疑念
「なんかきな臭くない?」
迎えにきた家の者に支えられ、絶望の表情で教室を後にするキャメリアを見ながら、レナが隣に座るセラフィーヌのことを見た。彼女も整った眉を顰めて何か考えるような仕草をしている。
他のクラスメイト達は最初こそ由緒正しい侯爵家の騒ぎに色めき立ったものの、キャメリアの退場とともに興味を失い、いつものように1限目の授業の準備を始めていた。あっという間に友人同士で雑談が始まり、何の変哲もない朝の日常に早変わりだ。
「ケルティが家の事情で学園に来なくなってしばらく経つし、偶然とは思えないのだけど…」
「そうですわね…一番心配しそうな彼が普段通りだから気にしないでいたけれど、今日のこれはさすがに全くの無関係とは思えませんわね…」
不安そうなセラフィーヌの視線は、前列の席に静かに座るセリウスへと向いている。ぴんと伸びた彼の背筋に不安や動揺は感じられず、その堂々とした構えは自分の考えが杞憂だったのではないかと思わせられるほどであった。
そんな対照的な二人を見比べたレナが諦めたように一つため息を吐いた。
「気になることは本人に直接聞くしかないわね。」
痺れを切らしたレナがセリウスに尋ねようと立ち上がったその時、ダリクが彼の席に近づいてきたのが見えた。
思わずもう一度席に座り直し、耳を澄まして視線だけ向けるレナ。何やらダリクが一方的に話している様子だったが、絶妙な角度で二人の表情は見えず、席が遠くて話の内容を聞き取ることも出来ない。
「お前やっぱムカつくな。」
ゆっくりとした足取りでセリウスの前に現れたダリクは、ヘラヘラ顔のまま唐突に悪態をついた。
一方のセリウスは、視線を教科書に落としたまま眉一つ動かさずダリクのことを見上げようともしない。
「あんなに大事な婚約者様をこんな俺に取られて悔しくねぇの?それとも、もう次を見つけたか?まぁ、お前んちなら選びたい放題だもんなぁ…はっ。羨ましいことで。」
正面に回って机の上に両手をつきセリウスの顔を覗き込むが、彼の表情に一切の変化は見られない。
「お前、随分と余裕だなぁ?」
ダリクは手をついたまま上体を起こすと嫌そうな顔で舌打ちをした。
「あーあ、ほんとつまんねぇの。俺の家に暗殺者でも送り込んでくるかと思ったのに、お前何もして来ねぇじゃん?男の嫉妬はみっともないなんて言うけどよぉ…横から掻っ攫われて取り返そうともしないなんて、もう可哀想過ぎてケルティに同情するわぁ。学園帰りにでも慰めに行ってや、」
「ねぇ」
ここでようやく言葉を発したセリウス。
静かに教科書を閉じると、目の前に迫るダリクのことを真っ直ぐに見返す。いつもは宝玉のように輝く青い瞳が今は仄暗く、何もかもを呑み込む海の底のような静かな恐れを感じさせる。なんの感情も移さぬままじっと相手に視線を向けた、
一体相手は何を言い出すのか…それとも言葉ではなく物理的攻撃で反撃してくるのか…相手の出方がまるで読めないダリクは、その不安から悟られないように左足を半歩下げて防御の姿勢を取った。
「もう予鈴なったよ。」
「は………」
想像もしなかった脈絡のない言葉に、ダリクの思考は完全停止した。
「ほら、早く席に戻らないと。ね?」
親しい友人に向けるような温かな笑みでダリクに話しかけてきたセリウス。
それは、つい先程までの読めない表情とはまるで異なっており、にこにこと悪意なく微笑む顔がダリクに一層の恐怖心を植え付ける。
「うるせぇな。」
本鈴が鳴り、席を立つダリクにクラスメイト達の視線が集まってきてしまったため、彼は苛立つまま足音を立てて自席へと戻って行った。
1限目が終わり他の者達が次の移動教室の準備を行う中、セリウスは前の教科書を閉じもせず自席に座ったままでいる。
「感情を露わにするなんて、君らしくないな。」
「何のこと?」
背後から話しかけてきたミハイルに、セリウスは僅かに尖った声音で言い返した。
この状況で白を切ろうとするセリウスに、ミハイルは無言でノートの影に隠されていた彼のペンを一つ取り上げる。外国産の高級そうなガラスペンはポッキリと二つに折れており、繋がっていたであろうその部分には血液が付着していた。
「何か困っていることはあるか?」
「別にないよ。手筈は整えてあるからね。」
「君が冷静ならいいんだが…」
「僕が冷静じゃなかった時なんてある?」
「彼女が絡むとすぐムキになるくせに」
「愛ゆえの衝動とでも言ってもらえるかな?」
「はぁ…」
無意識なのか意図的なのか分からず、盛大にため息をつくミハイル。
「何でも良いが、未来ある彼女を罪人の妻になんてするなよ。」
「…分かってる。」
珍しく落ち着いた声音で返してきたセリウスに、ミハイルがやや驚いた表情を見せた。
状況から察する今貴族社会の中で起きていることとと、セリウスがこれからしようとしていることを考えると不安が尽きなかったが、真剣な顔を見てこれ以上の口出しは不要だと結論づけた。
「医務室、行けよ。」
ミハイルは胸元から白いハンカチを取り出すと、そっとセリウスの机の上に置き、次の授業のため教室を出て行った。
「ねぇ、さっきダリクと何の話をしていたの?ケルティに関わること?」
セリウスが一人になった瞬間を狙っていたレナが話しかけてきた。
この機を逃すまいと、隠すことなく端的に要件を伝える。覚悟を決めた表情でセリウスの返答を待った。
「ごめん、そろそろ次の教室に移動しないと。」
だが、セリウスはなにも答えることなく教室の外へと出て行ってしまった。
「あれは…絶対何かあるわね。」
はぐらかされたことで、レナのセリウスに対する疑念は確信めいたものになっていた。




