第四話『花の匂いが心地良いから』
歩き始めて、時折休み、そうしてまた数時間歩く。
危険な魔物には出会わないものの、幾度目かの休憩の頃には、流石に私もティアも言葉数が減り、疲れを隠せなくなっていた。出会う魔物に変わりはない、ただ状況としても変わりが無い。
岩盤に包まれた通路が続き、そのうちに上層階への階段があるというだけの、なんともつまらないダンジョンだった。変化が無いという事には恐怖を覚える。
ただ、そこに特別な何かがあることを面白いと呼ぶのであれば、つまらなくても構いやしなくはあるのだけれど、はっきり言えば翼獣の存在にもうんざりしていた。
階層毎の広さは徐々にというよりも、ある地点から急激に広くなっており、構造的には歪つな逆三角形のような形になっているのではないだろうかと、私は休憩ごとに密かに歩いてきた道の広さを思い出して推測していた。
「流石にちょっと疲れたねぇ……というより、計算違いが大きいかも?」
「……だね、水がここまで必要だとは思わなかった」
思った以上に、水の減りが早い。持ってきているのもドライフルーツや乾燥したものばかりだ。どうしても喉が乾くし、そもそもが運動なのだ。汗もかくから水分を欲する。
五日は持つだろうと思っていた水分は、一日目、そろそろ今日の探索はこのあたりにしようかと思っていた頃には残り三日分と少しくらいまで減っていた。
誤差といえば誤差ではあるけれど、私の食料計算は、あくまで行動での疲労を抜きにしたものだったのだと思い知らされ、個人的に少しショックだった。
「何処かに水場があればいいんだけれど、今までそんな所は無かった……よね?」
「耳は澄ましてたけれどねぇ……水の流れる音は聞こえなかったと思う。水が流れない地底湖なんかが出来ていたなら別だけど」
だんだんとダンジョンの一階層は広くなっている。
私達の家を中心として巻き込んだのならば、そのうちに村の人の家や近くの森、水場などを取り込んでいる場所が出てくるはずだ。私達の家は村の外れに位置していたから森が出てくる方が早いはず、そう信じていなければやっていられない。
逆に言えば、私達の家を中心点と考えて、十数階層以上登ってきたのに代わり映えしない景色が続くという事は、まだ逆三角形の先端部分にいるという事でもある。
考えれば考える程精神的に辛くなるのでこれ以上考える事は辞めにしたものの、中々に辛い現実だった。
「今日はこのくらいにして休もっかー、ククって結界作れたよね?」
「んー……作れはするけど、だったらランタンの灯りを強めるか、なんとかして火を起こした方がいいかも。結界は結構魔力使うから……」
実際、今日見た魔物は翼獣のみ、それも小さく、大量にいるわけでもない。
ダンジョンは本来階層によって生息する魔物も変わるものだ。この場合出口が地上なので最下層に弱い魔物が生み出されていると考えたなら、難易度が変わっていないという事でもある。
まだこのダンジョンの最下層部位から抜け出せてもいないのだと考えると、ここで大きく魔力を使うのは得策ではない気がした。休む事でも魔力は回復するけれど、結界を貼り続けている間は微量ながらも消費がある。
「じゃー最後に、この階層の魔物を狩り尽くして、そんで我らの拠点としよぉーじゃあないか!」
疲れているだろうに、元気な振りをするティアに、私も続いて杖を取り出す。
「ん、一時的にこのフロアを照らすから、一気に駆け抜けよう! 私は何かおかしな所が無いかチェックするから、魔物はお願い」
「あいさー、ティアちゃんやっちゃうよぅ!」
実際、一日の終わりにふさわしい提案だと思った。
私達は家を出てから、自分達の灯り以外で明るさを感じた事が一度も無い。
だからこそ、最後に魔法で灯りをつけた上で、改めて細部までダンジョンの状態を確認して、少しの危険も無いように階層の魔物を狩り尽くす。
暗い中、一日結界魔法を張り続けるよりも余程安心で、結果的に使用魔力も少なくて済む。それに、ダンジョンの中は少し冷える、魔法で炎は出せるにしても、焚き火が出来る程度の木材、流木というのもおかしいが、地上から地下に落ちてきた植物の類もあると嬉しい。
水場があればなお嬉しいけれど、それは求めすぎという所だろう。
私は集中して、より明るく照らす為の詠唱を口ずさむ。
何度も使ったわけではない。だけれどその魔法を使いたいという想いが、言葉を産む。
「光輪纏いし天使の群れ、一欠片を我らの灯火に、与えるは力、求むは信仰、求めるは真光……繋がる光々!」
ブオンという音と共に、私とティアの頭の上に浮遊する光の輪が生まれる。
詠唱が上手くいったのか明るさは上々、魔力を使った感覚も少ない。
「こういう時はやっぱり恥ずかしくてもちゃんと詠唱すべきだよねぇ……」
魔法に於ける詠唱については魔法使いによって考えが異なる、詠唱の存在によって効果が上がる事を是とする派閥、詠唱をしない事によって迅速な魔法発動を主とする派閥。
私個人としては前者の派閥に近しいけれど、結局はその場その場に対応すべきだという第三の派閥を頭の中で作り上げていた。詠唱の内容も正確ではないけれど、自分なりの解釈を込める事によって効力を増すという精神論を信じていた。
「うおおおおまぶしっ!! でも、まず一匹!」
そもそも、暗い所に生息している翼獣は光が苦手なのだ。唐突な明るさに私達も驚くが、それ以上に驚くのは翼獣側なのは間違い無い。
もはやこちらを襲うという習性すらかき消してしまったのだろう。混乱して鳴き声を上げる翼獣達相手に、ティアは長剣を鞘におさめて短剣を軽く振りながらバサリバサリと切り落としていく。ダンジョンの生成物である魔物達は、その姿を霧散させていく。
「ティアは先に行ってて! 私は少し周りを見ながら行くから!」
ティアにそう促して、私は彼女の後を少しだけゆっくりと、目を凝らしながら追いかけた。多少一階層が広くなったとはいえ、迷う程の広さでは無い。
だけれど、私はどうしても変化が欲しかった。
魔物を倒すのも、魔力を節約するのも正しい。だけれどそれ以上に、私達は前に進んでいるのだという実感が欲しかったのだ。
これはもしかすると私だけの杞憂かもしれない。だけれど、一つしたの階段を下ったら、私達の家が見えて来るような気すらして、怖いのだ。
――だからこそ、どうしても、この変化が見たかった。
「あ……った!」
私の目線の先には、見覚えのある花が、ニ種類咲いていた。
一つは私の好きなナルコという花、そうしてもう一つは、ティアの好きなベンダという花だった。
つまり、この場所まで来て、やっと私達は、私達の家の庭に辿り着いたという事。
ダンジョンになるまでは、ほんの数歩の距離、それが半日以上かけて、やっとだ。
それでも、そのやっとが欲しかった。ナルコもベンダも、乾燥させたら薬になる。それに土壌も、此処だけは土だ。
私は土の状態を確認し、燃えそうなものが混じっていないか確認してから、ナルコとベンダの花を摘み取る。
「君達も一緒に行こう。一緒に暮らしてたんだもんね」
私が花を摘んでいると、おそらく魔物を一掃したであろうティアが少しだけ息を切らしながら、こちらに軽く駆け寄ってきた。
「倒しがてら色々見てきたけど、なーんにもなかったねー。って、お花?」
「そ、うちのお庭の。此処に来てたみたい」
私は自分が苦笑している事も分かっていながら、花束のようにまとめたナルコとベンダーをティアに見せる。
「つまりはー、やーっと、私達のお庭についたってわけかぁ」
「先は、長いかもね」
私は鞄から紐を取り出し、花を軽く縛る。簡単な飲み薬になってくれるはずだし、薬草として使える部分もある。それがなくとも私が魔力を注いで育てた花達だ。おかげで魔力を纏っているから、私の魔力回復には役立つ。
きっと私が花を見つめて難しい顔をしていたのだろう。ティアが私の手を取って少し花を揺らす。
「お花の匂いが心地良いから……今はそれだけでいいよ。それに、ちゃんと前には進んでるって事だよー? ……喜ばなきゃ!」
「そう、だね」
半日以上歩き詰めで、やっと辿り着いた数歩。
それでも、私達には、少なくとも私にはその花々が、ただの土が、物凄く暖かく見えた。
「今日はここで休も、岩より土の方がいーよ」
「汚れちゃうからほら、これ敷いて」
「でもそれじゃククのが汚れちゃうじゃんかさー」
「だから一緒に寝るの。ほら、毛布出して、疲れちゃったから、寝よ」
もう照れるような気もしない、ティアは少し照れた風だったけれど、私は気にせず、毛布をもらうと、彼女の横で目を閉じた。
しばらくすると、彼女の規則的な息遣いが聞こえた。流石に私以上に気を張っていたからか、すぐにティアは眠ってしまったようだ。
私は、土の中で鼓動する生命の音と、彼女の場違いだけれど幸せそうな寝息を聞きながら、一枚の毛布の上、一枚の毛布の下、そうして隣にも暖かみを感じながら、脱出開始から一日目の眠りについた。