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第十話『私達って相性良いよね?』

 ぼんやりとした狂人の目は、私達を凝視しながら次第に見開かれていく。

 逆に私達は最初から、憎悪を強く携えた強い瞳で彼のことを見つめていた。

「なんで、かなぁ……」

 ぼやく私の言葉を踏み潰すかのように、遠くから一歩ずつ、その片手に重そうな剣を持って、彼が歩いてくる。

「なんであの人なんだろうなぁ……優しかったんだよ?」

 悔しかった。何度も世話になった。元々この村に生まれたわけでもないのに、村人よりもこの村をしっかりと守っているような人だったのだ。

 だからこそ、いっそ彼は正義に走り、敗北した人なのだろうと思っていたから、尚の事悔しかった。

「聞いてみればいいんじゃないかな、モヤモヤしながらお別れは、何をされたからって、嫌……でしょ?」

 ティアが剣を引き抜き、構えを取る。免れないであろう勝負。

 彼女から見れば、この人と人との殺し合いに臨む覚悟も出来ているし、そうして勝つ気概があるのだ。


「ん……始まったら、戻れないもんね」

 私もまた、手のひらに熱を宿しながら、その熱を何と呼ぶのだろうだなんて考えて、一歩だけ前に出た。

 彼の名前は呼びたくなかった。もう、彼を人とは考えたくなかったから。記憶を消せるなら、彼の名前と、記憶を消したい。

「衛兵……さん」

「ククさんと、ティアさんか。まだ生き残りが、いたんだね」

 剣が届く間合いではない。だからこそそのボソボソと小さい声から、彼の精神状態が伺える。

 まるで、信心深かった彼が呟く祈りのようで、現実は呪詛のよう。

「理由……は?」

「理由……か」

 彼は脱力しているような、大きな動きでぐるんと首を上に向ける。

 その姿は魔物に操られているような、いっそ操られてほしいと思う程だった。

「神は、我らを試している」

「神、ですか」

 それでも、彼の信仰は生きている。


――酷く、歪んだ形で


「魔物に食いちぎられる者を、見た。私は守れず、幾人も亡くなった。村は、地の獄に、落ちた。私の信仰が、足りなかったからに……他、ならない」

 ダンジョン化についての本は彼から借りたもののはずで、彼は元々聡明な人だったと、そう記憶している。寡黙だけれど優しい人だった。事実、村を守り続けてくれたいたのだから。

 だけれど、結局村を滅ぼしたのも、彼という事になってしまった。

 確かにこの層にいる魔物達から、パニックになっていたであろう村人達を完全に守り切る事は難しかっただろう。彼は正義を持ち、行いを正し続け、村を守り抜いた人だった。

 

 だからこそ、この失敗が、彼を狂わせてしまったのかもしれない。

「これは、ただのダンジョン化の魔法。聡明な貴方ならば分かっていたはず、地獄にしたのは……貴方でしょう?」

「……いいや? 私は彼らを神の身元に送ったのだ。君達も、すぐに行ける」

 こちらを凝視する目は返り血を浴びて擦ったのか、赤くギラついて見えた。


 理由が、分かったような気がする。

「貴方は、守れなかった。だから、貴方はその大義名分にとらわれて、狂ってしまったんですね……」

「……ッッ!」

 息を呑む音と、憎悪に満ちた顔がこちらを向き、彼の足を一歩こちらに進めた。剣に力が入ったのも、確認出来る。

「村の誰を責める事も出来ない話……だったはずなんです」

 だけれど、その顔はすぐにまた無表情に冷たい温和を貼り付けたような顔に戻る。

「そう、そうだ。誰も責められない。平等に天国へ行くのだから、取り合いも起こらず、いがみ合う事も起こらず、信託を受けた私の剣で安らかに行くのだから。この地の獄で……」

「地獄にしたのは貴方でしょう!!」

 彼の自分勝手な信仰を聞くのは、うんざりだった。

 私のその大声が、殺し合いの合図になるという事くらい、私とティアは分かり合っている。私は数秒前から彼女の足元に風流を作っていた。間合いを殺す為の、地獄を狩る為の足場。

 

「死んじゃったら、何も無いよ!」

 無宗教の彼女らしい言葉と共に、ティアは剣を振りかぶりながら、飛んだ。

 歩けば届かぬ距離、だけれど風流による跳躍を合わせたならば、落下の衝撃も合わせて、一撃で斬り伏せられる距離だ。


――ただ、それは力量差が無ければの話


 衛兵は即座に頭上に剣を構えて、ティアの落下剣撃を彼女ごと弾き飛ばす。

「軽い、軽い。死ねば何も無いと、言ったかな? 神に背く剣はこれほど軽いか」

 ティアは壁に思い切り背を打ち付けて、一瞬顔をしかめた後、即座に構えを取り直す。

 しかし、衛兵はその姿を嘲るように眺めていた。

「君達は、私を殺そうと? なんて罰当たりな」

「罰が当たるべきなのも、今此処で死ぬべきなのも、貴方ですよ。衛兵さん……!」

 彼の目を引くように大声を出しながら、私はティアの為に作った風流に熱と角度を加えて、目も開けられないであろう熱波を彼に浴びせる。

「ティア、退いて!」

 彼が剣の鍛錬を積んだ壮年の男性で、重装備の鎧を身に着けながら剣を振るうのだから、ティアの一撃が軽くならざるを得ない事は理解出来る。

 だけれど、その俊敏さは彼女には敵わないし、また魔法という分野でも私には敵わない。


――それでも、無策で向き合っていい相手では無い。


 困惑するティアの顔を見て、軽く後ろに首を向ける。

 衛兵は私の魔法を鬱陶しそうにしながら重装備の兜の面をかぶり、かなりの熱さに襲われているだろうに、私達に向かって剣を持って前進を初めた。


「いいのっ?!」

 ティアは焦った表情でこちらに確認を求める。

 私はそれにうなづきつつ、向かってくる彼に向けて詠唱を初めた。

「今は、いいよ。今はね……貴方は、火炎壁(近付かないで)!」

 殺意を先にぶつけたのは私達だ。彼もまた私達に殺意を向けて駆け足で迫りくる。

 それを、私は炎の壁……火炎壁(かえんへき)という言葉に如く燃え上がる炎の壁で遮った。村に広がっていた炎が、吸い寄せられるように壁を形成していく。

「とりあえず一階層降りよう!」

 私の声に合わせて、二人揃って階段へと駆け出す。後ろからは衛兵の声が聞こえたけれど、私が何度も張り巡らせた火炎壁(かえんへき)の音に阻まれて内容まで聞き取れなかった。

 階段までたどり着けば後は狭い場所に複数の壁を置けば良い。

 私達は一旦下の階に戻って、少し階段から距離を置いて座った。


「流石に、あの火の中を通り抜けて来ることは、無いかな」

 私は小さく息を吐く。元々、彼によって火がつけられていた場所だったのが皮肉だけれど幸いした。その炎達を触媒にする事で、私自身の魔力の消費は最低限に、何度も火炎壁を張るという事が出来たのだ。あの炎を触媒にしなければ、私は今の逃走劇で魔力をほぼ使い切っていたかもしれない。

「大盤振る舞いだったね」

「燃えてたからね、ただ二回目は無いし。あの壁も持って数十分、かな……」

 私は轟々と燃えたぎる火炎壁を眺める。触媒があったお陰か、維持に魔力は必要無い。これもまた、私自身の魔力を使っていたなら数分も持たなかったはずだろう。

 村人達の死骸を屠ったであろう炎が、私達を守っている。


「……にしても、どうしよう。私の剣はアイツのいう通り軽い。余程のフォローが無いと致命傷は入れられない……」

 ティアも流石に剣士なだけあって、彼との戦闘スタイルや装備の状況は即座に把握していたようだ。私ですら気づく程だから、彼女にとっては実感も相まって自信に関わりそうで、少し怖い。

「どれくらい、フォローがいると思う?」


――でも、ティアは一人じゃあない。


 だから、私がフォローをすればいい話だ。

「えっっ……と、あの速さと硬さなら、屋根から飛び降りても無理……かも?」

 彼女がそういうなら、そうなのだろうと思う。表情から見ても、落胆が見て取れる。

 最初に斬り伏せに行った時の勢いが、今の彼女からは感じられなくなっていた。

「屋根からでも、無理かぁ……」

「そもそも屋根からなんて、気取られてるからね……避けられてこっちが斬られる」

 確かに、相手も剣を鍛錬してきているのだから、ティアの分析は済んでいるだろう。

 ティアの速さであれば撃って逃げるという事は可能かもしれないけれど、それに耐えうる装甲もある。


 私の得意魔法が雷か何かなら、まだ良かったのだけれど、残念ながら雷魔法の素質は無い。基礎程度は分かるにしても、付け焼き刃でどうこうなる話では無いだろう。

「炎と風、速さと高さか……」

 グルグルと考える。私の魔力を全開にして炎魔法を彼に当てても、衝撃と熱自体は伝わっても鎧を溶かす程の熱は与えられない。長時間その場に拘束出来るならまだしも、炎を避けられてしまえばそれまでだ。つまり火炎壁に入り込むような事をしてくれない限りは、難しい。

 ただ、今この場所が無事だという事は、火炎壁を通ってまでこちらを追ってくるという愚行はしないという事だ。その点で、彼は冷静な判断も出来ていると思うと腹立たしい。


 風魔法っも、さっき熱波として使った通りで、彼の前進を許してしまった。あの時の出力はそこまで強くなかったにせよ。全開で撃つにはリスクが高すぎる。重装備に面付きの兜までかぶられては、拘束して多少ティアに撃ってもらったにしても、打破出来る相手では無いだろう。鎧を着ているから風の刃で切り裂くという事も出来ない。

「考えれば考える程、相性悪いね……」

「気付かれずに一撃で仕留めるしか無いけどにゃー……」

 互いに小さく溜息を付く。

 武装は私の炎の魔法と風の魔法、それにティアが持っているアロンソの長剣と短剣。

「向こうは重装備、こちらは撃たれたら一撃……ズルいなぁ……!」

 ティアは口を尖らせる。無理にでも空気を和ませようとしているのが、彼女らしい。


「撃たれたら一撃、か」

 ティアは剣で受ける事は出来るだろうけれど、私の場合は彼の剣撃に当たってしまったら確実に死に至るだろう。

「でも、その覚悟があるなら……もしくは……」

 一つだけ、作戦を思いついて小さく呟いた私の肩を、ティアが揺さぶる。

「駄目だよ、ククは私の後ろにいてくれないと。絶対に、駄目」

 確かに、私は近距離戦闘になってしまえばどうしようもない。

 だからティアが心配してくれるのも当然で、だけれどそれで勝ち筋が見えないのも事実で。

「ん?……でもさ。私達って相性良いよね? あの人とは相性最悪でもさ?」

 私のその言葉に、眼の前のティアの顔がきょとんとする。

「んん? まぁ……そう、そうだね。そうだけども、んん?」

 私に、彼と対峙し続ける覚悟があるならば、可能性が。

 それにはティアにも、私が死の淵を睨み続けるのを堪えてもらう必要がある。

「私ってさ、口が上手いと思う?」

「んもう、次々に何ー? そりゃ、魔族とアレだけ言い合ってるのを見たらにゃー」

 でも、魔族よりもうんと難しいのが、眼の前にいる。ティアを納得させなければ、この作戦は実行出来ない。

「じゃあさ、私はティアを言いくるめられるかなぁ」

「駄目、駄目だよ。前に出るのは私」

 私の言いたい事が分かったようで、彼女はすぐに私の言葉にもしていない作戦を否定する。

「でも、それじゃ勝てない。だから、聞いて?」

 私は彼女の手を強く握って、作戦の概要を説明した。


 そうして、それを聞いたティアは、難しい顔をする。

「言いたい事は、分かったよ。やりたい事も、やれるかもしれない事も分かる。でも、そのままじゃ、駄目」

 理解はしてくれても、納得はしてくれない。当然だ。ザックリ言えば、私が囮になって、ティアに一撃で倒してもらうという作戦なのだから。

「んー……じゃあ他に何か……」

「私も見るよ。その、死の可能性を。彼の体力を最初にうんと削る。それなら、その話に、乗っても良い」

 言葉と共に走る不安感。ティアが感じていた感情の正体に気づいて、申し訳無さがこみ上げる。

「駄目……とは言えないな。ごめん、そうだよね。私ばっかりじゃ、駄目だよね」

「ん、駄目。ククが命を賭けるなら、私も命を賭ける。それに詠唱の時間は必要……でしょ?」

 確かに言われてしまえばその通りで、彼女が最初にある程度前線で撃ち合ってくれていた方が作戦の成功率は上がる。


「じゃあ、これでティアも口説き落とせたかな?」

「へへ……相変わらずククは口が上手いね」


 そう言って、ティアは立ち上がり、短剣をぎゅっと力強く握りしめて、数回振って、鞘にしっかりとしまい込む。

「うん、大丈夫。やろう、私達で」

「ありがと、信じてるからね」

 私の言葉にティアは「私も!」と言って笑った。


 私の指が、一枚ずつ火炎壁を消していく。

 熱が宿るその階段の中を一歩ずつ登っていく先に、彼はいる。


 そうして、村の階層に付き、周りに彼がいない事を確認してから、最後の火炎壁を、少し離れた場所から風で切り裂く。そこにはさっき無かったはずの、黒焦げの"ナニカ"が積み重なっていた。

「使えない身からすれば、便利ですね、魔法というものは。ありがたい限りですよ、ククさん」

 その光景に、思わず私は我を失いかける。気づいたティアに強く手を握られなければ、魔法を撃ち込んでいたかもしれない。彼はあろうことか、私の魔法で村人を火葬したのだ。

 

「それで……祈りは、済ませたかい?」

 飄々と言ってのけるその言葉からは、もう既に狂気を越えた、人間性の欠如すら感じられた。

 信仰に乗っ取られた、化け物がいる。


「私達に、神様は必要ありませんよ」

 私はその言葉を最後に、小さく詠唱を始める。


「私達が信じてるのは、祈ってるのは、私達の事だからね!」

 ティアが駆け出す。それを見て、憎々しげに鼻で笑った化け物を、見た。


 彼女がいう通り、私が祈るのはティアと私が生きていく事。

 信じているのも、ティアの事。

 

 だから、これから始まる彼女の死闘を私は一瞬も見逃さない。

 魔法を撃ちこむ瞬間は、きっと分かってくれる。


 なんていったって私達は、相性がとても良いのだから。

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