ミカの憂慮
夕飯を終えて自室へと下がってきたケルティ。その表情は曇天の如く暗く沈んでおり、ソファーに身体を預け一点を見つめたまま動こうとしない。
「ケルティ様、大丈夫ですよ。きちんと対策を打って参りましたから。」
一階の洗い場で湯浴みの準備を終えケルティの部屋に戻ってきたミカが何てことのない声音で声を掛けてきた。
「対策って…?」
「とっておきのワインボトルを3本ほど旦那様のお部屋に仕込んで来ました。これで翌朝には勝手な縁談話など馬鹿げたことはお忘れになっていることでしょう。」
「ミカってたまにとんでもなく大胆だよね?」
微塵も焦らずとんでもないことを言い切ったミカに、ケルティは呆れてため息をついた。張り詰めていた空気が少し和らぐ。
「お父様…お金があってもなくてももう変わりそうにないね。あの頃のようにって無理だったみたい…」
ぽつりと腹の底に溜めていた息を吐くように呟いたケルティ。
苦しそうな顔をする彼女に、ミカは黙って湯気の立つティーカップを差し出した。
「ありがとう。」
香りからして、いつもより茶葉多めの紅茶だと思ったケルティはありがたく受け取りティーカップに口をつけた。
「…ゲホッゲホッ!!ちょっと!これお酒入ってない!!?」
「ええ。よく眠れるかなと思いまして、旦那様のお部屋からくすねたブランデーを数滴ほど。」
「私まだ成人前なんだけど!」
ケルティはテーブルの上にあったナプキンで口元をぬぐい、水差しでグラスに水を注いで一気に煽る。
それでも喉を通った熱さは無くならず、体温が1度上がったような気さえした。
「ケルティ様は色々と背負い過ぎなのです。もう大丈夫ですから、ご自身のされたいことを1番に考えてくださいませ。私はケルティ様が望むものを望みます。それ以外に望むことなど何一つございません。」
「ミカ…」
今度は喉元ではなく、目頭がじんと熱くなったケルティ。
今まで押さえつけてきた己の心を暖かな手のひらで掬い上げられたようなそんな気がした。
「ありがとう。」
「ですから、ケルティ様はセリウス様と早くくっついて下さいませ。侯爵家と繋がれば旦那様を黙らせることも容易いですし。」
「う………」
「来週のダンスパーティーで正式に求婚されるはずですから、相手の目を真っ直ぐ見返してしっかりと頷いて来てくださいね。良いですか?」
「………………はい」
ケルティの性格を知り尽くしているミカは、土壇場になって彼女が尻込みしてしまわないようひどく具体的な動作で指示を出した。
一方のケルティは、その場面を想像してしまったのか俯いて頬を赤く染めている。
「まったく、ケルティ様から抱き付きでもすれば一瞬でカタがつくと言うのに…」
夜着を準備するためクローゼットに向かったミカが呆れたようにぼやいたが、未だ勝手に照れているケルティの耳には届いていなかった。
***
「ねぇ、ケルティさんって本当にセリウス様のパートナーなの?」
昼休み後、自席で次の授業の準備をしていたケルティに突然声が掛けられた。セラフィーヌの派閥に属するカリアラ・ゲルダンだ。
一時期過剰に挨拶を受けていたことはあったが今は落ち着いており、久々にクラスメイトに話しかけられたためケルティは目が点になっている。
思わず後ろを振り返ったが、そこは空席であった。
「…それ私に聞いてる?」
「そうよ。セリウス様のパートナーが本当の話なら物凄いことじゃない!侯爵夫人だなんて、子爵家の私からしたら羨ましくて仕方ないわ。」
「ええと…」
ー そういえば、セリウス様は没落寸前の女子生徒に泣きつかれて仕方なくダンスの練習相手をしている、なんて噂があったんだっけ…でも別に婚約してるわけじゃないし、この場合なんて言うのが正解なんだろう…
「そういう繊細な話は女性にではなく、まず僕に尋ねてくれるかな?」
「ぎゃっ…大変申し訳ございませんっ……」
突然現れたセリウスに、カリアラは必死に悲鳴を飲み込んだ。
「ケルティ」
青い顔で謝るカリアラに目もくれず、セリウスはケルティのことを真っ直ぐに見つめた。
青の双眸に捉えられ、ケルティは何も言えず息を呑んで話の続きを待つ。
「ダンスパーティーの後、少しだけ時間をもらえるかな?とても大事な話があるんだ。」
見た目はいつもの穏やかな表情なのにセリウスの瞳にいつもの余裕はなく、緊張しているように見えた。
それがケルティにはやけに熱っぽく見えてしまい、彼女の心臓は早鐘を打つ。
「うん」
「ありがとう、ケルティ。」
きらりと瞳を輝かせて少年のような笑顔を見せたセリウス。
その美し過ぎる笑みに、ケルティだけでなくカリアラまで目を逸らして顔を赤くしている。
セリウスは赤くなるケルティのことをたっぷりと見つめ続けた後、邪魔をして悪かったと言い残して満足そうに去って行った。
「い、いい、今のってプロポーズってこと!?ケルティさん、本当に凄いわ!ああもうなんて素敵なの!」
「ちょっと!声が大きいって!!」
カリアラはまるで自分のことかのように目を爛々と輝かせて興奮している。目の前で歌劇を見ているような気分になっているようだ。
彼女は周囲に花を撒き散らしながら、ふわふわとした足取りで自席へと帰って行った。
「まぁ、ようやくって感じだけれどね。」
「レナ!?いつからそこに!?」
「あんなに熱く見つめているから、さすがの私も遠慮したわよ。それに彼、わざとクラス中に聞こえるように言っていたし。まったく…今更取られないように必死になるなら、早く言えば良いものを。」
「は、恥ずかしくなるからあまり言語化しないで!」
ケルティは片手で耳を塞ぐと、もう片方の手でで教科書を開き顔を近づけて読み始めた。耳まで真っ赤だ。
そんな彼女のことを、離れた席に座るセリウスはやや複雑そうな顔で見ていた。




