第一話『とりあえず一緒に何か食べよう』
家に入った私は、天井がミシミシいっていない事に安堵しつつ、地べたに座りこんだ。
「ふはぁ……何なのかな、何なのかなぁこれ……」
言っている私を尻目に、ティアはもう、部屋の隅の彼女が使っている持ち物スペースに雑多に置かれていた装備をああでもないこうでもないと取っ散らかしていた。
「気が早いね……」
「んーー、これは私なりの焦りかにゃー。魔物がいたって事はだよ。あれ以上の何かがいてもおかしくないって事だからさぁ。これでも一応は剣士だからねー、獲物が無いと戦えないからねー」
やっぱり、聞く限り彼女の思考は端的にまとまっていて、今の状況がどうしてこうなったかなんて事よりも、今の状況にどうやって対応するかという事に思考がシフトしているみたいだった。
どうしようと地べたで息を切らしていた私とは大違いだ。
――だけれど、そんな彼女を見ているから、私も立ち上がれる。
私は整理整頓を欠かさない自分の持ち物スペースまでよろよろと歩き、休日をゆったりと過ごすはずの緩い普段着から、とっておきの魔法使い用ローブに着替えて、長年使い古した杖を腰の杖掛けにパチンと取り付けた。
その実、杖は魔力の増幅器かつ、コントロール装置だ。
ティアの言う通り、私の場合必要な準備はあまり必要無い。魔法はそれを理解し、知り、鍛錬を積み、魔力があるなら、自身の両の手から出す事も可能なのだ。
ティアの剣術程では無くとも、私だって物心がついた頃から魔法には触れている。杖が重くて持てなかったような頃から魔法を使おうとしていたのだから、自信こそ無くても、魔法使いとしての矜持くらいはある。
「ククは楽でいーなー。でもいつ見ても似合ってんぜーそのオシャレ服」
着替えを気にする仲では無いにしろ、彼女は恥じらいの欠片も無く軽装の鎧を身に纏っていく。筋肉質なのに、出る所は出ていて非常に羨ましい。
ただ、あまり見ているのも失礼かなと思って、目を逸らした。その割に彼女はまだ少し焦りがある私の着替えを楽しそうに眺めていたのだけれど。
「一張羅だしね。こういう時に着なきゃ」
これは昔村に行商人が来た時に買った一張羅だ。褒めてもらえるのはとても嬉しい。
黒を基調としながらも、袖口や柄のようにさりげなく白が織り交ぜられている。塗りつぶしたような黒髪に、暗い紫眼を持って生まれた私でも、白が映えるからとても気に入っている。
綺麗で少し癖っ毛のある金髪をざっくりと切り揃えて、ふにゃっとした優しそうな碧眼を持つ彼女は、衣服に無頓着なのに、何を着ても様になるから羨ましい。
「ティアも、もう少しオシャレに気を遣えばいいのに……」
「んーー……頑張るより頑張るのを見るのが好きだからなー私は。でも普段着の私は可愛いと思わないー?」
――そりゃあ元々持って生まれた可愛いらしさはあるが、問題はそこではない。
「そういう事じゃあなくて、普段着もだよ……剣士だから装備はアレにしても、適当着すぎるよ……ティアって普段着は布ならなんでも良いし、装備は硬ければ何でもいいタイプでしょ……」
「いーの。可愛いとかはククに任せるさー……」
それなのに、ティアは妙に私の事を褒めてくる。くすぐったさ以外に、私からは何も出てきちゃ来ないというのに。
「私の専門が炎で良かった……」
「んねっ。ランタンはあるけれど、もしもの時はよろしく~」
ティアのように武器を手に取り戦う人間が、剣や槍、斧といった自分の手に馴染む装備を選ぶように、魔法使いにも自身に適した四大属性という物がある。
私の場合は炎と風が該当していた。逆に、水と土はてんで苦手だ。知識欲はあっても、魔法の場合は元々の才覚の問題もある。だからこそ興味はあったけれど、結局この仮にも栄えているとは言えない寒村で得られる知識程度の事しか知らない。
光と闇、という概念もあると聞いた事はあるけれど、田舎魔法使いの私にはいつまでも縁が無い属性だろう。興味はあれど、使う機会など無いと思い込んでいた。
――だけれど、この状況は、明らかに闇に纏わる魔法が関わっている。
それでも、私はどちらかといえば研究肌の人間だ。だからこそ魔導書を読み解いていくのは好きだった。また、収集も。使う事こそそう多くは無いが、魔法使いとしてこの村を……出来ればティアと二人で守っていきたいくらいの小さな夢があった。旅に出るなんて事は、大きな夢だ。
まだ読んでいない本をパラパラと捲るのはどうにも気が進まなかったけれど、私はまだ読まずに積んであった数十冊の魔導書から、闇属性の魔導書を引き抜く。
「私、ちょっと調べ物するね。この現象……確か……」
いつだったか、遠い街の方から派遣されてきた衛兵さんに魔族が使う魔法について、聞いた事がある。
大規模で、人知を超えた悪辣な物だと、優しい顔の彼が珍しく吐き捨てていたのを覚えている。
彼は元々神父を志していたようで、信心深く、どういう流れかまでは知らないけれど、魔族との戦いも経験した手練れの剣士だったらしい。その実力を見る機会は、あまり魔物の脅威の無いこの村ではそう多くなかったけれど、彼はそんな日常も受け入れて、淡々と業務をこなしてくれていた。
「んー、ドアの方には気をつけてなー」
ティアはまだガサゴソと準備をしているようだったので、私は机に座って、魔導書を開く。
「この状態が魔法で作られたのは明らか……分断されている。岩盤に押しつぶされない家、それと魔物、それでおそらく此処は地下で……地下?」
嫌な言葉が一つ浮かんだ。それと同時に、目次の中に嫌な項目を見つけた。
――ダンジョン生成。
このページだ。
このページだろう。
このページしかない。
大規模かつ、悪意のある魔法。土魔法のようにも思えたけれど、その境が曖昧にすらなるような感覚。
「闇……というより悪かぁ」
ため息混じりに出る言葉が、そのページを開こうとする手を止める。
開きたくない。この得難い知識の集合体の中に、きっと私達の現実が詰まっている。知りたいが為に持ちながら、知る事の恐怖に怯えている。
そんな矛盾に、私は首を数回横に振り、該当のページを開いた。
そのページには大量の魔力を使う事により使用が可能になる闇魔法の儀式の一つに『ダンジョン化』という魔法がある事が記されていた。何故この魔法が土に属していないのかも、至極簡単な事。
――ダンジョンを作るのは、闇魔法を使う魔族しかいないからだ。
その行動への理解も、納得もしがたい。だけれど現状については明らかに自分達の状況道理の事が描かれていた。しかし、それを使うには相当の魔力が必要らしいと書いてもいる。
ならばどうして私達がこんな状況になっているのだろうと考えた。
「ティア、作業しながらで良いから聞いてて? やっぱり此処はダンジョン内部みたい」
「まー、そうなんだろうねぇ。理由はわかんないけど、ご丁寧に階段も見えたよ、さっきね」
ということはやはり、此処は『ダンジョン化』の魔法で作られた場所という事で間違い無いだろう。
「でもさ、どうして私達の所なんだろう……。ティアはともかく、私なんて大した魔法使いでもないのに……」
言いながら、パラリ、パラリとダンジョン化の項目を読み進めていく。
一つ、魔法とはいえ、自然に回復……つまりこの状態が復旧する事は無いという事。
一つ、この魔法の発動には膨大な……私程度の魔力量で言えば数千人必要なくらいの魔力を必要とする事。
一つ、この魔法はターゲットを設定出来るという事。
そうして最後に、規則性の無さが書かれていた。
つまり、この魔法は『人間』を標的にした、無差別な攻撃という事だ。だからこそ私達の村もターゲットになったという事だろう。
「地上で、何かあったんだろうね」
「まぁねぇ……勇者さん達が魔王を追い詰めてるってのはさ、私達の村くらい王都から遠くても伝わってる話じゃんかさ、だったらきっと、嫌がらせか何かされちゃったのかもねぇ」
準備を終わらせて、動きやすい鎧を着たティアがにゅっと私の横から顔を見せる。
頬をくっつけられて、その弾みで身体に当たった鎧の金属部の冷たさに、私は「ひゃっ」と声をあげてしまった。
「おやおや、照れちゃって」
「……冷たかっただけだよ」
頬は少しだけ熱かったけれど、それは気にしない。彼女のスキンシップが多いのは、子供の頃からずっと変わらない事だから。
それでも、お互いに十七歳にもなれば、流石に照れる。
それに、やや小柄で時々お腹のお肉を気にしそうになるような私と違って、ティアは身体を鍛えていた事もあったのか、背も高くスラリとしている。可愛い顔の割に、王子様との呼び声も高い。村の中でだけだけれど。
「その割にはほっぺた赤いけどねー、冷やしたげよっか!」
彼女はグローブで私のほっぺたをムギューと潰す。
「んもう! だから冷たいってば! そんなことしてたら燃やしちゃうんだから!」
「ダメダメ! この鎧は燃えちゃうからね! ま、軽いの選んだからさ」
彼女にしては珍しい選択だった。剣士としていくつかの装備を持っている彼女ではあったけれど、普段はやや着心地の悪そうな無骨な鎧に兜、重い一撃が放てるような剣と、その一撃も防げそうな盾を腰にぶら下げている。彼女の体力あっての装備なのだろうといつも眺めていた。
だけれど今の格好は見るからに軽装、防具としての役割こそあるだろうけれど、盾は小盾が腕についているだけ、動きやすそうな格好に短剣と長剣、ニ種類の鞘が見えた。
「珍しいね、そういう格好」
「んふー、似合う? ほんとはこういう格好のが好きなんだ。でも普段は乙女の顔に傷なんてつけたくないからにゃー」
振り向いた私に、彼女はその装備をクルリと回って見せる。
乙女に鎧、決して華やかなものではないにしても、いつも見ている無骨な鎧から考えると、やはり可愛らしく見えた。
「ん、似合うよ。でもなんでそんな?」
「そりゃあ、あんなん着てたら疲れるからだよー、こっから出るのにどれだけかかるか、わかんないしねー」
その言葉に、心臓が悪い意味で高鳴った。そうして、その高鳴りに導かれるように私は言葉を漏らしてしまっていた。
「出る……?」
言ってしまった、そう思ってももう遅い。
ティアの顔色が、苦笑混じりになっているのだから、彼女が言いたかった事を私も理解して、私が言いたかった事も彼女は理解したのだろう。
「ククぅ、救助……まってみる?」
「そうだよね、食料……持たないよね……」
考えが決裂したというわけではない、元々私達は性格が真逆なのだ。
感覚的に頭が切れて行動出来る天才肌のティアと、ゆっくりと物事を考えて策を考える努力で追いつく私。
こういう状況になれば、議論はせずとも考えが分かれるのも仕方がない。
「ダンジョン化の魔法を読み解く限り、この状況は私達に限ったものではない可能性がある……と思う。階層もどれだけあるか分からないし、だったら救助は、待てない……ね」
「でしょー? そりゃ私も出たくはない。出たくは無いけれども、ご飯も普通に食べて一週間くらいが良い所。だったら私達の華々しき始めての冒険は、此処からスタートって事に……なるね?」
ティアはあっけらかんというけれど、その顔の苦笑は未だにそのままだった。彼女も彼女なりに、心配や恐怖している部分は大きいのだろう。
私が心配性で怖がりだから、尚更それをこらえてくれているのだと、分かっている。
「ん、じゃあ準備はもっと必要、だね」
私は改めて、自分の物置スペースを見る。
「ね、ね。でもさ、でもさ。ナマモノは持ってけないよね?」
「あー……確かに加工の手間を考えると時間かかっちゃうし、保存食料がメインになる、かな」
基本的に村では野菜や獣肉を普段の食事として、悪天候時の事などを考えて、干し肉などを作る事が多かった。だからこそ家に多少の備蓄はある。
食に困る事が無さそうな王都ではそうも行かなかっただろうと考えると、此処が辺境の村でホッとすると同時に、では王都の人々はどうするのだろうという不安も募った。だけれどそれより自分達の事だ。
私の考えるその顔を見たのだろう。ティアが私に笑いかける。
「人生最悪な事が待っているかもしれない。だからさ、とりあえず一緒に何か食べよう。持ちきれないヤツで、美味しいの食べよう! 火はククの魔法があるしね! たっぷり食べて、少し眠って、準備して……」
あえて少し元気な風に装いながらも、私の承諾を得られるか不安な雰囲気を感じられる。こういうところが、彼女の可愛げがあるところだ。
「出発……だよね?」
「ん!」
その日の食事は、私達が、私達だけの家で食べた中で、一番美味しかった。
きっと、私達は今日の献立を決して忘れないんだろうなと思いながら、風の音一つ聞こえない静かな食卓を賑やかに過ごした。
「香草を抜いたら香草焼きにならないよー!」
「でも香草は持っていけば何かに使えるでしょ! ちょっと、ちょっとね!」
そんなやり取りが、少し嬉しい。
「味付けはいいのー? こんなしっかりしてて。それにソースまで!」
「調味料は沢山持って行くと重たすぎるし、ソースも、このベリー少し古くなってたからね、大丈夫」
濃い味が好きなティアは、お肉のベリーソースがけに齧りついていた。
「喉、乾くね……」
「お水なら飲んでいいよ。持ちきれないくらいあるし。戻って来るつもりも無いしね。その分配達を頼まれてたお神酒を積み込もう」
「えぇー、ククったら悪いんだぁ……」
「これは特殊な製法で作られているからいいの! 酔っ払う為のものじゃないし、縁起が良いでしょ? 何かに使えると思うの」
「そんなもんかなぁ……」
なんとなしの願掛けを、強引に押し通した。少しでも神様に祈るべき状況だって、思ってしまっていたから。信心深いわけじゃあなくても、少しだけ神頼みしたい気分だった。
夜か朝かも分からないまま、私達の幸せな食事は続いていく。
外は何処か分からないけれど、まだ此処が何処かは分かる。
私達の家で、二人が"いる"家。そうして、"いた"家になる場所。
「お腹いっぱいだー! 今までで一番豪勢だー!」
「ふふ、良かったね。荷物は一眠りしてから、もう一度チェックしよう」
ティアは頷き、鎧を脱ぎかけて、一瞬難しい顔をしてから、ふにゃりと笑った。
「危ない危ない、満腹で気が緩みかけたや」
「ん、せっかく寝るのに大変だと思うけれど、今日はその格好で寝……てぐっ!」
ベッドに入ろうとしている私に、ティアがガシっと抱きついてきた。
「最後くらい、一緒に寝よ」
――最後くらい。
その言葉が物凄く残酷で、彼女の心の内が泣きじゃくっているようで、妙に泣きたくなった。
「ティア……いつだって一緒には寝れるよ。こっから出たらね。でも、そだね、たまには一緒に寝よっか」
そう言って私は少しゴワゴワした鎧付きの女の子に抱きしめられながら、少しだけ寝苦しくて、少しだけ悲しくて、少しだけ幸せな、最後になるであろう我が家での眠りの中へと落ちていった。