スロットル伯の真意
『いいか、絶対にアイツを部屋から出すなよ。漸くスロットル伯爵家との婚姻にまでこぎつけたんだ。肝心の娘に傷がついては敵わん。』
『そのようなことは…』
『おい、返事』
『…承知、しました。』
数分前のドルテンとの会話が脳裏を離れず、ミカはケルティの部屋のドアの前で深いため息を吐いた。
あの時ダリクと戻ってきた彼女の表情は絶望に沈んでおり、長年仕えているミカでさえなんと言葉を掛けて良いか分からなかった。
だが明日学園で侯爵家であるセリウス様に相談すれば万事解決するはず、そう考えていたところに先ほどのドルテンの言いつけだ。
部屋のドアを開ける手に力が入らない。
ドルテンに雇われている以上従うしか選択肢は無く、反抗した結果解雇されてケルティの元から去らなければいけない状況が最も避けたいことだ。
ー 今の自分に出来る最善を尽くそう。
心を落ち着かせて固く決意したミカは、普段の数十倍重く感じるドアを自身の体重を掛けて静かに押し開けた。
「ケルティ様…」
日が沈み明かりのついていない部屋の中をじっと見渡すと、ベットの上に横たわるケルティの姿が目に入った。
ゆっくりと近づき、ベッド横の椅子に腰掛ける。
「明日から学園をお休みされるよう、旦那様より言いつけがございました。」
自ら告げている言葉なのに、刃を突き立てられているような鋭い痛みが全身に走る。
自分が傷ついている場合ではないのだと、ミカは強く拳を握りしめ溢れそうになる感情を必死に押し留めた。
「知ってる。ダリクから聞いたよ。」
ケルティの声音は想像した以上に落ち着いており、一切の動揺が感じられなかった。そのことが余計にミカの中の不安を大きくする。
「そうでしたか…それは余計なことを申し上げました。何かご入用のものはございますか?私に出来ることなど限られておりますが、どうぞ遠慮なく仰ってくださいね。まずは手紙を書く用意を致しましょうか?」
「手紙か…なんて書けばいいんだろう…」
ミカが座る方に身体を向けようとしたケルティの動きが止まる。
ー セリウス様はまだ私に何か隠してるの?
ケルティの頭の中にダリクとの会話が蘇った。
セリウスのことを疑うつもりなど微塵も無かったが、あの確信を持った言い方が妙に気になる。
こんな時こそ直接顔を見て話したい、そう思ったのにそれが叶わないこの現状にどうしようもなく腹が立った。
『あの使用人にでも聞いてみろよ』
その時、頭から抜け落ちていたダリクの言葉を思い出した。
「そうだ。私ミカに聞きたいことがあったんだ。」
ケルティはベッドから起き上がると、横に座るミカを見ながら尋ねた。
「ねぇ、私に弟なんていないよね…?」
その言葉を聞いた瞬間、ミカの顔から一気に血の気が引いた。
まだ秋の始まりだというのに、全身に寒気が走り恐怖に近しい感情が込み上げる。
すぐに言葉が出ず、ひどく狼狽したミカは黙ったままケルティの瞳を見返した。
***
「結婚のご挨拶は無事済んだか?」
涼しい顔で邸に戻ってきた息子に、ニヤリと品のない笑みを浮かべながら問うスロットル伯。
大きなガラス窓を背にして置かれた横幅の広い執務机の上で両手を組んで視線を向ける。
部屋の明かりはついているものの、二人しかいない書斎に西陽が入り込み、調度品が作る影のせいで室内は薄暗い。
ダリクは勧められるまま革張りのソファーに腰掛けると、テーブルの上に用意してあった水差しでグラスに水を注ぎ、それを一気に飲み干した。
「ああ、最高に愉快な瞬間だった。」
涼しい顔が一転、抑えきれない喜の感情がダリクの顔中に広がっていく。
だが、瞳の奥は闇深く、それが真の喜びでないことがよく分かる。
「これで俺のことを馬鹿にしたアイツもあの女も全員を地獄に落としてやれる。それもこれも、いい駒を見つけてきてくれた親父のおかげだな。」
「地位と金のために我が家を盲信してくれる馬鹿ほど使い勝手の良い駒はいない。お前も次期当主として覚えておけ。無駄に金が掛かってしまったが…奴に全ての罪を着せ、それを我々が告発する。我が家と繋がりのあるグレンダン家にも疑念の目が向くだろう。訪れる栄光を思えば安い買い物だ。」
「さすがは親父。最高の計画だ。これでキャメリアを地の底に落としてやれる。もうアイツの言いなりになんてなるか。セリウスの絶望に歪んだ顔を見るのも楽しみだなぁ…俺に大切な大切な婚約者様を取られるなんて、どんな気分だろうよ。くくくっ…想像しただけで笑いが止まらねぇ。」
「アレーストの娘に罪はないが、息子が報われるためには必要なことだからな。せめて存分に可愛がってやるといい。」
「そうだな。アイツ何も知らない馬鹿なくせに見た目だけは良いから、捨てる前に一度くらい女を味あわせてやるのも悪くない。俺は優しいからなぁ。」
「ああ、お前はよく出来た優しい息子だ。」
いつの間にか陽は沈んでおり、部屋の明かりがその役割を果たしている。
明るく照らされた部屋の中、二人はニヤニヤとだらしなく頬を緩めながらスロットル家の栄光ある未来に胸を膨らませていた。




