第九十六話 アエル
長くデコボコした道を、女の子を抱えながら歩く。
1時間ほど歩いたところで、女の子の言った通り、レイナの症状は治まった。
少し頭痛が残っているようだが、移動に支障はないとのことだ。
なるべく上にまで振動が来ないように細心の注意を払いつつ、周囲にも気を配るという骨の折れる作業を繰り返し、目的地であるアエルに到着したのは真夜中だった。
到着してすぐに診療所を探したが、小さな町ということもあり見つからなかった。
ひとまずは休める場所を確保することに決め、何とか空いていた一室を借りることが出来た。
ボロボロの一室にポツンと設置されたベッド、その上に女の子を横にしてやる。
女の子の顔は紅潮し、息はゼーゼーと荒い。
まるで悪夢にうなされているかのように、震えている。
俺とレイナは医者じゃないため、何が原因なのか見当もつかない。
レイナは下級回復魔法を使用することが出来るが、そもそも回復魔法は外傷にしか作用しない。
そのため、例えば疲労や病気から来る不調には効果がないのだ。
まだ分かりやすい怪我とかの方がよかったかもしれない。
「私は魔法薬を見繕って来るよ。エトは見守っててあげて」
「わかった。この子のことは任せてくれ」
任せろとは言ったが、容態が急変した場合に打てる手は限られている。
俺に出来ることは、せいぜい心臓マッサージと人工呼吸くらいだからな。
「頼むから治ってくれ……」
ベッドの横でただ祈ることしか出来ない今の状況が、非常にもどかしい。
医学知識が溢れる前世に15年も生きていたにもかかわらず、何一つ学ばなかったことに後悔が生まれる。
「うぅ……」
女の子が苦しそうに、声を絞り出す。
お腹からはぐ~という、とても聞き慣れた音が聞こえてきた。
もしかして、お腹が減っているのか?
いつからか不明だが、少なくとも服がボロボロになるくらいの期間、ひとりぼっちだったのだろう。
満足に食事や休息を取れていなくても不思議ではない。
「えっと……何か食べれるものは……」
旅に備えて保存食は揃えてあるけど、弱っている女の子が食べるには向かないだろう。
レイナが戻り次第、俺は食材を探しに出かけるとするか。
作る料理は、お粥がいい。
「……? これは……」
部屋の外、暗い廊下から足音が聞こえてくる。
レイナが帰ってきたのだろうか。
いや、それにしては早すぎる。
よく耳をすましてみると、足音は複数あることが分かった。
それに、レイナと比べてかなり重い音、つまり男である可能性が高い。
狙いはこの部屋とは限らないが、万が一に備えて俺は用心する。
足音は他の部屋には目もくれず、真っ直ぐこちらに向かって来る。
やはり、狙いはこの部屋のようだ。
推測するに、標的はこの女の子か。
一歩、また一歩、と足音が迫って来る。
やがて、足音が聞こえなくなり、スッと扉が開いた。
「ノックぐらいしろよ。こっちには病人がいるんだぞ」
扉の先には、男が2人立っていた。
黒を基調とした服装に身を包み、如何にも闇の世界の人間といった感じだ。
こんなおっかない風貌の輩に狙われるなんて、普通に生きてればまず有り得ない。
つまり、この子には、俺達が想像する以上にやばい秘密が隠れているのかもしれない。
「お前らに用はない。我々の邪魔をするなよ」
先頭に立つ男がそう忠告してくる。
わざわざお前らと言うあたり、レイナの存在はバレていると見ていいだろう。
つまり、尾行されていたということ。
無防備な移動中を狙わなかった辺り、見つかったのはこの町に入ってからか。
「お前ら、一体何者だ? いい歳こいた2人の男が、こんな幼い女の子を狙うなんて普通じゃないぞ」
「お前に話すことはない」
「あっそ、冷たいな」
流れで情報を得ようと試みたが、やっぱり駄目か。
仕方ない、この子の口から直接聞くとしよう。
「お嬢様を確保する」
先頭の男がずかずかと部屋に侵入し、ベッドに向かって歩いて来る。
迷いのない行動、もはや俺の姿は眼中にないようだ。
「ぶッ」
男が俺の隣を通り過ぎろうというタイミングで、俺は裏拳を繰り出した。
不意打ちとはいえ、きっと防がれるだろう。
そう考えて2撃目の準備もしていたが、なんと初撃で容易に男の顎に命中させることが出来た。
見事にクリティカルヒットを貰った男は、そのまま吹っ飛び、壁にぶつかった。
どうやら起き上がる気配もなく、完璧にのびたようだ。
成人しているとはいえ、大の大人から見れば、俺はまだまだ子供。
だからこそ、邪魔はしてこないと高を括っていたのだろうか。
それにしても、あまりの呆気なさに、俺自身、驚きを隠せない。
もしかして、こいつ等そんなに強くないのか?
「貴様ッ! 『火流――――――――」
「させねぇよ!!」
後方に待機していたもう一人の男が、魔法を放とうと構える。
が、そんなのお構いなしに、俺は正面から突っ込んだ。
この狭い室内で下手に魔法を使用されれば、女の子に命中しかねない。
だったら怪我を覚悟で、最短で潰したほうがいい。
構えたままの男の手を掴み、一気に引き寄せる。
そして、体勢が崩れたところを見計らって、拳をぶつけた。
それだけで、こっちの男も気絶した。
「やっぱり、弱いな」
追手は強いと相場が決まっていると思っていたのだけど、漫画の読み過ぎだっただろうか。
魔闘気を使っているだろうが、あまりにもお粗末なものだし。
まあ、か弱い女の子を連れ戻すくらいだったら、この程度でも務まるか。
にしても、この子は俺達を襲撃した張本人だってのに、何で俺は守ってるんだろう。
まだ幼くて、可哀想だからか? それは、あるかもな。
だって、今目の前で横たわっているのが醜いおっさんだったら、そのまま知らんぷりしていたかもしれない。
……いや、レイナはともかく、俺は結局、助けただろう。
いくら襲撃した張本人だとしても、目の前で死なれるのは寝覚めが悪いからな。
それに、ちょっと事情が気になったりするし。
守ると決めたはいいが、これからどうしようか。
発見された以上、ここも安全とは言えない。
まだこの町に敵が潜んでいる可能性があるし、この一室にとどまり続けるのはまずい。
弱くとも数が増えれば厄介だし、やがて本当の強者がやって来るかもしれないし。
ひとまず、レイナの帰りを待つとしよう。
決断を下すのは、それからでも遅くないはずだ。
レイナが戻ってきたのは、それから数十分後だった。
この町のことを何も知らない彼女だが、それにしては随分と早い帰還だった。
どうやら、運よくお店の場所を教えてもらえたようだ。
「いや~道中、やけに喧嘩腰の連中に絡まれたと思ったら、そうか追手だったんだね」
「今回は弱かったから何とかなったけど、次もそうとは限らない」
「そうだね。予定より早いけど、もう町を出た方がいいかも。これ以上、この町で騒ぎを起こせば、別の問題も生じるわけだしね」
「けど、そうすると心配なのは、この子の容態なんだよな」
女の子の症状が、疲労と空腹から来るものとは断言できない。
一応、魔法薬をレイナが幾つか揃えてくれたが、症状に効くかは不明だ。
そのため、変に動かして容態が悪化でもしたら、元も子もない。
この場に残るリスクか、この場を離れるリスク、そのどちらか一方を選択しなくてはならない。
だが、その選択の前に、一つだけ試してみたいことがある。
それは、敵に俺達の位置情報がまだ広まっていない今しか出来ない。
「レイナ、今度はお前がこの子を守ってくれ」
「え? どこ行くの?」
「今から俺はシェフになる。そのための食材探しだ」
「もうお店閉まってるんじゃない?」
「……シェフに任せなさい」
食材を揃えるのも、立派なシェフの仕事のはずだ。
それに、か弱い女の子のためなら、俺は頭を下げることは苦じゃないしな。
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夜遅くで閉まっているお店が多かったが、なんと食材をゲットすることが出来た。
そして、俺が作ったのは、熱の日のお供であるお粥だった。
正確には白米ではないため、お粥もどきなのだが、味はそう悪くない。
まあ、買ってきた食材をふやかすだけだから、不味い方がおかしいんだけど。
「ほら、食べてくれ」
スプーンを使って一口一口、女の子に食べさせる。
ゆっくりだが、女の子はしっかり咀嚼し、飲み込んでいる。
どうやら、うまく出来ているようだ。
「へぇ……上手じゃん」
「昔、従妹にやってたからな」
従妹の顔は、今でも鮮明に思い出せる。
今、どれくらい成長したんだろうか。
そんなことに思いを馳せていたら、あっという間にお粥はなくなった。
「あとは、魔法薬を飲ませるだけだな」
レイナが買ってきた魔法薬は、それぞれ飲む用の回復薬、魔力回復薬、そして漢方のような薬の3個だ。
そのどれかひとつでも、効果があればいいのだけど。
とりあえず、3個全てを飲ませてあげた。
「今できることは全部したけど、これで治るかな」
「そこはもう信じるしかないよ」
「そうだな。よし、早いうちに移動しよう。この子は俺が背負うから、荷物は頼んでいいか?」
「うん。もちろん」
本来の予定だったら、出発は明日の夜明けと同時だった。
しかし、このまま朝まで滞在するより、暗いうちに移動した方が追手に見つかり辛いだろう。
「――――――――待て。廊下から足音がする」
こっちに向かって来ているな。
まさか、もう新手か。
情報の伝達が想像以上に早い。
「邪魔するぞ。おっと、子供が2人……やる気が削がれるな」
扉の先には、筋肉モリモリのマッチョが立っていた。
全身に毛が生え茂り、口から牙が覗いていることから、恐らく犬の獣人か。
「だから、ノックぐらいしてくれ」
「ん? ああ、それは悪かった」
「――――――――『水流弾』」
レイナが杖を構えて、即、魔法を放つ。
が、獣人の男は、片手で容易に弾いた。
「この程度の魔法で、この俺を倒せるわけがないだろう。聞け! 俺の名はグラフォード! 獣人族の戦士だ!!」
「『電撃』」
「だから無駄だと言って――――――――ぐッ!?」
魔法を素手で弾くような脳筋には、触れたらアウトの電撃魔法がよく効く。
とは言え、俺の電撃魔法を喰らったのに、ピンピンしている。
かなり洗練された魔闘気。どうやら、名乗るだけはあるようだ。
「『水激流』」
再びレイナが魔法を放つ。
今度の魔法は、大量の水を一気に放出する上級水魔法だ。
弾くとか、そういう次元の話じゃない。
「今のうちだよ!」
「分かってる!」
俺は女の子を背負い、右手で壁を破壊した。
部屋は2階だったため、飛び降りることが出来る。
この場で、こいつを相手にするのはリスクが高い。
雑魚じゃないから苦戦は必至だし、レイナの水魔法で周囲の人間も顔を出すだろう。
このままじゃ、町ぐるみの揉め事になる。
「人に名乗らせておいて、逃げるのか!!」
「勝手に名乗っただけだろ!!」
大量の水で流されるグラフォードの声が、廊下の奥から聞こえてくる。
頼むからこのまましばらく流されていてほしい。
その間に、俺達はとんずらするから。
「行くぞ!」
2階から飛び降り、うまく着地することが出来た。
宿を壊してしまったが、不慮の事故だったと見逃してもらおう。
弁償しようにも、そんな暇はないわけだし。
「はぐれないでよね。『霧』」
レイナの杖の先端が光り、周囲に霧が現れる。
数メートル先が見えなくなるほどの濃霧が、町ひとつを包み込んでいる。
「こんな一度に魔法を連発して大丈夫か?」
「まだ……大丈夫だよ。『水激流』は出力をだいぶ抑えたし、『霧』は町が小さいおかげで、そんな魔力使わない。けど、この後に備えて、そろそろ節約したいかも」
レイナの姿を見失わないように注意しつつ、俺は周囲の状況に耳を傾ける。
何処からともなく聞こえてくるのは、町民の騒がしい声ばかり。
グラフォードとやらの声も足音も、何一つ耳には入ってこない。
この濃霧だ、一度見失えば追跡することは不可能だろう。
撒くことが出来たと結論付けていいはずだ。
このあとは、町から離れた適当な場所で夜が明けるのを待つとしよう。
それから、今後の動きを考えればいい。
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アエルから離れ、俺達は森の中に逃げ込んだ。
開けた土地よりは目立たないだろうし、魔物を狩れば食料にもなる。
「この子、一体何者なんだろう?」
「分からない。ただ、大の大人が寄ってたかって追跡してるんだ。それ相応の理由はあるはず」
「何だ、お前ら何も知らないのか」
居るはずのない男の声が、背後から突然聞こえてくる。
咄嗟に振り返る俺とレイナだったが、男の太い腕が掴みかかって来る。
「何でお前がいるんだよ……!」
そこに佇んでいたのは、アエルで撒いたはずのグラフォードだった。
そんな馬鹿な、あの視界の悪さだぞ。
一度でも見失えば、もう追跡することは不可能なはずなのに。
それに、ここまで接近されるまで気配に気づくことが出来なかった。
足音を聞くことに注力していなかったこともあるが、それ以上に土が音を吸収してしまったのがデカい。
この距離間じゃ、レイナは不利すぎる。
「くそッ! 『電――――――――」
「待て!!!」
グラフォードの腕に、一際強い力が走る。
電撃を喰らわせようと考えていたが、待て、とは一体どういう意味だ?
追手のくせに、何を考えている?
「この娘……死にかけではないか」
「だから、助けようと頑張ってるのに、お前らが邪魔してくるんだろ!」
「これは想定外だ……。少しどいていろ」
グラフォードが女の子の傍に寄り添い、軽く脈や体温を測る。
その一連の流れは、俺のそれよりも明らかに手慣れたものだった。
こいつ、まさか助けようとしているのか?
「その子から離れろ。今度は手加減しないぞ」
無防備なグラフォードの背後から、レイナが杖を構える。
今度の彼女は、どうやら本気のようだ。
「落ち着いて話を聞け。俺達は確かに、この娘を連れ戻ることが任務だ。だがしかし、それは死体ではなく生きたまま。つまり、俺とお前達の目的は一致しているはず。今は争っている暇はない」
「いきなり攻撃してくる連中を信用しろって?」
「俺は獣人族の戦士だ。汚い手は使わない」
多分、こいつの言っていることは信用できる。
仮に裏切るつもりなら、そもそも俺とレイナを不意打ちできるチャンスを逃すはずがない。
「それで、どうなんだ? 治りそうか?」
「この心拍数の速さ、やつれ、荒い呼吸、これは典型的な魔力欠乏症の症状だ」
魔力欠乏症……古の洞窟でアンドルとアリスが掛かったやつか。
体内の魔力を限界まで消費すると、発病するとかだったはずだ。
俺達を襲撃するまでに、大量の魔力を消費していたのだろうか。
「恐らく空腹、睡眠不足、体力減少が重なり、消費した魔力を体内で回復できなかったのだろう」
「一応、飯は食べさせたし、魔力回復薬も飲ませた」
「なに? それは、英断だ。あとは、食えなくなるくらい飯を与えて、眠れなくなるくらい眠れば快方に向かうはずだ」
「本当に? 確かなの?」
「俺は獣人族の戦士だ。嘘は言わん」
容態を確認し終わり、グラフォードが立ち上がる。
そして、大きな体をこちらへと向けてきた。
咄嗟に、俺とレイナは構える。
「この娘はもう大丈夫だ。あとは言わんでも分かるな?」
「私達とお前の殺し合いってことでしょ? 分かってる」
「ちょっと待て、殺し合いだと? 最近の子供はどうも物騒だな。獣人族の戦士は、無駄な殺生を好まない」
「さっきから戦士戦士うるさいな。どれだけ誇りに持ってるのかは知らないけど、うっとおしい」
思っても口に出さなかったのに、デリカシーのないレイナは簡単に口にだす。
見ろ、グラフォードのやつ、ちょっと涙目になってるじゃん。
そういうのは、触れないであげるんだよ。
「ごほん……とにかくだ、俺からひとつ提案したい。この娘を賭けた勝負、俺とお前達のどちらかが気絶するまで、というのはどうだろうか?」
「俺達、2人がかりでもいいのか?」
「当然だろう? これは、俺達とお前達、2つの勢力の衝突なんだ。生憎、この場には俺しかいないが、わざわざお前達がそれに合わせる必要はない」
俺とレイナは一度、顔を見合わせる。
グラフォードの提案は、俺達にとってはメリットでしかない。
考えたくはないが、もしも負けても、レイナが死ぬことはないわけだし。
「分かった。その勝負、乗った」
「よぅし! そうと決まれば、早速始めるとしよう!」
グラフォードがどれだけ自分の腕に自信を持っているのかは知らないが、2対1なら勝機はあるはず。
それに、最悪、負けたとしても、またリベンジすることだってできる。
汚いと言われようが、俺は何の戦士でもないんだからな。
俺にとっては、誇りなんて埃と同じさ。




