第三話『同じスピードで』
家から一歩踏み出せばもうそこからは未知だ。
私達は、まず簡単に家の周りの探索から始めた。それでとりあえず分かった事は、どうやら私達の家を基準としてダンジョンが作られているらしいという事。すなわち、この場所が最下層だという事だ。
「そりゃ寒いわけかー……でも地熱を感じるなんてレベルじゃなくて良かったよね」
「それだったら人知も越えていたし、諦めもついただろうね……」
天井は低くて3メートルくらいだろうか。大体私の身長のニ倍くらいだと考えるなら、私からすると多少広々とはしている感覚はある。ただ、私達の家があるこの場所、要は最下層については歩き回っても数分足らずで踏破出来る程度の広さしかなかった。岩肌が広がっているだけ、ただ道のような物はあるあたり、しっかりダンジョンではあるのだなと感じさせられる。
通路自体は広々としていた。ティアに試しで長剣を思い切り振り回してもらったけれど、壁に当たるという事は無いみたいだ。構成としては、大広間と、それを繋ぐ広めのトンネルといった感じが適切なのかもしれない。
とりあえず最初という事で色々と探してみたけれど、鉱石のような類も見当たらなく植物どころか苔すら存在しない、ただ私達を覆い尽くしている岩壁はありきたりのような物に見えて、傷一つつけられなかった。ティアの剣を刃こぼれさせるわけにもいかなかったから私が少し無理をして爆発系統の魔法を使ってみたけれど、破片の一つも落ちなかったあたり、このダンジョン自体が相当な魔力で作られた強固な生成物だということも分かった。
探したところ、少なくとも最下層に水場は無い。あっても家から持ってくるのと同じだからこの場所にある分には意味がないからいいのだけれど、そのうち見つかると凄く助かる。
それより何より、光が一切無いのが厄介だと思った。
探索中に上り階段も見つけた時はホッとした。けれど下り階段も無い、だからこそ最下層。私達の家は確かに村中央から離れてはいたけれど、トんだ貧乏くじを引いた。
ただ、そう考えるならば他の村人の皆は近い階層で固まっているかもしれない。
幾つもダンジョンが存在して、そのダンジョンごとに最下層に振り分けられた可哀想な家々があるのかは分からないが、少なくとも私達がその可哀想な家の一つであるのは間違いないみたいだ。
最初にドアを開けた時のように、小型の翼獣こそ牽制はしてきたけれど、脅威になることは無い程度。むしろ相手がこちらのランタンの灯りに怖がっているくらいで、たまに近寄ってくる気概のある、否、危害のある翼獣はティアが軽く斬り伏せてくれた。
「ククー、ランタンの灯り絞ってもいいよ。私、耳良いし、あと暗闇に目も慣らしたいから」
言われた通りにランタンの灯りを絞る。やはり、光が差し込む場所が一つも無いからか、ランタンの灯りを絞ると急に真っ暗になる。だけれど、ティアの場合はその方が良いのだろう。
「ん、分かった。無いとは思うけれど、私も気をつける」
暗い空間にいるという事は、襲ってくる相手もまた、小さな灯り、それと音と夜目で判断してやってくるという事になる。こちらも同様の条件で進み続けたならば、標的をある程度私に限定出来るし、相手もまた正確性に欠ける。この程度の魔物ならば自身の培った技術で強襲にも対応出来るとティアは判断したのだろう。ランタンの燃料も節約出来る。
これはやっぱり、彼女の普段の努力から構築された自信なのだろうなと思い、ランタンの光をより小さく絞った。
「ん……大丈夫そうだね。ありがと。決まり事として、階層を上がった後は少しだけ明るくしよー。それで階層の雰囲気を見て、そこからはランタンを絞る、これで行こう。勿論怪しい所は照らしてね?」
「大丈夫、魔法で自動生成された物だから、罠みたいなものは無いと思うけれど、逆に元々の自然が邪魔してくる可能性もあるから、気を付けて」
大体のダンジョンの構造を最下層で確認した私とティアは、示し合わせて最下層から一階分の階段を昇る。少し照らした次の階層も、またその次の階層も、変わらずあまり変化が無い。ただ面倒なのは、どの階も分かれ道があり、階段の場所は変化しているという点だ。必然的に行ったり来たりが多くなる分、疲労も溜まるし、ランタンの燃料の少しずつ減っていく。
一応耳で水場の気配も確認してはいたけれど、音は聞こえず、ひたすらに階段を探して、進むしかなかった。何かを見つける為に立ち止まっているという事が、どうにも体力を消費している気がして仕方無いというのは、私とティアの共通意見のようだ。
魔物も変わらず、風景も変わらず、そのまま数時間程進んで、そろそろという所で、少しだけ休憩を取った。朝か夜かの判断も付かないけれど、もし私達が出発したのが朝だとするなら、ちょうど今は昼頃という所だろう。
「なーんにもないねぇ、魔物もむしろ灯りを嫌がってあまり近づいて来ないしにゃー……このまま翼獣ばかりだと楽だけれど、そうも行かないかなぁ……」
翼獣は魔物というか、動物に近い。暗がりを好んで人の血を吸う。大量のソレに襲われたなら大変ではあるにせよ。腕っぷしの強い成人男性なら素手でも叩き落とせる程度の魔物だ。
「平和と言えば平和だけれど、終わりが見えないっていうのは少し辛いね……私達以外、人はいないのかな」
私達は座りやすそうな岩場を見つけてランタンを置き、少し明るくしてから、休憩がてら軽食と水を飲む。
階層で言えば十階は進んだだろうか。何階上がったかというのは、あまり考えないようにしていた。その分途方もない徒労感が襲ってきそうだと思ったから。
だけれど、階層が上がる度にその階全体の改造が広くなっている感覚がある。それはティアに聞いてみても同じ意見だった。
歩き詰めに加えて、意識を張り詰めているという点で、数時間程度の探索でも、お互いにそこそこの疲労があるように思える。少なくとも私は張り詰めた空気を一歩歩く度に、奈落に落ちていきそうな恐怖がついて回っていた。
「ティアはさ、平気なの?」
「んー? 何がー?」
朧げな光の中で、あっけらかんとしたティアの表情が浮かぶ。
その顔に苦笑しながら、私は小さく息を吐いた。
「や、怖くないのかなぁって」
「え? クク怖いの?」
――まずい、失敗した。
どう考えても弄られる。何について怖いといっても、弄られる。
そんな気がしたのも束の間、ぐいと頭を撫でられてしまった。
「わわっ!」
「もー、ククはかわいーなぁ! 怖いの? 怖いんだー!」
ワシャワシャと私の髪をかき混ぜながら、ティアは楽しそうに笑っている。
笑っているなら、それはそれでいいのだけれど、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけその余裕が羨ましいなと思った。だけれどその感情はすぐに間違っていたのだと気づく。彼女が私の髪から手を離して、ぎゅっと私の手を握った。
「わたしも、こわいよ!」
その手は、小さく震えていた。
「だって! だってさ!」
それは、間違いなく、グローブの中から伝わる、手の震えだった。
私ですら震える程の恐怖は無い。だけれど彼女は、これだけの緊張と恐怖に耐えながら、前を歩いてくれたのだ。
「……だって?」
「そこから先は言わない! だけど忘れないでねー! 私もうら若き乙女なんだもん、怖いもんは怖いんだよ~」
どうして怖いのか、その理由は、それ以上聞かなかった。
私の理由と同じだとしても、違うのだとしても、彼女が言わないのなら、聞くべきではないと、そう思った。
私が聞きたかったのはただ一つ。ティアという人間が、こういう状況に対してどれだけ強く心を持っているのかという事だけだった。
「怖い、よね。なら私も一緒に行くよ」
「ふぇ? 何言ってんのさー、一緒じゃんかぁ」
不思議そうな顔をしているティアの手を、私は上からぎゅっと握り返した。
「こっからはさ、並んで歩こう。私も隣を一緒に歩くよ、同じスピードで」
「……ふへへ」
ティアはだらしない顔で笑ってから、私の手を取って立ち上がった。
それにつられて立ち上がって転びそうになった私を、彼女は抱きとめる。
「だったらー、怖くないかも、ね! いや、それでもちょーっと怖いか!」
彼女は私から離れて、機嫌良さそうにぴょんと岩場から跳ねて、こちらを振り返った。
その時の彼女の顔は分からない。分からないけれど、きっと笑っていた。
きっと、私と一緒で、笑っていたのだと思う。
先の見えない暗闇であっても、彼女と二人であれば、怖くないのかもしれない。 怖くても、我慢出来るのかもしれない。私が一人ぼっちじゃあないという事を、改めて思い知った。
抱き止めてもらった時に手が震えていなかった事。
彼女がきっと、笑っていた事。
それがきっと、この未知の状況の中に小さく眠っている希望のようなものなのかもしれないなと思い、私もまた、ランタンを手にとって、彼女の横に立ち並んだ。