キャメリアの思惑
「女主人としての仕事を学ぶため」という建前で訪れていた、王都の南に位置するローレンス領。
辺境の地と言われているだけあり、王都と比較すると街を行き交う人の数は多くはない。だが、年間を通して温暖な気候のおかげで作物が豊富に獲れるため仕事に困ることはなく、街全体が活気に満ち溢れている。
そんな街一体を取り仕切るローレンス家の本邸に初めて足を踏み入れたキャメリアは、隠すことなく溜め息を吐いた。
「お帰りなさいませ、キャメリア様」
玄関まで続く石畳で整備された道の両端にずらりと使用人達が整列していた。
キャメリアを乗せた馬車が見えた瞬間から深く頭を下げた姿勢を維持している。
ー ふんっ。わざとらしいわね。
キャメリアは言葉を返すことなく冷えた目で彼らを一瞥すると、先導する使用人の後に続き玄関までの道を歩いた。
「では、何かございましたらいつでもベルでお呼びくださいませ。」
部屋まで案内してくれた使用人が深々と頭を下げて部屋を出ていく。
キャメリアは視線を向けることなくソファーに腰掛けた。長旅で疲れた身体を休めるように、背もたれに体重を預ける。
目の前のテーブルには、ティーセットと王都で少し前に流行っていた老舗菓子店のマカロンが並べてあった。
ー どうせ皆私のことを馬鹿にしてるんでしょう。
強く噛み締めた奥歯がかちりと嫌な音を立てる。
ー 彼があんな女に絆されなければっ…
キンベラー家の息子には見向きもされず、あの忌々しいパーティーで主役の座を奪われ、仕方なく辺境伯に嫁ぐこととにした可哀想な侯爵令嬢…きっと皆そう思ってるんだわ。
そもそもあいつが転入して来なければ!
あんな貧乏女がこの私を差し置いて、注目を浴びることなんて無かったのにっ…
この私に恥をかかせて二人で幸せになるなんて絶対に許さない。どんな手段を使っても、どん底の不幸を味合わせてやる。そう、使える物はなんだって使ってやるわ。
絶対に、絶対に許さない…
辺境伯家に来てからの日々は、想像よりも退屈なものであった。
女主人としての仕事を学ぶ機会はなく、やることと言えば、定期的に自室に運ばれてくるお茶を啜ることくらいだ。
家の者からの陰湿ないじめも陰口も無い代わりに、誰もキャメリアに干渉してこない。この広い邸の中、彼女は完全に孤立した存在となっていた。
婚約者であるミハイルは仕事に忙殺されており、そのほとんどを執務室で過ごし、少しでも時間があれば領地の視察に繰り出す日々を過ごしていた。
そのため、キャメリアが彼と顔を合わせることは週に1度、形式的に用意されたディナーの時間だけであった。それも忙しさを理由に途中退出することが常である。
その事実に、すでに自分に対する愛情が失われていると思っていたキャメリアが傷つくことは無い。代わりに膨れ上がるのは復讐心だけであった。
そんな日々の終わりを告げる一通の手紙が彼女の元に届いた。
そこには待ちに待った吉報が書かれており、キャメリアの全身が喜びに震え上がる。興奮のあまり手紙を握りつぶすその手は微かに震えていた。
「やったわ…これで絶望の底に落としてやれる。いい気味…せめてもの情けとして、絶望に染まるその顔をこの私が拝んで差し上げますわ。」
***
広々とした庭園はこれまでと同様に良く整備されており、もうすぐ冬だというのに色とりどりの花が咲き誇っている。
季節問わず花が咲き乱れている庭は、ここ王都でも珍しい光景だ。この家の当主がどれだけの財を注ぎ込んでいるのかが良く分かる。
約三ヶ月ぶりに足を踏み入れた邸の庭に、懐かしそうに目を細めて大きく息を吸い込む。冬の乾いた空気と共に花の香りで肺が埋め尽くされた。懐かしい感覚に胸が満たされる。
その後、慣れた足取りで自室へと向かう。荷物は全て侍女に預けているため身軽だ。
主の帰還に気付いた家の者達は、皆一様に廊下の端に寄り、足を止めて深く頭を下げる。通り過ぎるまでその姿勢を崩すことはない。
「最高の気分だわ。」
皆の恭しい態度を背にして自室へと戻ってきた瞬間、これまでの澄ました顔が意地悪そうに口角を上げ歪んでいく。
鏡の前に吊るされていた冬季用の制服に目を映すと、込み上げる想いを抑えきれず笑みが溢れた。
「思い知らせてやる。」
憎悪に満ちた声音で吐き捨てると、全く目の笑っていないアルカイックスマイルを鏡の中の自分に向けた。




