ダリクの思惑
ケルティが応接室の中に入ると、そこにはワインを片手にひどく機嫌の良さそうな父ドルテンと私服姿のダリクの姿があった。
二人とも貴族の集まりに顔を出せそうな畏まった服装をしている。
まったく状況が読めず、ケルティの中に嫌な不安が込み上げてくる。
「ケルティ喜べ、今日はダリク君がお前に会いに来てくれたぞ。」
はっはっはっと快活に笑い、どかっと大股を開いてソファーに腰掛けるドルテンは大袈裟な手振りで向かい側のダリクのことを指し示した。
一方のダリクは、表情を崩すことなく黙ったまま座っている。
ケルティはドアのそばから動かず、黙ったまま二人の様子を窺った。
その視線は猜疑心に塗れていたが、ドルテンが気に留める様子はない。
「…なんだ、緊張してるのか?わざわざ来てくれたのにうちの子はまったく…愛想のひとつもないとはダリク君に嫌われてしまうぞ。せっかくお前の貰い手が見たかったというのに。」
「はっ!!!??」
ケルティは驚愕の表情で声を上げた。
ハッとドルテンに視線を向けたが、彼はやれやれとうるさそうに首を横に振る。
「騒々しい。お前はもっと淑女らしさというものを…」
「ちょっと待ってよ!!!」
ドルテンの言葉に耳を疑い、ケルティは彼の座るソファー正面まで一気に詰め寄った。
卒倒しそうになるのを堪え、握りしめた拳を震わせながら目の前の父親のことをキツく睨み付ける。
「私婚約したって伝えたでしょう!好きな人がいるのっ。碌に邸にも帰ってこないクセに勝手なこと言わないでっ!」
「口ごたえするなっ!!!!!」
ケルティの言葉を遮るようにドルテンの怒号が部屋中に響いた。
部屋の隅で紅茶の用意をしていたミカが手元を狂わせ、磁器の割れる高い音が続く。
「いいか、アレースト家の家長はこの俺だ。お前の嫁ぎ先は俺が決める。お前の意見など聞いていない。誰のおかげで今日まで貴族の地位を保てたと思う?誰の金で服を買い、誰の金で学園に通っている?何も考えずに自分の我儘ばかりを通そうとするな。お前にそんな権利はない。身の程を弁えろ。」
「そんなっ…………」
ケルティは一瞬にして目の前が暗くなり、呼吸が止まりそうなほどの絶望を突きつけられた。
どうしていいか分からず、両手で顔を覆いその場に座り込む。
惨状に耐えきれずミカが駆け寄ろうとしたが、ドルテンに視線で止められ動けなかった。
ドルテンはかなり苛立っており、座り込むケルティに鋭い視線を向けている。
部屋全体が重苦しい空気に包まれる中、これまで無反応だったダリクが徐に立ち上がった。
「少し二人だけで話をしても?」
「あ、ああ、もちろんだ。見苦しいところを見せてすまなかった。娘のことは好きにしてくれ。ケルティ、興味を持ってもらえるだけ有難いと思えよ。」
ドルテンの了承を得たダリクは、座り込むケルティの腕を取り強引に立ち上がらせ、部屋の外へと連れ出す。
そのまま玄関を出て裏庭まで引っ張るとようやくその手を離した。
ケルティと向かい合ったダリクは紳士面をやめ、歯茎を見せながらニヤリと笑った。
「あんなのが父親か。可哀想だなあ。」
その声には微塵も同情の色は入っておらず、ただただ楽しげな笑みを含んでいた。
まぁ仕方ないよな、おまえんち貴族の底辺だし。その日を生き延びることだけで精一杯だもんなぁとアレースト家を侮辱する言葉が止まらないダリク。
ドルテンの言葉にひどくショックを受け思考停止していたケルティだったが、耳に入る罵詈雑言の数々に徐々に冷静さを取り戻す。
そしてみるみるうちに全身が怒りの感情に支配されていく。
「……ねえ、一体何のつもり?私と婚約したいってどういう意味?」
その声は自分でも驚くほど冷静であった。
だが反対に、これまでニヤニヤとしていたダリクの表情に一気に怒気が走る。
彼は憎悪に染まった瞳でケルティのことを見返してきた。
「はあ?お前自惚れんなよ。」
打って変わって低い声で言い放つとダリクは一歩詰め寄った。
反射的に後退するケルティだったが、すぐ後ろには柵がありそれ以上下がることは出来なかった。
眼前に迫るダリクの瞳は怒りに燃えていたが、それは目の前のケルティではなく他の誰かに対して向けられているような気がした。
身に覚えのない彼の怒りを向けられ、ケルティの身体は無意識に震えている。
それでもケルティは相手の言葉に屈しないよう、背中側にある柵を掴んでなんとか心を強く待とうと抗っていた。
「誰がお前なんて欲しがるかよ。お前の馬鹿で救いようのない父親を利用するためだよ。感謝しろよ?少しの間とはいえ、うちで親子共々面倒を見てやるんだから。」
「そんな勝手な真似っ……私の親は騙せてもセリウス様が許すはずないっ!」
セリウスの名に反応したダリクが口の両端を上げて笑みを深めた。
「なぁお前、またアイツに嘘つかれてんぞ。そんなヤツのことよく信じられるよな。蛙の子は蛙ってまさにこのことだよな。お可哀想に。」
「それ何の話…?貴方に何も教えるつもりはないけど、セリウス様は全てを打ち明けてくれた。嘘なんてついてないんだから。いい加減なことを言うのはやめてもらえる?」
「いい加減なことねぇ…お前弟いるだろ?」
「弟…?私に弟なんていないよ。一体何の話をしてるの?適当なことばかり言わないで。」
口調を強めて否定するケルティに、ダリクはあーあとわざとらしく間延びした声を上げた。
「お前そこから知らないのかぁ。ほんと可哀想なやつだな。あの使用人にでも聞いてみろよ。」
「なんで?そんなことを聞いて何の意味があるの。」
何を言っても自信満々な態度を崩さないダリク。咄嗟に聞き返してみたものの、ケルティの中でひどく嫌な感じがした。
「必ずお前とアイツの結婚は反対される。最後には俺に泣きつくしかなくなんだよ。別に俺はどうだっていいけど、そんな態度で後から痛い目見るのはお前だからな。俺は知ーらねえ。」
それが言いたいことだったのか、ダリクはおい戻るぞと言って来た時と同じようにケルティの腕を掴んで踵を返した。
ー 結婚を反対されるってどういうこと…?
それはミカに反対されるってこと?あんなに勧めてくれていたのに…?
…ううん、ずっと私のお世話をしてくれた家族よりも家族のミカだもの。今更意見を変えることなんてしないはず。これはダリクのハッタリ。私のことを動揺させて面白がっているんだきっと。
明日学園でセリウス様に相談すれば何もかも解決するはず。うん、きっと大丈夫。あまり考え込まずに今はセリウス様のことだけを考えよう。大丈夫だから。
「ああ、それと」
ダリクはふと足を止め後ろを振り返った。
己の思考に耽っていたケルティは反射で彼の顔を見上げる。
「お前、明日から邸に軟禁だってよ。」
「なっ!!」
驚き過ぎて言葉が出なかった。
目を見開いて目の前の男を見る。その表情からその言葉が事実であることを悟り、絶望の淵から底に突き落とされた。
今度こそ視界が闇に染まり、周囲の音すら何も聞こえなくなった。
「いやぁ、親に愛されるっていいよなぁ。」
白々しいことこの上ないダリクの言葉は、ケルティの耳には届くことなく秋風に乗って霧散していった。




