甘い罠
夜、部屋まで迎えに来たセリウスにエスコートされ、1階にある庭園に面したダイニングルームにやって来たケルティ。
邸内だというのに姫のように丁重に扱うセリウスに満更でもなく、だらしなく頬が緩む。だがそれも食事を終えるまでの短い間であった。
「これどうしたの………………」
「ん?」
デザートも食べ終わりミカが食後のハーブティーを用意する傍、セリウスがテーブルの上に並べたパンフレットやカタログを目にして絶句している。
つい先ほどまで頬に手を当て食事を堪能していたケルティはどこへやら、今は目を見開いて物凄い顔をしている。
だがそんな表情ですら愛おしいのか、セリウスは甘い顔のまま頬杖をつき、隣に座るケルティの髪を何度も彼女の耳に掛けうっとりとしている。
隣り合っているからこそ、二人の温度差が際立っていた。
「せっかくだから王都から少し離れた海に面した教会も良いかなって思ったんだけど、隣国にも一面ガラス張りの美しい教会があることを思い出してね。ドレスもオートクチュールにするとして制作期間がギリギリだから、既製品でイメージを固めてから依頼した方が効率良いかなって思ったんだ。妥協はしたくないし。」
「はい??教会にドレスって…ちょっと待ってよ。」
「ああ安心して。場所もドレスサロンもひと通り抑えてあるから。ケルティはゆっくり選んで良いよ。そのためにパンフレットやカタログを用意したんだ。一々足を運ぶのは煩わしいだろうと思って。」
チラリとドレスの絵が描いてあるカタログに目を向けると、高級品に疎いケルティですら耳にしたことのある王室御用達の超有名店のものばかりであった。
いくら財を積んだとしてもオーダーまで最低1年は順番待ちすると聞く。
厳かな教会のパンフレットには、教科書で見たことのある国が定めた歴史的建造物の挿絵が載っていた気がしたが、スッと目を逸らして見なかったフリをした。
「これは一体どうしたらいいの…」
「ふふふ。優柔不断で迷うケルティも可愛い。ずっと見ていたいな。」
文字通り頭を抱えるケルティに、ひたすら甘ったるい視線を向けるセリウス。
このままでは流されてしまう…そう思ったケルティが意を決して顔を上げた。
「やっぱり一度ちゃんと話をっ…んッッ」
顔を上げた瞬間、待ってましたとばかりに急接近して来たセリウスに唇を奪われてしまった。
それは一度のみならず、二度三度と繰り返され、ケルティの呼吸が浅くなっていく。
「はい、吸って」
「ふーーーっ」
「うん、上手」
「んッッッ」
酸素不足でくらくらしそうになる一歩手前、絶妙なタイミングでセリウスが息つぎの間を作った。そして呼吸が整うとすぐにまた唇を重ねてくる。大きな掌がケルティの後頭部を掴んで離さず、逃げる間は与えてはくれない。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
息苦しさで呼吸が乱れ、乱れた呼吸音が羞恥心を増長させる。
「もう…むり…」
泣きそうになりながら涙目でセリウスを見つめると、満足したのかようやく解放してくれた。
安心させるように優しく自分の胸にケルティの頭を抱き寄せる。
「ずっと、ずっと、こうしたかった。」
頭の上から降ってくる切に願う甘美な声音に、ケルティの胸がぎゅっと締め付けられて苦しくなる。
もう何も言えず、彼女は黙ったままセリウスの胸に顔を押し付けた。
そのままの姿勢でしばらく経ち、ケルティが落ち着いた頃を見計らってセリウスが漸く手を離した。
されるがままになってしまったケルティが悔しそうにこぼす。
「…ずるい」
「拗ねてるケルティが可愛くてずるい。あまり煽らないでもらえる?自制が効かなくなる。」
「いっ…」
目が笑ってない整った笑顔を向けられ、ケルティが恐怖に慄く。固まった表情のまま、こくこくと何度も頷いた。
「ふふふ、冗談だよ?」
ー ぜったいうそだ
楽しそうに微笑むセリウスに、思わず半眼を向ける。ケルティは本気だと確信したが、藪蛇のような気がして口に出すことは控えた。
「それじゃ、また明日」
「また明日?」
気付くと自分の部屋の前にいた。右手を繋いだ先には名残惜しそうに微笑むセリウスの姿があった。
「え、いつの間に!まだ何も話せてないのにっ」
「嬉しいけど…夜の逢瀬は僕らにはまだ早いかな?」
「いやそうじゃなくて!!」
思わず声を荒げてつっこんだが、セリウスはどこ吹く風でにこにことしている。まったく動じていないようだ。
「結婚の話、まだちゃんとーー」
「そういえば、次の休みにレナ嬢とセラフィーヌ嬢が邸に遊びに来てくれるって。」
「ほんと!!?」
ぱぁっと瞳を輝かせるケルティ。分かりやすいほどに嬉しさを爆発させている。
「………妬けるな。」
「え、今何か言った?」
「いや、何も?」
普段聞いたことのない低い声がセリウスから漏れ出た気がしたが、すぐさま涼しい顔で否定されてしまった。
「当日、天気が良ければ中庭にお茶の用意をさせるから皆でゆっくり過ごすと良いよ。僕は自室にいるから何かあれば呼んで。」
「セリウス様、ありがとう。すっごく嬉しい。」
「ふふふ。そう言ってもらえて僕も嬉しいよ。じゃあおやすみ。」
「うん、おやすみなさい。」
最後に軽くハグを交わすとケルティは部屋の中に入り、セリウスが外側からドアを閉めてくれた。そして互いに手を振って別れる。
が、ドアが閉まった瞬間、ケルティの表情が固まった。
「結婚の話流された………………………」
まんまと彼の術中にハマったケルティは、己の不甲斐なさに崩れ落ち、床に膝をついた。
「とにかく、良い機会だしレナ達に相談しよう。ひとりで考えてたら絶対セリウス様の思うがままにされちゃうもの。しっかりしなきゃ。」
立ち上がったケルティは、パンパンと軽く頬を叩き決意を新たにしたのだった。




