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どろどろとアサガオ

作者: 天野建

企画投稿第2弾。


「おばあちゃん、起きて」

 結衣(ゆい)は大きな白い箱に入って眠っている祖母を覗き込む。

「ほら、結衣が一生懸命育てた、朝顔よ。今朝咲いたの。咲いたら、一番におばあちゃんに見せてあげるって約束したでしょ? だから、こうして持ってきたのよ? 起きて」

 そう結衣が頼んでも、祖母は全く起きてくれなかった。

 ただ静かに花に囲まれて眠っている。

 もしかしたら、こんなにお花があるから、結衣の朝顔なんて、もういらないのかもしれない。

 朝顔のほうが、色とりどりできれいだと思うのに。

「ねえお母さん、なんでおばあちゃんは起きてくれないのかな?」

 結衣は黒い服を着た母を見上げ、不満をぶつける。

「結衣。おばあちゃんはね、遠いお空に行ってしまったのよ」

「うそ! ここにいるじゃない!」

「魂‥は難しいかな。おばあちゃんの心が遠くに行ってしまったの。だから、したくても返事ができないのよ」

「結衣わかんない! おばあちゃんはここにいるじゃない! なんでみんなして意地悪するの!」

「おばあちゃん! おばあちゃん! 起きてよ!」

 どんなに叫んでも、祖母は目を開いてくれない。

 それがすごく悲しくて。

「もういい!」

 結衣は我慢できず、朝顔の鉢植えを抱え、駆け出した。

「結衣!」

「ついてこないで!」

 結衣は黒い服を着た人たちの間を縫って出口へと向かう。

「結衣! 遠くへ行ってはだめよ! 式が終わったら、すぐに移動するからね」

 それに返事をせず、結衣は玄関から外へと飛び出した。



「重い」

 祖母の家から離れた最初の辻。

 そこでもう結衣の腕はしびれてきた。

 5歳の結衣にとって、小さな植木鉢でもかなり重い。

 それでも、やっと咲いた朝顔を祖母に見てもらいたくて、我が儘を言って持ってきたのだ。

 それなのに。

「どうしてみてくれないのかな」

 もしかして結衣の事がきらいになってしまったのかな。

 いやだ。

 またいつもの優しい笑顔で、結衣に話しかけて欲しい。

 頭を撫でて欲しい。

 抱っこして欲しい。

 大好きな大好きなおばあちゃん。

 ずっと一緒に居たい。

「おばあちゃん」

 そう、結衣が強く願った途端。


 辻がぐにゃりと歪んだ。


 辻の真ん中。

 そこに大好きな祖母の後ろ姿。


「おばあちゃん!」

 結衣は黒のワンピースを(ひるがえ)らせて走り出した。



「おばあちゃん!」

 結衣は祖母を追いかけた。

 けれど、植木鉢を持ったままの結衣の足は遅い。

「おばあちゃん、待って!」

 それでもなんとか追いつけた。

 祖母の歩みがとても遅かったから。

 祖母は一人ではなく、たくさんの人と一緒に歩いていた。

 まるで行進しているように一つの方向へ向かって、横に5人ずつでゆっくりゆっくりと進んでいく。

 祖母は川の流れのように歩く人の端を歩いていた。

「おばあちゃん!」

「結衣ちゃん?」

「おばあちゃん、いつお家から抜け出したの? 結衣わかんなかったよ」

 大好きなおばあちゃんが、自分の名前を呼んでくれた。

 さっきまではいくら呼びかけても、答えてくれなかったのに。

 結衣は嬉しくなって、ピョンピョン跳ねる。

「抜け出す‥‥。そうねえ。確かにみんなに気づかれないで、ぬけだしたかもしれないわね」

 祖母は眉をハの字に下げて、困ったように結衣を見下ろした。

「結衣、さっき、朝顔見て欲しくて、ずっと呼んでたのに、おばあちゃん眠ってて、起きてくれなくて、結衣さみしかったのよ」

 口を尖らせ、文句を言う。

「ごめんなさいね」

「いいの。おばあちゃん、すごく眠かったのね。それよりほら見て! 結衣が育てた朝顔咲いたの!」

「まあ綺麗ね」

「えへへ。おばあちゃんに見せたくて持ってきたの! よかった、見せられて」

「私も見れてよかったわ」

 祖母は結衣の好きな優しい笑顔を向けてくれた。

 結衣はそれだけで先ほど怒っていたことなど忘れてしまった。

「おばあちゃん! もっとお話しよう。朝顔のお世話のお話きいて!」

 すると、祖母は困ったようにまた笑った。

「結衣ちゃん、すごく残念だけど、結衣ちゃんといられないの」

「なんで!」

「おばあちゃんね、どうしてもここにいるみんなとあちらに行かなくてはならないのよ」

 祖母は皆が進んでいる方向を指さした。

「いや! おうちにかえろう!」

「帰りたいけどね、帰れないの、ごめんね」

「じゃあ、結衣も一緒に行く! ずっとおばあちゃんといる!」

「だめ!」

 祖母はことのほか激しく叫んだ。

 結衣の身体がびくりと震えた。

「だめよ! 絶対だめ! 結衣ちゃんは帰らなくてはだめ!」

 祖母は怖い顔をして結衣の肩を掴んだ。

 激しい拒否に、結衣は目が熱くなった。

「なんで? おばあちゃん、結衣が嫌いになったの?」

「ちがうわ。今でも大好きよ。おばあちゃんも一緒に居たい。でもできないの。ごめんね」

 そういう祖母の目は、ひどく悲しげで。

 結衣は我慢するように、唇を噛んだ。

「どうしても一緒に行けない? 一緒にお家に帰れないの?」

「ごめんね」

 祖母はそう言うと少し頭を上げて、辺りを見回した。

「結衣ちゃん、ここに長くいてはいけないわ。お母さんのところに早く帰りなさい」

 それにつられるように、結衣も辺りをみる。

 そこはひどく寂し気な場所だった。空も赤く地面には花一つ咲いていない。

 皆俯き、重い足取りで歩いて行く。

 どうみても楽しいところに行く雰囲気でない。

「どうしても一緒に行っちゃいけないの?」

 大好きな祖母と一緒にいたくて、もう一度だけ聞いた。

 祖母は静かに、だが断固として首を振った。

「わかった。帰る」

 結衣は涙をこらえて、俯いた。


 刹那。


<か~え~るのか~。おれも連れていけええええ>


 そのおぞましい声とともに、何かが結衣の足にぺたりと張り付いた。

 水気をふくんだ、総毛立つ感触。

 それはどろりと溶けた人の手だった。



「やあああああ!!」


 結衣は足をバタバタさせて、払おうとするが、払えない。


<私もおおお、連れていってよぉぉぉぉ>


 そればかりか、溶けた手が、どろりと溶けた顔が、垂れ下がった目玉が、結衣を捕まえようと地面から滲み出て来る。

 後から。次々と。


<あ、あ、あ、あ、あああああああ! 連れてけえええ!>


「いやああああ! こないでええ! おばあちゃんたすけて!」


「結衣ちゃん!」

 祖母はこちらに手を伸ばそうとするが、その場から動けないようだ。

 そうしている間にも、結衣の周りに、どろどろとした手が、顔が、地面からどぼりどぼりと湧いてくる。


<かえりたいぃぃ。 くるしいのはもういやだぁ>


「さわらないでぇ!」

 結衣は叫ぶしかできない。


 とそこに、ドスンドスンとした音。

 徐々にそれは近づいて来る。


<地獄に落ちた亡者ども! どこに行きやがった!>

 それはひび割れた声。

 結衣は声の方へと咄嗟に目を向けた。

 そこには2メールを超える全身真っ青な二本角の鬼。

 鬼は簡素な着物をきて、大きな金棒を持っていた。

 鬼は結衣の傍まで来ると、金棒を持ちあげ、ドスンと地面を突いた。

 瞬間、溶けた手が、顔が、結衣から離れ、青鬼から逃げ出そうと地面を這いずる。

 どうやら、鬼が怖いようだ。


<んあ? なんで、生者がここにおる>


 青鬼が結衣をぎろりと睨む。


「ひゃ!」

 結衣はあまりの恐い顔に目をぎゅっと瞑った。

 こわいこわい。なんで、鬼さんがここにいるの?

「おばあちゃん! おばあちゃん!」

 結衣は縋るように祖母を呼んだ。

 気持ち悪いいっぱいの手から逃れられたら、今度は鬼が出てきた。


 こわい、こわい。こわい。


「鬼さま、その子は、私を探してここに迷いこんでしまったのです。どうか、現世へと帰してくださいませ」

「んあ? おまえの孫か」

「さようでございます」

「この娘が迷い込んだせいで、生者の匂いを嗅ぎつけて、地獄の亡者が逃げ出した。ただで帰すわけにはいかんな」

「そんな! どうか、ゆるしてやってください!」

「うーむ」

 青鬼は結衣をじりと凝視した。

 それは一瞬か。数分か。

 結衣の背中に汗がつっと流れた。


()ね。早う()ね。この娘は眩しいすぎて、地獄の亡者どもを迷わせる。これ以上俺の仕事を増やすな>

 青鬼はどうやら結衣を見逃してくれるようだ。面倒だっただけかもしれない。

「ありがとうございます!」

 祖母はこれ幸いと急いで結衣に近づき、肩を掴んだ。

「結衣ちゃん、この道を逆に辿っていきなさい。お母さんの元に帰りたいと強く思って。いい?」

 祖母の目はわがままを言えない、厳しい光をたたえていた。

「わかった」

 結衣は頷かなざるを得ない。

 本当は一緒に帰って欲しい。けれど、それは無理なのだとわかる。

「おばあちゃん、悲しいけど、お別れなのね」

 小さな結衣でも、大好きな祖母とお別れなのだとわかった。

「おばあちゃん、結衣の代わりにこの朝顔持って行って」

 結衣は朝顔の鉢を祖母に差し出す。

「おばあちゃんの嬉しそうな顔が見たくて、毎日お水を上げて、育てたのよ」

 結衣は祖母を見上げる。

「結衣を連れていけないなら、この朝顔を持って行って。だって、ここは寂しすぎるから」

 結衣はあたりを見回す。

「おばあちゃんには、いつも明るい場所に居て欲しい。楽しくしていてほしい。だからね、この朝顔を持って行って」

 結衣は祖母の白い着物に押し付けた。

 そして祈った。


 朝顔さん。どうかおばあちゃんが寂しくないように、元気に咲いて、ずっとずっと。


 大好きな祖母だ。どうかこの寂しい道のりが少しでも明るくなるように。


 朝顔さん、どうかお願い!

 瞬間。

 その願いを聞き届けたかのように、朝顔の蔓が鉢からすごい勢いで伸び出した。

「あっ!」

 祖母は驚いて鉢を落としてしまう。

 ばりん。

 鉢は真っ二つに割れた。

 制限がなくなったからか、朝顔はどんどん、どんどんと蔓を伸ばし、信じられない速さで蕾をつけていく。

 それは道の前へ後ろへ横へとするりするりと伸びて行き、やがて鮮やかな花を咲かせる。

 次々と。

 赤。青。ピンク。紫。

 あれよあれよという間に一面の朝顔が荒涼とした大地を埋め尽くした。


「わああああ!!」

 結衣は歓声を上げる。


<こらあああ! この娘っ子! なんてことをしてくれたんだ! 地獄の亡者が花に隠れてまた逃げ出したじゃないかああああ!!>

 青鬼は、金棒をドスンドスンと地面にたたきつけると、亡者を追って、駆け出して行ってしまった。


 残された結衣と祖母は顔を見合わせてふっと笑う。

「よかった! これだけ咲いていれば、おばあちゃん、寂しくないね」

 祖母は顔をほころばせて、しゃがみ込んだ。

「ありがとう、結衣ちゃん」

 その顔はまさしく結衣が大好きな祖母の笑顔だった。

「さあ。結衣ちゃん、行きなさい。早くお母さんのところへお帰り。そうしないとまたどろどろがくるよ」

「わかった。ばいばい、おばあちゃん」

 結衣は目が熱く、唇が振るえるのを我慢して、祖母からそっと離れた。


「結衣ちゃん」

 祖母の呼びかけに結衣は振り向く。

 祖母が差し出したのは、いつも祖母がしていた指輪。

「ここに一つ持ち込み置いて行くことができた結衣ちゃんなら、持って帰れるかもしれない」

 そう言って、祖母は結衣の指に指輪をはめる。

「ぶかぶかだよ」

「そうね。でもそれが丁度よくなったら、きっと結衣ちゃんは、色々な人を助けられる人になれるわ」

「わかんない」

「ふふ。今はそれでいいわ。元気で、幸せにね」

「帰り道わかんないよ」

 最後のあがきで、そう呟く。

「おかあさんに会いたいって思って。そうしないと、二度とお母さんに会えないかもしれないわよ」

「え!」

 祖母に会えないのもいやだが、母に会えないのもいやだ。

 結衣は慌てて母を思い浮かべた。

 すると、祖母の家の前の辻が見えた。

「さあ、繋がっている間に、早くお帰り」

「わかった。おばあちゃん、また遊んでくれる?」

 結衣はすがるように、祖母を見上げた。

「結衣ちゃん、おばあちゃんはいつも結衣ちゃんを見守ってるからね」

 祖母は結衣の問いに答えず、結衣の身体の向きを変えると、結衣の背中を少し強く押した。

「あっ」

 結衣は二歩三歩と前へと進んだ。

 結衣は文句を言おうと振り返ると、祖母はいなかった。

 いや、祖母どころかあれだけいた人並みも誰もいない。

 結衣が立っていたのは、祖母に会う前の辻。

「おばあちゃん?」

 なぜかその時、祖母ともう二度と会えないとはっきりわかった。

「おばああああちゃん!!」

 それに答える祖母の優しい声は聞こえなかった。



 それから2年。

 結衣は7歳になった。

 祖母と別れて以来、よく結衣は迷子になっていなくなる。

 それも決まって辻で。

「おばあちゃん、何かへんな特技ができちゃったのよ」

 結衣は今日も知らない辻を歩きながら、口を尖らせる。

 祖母にもらった指輪はまだぶかぶかで。

 ひもに通し、首に下げている。

 そうしていると祖母と一緒にいるようで安心するからだ。

「さあて、またこの先に困っている子がいるのかな?」

 それを解決しないと帰れないのは経験済みだ。

「今日は早く帰れるといいなあ」

 結衣は自分の持ち物を確認しながら、前へと進んだ。

ここまでお読みいただき、ありがとうございますv

ホラーだけど、切ない系を目指してみました。

よかったよと思っていただけましたら、☆をぽちりとしていただけると、とても嬉しいです。

よろしくお願いします。

夏はこれからです!

企画の盛り上がりに少しでも貢献できたら、嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 結衣ちゃんの言動が自然で感情移入しながら読めました。涙無しには読めない話ですね。このまま心優しい女の子になって欲しいものです。 作者さんも書きながら涙ボロボロだったのでは無いでしょうか?☆…
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