1話 婚約破棄と左遷
「レティカ、悪いが君との婚約を破棄させてもらいたい」
「……はい」
ある日、男爵令嬢レティカ・シュガードナは婚約者であったオルダ・モルノン侯爵令息からに突然呼び出されての婚約破棄を受けた。
あまりにも理不尽な申し出ではあるが、当のレティカは観念したように同意した。
「他に好きな人ができたんだ。最初は君という存在がいながら、こんな気持ちを抱くなんてと心の底に押し込め続けた。しかし、日々を追うごとにこの想いは溢れてくる。もう我慢する事なんてできないんだ……!」
オルダは懺悔もとい言い訳を続けているが、レティカ自身も自分でも驚くほどに受け入れられた。
(……元々、彼の心が私から離れていっているのは薄々察せられましたしね)
レティカは窓に映る自分の姿を改めて見る。
クセッ毛の強い赤髪を無理矢理にまとめた三つ編み、素顔が隠れてしまうぐらい大きい縁なし眼鏡。
今の格好だって、いきなり呼び出されて暇がなかったとはいえ、魔法士用のローブの上に白衣を羽織っただけという仕事着。
貴族令息はもちろん、男受けするような女性像ではないだろう。
無論、自分とて婚約者として愛されよう、歩み寄ろう、と努力はしてきたつもりだった。
自分よりも年下でまだ学生であるオルダ。
社交の場では、年上としてリードしつつも、決して目立たず夫となる彼を立てるように、常に気を配ってきた。
彼の好みに合わせたドレスを着たり、彼が好きだというレストランで食事をしたり、自分なりに相応しくあろうと頑張ってきた。
だが、結局それらも全て徒労に終わってしまったようだ。
ならば仕方がない、潔く身を引くとしよう。
彼とは縁がなかった、それだけのことなのだから。
――と、そうレティカは己に言い聞かせ続けた。
(それはそれとして、婚約解消の手続きは面倒ですね。お父様たちに、向こうのモルノン家の方々にもなんて説明すればいいのでしょうか)
「既に両親は説き伏せ、そちらの実家にも使いの者を送った。後は君の了承のみだ」
――どうやら既に行動を終えていたらしい。
あまりの手回しの早さにレティカは逆に感心してしまった。
「そうですか。そこまでの覚悟ならば私は何も言いません。オルダ様とそのお相手の方の幸せを願っております」
「おお、そうか! いやあ良かった! これで私も心置きなく彼女と結ばれることができる! 彼女はあれでせっかちでね。まだかまだかと、ずっとせっつかれていたのだよ」
「え、ええ……」
最初の申し訳なさそうな態度はどこへやら、オルダは熱に浮かされたように意中の相手の事を聞いてもいないのに語り始める。
とりあえず、婚約破棄した相手に浮気相手のことを嬉々として語るのはどうか、と内心呆れるも、そんなこちらの心中など知ってか知らずか、オルダは熱弁を続ける。
「学園で初めて彼女に会った時、今まで灰色で空虚な世界であったのが、彼女に会ったことで僕の世界は色づき始めたのだよ。他の女性たちが野原の雑草ならば、そう、彼女は野原に咲く一輪の花だ!」
(つまり私といた時は灰色と空虚な世界で、私含めた女性は雑草と……! 自覚がないのでしょうが、それが逆に腹が立ちますね)
黙って聞いていたが、いい加減、こちらとしても苛立ちが募り始めてきた。
そろそろ一言言ってやろうかと思ったら、突然に部屋の扉が開く。
「オルダ、話は終わったかしら?」
入ってきたのは、煌びやかなドレスを纏った桃色の髪が特徴的な可愛らしい顔立ちの令嬢だ。
彼女はこちらの事には一切目を向けず、オルダの方へと歩いていく。
「おお、ラクシャ。今話は終わった所だよ。紹介しよう、レティカ。彼女こそが私の真実の愛の相手……ラクシャ・トラプナ子爵令嬢だ」
「え? ああ、あなたがオルダの婚約者ね。はじめましてラクシャよ」
オルダの言葉に、ようやくラクシャはラティカの存在に気付いたような体で、挨拶をぞんざいに済ませてオルダの膝へと腰を下ろした。
(あ、そこに座るんだ……)
色々と突っ込みたい気持ちを押さえながら、そこでレティカはラクシャという名前で思い出す。
確か子爵が平民出の愛人の子を娘として引き取って王立学園に通わせている、という話を聞いた覚えがあった。
なるほど。彼女がその人というわけだ。
「レティカ。見ての通りだよ。僕たちはこうして愛し合っている。酷ではあるが、もう君の居場所はないんだよ」
「……一応聞いておきますが、側室という選択肢はないのでしょうか?」
余計な質問ではあるだろうが、最後にレティカは念のため、貴族の女としての選択肢の一つを提示してみる。
「まあ! あなたは私たちの間に割って入ろうというの⁉」
「側室なんてもってのほかだ! もう彼女以外の女性を愛することなんてできない。なにより、彼女がそれを許さない!」
「そうでしたか。失言でしたね。申し訳ありません」
言っておいてなんだが、自分でも正直気が進まなかったので、レティカはあっさりと頭を下げて引き下がった。
「レティカ、君が僕に未練があるのはわかるが、わかっておくれ。僕だって辛いんだ」
全然辛くなさそうな口調で諭された。
それと自分がフラれた体になっているのも釈然としないが、これはさっきの自分の提案も悪かったのと、追求したら新たな藪蛇になりかねないので、レティカはあえて黙っておく。
「そういうことなの。ごめんなさいね、レティカさん」
ラクシャはラクシャで、どこか嘲りを含んだ笑みで勝ち誇っているように見えたが、これ以上の会話は無駄だと判断したレティカは切り替えることにする。
「……そのようですね。どうやら私はお邪魔みたいですし、それでは失礼いたします」
「ああ。君にも真実の愛が見つかるのを祈っているよ」
どの口で言っているのか、と思わず言いたくなるのを堪えて、レティカは部屋を出る。
「はあ……、お父様たちになんて言おう……」
オルダは既に家の方にも知らせが行っているらしいが、だからこそ顔を会わせ辛いというのもある。
ただでさえ、男っ気が無い自分のために頑張って組んでくれた縁談なのだ。いったいどんな顔をして家に帰ればいいのか。
(いや、逆に考えよう! これで自分は好きな魔法研究に専念できるって!)
学生のオルダよりも二つ年上のレティカが勤めている場所は魔法開発部。
宮廷魔導師お抱えの部署の一つで、魔法研究は勿論、魔物の生態研究や魔法道具の開発も担当している。
はっきり言って、そこらの騎士団よりも収入は安定しているので、少なくとも将来の心配はないはずである。
孫の顔を両親に見せるのは兄に任せて、自分は趣味もとい仕事に生きるとしよう。
レティカは気楽にそう考えながら、次の研究について意識を向けていた。
しかし――。
「左遷……ですか?」
「ああ、そういうわけだ。今までご苦労だったね、レティカ・シュガードナ」
場所は変わって魔法師団の第一開発部。
婚約破棄を受けた次の日、突然に上司から呼び出しを受けたかと思ったら、いきなり突き放すように左遷を言い渡された。
「明日にでも荷物を整えて、この場所へと出立したまえ」
渡された書類の記された場所は北方のサポロヘイム領。
辺境も辺境、寒く過酷と有名な土地である。
「いやいや、納得できないんですけれど。なんでいきなりこんな辺境に飛ばされなきゃならないんですか?」
さすがのレティカもこれは我慢ならず、半ば抗議じみた質問をするが、上司の方はつまらなそうに鼻を鳴らして、ジロリと睨みつける。
「実は貴様に関する報告書が上がってきていてなあ。なんでも毎日王宮の男たちにちょっかいをかけて夜の街を遊び歩いていると、しかもその遊ぶ金に局の研究費まで使い込んでいたとも書かれているぞ?それで婚約者であるオルダ殿も愛想をつかして婚約を解消したとな」
どれもこれも身に覚えのないものばかりでである。
「ふざけないでください! 私は仕事以外でオルダ様以外の殿方とロクに接したことはありませんし、研究費だってビタ一文たりとも私用になんて使ってません! 毎月の帳簿だって提出してるでしょう!?」
さすがのレティカも声を荒げるが、上司は鼻で笑って書類を放り投げた。
そこには『魔導具開発費として申請された金額が不自然に多い』『私的な贅沢品購入の疑い』と、でたらめな記述が並んでいる。
「言い訳はいい。第一開発部にそんな問題児を置いておくわけにはいかん。我が令息を差し置いて男遊びに耽るとは何事か、とモルノン侯爵家もお怒りだ。貴様がどれだけ喚こうと、この決定が覆ることはない」
レティカは唇を噛んだ。
オルダとラクシャが、婚約破棄の火の粉を自分たちが被らないよう悪評をでっち上げたのは明白だ。だが、まさか研究費の使い込みまで捏造されるとは思わなかった。
彼女が必死に取り組んできた魔法研究を汚されるようなこの仕打ち、さすがのレティカも怒りを感じた。
(あの時、オルダの顔に一発叩き込んでおけば良かったなあ……)
内心で毒づきながらも、現実は変わらない。
そう、上司の冷たい視線が暗に告げている。
「そんな問題のある人物をこの研究室に置かせておくわけにはいかん。もう一度言おう。明日までに荷物をまとめて出て行きたまえ」
取り付くしまもない。
察するに、どうやらこの上司もモルノン家とグルなのだろう。
あっという間に、室長室から追い出されたレティカはしばらく呆然と立ち尽くしていた。
「レティカ! ああ、かわいそうなレティカ……!」
その夜、意気消沈したレティカは実家の屋敷に戻ってくるやいなや、母に抱き締められた。
「話は聞いたわ! こんな理不尽な話があってたまるものですか! 今、バートンやマシューが撤回させようと駆け回っているわ。これから私も友人の伝手を回るわ! 悪いけど、もう少し我慢してね?」
今頃、必死に奔走している父と兄の姿を思い浮かべながら、レティカは目の前の母の顔を見る。
顔色も悪く、大分やつれていた。
きっと二人もこんな顔をしているのだろう。
「大丈夫ですよ、お母様。私は一人でもやっていけます」
「レティカ、何を言っているの?」
「むしろ、全ての重荷が降りて逆にせいせいしたくらいですよ。辺境でのんびりスローライフでも楽しもうと思います」
「レティカ……」
母は口惜しそうに口をつぐみ、それ以上何も言わなかった。
――これでいい。自分のせいで、皆が侯爵家や子爵家を敵に回すなどあってはならない。
レティカはその後、帰ってきた父や兄を加えて、改めて一晩中家族会議をして、己の辺境行きを家族に説き伏せる形となった。
こうして明後日の朝、レティカ・シュガードナはサポロヘイム領へと向かう事になったのである。