいでいる彼女は、何かしらのポーズを取っているという事だけ、何となく分かったけれど、結局こういう事があっても自分の性質は変わらないのだなぁと思いながら、服を洗った。肌着も洗う、なんというか、そういう事は当たり前に平気なのだ。
「大丈夫! ティアが終わったら入るよー! そしたらティアは私の服洗っててね!」
私は洗い終わったティアの服を毛布の上に並べて魔法を唱える。
「雲有らずも風緩やかに陽有らずも熱穏やかに」
頭が働いていなさすぎる簡単な詠唱に、私の杖の先からふわーっと温められた風が出る。風属性と火属性の混合魔法と言えば聞こえは良いものの、要は服を乾燥させるのを早めているだけである。
「あ、ついでに毛布も洗っちゃおっかなー」
意外と、炊事洗濯は好きな方だった。逆にティアはてんで駄目。
それは何となく、部屋を見るだけで分かるような事で、大体私かティアの事を知って訪ねて来る来客は、何も言わずともそれぞれ目的の人のスペースの方に椅子を運んだりするから、面白い。
「てぃあー、そろそろ出てねー。風邪引いちゃったら薬無いんだからねー」
言いながらも、私は薬に成り得る摘み取った花々をティアの服の横に置き、一緒に乾燥させる。
そうして私はランタンの灯りの隣に、温風だけを閉じ込める小結界を作った。原理的には魔法を閉じ込める魔法みたいな話だから、簡単に手に取れるあたり、楽で良い。
「んー、分かったよう出るよう。一緒に入ってくれてもいいのにー」
「そしたら洗濯役がいなくなるでしょ!」
実際は、裸を見るのが気恥ずかしいというだけなのだけれど、いつもお風呂は別々だから気付かなかった。この期に及んで顔を上げられないとは、もしかしたら、なんというか、言葉にするのは恥ずかしいけれど、私はティアの裸だから恥ずかしいのかもしれないと一瞬考えて、首を横に振った。
「んん゛、よーし毛布も洗っちゃおー! 乾かすのも面倒だしついでにローブのまま入っちゃおっかなー!」
勝手に照れて、勝手に照れ隠しをしている自分が、ちょっと情けない。
この感情の答えを知ってしまうのが、怖いのかもしれないなと思って、苦笑してしまった。
私は女性で、ティアも紛れもなく女性だ。だけれど私はティアに関してだけ、そうしてティアも私にだけ、友情以上の特別な感情があるような気がして、ならない。
それが家族としての感情なのか、それとも口に出すのが怖いような感情なのか、分からない。
分かりたくないの、かもしれない。いつか分かる日が来るのかもしれない。その時に私達は、同じ気持ちでいられるだろうか。その答えの中身はどうだったって良い、その答えが、一緒だったら、きっと私はそれで良い。
お互いの感情の答えが違った時の事を考えて、怖いのだろうと、そう思った。
「ローブのまま?! 駄目だよ脱いで! ほらすっぽん!」
呆けていた私は、ザブザブと水場から上がってきたティアにローブを脱がされ、肌着も剥ぎ取られ、相変わらずのストレートな視線を感じつつ、久々の水浴びの心地よさに負けて、ぶわーっと身体を水に沈めた。
「沈んだら見えないじゃーん!」
外からくぐもったティアの声が聞こえて、私は顔だけを水面からにゅっと出してジトリとティアを見る。ブルブルと動物のように身体から水を弾いているのが少し可愛らしかった。全裸なのはこの際気にしちゃ負けだ。なんで私ばかり見られて私が見るのを躊躇わなければいけないというのだ。
「洗うから毛布で拭いていいよ……汚れてないとこで拭きなね」
そんなこんなで、結局ティアの明るさに振り回されながら、剥ぎ取られたローブと一緒に、面倒な考えも剥がれていく。
そんな事に気づいて笑顔が溢れそうになるのがなんだか今までとは違う意味で恥ずかしくて、私はもう一度水面に潜ってぶくぶくと泡を立てた。
「私もそれやる!」
その声と同時に水場に波紋を作りながら私の隣にティアが飛び込んできた。
驚いて私が顔を上げると同時に、彼女が水面に潜る。私は観念したような気持ちで大きな溜息を吸い込みながら、彼女と同じ目線まで水の中で潜って、かるーくおでこを指で弾いた。
ぷぱっと二人で水面に顔を上げて、互いに苦笑する。
「ねぇ、ティアは照れるとか無いの?」
言ってからマズいと思ったけれど、そんな事は無かった。
逆に私が照れているってイジられるのだけれど、彼女は質問の意図をそのままに、妙な自信をポーズで示す。
「私の身体に恥ずかしい所なんてないよ! きたえてるから!」
「……そっかぁ。私はきたえてないからなぁ……」
そういう話では、無いのだけれど。
そういう話でいいやと思って、さっさと彼女を水場から追い出した。「少しは照れてよ」とは、口が避けても言えなかった。
「ほーら! ティアはちゃんと私の服洗うの! ローブだからティアのよりずっと簡単なんだから!」
こんな強引な言い方も久しぶりな気がして、少し心が休まる。
私はどちらかというとお風呂もぱぱっと済ませるタイプで、いつも長めに浴びている彼女とは真逆だ。だから案の定私の服はまだ洗濯途中だった。洞窟の中は元々冷えているから、なんだかんだ水場にある水もしっかりと冷たい。
「寒いからもう出る……」
「ダメだよー? ひゃくまで数えなきゃ」
ティアはもう既に鎧をつけて、私が作った温風の中で、ローブをパタパタと扇いでいた。
なんだか、とうとう考える事を放棄したくなった私は、無言で肌着を身に着けて、彼女からローブをそっと取り上げた。
「もう、全部まとめる!」
言いながら私は、毛布を身にまといながら、抱えたローブと一緒に一緒に水の中へとダイブする。ティアの驚いた声はすぐに歓声に変わっていた。
「うおー! いいな! 私もする!」
「駄目! それもう洗ったから!」
私は自分のローブや毛布の汚れをある程度落とした所で、自身に発熱の魔法をかけつつ水場から上がった。水場の中でさり気なく着直したローブを自分から放出する熱で乾かしていく。
「おぉ……なんとも器用な事してるねぇ……」
「まぁ魔法使いだからねー」
「というよりも……雑じゃ……?」
正直、私もそう思った。あまりにみっともない魔法使いだけれど、私なんかはこのくらいの事でいいのだ。剣士としてだとか、魔法使いとしてだとか、そういうことで格好良いのは、全部ティアに任せようと思って、長い。
「いいの、着るのは私だしねー」
そう言って、私はローブのシワを軽くはたく。
「んー、洗濯といっても水で洗うだけだから、なんか味気ないねー。ククの匂いもしない……」
近づいて私の匂いを嗅いでいる事は置いておくとして、あまり匂いには頓着が無さそうなティアが珍しい事を言う。
「まぁー、今までは香り付けしてたからね。ティアのにもだよ? 普段の私の努力のありがたみが身に染みるでしょ?」
「……だぁねー。なんかちょーっと寂しい」
その言葉を聞いて、少し悩む。私の手元には割と乾燥が進んで来たナルコとベンダの花がある。それらは本来香り付けとしても使われるような花々だ。
特に私はナルコの花の香りが好きだし、ティアはベンダの花の香りが好きだ。
ただ、これらには魔力が宿っているから、無駄に使うのは今後の為にならない可能性もある。
「……じゃあ、ちょっとだけ……煙は吸わないようにね」
私はリュックからそれぞれの花弁を数枚ずつ千切る。
そうして、手の中で燃え尽きない程度に熱して、まずはベンダの煙をティアの衣服の周りに纏わせた。強い香りではないものの。これで彼女自身が香る程度には香り付けされたはずだ。
「ベンダの匂いだー! さっすが魔法使い!」
「んー、そう言われると、なんか違うんだけどね……」
そうして私は、ナルコの花の煙をローブに纏わせる。
最後に両手に残った花弁の残りを口に含んで、水場の水で飲み込む。洗濯や水浴びをした後なのはこの際気にするまい。お腹を下す事もないだろう、何せそういった事を防ぐ為の薬になる花を飲み込んでいるのだから。
「あれ?! 食べちゃったけどいいの?!」
「ん、魔力を含ませてあったからね。あんまり美味しい物じゃあないけれど、少しは魔力回復になるの。まぁお薬みたいなものだね」
その行為に奇妙な感情を持たれている事を自覚はしているけれど、分からない事には深く突っ込んで来ないのはティアの良い所でもある。
そんなこんなで、食事からやや賑やかで平和な時間を過ごした私達は、モフモフとした洗いたての毛布に身を包んだ。
一緒に眠るのも最初は気恥ずかしかったのに、いつのまにか慣れてしまった。というよりも、一緒に眠るのが、なんだか幸せな気持ちになるという事に気付いた。
これはやっぱり、この二人きりの冒険によって、私の中の感情に変化が起きたか、何等かの成長をしたという事なのかもしれない。
その感情の名前を私はまだ見つけられていないけれど、隣で私を抱きしめながら「ククの匂いがするー」と言っているティアの温度が、いつかこの感情に名前をつけてくれるような気がした。