記念すべき日
その日の放課後、ケルティは心の整理がつかないまま帰宅した。
「ケルティ様、今日また一段とお疲れに…と言いますか酷く混乱されたお顔をしていますね。今回は何色縦ロールが現れたのです?」
ミカは、ケルティが脱いだ制服を手入れしながらニヤリと口の両端を上げて面白そうに視線を向けてくきた。
「……………黒」
部屋着に着替えてベッドの上にうつ伏せに寝転んでるケルティが顔も上げずにボソッと答えた。
「黒髪…ですか。レナ様以外に黒髪のご令嬢なんていらっしゃらなかったような…どなたでしょうか?」
「……キンベラー家の息子。」
「え?キンベラー…キンベラーってあの侯爵家の?まぁケルティ様、なんてお方とやり合ってるのですか!キンベラー侯爵家はこの国でも有数の名家で、その影響度は公爵家を凌駕し王宮にまで及ぶという…そのような高貴なお方に喧嘩を売るなど一体何を考えて…」
「ちょっと待って!なんで私が一方的に悪者になってるの!何もしてないって!!向こうが勝手にパートナーに決めつけてきただけだって!」
「パートナー…?」
「あ……」
一気に低い声になったミナに、ケルティはやってしまったと顔色を悪くしている。
だが時すでに遅し、ミナは片付けの手を止め身体ごとケルティの方に向きを変え射程内に捉えた。
「そのお話、詳しくお聞かせくださいませ。」
お仕着せの裾を両手で整え、とびきりの笑顔のままベッド脇に両膝を付いたミナ。
話し終えるまで動かないぞと強い意思を全面に出してくるミナに、観念したケルティはこれまでの出来事を洗いざらい話した。
「なるほど…」
事の顛末を聞き終えたミナは顎に手を当て、話の内容を頭の中で反芻している。
一方、気恥ずかしさでいっぱいになったケルティは再び枕に顔を埋めていた。
「ちょっと…何か言ってよ。」
気まずい沈黙に耐えられなくなったケルティが先に口を開く。
きらりと輝く瞳を向けたミナが勢いよく言葉を続けた。
「ケルティ様、これは千載一遇のチャンスですよ!年齢良し!家柄良し!顔良し!三拍子揃ってるなんてこんな奇跡滅多に起こり得ませんよ!さぁ、今すぐに御礼のお手紙を書きましょう!このミナが即刻届けて参ります!」
「待って待って!!だから私は相手に面白がられているだけで、これは何か先があるような話じゃ無いんだって!そもそも、どうして相手がこんな私に構うか分からないし…こんなの揶揄われているだけとしか…」
「きっかけはどうであれば、向き合った二人が距離を詰めていくのが恋というものですよ。お嫌で無ければ、逃げずに向き合ってあげてください。」
「そんなこと言われたって…これで私の勘違いだったらどうするの…ひとり浮かれたみたいで私馬鹿みたいじゃない。私は条件さえ合えば誰だって良いんだから、今更恋とか愛とかそんなのは別に…」
「ふふふふふ。耳が赤いですよ?」
「か、揶揄わないで!」
露出していた耳を両手で隠し、ケルティは遮るように大きな声を出した。
だがそれにミナが狼狽えることはなく、返ってきたのは心底嬉しそうな笑い声であった。
翌朝、まだ混乱しながらもミナの助言通り一度セリウスと話してみようと決めたケルティはいつもより少し早い時間に家を出た。
だが普段となんら変わらない風景のなずなのに、ケルティは教室に入るまでに違和感を覚えた。
ー え、なんか見られてる…??
視線を感じて周囲に目を向けると皆サッと目を逸らしてくる。
そのようなことが数回続き、ケルティは違和感の正体が分からないまま教室に入って行った。
「おはようございます。ケルティ嬢。」
「おはようございます。」
「ケルティ嬢、ごきげんよう。」
ケルティが教室に入った途端、待ってましたとばかりに数名の女子生徒達が周りを取り囲み、優雅な微笑みを携えて挨拶の言葉を口々に言ってきた。
この学園に入学して以降、レナ以外と碌に挨拶を交わしたことのなかったケルティが驚いて目を見開く。
「……お、おはようございます。」
無視するのはいけないと思い蚊の鳴くような声でなんとか一言を返すと、その場から逃げるように定位置の席に着いた。
「なに…何これ………どういうこと…」
机の上に鞄を投げ出したまま、肘をついて頭を抱えるケルティ。
周囲からの視線が怖くて俯いたまま必死に頭を働かせる。
ー 何が起きてるの…?
悪意があるような視線ではないと思うんだけど、かと言って好意的とも違うような…え、私何かした?
最近は誰かの婚約者に手紙を出すようなヘマもしてないし、間違って同級生の父親に縁談を持ちかけるようなこともしてな……いやあったかも。でもそれ去年の話だからもう忘れてるはず。
じゃあ一体何が原因…??
「おはよう、ケルティ。」
「おはよう!レナ、良いところに来て……あっ。」
この学園で『ケルティ』と親しげに呼びかける者はレナしかおらず、名前を呼ばれた瞬間勢いよく顔を上げて呼応してしまったケルティ。
キラキラと朝の陽光のように光り輝く青い瞳と目が合い、またやってしまったと自己嫌悪で項垂れる。
「次は名乗ってから声を掛けて欲しい……」
恥ずかしさを紛らわすため自分の不注意をセリウスのせいにしたケルティは、恨めしい視線を向けた。
「気が利かなくてごめん。」
「え?」
そんな彼女に対してどこまでも真剣な声音で言葉を発したセリウスは、スッと音もなくケルティの前に片膝を付いた。
驚いて固まるケルティを他所に、優しく彼女の片手を絡め取る。
「僕の名はセリウス・キンベラー。以後お見知りおきを。」
真摯な青い瞳で見つめたセリウスは、握りしめてきたケルティの片手に唇を近づけそっと口付けを落とした。
「…っ!!!!!!!!!」
手の甲に感じた初めての感触に、顔を真っ赤にしたケルティは椅子から飛び上がった。
バランスを崩してしまわないよう、すかさずセリウスも立ち上がり軽く彼女の背中に手を添える。
「これを毎朝の日課にすればいいかな?それとも声を掛ける度に必要?もちろん僕としては後者の方が嬉しいけれど。」
「い、いらない!冗談だって!!」
いつか間にか身体を支えられていたことに気付いたケルティは、セリウスの手から逃げるようにして席に座り直した。
「冗談だとしても、僕にとっては記念すべき日となったよ。それじゃまたあとでね。」
教室に入って来たレナの存在をいち早く察知したセリウスは、ふんわり微笑むと自分の席へと戻って行った。
「だからほんとにもう何なのっ…」
真っ赤になってるであろう自身の耳と頬を必死に手で仰ぎながら、ケルティは泣きそうな声で一人漏らしていた。