姉ちやん
〈脊教は霧であるかな夏の朝 涙次〉
【ⅰ】
採用に関して、平涙坐と菜津川暑子とでは、大きな差が出た。幾らフランクな一味であつても、彼らは組織であり、システマティックに動けぬ者はお断り、と云ふ事もあり得る。菜津川は、何だかんだ云つて、魔界の大物だと云ふ父親に、甘やかされ過ぎたのではないか。さう云ふと彼女は全身全靈を以て否定するだらうが、事實はだうなのか決めるのは、彼女自身ではない。大物、とは一體誰か。
【ⅱ】
その大物を* 斬つたカンテラにも、その正體は茫洋としてゐた。君繪の實の兩親と、君繪が魔道に叛逆し續ける限り彼女は大人になれない、なる惡辣な契約を結んだのも、彼・菜津川の父親だと云ふが、正體定かでないのでは「實は大物などではないんぢやないの?」と勘繰りたくもなる。まあ良い。菜津川も彼女の父親も、一味が斃したのだ...
* 当該シリーズ第10話參照。
【ⅲ】
たゞテオだけが眞實を知つてゐた。菜津川の父親は* 姫宮眞人、さう、由香梨の實父であつた。彼は人間の子として(その實、女の魔物 -人間の振りをした- と)儲けた暑子を、自分が魔道に墜ちる際に、連れて行つたのだ。これは由香梨にはショッキングな出來事だらう。自分は父親の「一番」の子ではない。然も、父は母に内緒で妾腹の子を作つてゐた‐ 由香梨自身が妾腹の子やも知れぬ。これは由香梨ちやんには秘密にして置いた方がいゝな。テオは思つた。自分の異母姉を、カンテラはクビにしてしまつた‐ もしかしたら「姉戀し」の氣持ちが湧いてしまふかも知れない。その「姉」は最早、この世の人ではないのだ。
* 前シリーズ第2話參照。
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〈エアコンの上げて下げてが忙しい外は概ね暑きと云ふに 平手みき〉
【ⅳ】
たゞテオ、この事をカンテラにだけは報告した。摑んだ事實は上長に報告。これ、当たり前の事である。「うむ、一應由香梨の夢に『番』は必要だらうな。菜津川が誘惑して來る線は大いにあり得る」‐「誰を、『番』に?」‐「(ロボテオ)2號は? 空いてる?」‐「2號なら空いてますよ」
【ⅴ】
2號が由香梨の夢に潜入すると、程なくして、菜津川の幽鬼が現れた。「わたしの事、お姉ちやんつて呼んでいゝのよ」‐「何が姉ちやんだ。父ちやんの子はあたし一人だよーだ」‐「そんな惡い事云ふ子には‐」菜津川は惡鬼の形相を剥き出しにした。
(其処にゐるのは2號ちやんなの? この事をカンテラさんに報告して!)
【ⅵ】
「テオ、ビンゴだ。菜津川が現れた。だうやら由香梨を洗脳しやうとしてゐるらしい」‐「じろさん呼ばなきや」
【ⅶ】
カンテラとじろさんで、由香梨の夢に‐「2號、ご苦勞だつたね。バトンタッチだ」‐菜津川「き、貴様ら
~」じろさん、無言で菜津川の襟首を摑む。無造作に放り投げた。「ぐわつ」カンテラが仕留める。「しええええええいつ!!」
じろさんは由香梨の頭を撫でた。「よくやつた。流石はカンテラ一味の末つ子だ」‐「うん。あたし泣かないよ」と云つた途端、由香梨の目から大粒の涙が溢れ出た。全てを悟つた譯ではない、然し深い悲しみが彼女を支配してゐた。じろさん「よしよし」
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〈欠伸して我が體内の暑さかな 涙次〉
由香梨、お小遣ひを貯めたカネをカンテラに差し出した。カンテラ暫く迷つたが、「有難く頂戴して置くよ」‐全くこの世はどうにかしてゐる、カンテラ、さう思つた。お仕舞ひ。