第九十一話 帰って来た日常
生誕祭の翌日、俺はサンダルト魔法学校へ、いつものように登校していた。
いくら怪しい奴らに拉致されて、実験台にされて、挙句の果てに魔王とその幹部に遭遇したとしても、学校にはちゃんと登校しなくてはいけない。
『――――――――そんなことはどうでもいいから、学校に行きなさい』
学生の頃、耳にタコができるほど聞かされた言葉なんじゃないだろうか。
少なくとも、俺は学校恐怖症になりかけるほどには聞かされた。
それからというもの、学校に行かなくては母の亡霊が出て来てぶん殴られるイかれた妄想に取りつかれている。
まあ、母はまだご存命なのだが……。
「う~ん……どうも見当たらないな」
長ったらしい授業を乗り越え、今は放課後。
俺は足早に教室を後にして、図書室へと足を運んでいた。
たっぷり時間は取ったつもりだったけど、肝心の調べ物がなかなか見つからない。
それもそのはずで、サンダルト魔法学校は世界有数の魔法学校であり、そうなれば当然、図書室も広くなり、本の種類も膨大になる。
近頃は設置されていることも多い本を探せる端末も、こっちの世界にはあるはずもない。
ならば司書に聞けばいい。
そう考えた人も多いだろう。
ところがどっこい、この学校には司書が不在の場合が多いのだ。
理由を説明する前に前提として、この学校では委員会というものが存在する。
別に特殊な役職というわけでもなく、日本の学校における委員会と何ら変わらないものだ。
委員会の役員は、ボーナスとして成績に加点されるため、立候補する人間は多い。
中でも、図書室の司書は仕事が楽という理由で多くの人から人気の役職である。
そこまでは良いのだが、いざ司書に選ばれたとしても、まともに仕事をする人間が少ないのが問題なのだ。
それもそのはずで、司書は覚えることも多く、拘束時間も長い。
前述した司書の仕事が楽というのは、別に仕事をしなくてもお咎めなしだから楽という意味だ。
実力至上主義のこの学校では、わざわざ真っ当に司書の仕事をするよりも、剣術や魔法を磨く方が先生受けがいいようなのだ。
それに加えて、図書室を利用する生徒の数が広さに見合っていないことも、お咎めなしの理由の一旦なのかもしれない。
このままのペースじゃ日が暮れてしまいそうだ。
一旦退いて、司書がいる時にまたうかがうとしよう。
「どんな本を探してるのかな? 手伝ってあげる」
「その声は、アンナか。助かるよ。ちょうど今、司書の手助けを必要としてたからさ」
後ろから話しかけてきたのは、クラスの天使アンナだ。
長く美しいピンク髪が摩擦を感じさせない艶めきを放っている。
彼女は司書の為、タイミングとしては最高だ。
「冥王レグルスについて調べてるんだ。もう随分と前の人物だから、もしかしたら無いかもしれないけど」
「人物? 珍しいね。ええっと、レグルス……確かこの辺に一冊くらいあったような……」
アンナが記憶の奥底から導き出した場所は、図書室の奥の棚だった。
もう随分と手に取られていないのか、そこら一帯の本は埃をかぶっている。
その中からひとつ選んで引き抜いた大冊の名は『死からの救世主』というものだった。
「確かこれだよ。昔、家で同じ本を読んだことがあるもん」
「へぇ……よく覚えてたな」
「内容はもう忘れちゃったけど、『冥王』って単語だけは印象に残ってたんだ。それじゃ、私は仕事に戻るね。他にも何かあったら、遠慮なく言ってくれていいから」
「助かったよ、ありがとう」
数いる司書の中でも、稀に見る仕事人であるアンナ。
決して業務を怠らないその姿勢には、敬意を払うべきだろう。
さてと、見つけたのはいいが、肝心なのは内容だ。
果たして五雄王、そして魔王との関係について何かしら記述されてるだろうか。
俺は長い戦いになることを覚悟しつつ、テーブルに大冊を広げるのだった。
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そして、次の日。
俺は食堂のテーブルでぐったりとしていた。
周りの声が頭に響くため、出来るだけ強く頭を抱える。
昨日の大冊、読破するのに思った以上の時間と労力が掛かってしまった。
今もまだ、その後遺症が続いている。
せめて何かしらの成果があれば、まだ気も楽だっただろう。
しかし、残念なことにあの大冊には俺の知りたかったことは何も載っていなかった。
せいぜい知ることが出来たのは、『冥王』が大昔に残した逸話くらいだ。
それも、死んだ者を生き返らせたとか、そういうオカルト染みた話。
五雄王との関係には、言及すらなかった。
「教室に居ないと思ったら、こんなところで何してるの?」
「見ての通り、昼飯を食いに来たんだよ」
「へぇー、そう言う割には昼飯が見当たらないね」
「別にお腹が空いてるとは言ってない」
いつの間にか隣の席を陣取るレイナ。
チラッと目をやると、珍しくツインテールだった。
本当だったら何か言ってやるところだけど、それすらも億劫だ。
「どうも疲れ気味みたいだね」
「まぁな。何事も無茶はよくないってことみたいだ」
「おいおい! また8組なんかとつるんでるのかよ!」
「げぇ……」
背後から今一番聞きたくない声がする。
もしも神様がいるのなら、今この時だけ俺を空気にしてほしい。
「何か用? 今から昼食なんだけど」
「俺様はお前の為に言ってるんだぜ? この学校が実力主義なのはもう知ってるだろ?
2組のお前が下のクラスの奴と絡んでるなんて知られたら、お前自身の価値を落とすことになるぞ」
「実力で決まる価値なんかに、私は執着なんてこれっぽっちもない。今すぐ消えて」
ナンパのつもりなのかは知らないけど、俺がこんなこと女子から言われたら2日は布団で泣くぞ。
それなのに、声の主であるアグラーは一切怯む様子がなかった。
むしろ、ぞくぞくすると言わんばかりに笑顔を浮かべている。
「そんな冷てぇこと言うなよ。今日はお前に大事な話があって来たんだ。
編入したてのお前は知らないだろうが、来週、この学校で伝統ある舞踏会が開かれる。その相手に是非ともレイナ、お前を指名したい」
舞踏会だって?
そう言えば、エリックが相手探しをしなくちゃ~って騒いでたな。
こういう自主的に相手を探さなくちゃいけないイベントは、人見知りにはしんどいな。
「あんたと踊るくらいなら、ソロを選ばせてもらう」
「……それ程までに、その男が大事か?」
「私はそもそも舞踏会なんてものに興味がないだけ。それとも何? こんな私しか誘える相手がいないっての? 相変わらず、哀れな男だね」
「……このアマ!!」
アグラーの後ろに控えていたブルが、大きな腕を伸ばしてレイナを投げ飛ばした。
いきなり実力行使に出て来るとは思っていなかったのか、抵抗する暇すらなかった。
「おい! いい加減にしろ!!」
「エト、私は大丈夫だから。ここで騒ぎになる方が面倒だよ」
「お前が良くても、俺が許せないんだよ」
見たところ、レイナは怪我はしていないようだ。
おそらく怪我しないよう、手加減して投げたのだろう。
「何だ8組のカス。アグラーさんに逆らうつもりか?」
「黙れよ、金魚の糞。強い奴に従うだけの木偶の坊が」
「木偶の坊だと? ――――――――殺すッ!!」
2メートルを超える巨体から放たれる拳を前に、俺は驚くほど冷静だった。
もちろん、レイナに危害を加えられた怒りはある。
それでも、目の前で何が起きているのかが鮮明に理解できるのだ。
さて、迫り来る拳をどう対処しようか。
ブルの喧嘩はこれまで度々目にしてきたが、その度に相手はワンパンされていた。
要するに、こいつの拳は強力ってことだ。
「――――――――なに!?」
強力だと理解はしていたが、俺は咄嗟に右手で拳を受け止めた。
根拠はないが、止められると確信したからだ。
その確信は正しく、衝撃こそあれど、ブルの拳は俺の右手を抜けるほどではなかった。
「止められたのは初めてか? そんじゃ、次も初めての経験になるぞ」
右手でそのまま拳を掴んで拘束する。
そしてその隙に左手を握りしめ、ブルを目掛けて繰り出した。
俗にいう、カウンターってやつだ。
「オラぁ!!」
初めての事態に混乱したブルは、カウンターに対処できない。
左拳がブルのみぞおちを射貫くその瞬間、俺は瞬時に拳を開いて張り手に変えた。
直撃した張り手の勢いで、ブルはその巨体に見合わぬ速度で後方へと吹っ飛ぶ。
「ぼへぇ!!」
食堂の隅まで飛ばされたブルは、みぞおちを押さえてうずくまる。
どうやら追撃するまでもなく、脱落したみたいだ。
「ついこの間、相手した連中に比べたらお前なんて赤子以下だ」
ヴェロニカ・グレインとかいう化け物と一度は対峙したんだ。
その時に比べれば、焦る必要すらない。
それより俺が思考を割いたのは、ブルの耐久力の方だ。
ブルはおそらく魔闘気を扱えない。
それはつまり武器は持ち前のパワーだけで、耐久力は一般人と何ら変わらないということ。
もしも本気で拳をみぞおちに打ち込んでいたのなら、最悪内臓破裂を起こしていたかもしれない。
そのことを考慮して、俺は瞬時に張り手へと変えたのだ。
「お前ぇ、自分で何をしてるのか分かっているのか?」
「さあ。ただ、お前が女の子に振られた可哀想な奴ってだけは分かるぞ」
下に見ていた奴に挑発されて、アグラーは剣に手を掛ける。
聞いた話によれば、この男の剣術は中級レベル。
この至近距離で相手をするには、少々荷が重いな。
「いい加減にして。これ以上、やるって言うなら私が相手になるよ」
「ふん……まるで忠犬のようだな。つまらねぇ」
アグラーは怒り任せに抜くことはなく、きまり悪そうにその場を立ち去った。
流石にこれ以上の喧嘩は双方にとって損にしかならないと判断したのだろう。
伊達に2組というわけじゃないか。
「助かったよ、レイナ」
「いやいや、それを言うのは私の方だよ。それにしても、あの大男に殴り勝つなんて凄いね」
「……俺の力じゃないよ。俺はただ出しゃばっただけで、忌々しいこの血に助けられただけだ」
「血の影響だとしても、その力を振るうのはエト自身なんだから。自分の力と言っても過言じゃないと思うけどね」
そんなやり取りをするが、周囲の目が集まっていることに気がついて、足早に立ち去ることにした。
ブルはまあ、動いてるから大事には至ってないだろう。
ひとまず、ほとぼりが冷めるまで食堂には顔を出さないようにしよう。
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今回の一件、いじめっ子に痛い目を見せることには成功したが、俺の方にも相応のダメージがあった。
レイナに危害を加えられたからとは言え、真っ直ぐに喧嘩を売りに行ってしまった。
自分では冷静のつもりだったけど、果たして本当に冷静だったのだろうか。
今回は魔人族の血の影響で何とかなった。
しかしここで浮かび上がる疑問、それは前の俺でも立ち上がったのか?というものだ。
ここでいう前の俺とは、血の影響がない頃のこと。
この疑問に、今の俺はハイと答えることが出来ない。
もしかしたら、血の影響で性格に変化が生じただとか、そんなことをどうしても考えてしまう。
レイナは気にすることないと言ってくれるが、それでも安心できない。
あの大陸での出来事を中心に、俺という存在が区切られている感覚だ。
区切りの前の自分は、明確に俺だと断言できる。
しかし、今の自分は前の自分と同じだと断言できない。
何か自分を納得させられる根拠を、答えを欲している。
それがなくちゃ、この先、俺という存在は細かくバラバラになってしまう気がするのだ。
目の前の暗闇は、未だの晴れそうにない。




