セリウスの日課
この国の夏は日が昇るのが早く、まだ早朝だというのにすでに外は明るい。
とはいえ、時間が時間なため本来であればまだ寝ている者がほとんどなのだが、セリウスは既に制服に身を包み馬車に揺られていた。
学園の門が開錠されると同時に敷地内に乗り入れ、教室に向かう。
無論そこには誰もおらず、セリウスは己の定位置に座って鞄から教科書とノートを取り出した。そして真剣な表情でペンを走らせていく。
これが彼の毎日だ。
圧倒的な努力を日々繰り返すことで、転入してからというもの、ずっと学園内で上位の成績を収めているのだ。
「もうすぐかな。」
ひと段落したセリウスはそう呟くとカバンからピンクの花柄模様の封筒を取り出した。
丁寧に慎重に中に入っていた便箋を開くと、穴が開くほど上から下まで何度も目を通している。便箋で正面からは見えないが、彼の口元はだらしなく緩んでおり、普段見せている爽やかな姿は皆無であった。
「ちょっとこれ可愛すぎるんだけどっ…」
便箋を両手で抱きしめ悶えているが、紙に触れる手は相変わらず慎重そのものだ。
「まさかケルティからこんな手紙を貰える日が来るなんて…もう死んでもいいかも。」
誰もいないせいで歯止めが効かず、セリウスは危うい発言をしながらニヤニヤしてケルティからの手紙を長い時間眺め続けている。ミカ監修の手紙は効果覿面だったようだ。
「はぁ〜…」
「君もそんな顔をするんだな。」
「!!」
誰もいないはずの教室て突如として声を掛けられ、セリウスはらしくなく焦った挙動で教室入り口を見た。
「……なんのことかな?」
「それはさすがに無理があるだろう。」
そこには呆れた顔でドアに背を預け、眼鏡を上にあげるミハイル・カーレイの姿があった。
彼はクラスで目立たない存在であったが、成績優秀で物事に対する知見が広く、授業を通してセリウスと関わる機会が多かった。
馬の合う2人は授業以外でも話すようになり、今では休み時間にたわいも無い話をする仲となっていた。
「だって仕方ないだろう?ケルティから念願の手紙を貰ったんだ。顔を緩めて読み返したくもなるよ。本当ならこの手紙を読むために学園を休みたかったけど、それじゃケルティに会えないし…はぁ…早く一緒に住みたい。毎朝おはようとお休みを言いたい…」
「今度は随分と赤裸々だな…それは皆の前では控えた方がいいぞ。」
勢いよく本音を吐露し始めたセリウスに、ミハイルはかなり引いている。
「分かってる。僕だってケルティに嫌われたくは無いからね。この学園でボロを出すようなヘマはしないよ。」
「自覚があるならいいが。そう言えばこの前、ダリクが僕に君のことを尋ねてきた。他の生徒たちにも同じように話を聞いて回ってるらしい。何をするつもりか分からないが、気をつけた方がいいぞ。」
「ああ、アレね…前から僕のことを…って、もうこんな時間!早く行かないと。」
「ん?まだ始業まで時間があるが一体何を…」
ミハイルの話を最後まで聞く前に、セリウスは手紙をしまった鞄を手にして大急ぎで教室を出て行ってしまった。
***
ー 今日はいつもよりだいぶ早い時間に着いたから大丈夫だよね…?
学園に着いたケルティは馬車から降りるとすぐに左右を見渡した。
ここ最近ずっとこの馬車から降りたタイミングでセリウスに会うことが多く、彼と出会すことを警戒しているのだ。
その要因はもちろん、先日送った礼状だ。ミカに言われるがまま普段使わないような言葉遣いで大変貴族女性らしい文章を書いてしまったため、今更気恥ずかしさに襲われていた。
ー 良かった。今日はまだ来てないみたい。頑張って早起きした甲斐があったな。どうせ教室で顔を合わせることになるんだけど、それでも今日は出来る限り関わりを最小限にしたい…
「ケルティ、おはよう。今日は早いんだね。」
「はっ……なんでセリウス様がここに!!?」
安心しきっていた所に突然現れたセリウス。ケルティは思い切り驚愕の声を上げてしまった。それは不自然なほどの反応であったが、彼が気にする素振りはまるでない。
それどころか、なぜか恍惚とした表情でケルティのことを見つめ続けている。
「僕も今来た所だよ。毎朝会うなんて、僕達はとても気が合うね。朝から幸せな気分だ。」
「ええと…」
ー あれ…セリウス様もしかして手紙のこと気にしてない?高位貴族ならあのくらいの過度な表現は挨拶みたいなものなのかな??うん、そうだよねきっと。私もあまり気にしないでおいた方がいいかも。
「ケルティ、ありがとう。」
「え???急にどうしたの??」
困惑するケルティの目の前で、セリウスは美しい姿勢で腰から上半身を折り頭を下げた。
「あんなに熱のこもった手紙は初めて受け取ったよ。僕のことをあんな風に見てくれていたなんて…嬉しさが込み上げて言葉にならないな。」
「わわあああああああっ!!!」
恥ずかしさで全身の血管が沸騰したケルティはセリウスの口を両手で抑えるという暴挙に出た。
いきなり唇にケルティの柔らかな手のひらが当たり、セリウスはこれでもかというほど青の双眸を見開いている。
ケルティはひどく焦っているせいで、自ら彼との物理的距離を詰めているという令嬢らしからぬ状況に気付いていない。
「あっ、ああああ、アレはただその挨拶みたいなものでっ…というか、こちらこそあんな豪華で素敵なドレス本当にありがとう。手紙のことはほんと気にしないで!出来れば忘れて!なんなら火にくべてもらっても構わないから!!」
セリウスの口元を抑えたまま早口で捲し立てたケルティ。
セリウスは見開いた目を細め、目元だけで微笑み掛けると優しくケルティの両手を掴んだ。
自分の口からそっと離すと、右手の甲に軽く唇を押し当てた。
「ひゃっ!!」
「まさか。あの手紙は僕の人生の宝物だよ。初めて好きな人から受け取った手紙だからね。生涯忘れることはない。それと、」
「!!」
向かい合ってケルティと両手を繋ぐ体制になったセリウスは、軽く彼女の手を引いて自分の胸元に引き寄せた。
「今みたいなこと、僕以外の男には絶対にしないで。でないと、僕は心配で心配で夜も眠れず四六時中君のそばに張り付くことになる。まぁ、それは僕にとって至福以外の何物でもないのだけどね。」
「せ、せせ、セリウス様…顔が近い…」
「ああこれ?ワザとやってるからね。朝からケルティに心を乱されてしまったからそのお返し。ふふふ、その様子なら君も同じ気持ちを味わってもらえたようで嬉しいな。」
ケルティのことを至近距離で見つめたまま、セリウスは片手を離すと彼女の真っ赤な頬をするりと人撫でした。
「な、ななななななななななっ!!!?」
「いけない、人が集まって来ちゃった。君の可愛い姿を晒したくはないから、そろそろ教室に行こうか。」
セリウスはさっと周囲を一瞥するとケルティと手を繋いだまま横並びになり、授業塔に向かってゆっくりと歩き出した。
離れた所から見物していた生徒達は、セリウスの鋭い眼光に怯え、一瞬にして蜘蛛の子を散らすかのように退散していった。
「…………っ!!」
ー ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!普通に人に見られてた!!!!ああもう恥ずかしい!!!!
「ほんと可愛すぎ。」
頭の中がパニックになるケルティには、すぐ隣で呟くセリウスの声すら聞こえていなかった。




