ご本人様登場
翌朝、ケルティはいつもと変わらず彼女の定位置である一番端の位置に着席した。
新学期2日目の今日も相変わらず教室内は賑わっており、いくつかのグループに分かれて皆楽しそうにおしゃべりをしている。
そんなクラスメイト達には目もくれず、ケルティはカバンから一冊のノートを取り出すと机の上に開いた。
そして眉間に皺を寄せ必死に中身に目を通し、時にはペンを走らせる。
側から見れば始業前から勉学に励む模範生徒であったが、彼女が目にしていたものは昨日レナと共に考えたセリウスと親密になるためのアイディア達であった。
厳密に言えば、ケルティの無謀な作戦に片っ端から赤入れしていったレナの案であるが。
「隣、良いかな?」
「ねぇ、この案なんだけどやっぱり私が最初に言ったやつの方が…」
「ん?」
「………………………………」
いつも隣に座るレナに問いかけたつもりだったが、優しい聞き返しに違和感を覚えて横を向いたケルティは数十秒もの間声を失った。
一人だけ時が止まったかのように、一方的に見つめてくる青い双眸を驚愕の表情で凝視する。
「そんなに見つめられると照れるな。」
そう言って整った笑みを向けて来たのはセリウスであった。
クセのある前髪を指先でいじり、少し目を伏せて恥ずかしそうな素振りをする。
それは、大抵の女子であれば今すぐ額縁に叩き込みたくなるような見た目麗しい画であった。
「ごごご、ごご、ごめんなさいっ!!!」
ようやく状況を理解したケルティは、裏返った声で謝罪の言葉を口にした。
そして、開きっぱなしになっていたノートを隠すように両腕を机の上に置く。
こんな赤裸々なノートを本人に見られてしまっては、さすがのケルティも羞恥心で命を落としかねない。
「君の名前は?」
焦りまくるケルティとは対照的に、セリウスは肘をテーブルの上につき手のひらで頭を支える姿勢で彼女の顔を覗き込もうとしてくる。
「ケッ!…ケルティ・アレースト…です。」
動揺で一音目の音量を間違えたケルティは、声を落として名前を言い直した。
彼女が名を告げた瞬間、一瞬だけセリウスの目尻が下がる。
「……ケルティ!!?」
その時、登校してきたレナがケルティの隣にセリウスがいることに気づき急ぎ足で近づいて来た。
気付いたセリウスがゆっくりと椅子から立ち上がる。
「またね、ケルティ。」
甘く蕩けるような笑みを残して、彼は優雅な足取りで別の席へと移動していった。
「ちょっと!」
セリウスと入れ替わるようにして、レナがケルティの隣の席に滑り込んできた。
周囲を見渡した後、ケルティの耳元に口を寄せて声を落とす。
「朝から何やってるのよ!まさか、ケルティ貴女…もう金銭の話で近づいたんじゃないでしょうね?最初からお金の話をするのは絶対に駄目よって私があれほど言ってっ……」
「言ってない!言ってない!向こうが勝手に私の隣の席に座って来たんだって!!」
「お見合いの時は開口一番お金のことを言うクセに……って、は?何よそれ。本当に向こうから来たの?ここに?どうして?」
「そんなの、私だって知りたいよ。」
「謎よね…でもちょっと用心した方が良いかもしれないわ。私たち弱小貴族が侯爵家に目を付けられたらかなり厄介よ。しばらくは、距離を置いて観察しましょうか。」
「うん、そうする。」
レナから忠告を受けたケルティはしっかりと頷き、開いていた作戦ノートをカバンに仕舞い込み授業の準備を始めた。
その日の放課後、今日は家の用事があるからと足早に帰るレナを見送ったケルティは、ひとり教室に残っていた。
特段やることがあったわけではなかったが、家に帰ることに気が進まず、本を読みながらやり過ごす。
一人二人と教室から出て行き、あっという間に一人きりとなったケルティ。
ちらりと時刻を確認し、下校時間までまだ時間があったためそのまま本を読み続けた。
「ケルティさん。」
誰もいないと思っていた教室で、頭の上から自分の名を呼ぶ声が聞こえた。ゆっくりと視線を上げる。
真っ先に視界に入って来た金色に、心の底から嫌な予感がした。
「………何か?」
予想通り目の前に立っていたキャメリアに、ケルティは強張った声音で尋ねた。
時計を見るふりをして周囲を見渡し、彼女の取り巻きがいないことを確認して安堵の息をつく。
「少しだけ貴女とお話がしたいの。一緒に来てくださる?」
話がしたいとは絶対に思ってないであろう尖った口調且つ見下した瞳で言ってきたキャメリア。
彼女はケルティの返事を待たずに後ろを向き教室の出口へと向かう。
問いかけのようでまるで選択権のない強制感に、ケルティは諦めて彼女の後について行った。
教室を出たキャメリアは無言のまま渡り廊下を渡り、旧棟の方へと向かう。
ここは現在倉庫として使われているだけであり、生徒や教師たちの行き来は滅多にない。
がらんとした廊下を歩き、階段下に移動したキャメリアはようやく足を止めた。
「貴女、セリウス様のことを狙っているって本気なのかしら?」
「…っ」
唐突な話題についていけず、混乱したケルティは肯定も否定も出来なかった。だが、彼女の沈黙をキャメリアは肯定と捉えた。
「ふふふ。貴女相当な馬鹿ね。今までは貧乏くさくて視界に入れるのが嫌だったけれど、今はもう同じ空気を吸うことすら耐えられないわ。さっさと平民に降ればいいのに。セリウス様に話しかけられたくらいで舞い上がって、この身の程知らずが。」
冷え切った青い瞳で鋭く睨みつけてくるキャメリア。
これまで無視され続きて来たケルティは初めて言葉の暴力に触れ、あからさまに向けられた悪意に胃が捩れそうになる。
心で負けてしまわないよう、制服のジャケットの上から腕で胃を抑え込んだ。
「あら、ここは使われていないはずなのに綺麗な花が飾られているわ。花は目も心も癒してくれる。ふふふ、とっても素敵よね。」
一転、華やかな美しい笑顔で優雅に微笑むキャメリア。
見るからに重そうな底の厚い花瓶を両手で抱え、慈しみの表情を浮かべている。
だが、ケルティの方に視線を向けた瞬間それは猟奇的な笑みへと変貌する。
「え、ちょっと待って…………」
身の危険を感じたケルティがこの場から逃げようとするが、恐怖で足が石のように固まり一ミリも動かすことが出来ない。
「欲張りをした貴女が悪いのよ。だからこれは貴女に必要な罰。」
真っ赤かな口紅を引いた唇で美しく口角を上げながら、手にしていた花瓶を高く振り上げた。