第五話『斬る覚悟でいるからね』
探索二日目。土とかすかな花の匂いで目が覚めるのも、思ったより悪くない。目が覚めてすぐに今の状況を思い出してもそう思えるのは、隣に温もりがあったからなのかもしれない。目が覚めた時に誰かが隣で幸せそうな寝息を立てているというのは、やっぱり悪くない。
ティアよりも先に目が覚めた私は、まだ夢の中にいるティアを起こさないようにそっと毛布から這い出て、真っ暗なダンジョンの中で眠っている間、じんわりと私達を照らしていてくれたランタンの燃料をチェックした後、思案に耽る。
物事を考えすぎてしまうという事は、私自身の嫌いな所であるけれど、考えるという事そのものが、結局の所、苦しくも私を動かし続けるのは確かだった。
「丸一日使って……残りは約7割。あと二日はこれでなんとかなる……けど」
小さく呟いているのに気づいて、口を噤んだ。良くない事は誰も聞いていなくとも言わないに限る。そも、私が聞いているのだから、考える以上の事をしては自分自身が落ち込んでいってしまう。
今のところ、ランタンがダンジョン内を照らす唯一の灯りだ。
ご丁寧に松明が置いてあるわけでもなく、どこかしらに光源があるわけでもない。
今はランタンの灯りによって翼獣の強襲を退かせられるし、強行ではあるものの昨日は私の魔法で階層の魔物掃除をしたからこの程度の消費で済んでいる。
今後の可能性を考えるなら、階層が上がる程に一階層の広さが増えるにあたって、今以上に一階層ごとの消費は増える。
それに、この階層まで約一日かけて辿り着いて、やっと私達の庭に出会えたように、何かしらの変化は存在するはずだ。良くも、悪くも。
「戦闘を避けられないレベルの魔物が出てくる可能性……」
思わずまた、小さく呟いてぞっとする。
これも私の良くない所の一つだけれど、やはり良い事より悪い事の方が先に頭に浮かぶ。良い事は放っておいても良い事として巡り会えるけれど、悪い事は対策を考えないと痛い目を見るから。それだって口にするべきではないのは、間違いないのだけれど。
それは私が誰に何をされたわけでもなく、勝手に身についてしまった性格という名の呪いのように思えた。それでも今この状況について、考えるという事は必要な行為なのは間違いない。
私は自分の中で、今後の懸念事項と解決策を整理していく。
食糧問題は、水分が思った以上に必要だという事。解決に至っては、私達の庭がダンジョン内の別所で見つかった事から考えて、ダンジョン生成時に水場が組み込まれているパターンが一番望ましい。
森の水場から自宅はそこそこに近かった。昨日丸一日かけて進んだのが自宅のドアから庭までの距離というのは、偶然という事にしておきたいところだ。
「花は和むけれど、現実を教えてくれるもんじゃない……」
強い灯りを照らし続けていなかったから気付けなかっただけで、他にも幾つか見逃していたダンジョンの変化があったと、願いたいところ。少なくとも庭の花についたって、私達が出会えた部分は極一部に過ぎないのだから、もしかすると疲労で気付けないような風景の変化は幾つもあったかもしれない。
私達のように家ごとダンジョンに取り込まれている人達と出会うという可能性もあるけれど、それは少し懸念事項の方が多い。
理由は言うまでもなく、生存競争による戦闘行為が人間同士で起こるかもしれないという事だ。魔族がダンジョン生成という儀式に近しい大魔法を使ったのには、そういう目的もあるのかもしれない。
というより、そう思うのが妥当だ。単純な嫌がらせ、それ以上に仲間割れは今の人類にとっての大打撃に成り得る。
「かといって、こんな辺境の村まで、か……」
小さく溜息をついて、気を紛らわせる為に昨日採取したナルコとベンダの花々を取り出して、得意の風魔法……とは言っても今はただ風を当てるだけだけれど、微量の魔力で風を生み出し、もう既に地面に生えたままだとしても栄養の供給が失せて、朽ちていくだけであろう摘み取った花々の乾燥を促す。
昨日使った詠唱を伴う魔法に割いた魔力も、あの程度であれば休息によって戻っているし、これくらいの魔力なら、花々を乾燥させて煎じる事によって使った魔力よりもそれなりの量の魔力が返ってくるはずだ。
――元々は、こんなつもりで植えたわけじゃなかったんだけどな。
そんな事を考えて、少し悲しい気持ちのまま風を吹かせていると、ティアがもぞもぞと布団の中から起き上がった。
「んんぁ、いー匂い。こんな所なのに素敵なサービスだねぇ、ククさん」
「そういうつもりじゃないんだけどね、ティアさん」
欠伸混じりで私の元に近づいてきたティアを見ながら、私は少し頑張って、笑う。
笑えている事に気づいて、少しだけホッとする。この笑顔が彼女の目覚めを少しでも良い物に出来たなら良い。
そうして私も彼女を見て、それが彼女なりの努力だったとしても、この子の少し能天気な雰囲気に、救われている。
――香り高い目覚めが、それを茶化すやり取りが、私達を救うかもしれない。
その為なら、植えた花も摘もう。
そう、思わせてくれるのが、ティアという私の大切な人だ。
大切だと思っているのは、私だけじゃないと、思いたい。
だけれどずっと、その答えを聞く事は出来ずにいた。彼女はいつも笑って誤魔化してしまうから。
考えるだけ考えるのは私の悪い癖、だけれど私は、彼女の役に立っているのだろうかと、いつも不安だ。言葉では上手く伝えられない私の心の硬さと、言葉ならばいくらでも簡単に生み出してくれる彼女の柔軟さが、私の心に小さな……ほんの小さな不安を呼んでいた。
それでも、私達は今一緒にいる。互いにちゃんと笑いあって、認めあっているはず。大切かどうか、どう思っているかどうか。そんな事はきっと重要じゃないという事は、何となく分かり始めていた。
――だって、今一緒にいる。それだけが、全てだ。
「んー? これは……また難しい事を考えてる顔をしているな……」
私の顔をぐいと覗き込んできた彼女にハッとして、私は思案を辞め、ティアに自分よりも少し多めの食料を渡して、ランタンの残りと、考えていた今後についてを説明する。
「んー、確かにねぇ。人と会うパターンは私もあんま考えたくないなー。相手がやる気がとして、私達はやる気になれない、よねぇ?」
「そうだね……親の無い私達にはこの村……今はダンジョンだけどさ。村の皆が親代わりみたいなものだから、限界状況だとしても、喧嘩はしたくないかな」
そう言うと、ティアは寂しそうに、だけれど真剣な顔でこちらを見る。その瞳は、ランタンのボケた灯りの中でも、鋭く光っているように思えた。
「クク。きっとこれから、これ以上日が経った時に誰かと出会って起きるのは、喧嘩じゃない。殺し合い、だよ」
言われなくても、分かってはいた。私は言葉の上で、現実から逃げたのだ。悪い事は、言いたくない。だけれど現実から逃げるのは違うとは、分かっている。それでも、簡単にはその覚悟に踏み切れない。
だからこそ、私のその苦悩を知った上で、彼女はあえて私の目を真っ直ぐと見たのだと、そう思った。
「ん、分かってる。分かってるよ。私達は、私達の為に生きて出る」
「そう、そうだよ。私はククを裏切らない、ククも私を裏切らない。だけれど私は、それ以外の障害全てを、斬る覚悟でいるからね」
それだけの事を言い仰せたのは、少し驚いた。
元々、ティアは情に厚い子というわけではなくとも、人懐っこくて、私よりも人の役に立って交流も多く、人に好かれるタイプだった。
だけれどそんな彼女が、もし誰かと争いになった時には、鬼にでもなるのだと、宣言したのだ。
「わたし……も……」
ならば一緒に修羅の道にでも落ちようと、言いたかった。
でもそれは、彼女の砕けた口調によって、正しく砕かれてしまう。
「でもねぇ、可能性の話だからさぁ。考えすぎ考えすぎ、"喧嘩"にならなきゃ、いいんだからにゃー」
きっと、私の言いたい事が彼女にも伝わってしまったのだろう。私は彼女と違って、表情を作ったり、取り繕うのが下手だ。
要は、私は彼女より生きるのが下手なのだ。
だからこそ見抜かれて、一歩先に行かれてしまう。私はいつも、並び立つのに、必死だ。
――私だって、その時には一緒に地獄に堕ちるのに。
でも、遮られたその言葉は、訪れるその瞬間まで、黙っている事にした。起こらない事が一番幸せだ。私は都合の悪い事ばかり考えてしまうのだから、都合の良い事くらい、祈っていても良い。それが本当に、高い可能性の中にある、小さな小さな、都合の良い願いであっても。
もしかしたら、今日のうちに地上に出られて、食料もたっぷり余って、人に配って回れるくらいの事が起きるかもしれないのだから。
この場所は未知だからこそ、良くも悪くも考えられる。
未知は恐怖だ、だけれどその恐怖の中でも、良い面を考えて、悪い事が起きた時にすべき事への覚悟を決めているのがティアだ。
そうして、同じく恐怖の中で、悪い面を考えて、その対応をぐるぐる考え続けているのが、私。
アンバランスに見えてその実、もしかするとこんな二人だからこそ、今まで一緒にいられたのかもしれないとも思う。
出来る事がそれぞれ違って、考える事がそれぞれ違って、だけれど一緒にいられる。こんな場所であっても、こんな場所であるからこそ、一緒にいられて良かったと、そう思った。
「魔物は、確かに強くなる可能性があるねー。私達が見落としてただけかもしれないけどさ、此処に私達のお庭があったって事はだよ。何かの変化の起点かもしれないわけじゃない?」
ダンジョンがもし法則的に作られているなら、彼女の言う事は尤もだ。私達の家がスタートだとして、この場所までの距離を元々の距離と置き換えた時に、何処をゴールと捉えるかでダンジョンの深さは変わる。規則性は分からない。だけれど変化を見つけた事は間違い無いのだ。次の階層から注意は必要だと思っていた。
「珍しい、私みたいな事言うんだね。でも確かにそのとーり、この上の階層から、一旦注意は必要かもしれない、ねー」
彼女が私みたいな事をいうものだから、私もなんとなくティアの真似をしてみる。話してみて思うけれど、どうしてこの子はこんな、悪い意味ではなくぽやっとした口調でいられるのだろう。なんというか、冗談で返したつもりが物凄く照れてしまった。
彼女の口調は、村の方言というわけでもないのに、独特すぎる。
「照れるならすんなよぅ……こっちが照れるぅ……」
二人で、照れた。
そんな私達の照れよりもずっとずっと小さく照らすランタンを持って、食事を終えた私達はあらかじめ見つけていた階段をのぼっていく。
「クク、とりあえず一回ランタンを消してみて、出来れば息も潜めて」
上階に辿り着いた私は、真面目な口調のティアに促され、ランタンを消す。
「ん……そのままちょっとの間静かにしていよう……もし私の剣を抜く音が聞こえたら、その瞬間にランタン強めにつけてくれると、助かる」
沈黙が、暗闇が、続く。
私の耳には、何も聞こえない。二人分の微かな呼吸だけが、音の無い、灯りの無いダンジョンの闇に消えていく。
「ちょっとだけ音出すね」
ティアはそう言うと、足でタン! という音を立てる。その音が反響して静まって尚、彼女は息を潜めていた。そうしてそのまま、お互いにしばらく息を潜める。
「クク、ありがと。ランタンつけて大丈……夫っ!!」
ランタンをつけた瞬間、ティアの長剣が真っすぐに伸びていた。
「だれ、かな?」
――彼女の言葉が、殺気を帯びている。
それもそのはず、そこには、私達が喧嘩をしたくない相手……人がいた。
もっというならば、見たことの無い、人がいた。
「ごめんごめん! 殺すのは、殺すのは勘弁して!」
聞いたことの無い男の声。顔も背格好も見覚えがない。
ただ、その男の腰には剣の鞘が見えた。
ティアの視線も瞬時にそこに行き着いたのだろう。牽制の意味を込めた抜刀状態がゆらりと動き、抜いた長剣でその鞘を括り付けている紐を斬り飛ばそうとする。
だけれどその剣先は一瞬ズレて男の服をかすめただけで、彼の武装解除には及ばなかった。
――避けたような、気がする。
ティアは状況に気が立っているのか気づいていないかもしれないが、彼の足が軽くスッと一歩引かれたような、そんな風に見えた。
「近くにいたなら、声くらいかけてくれてもいいんじゃないかなって、私は思うんだよねぇ」
ティアはもう一度剣先を男の喉元に合わせながら、ジリジリとにじみ寄る。おそらく彼女は元から男の存在に気づいていた上で、対応を練っていたのだろう。
とはいえ、一人の人間が近づいている事くらい私も気づいて良いはずなのに、全く気付けなかった。ティアの勘が鋭いのか、それとも相手も手練れなのかは分からずとも、あまり良い遭遇とは思えない。
――だって、その声色に、余裕がある。
剣を突きつけているのはこっちなのに、どうしてかこちらの方が焦っているのだ。
「しょうがないじゃないか! こんな所に一人きりなんだ。警戒もするさ! こっちだって人間がいるだなんて思っちゃいないよ!」
男の人は終始慌てた様子で、早口に言葉を捲し立てる。だけれど言っている事の割に、どうしてか私達が劣勢な雰囲気を感じ取ってしまう。
見てすぐに相手の実力を判断出来る程ではないにしても、妙な怪しさがある。
「とはいえ、ですよ。人の気配は感じたはず。なのに無言で眼の前まで近づいていた意味を教えてもらわないと、これからの話は……成立しません」
私は杖を取り出して、その先端に火の玉を顕現させる。パッと明るくなるダンジョン内と、明らかになる男の人の顔。
――妙にニヤつくその顔は、やはり何処か奇妙な余裕を感じさせる。
「声色に覚えが無い、顔も知らない。それにこんな場所なんだよ。にーさん、誰?」
おそらくこのダンジョンは私達の住んでる村を、それ以上に私達の家を偶然起点に作られたものだろう。だから出会うにしても知り合いだとばかり考えていた。
だけれどこの人は、私も、おそらくはティアも知らない男の人だ。
スラリと高い身長に、ティアの様な軽装の剣士風の格好、それに銀髪に赤い目をした男の人なんて、一度見たら忘れるわけがない。
「うーん……僕も巻き込まれた側なんだってば。息を潜めて近くまで来ていたのは、君と同じく、敵がいると思ったからさ。事実、君も剣を抜いただろ? それ以上の理由はいるかい?」
確かに、妙な怪しさは置いておくとして、理由は通る。
「では結局、私達は敵でしょうか? どうです?」
争いたくはないにせよ、どうしても不可解だ。彼の妙な余裕と食料も持っていない姿。
私達のように突然のダンジョン化に巻き込まれた人間が、こうも一人で、灯りも無く平静でいられるものだろうか。彼の返事はなく、私は無言のまま彼の事を見定める。
ティアは未だに剣先を彼の首元から微動だにさせず、一歩踏み出せば相手を斬り伏せられる位置に立った。それに合わせて、私もまた杖先に魔力を溜め、避けたにしてもひるまずにはいられない程度の火球へと、炎の力を高めていく。
「ううん……これじゃあ名乗る暇も無いね。僕に敵意は無いんだけれどなぁ……じゃあそうだな、こうすりゃあ信じてもらえるかい?」
男の人は、ゆっくりと自分の剣の鞘を外し、地面へと投げ捨てた。
ティアはそれをチラリと目で追って、剣先を動かさずに男の捨てた剣を蹴り飛ばした。
「はは……抜け目無い子だ」
「死ぬわけにはいかないからね。にーさんには悪いけど、このくらい注意しなきゃいけないくらいには、わけわかんないんだよ。こっちも」
ティアが言う事は尤もだ。それに対して、やはりこの人は妙に冷静な気がする。
彼は溜め息混じりに改めて両手を上げて、こちらをじっと伺っていた。出方を伺っているような、興味深そうな目。そうして言い出す事も、やはり良く分からない事だった。
「これでも駄目なら……そうだな。情報でどうだろう。意味の無い生き死には、嫌いなんだ」
「情報……? このダンジョンについて何か知っていると?」
確かに、彼がこの階層にいるというのはおかしな話でもある。ダンジョンに落とされたなら、選ぶのは普通であれば停滞か上昇のどちらか、という事になる。
そこでやっとこの違和感に気づく。
彼は、私達の方に向かってきていた。要は下層へ降りてきていたという事だ。
「そうだね、僕がいた場所から此処までの事なら、教えてあげられるよ」
彼は、相変わらず、丁寧な声から滲み出る余裕を振りまいて、奇妙な提案をする。
「だって僕は、このダンジョンを下りてきたんだからね」
その言葉に、ティアの剣先が揺れて、男はハッキリと笑みを浮かべた。
そうして彼は、ティアの制止も聞かず、やれやれといった様子で両手を下ろし、近くの岩場に炎の玉を顕現させ、そちらへと歩いていく。その様子は、最初から私達と戦う事など微塵も考えていなかったかのようだった。
私達は一瞬顔を見合わせてから小さく頷き、岩場に腰を下ろした彼の元へと、武装をそのままに、近づいていく。
既にこの状況が彼の手のひらの上にある事に気付いていながらも、私のブレたままの覚悟では、ひっくり返す事はままならないと、思ってしまっていたのが悔しかった。




