第九十話 現れる異変
魔の大陸での死闘を乗り越え、数日が経過した。
今日は何の日か?
答えは、俺がこの世界にやって来てから、ちょうど一年後の日だ。
天使様の凡ミス?で意識を引き継いで転生したあの瞬間、俺は混乱と不安で溢れそうだった。
一応、気休め程度に電撃魔法を授かったが、根本的な問題の解決には全く使えなかった。
何度も言うが、あの時、カインさんに拾われて、アルムガルト家に迎え入れられて、本当に良かった。
最大のターニングポイントだったと言っても過言じゃない。
話を戻すが、今日は俺の転生記念日。
本来なら別に祝うほどの出来事でもないんだが、とある事情でこの日を俺の誕生日とすることにした。
故にそれを記念した生誕祭が今、新アルムガルト家にて催されている。
誕生日を変更した理由、それは地球とこの世界では時間のずれがあるからだ。
正確には、こちらの世界の暦の方が長くなっている。
つまり、1年が地球よりも長いのだ。
故に地球基準の俺の誕生日は当てにならない。
だったら新しく誕生日を決めようというのは、レイナの提案だった。
「それじゃ改めて……誕生日おめでとう」
すでに生誕祭は半ば、テーブルにはもうほとんど何も残っていない。
メンバーはアルムガルト家の皆、そしてアンドルとアリス。
この2人と会うのは久しぶりだったので、会話が弾みに弾んだ。
ちなみに、魔の大陸での出来事に関しては全く触れていない。
そういう約束だからな。
「まさかこっちの世界でも誕生日を祝われるなんて、当初は思ってなかったよ」
隣に座るのはレイナだ。
その手には、俺と同じく陶器のマグカップを温かそうに握っている。
中身はララ様御用達の茶で、相変わらず美味だ。
「本当はカルスも呼びたかったんだけどね」
「あいつは放浪者だからな」
電話という便利グッズがない以上、カルスにアポを取ることは不可能に近い。
「あ、誕生日プレゼントまだ渡してなかった」
レイナがマグカップを置き、奥から箱を持ってくる。
有り難く受け取り、蓋を開けてみる。
すると、中身は整った黒色のローブだった。
「これは……こんないいやつ貰っていいのか?」
「うん。頑張って小遣い稼ぎしたんだよ」
「本当にありがとう。大事にする」
誕生日プレゼントと言えば、皆からもたくさん貰った。
ルビアさんからはハンカチ、リダからは手紙、アンドルとアリスからは筆記用具。
どれもこれも、本当に感謝いっぱいだ。
「あと1ヶ月後には私の誕生日……期待してるから」
「ああ。飛び切りの代物を贈ってやる」
魔の大陸から帰還した日の夜、俺は彼女からある話を聞いた。
ルビアさんとその子供であるレイナとリダは、アトリア族という一族であるということ。
その一族はすでに絶滅したと言われており、その経緯は暗く残酷なものだった。
今思えば、エルフ族が人族と距離を置くのは、過去にアトリア族のような事例があったからかもしれない。
レイナ曰く、純血では無いにしろ、これからは一族の血が原因で問題に巻き込まれる可能性もあるらしい。
というのも北部では、銀髪は悪魔の象徴とされ、目の敵にされるリスクがあるからだ。
もしもの時は逃げてくれと言われたが、そんなことは断じてしない。
むしろ、守るくらいの心意気でいよう。
あの夜、俺はそう決意した。
「エト、そんな端っこで何してるの? お料理冷めちゃうよ?」
「そうだよ、エト兄! 今日の主役なんだから!」
リダとアリスは年が近いこともあり、まるで双子のように相性が良い。
昼なんか外で追いかけっこをして遊んでいたくらいだ。
ちなみに、鬼役は何故か俺だった。
今日は主役と鬼の兼任らしい。
「ああ、分かって――――――――痛ッ」
席を立とうと力んだ瞬間、右手に持つマグカップが粉々に割れた。
何の前触れもなく、突然の出来事で反応が出来なかった。
割れた破片が掌から溢れ出し、洪水のように床に流れた。
「ちょ、大丈夫!?」
皆が唖然とする中、真っ先に駆け寄ってきたのはレイナだった。
鋭くも温かい痛みを右手に感じつつも、俺は平気だと伝える。
「このマグカップ……貴族の間では有名な銘柄だ。見たところ劣化が原因というわけでもない」
床に散らばる破片を見て、アンドルがボソッと呟く。
彼の言うことは正しく、このマグカップは数ヶ月前に購入したものだ。
それも、安物ではなく貴族御用達の高級品。
たまたま割れる可能性もゼロではないが、限りなくそれに近いはずだ。
劣化ではないとするなら、原因は俺にあるだろう。
考えられるのは、マグカップに過度な力を加えてしまったパターン。
実際に立ち上がる時、中身をこぼすまいと俺は意識的に右手に力を入れた。
果たしてそれが原因でマグカップが割れるだろうか。
ごりごりのマッチョが本気で握ったのならまだしも、俺はそんなマッチョじゃないし、そもそも割ろうとしていない。
仮に割ろうとしたところで、右手の握力だけじゃ不可能だ。
つまり今回は、普通じゃない何かが起きたということ。
「怪我みせて!」
レイナが勢いよく俺の手を掴む。
破片の切り傷くらいなら、彼女の回復魔法で簡単に治せる。
だからこのまま傷を見せるだけで、事は終息する。
ならば何故、俺はここまで不安や焦りを感じているのだろう。
「あれ? 血は付いてるのに……傷が全くない」
原因は言われるまでもなく、明らかだった。
真っ赤に染まった掌には、傷らしきものが一切見当たらなかったから。
「はは……そんなことあるんだな」
「まったく心配して損したよ」
笑って誤魔化す俺に、呆れ顔を向けて来るアンドル。
これ以上被害が広がらないよう、彼は床の破片を集め出す。
「すごい音したけど! 大丈夫!?」
キッチンから姿を現したのは、メインディッシュの仕上げ途中だったルビアさん。
右手には包丁、左手には大きなお皿を持っている。
何とも物騒な装備だ。
「ちょっと力んじゃって……。大したことないから大丈夫です」
ひとまず場を収めるために平気を装う。
あとは血を洗い流して、生誕祭を続けよう。
今日は楽しい思い出だけで、いっぱいにしたいもんな。
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生誕祭も無事に終わり、俺はひとり部屋で縮こまった。
「……」
あの時、皆を心配させまいと嘘をついた。
血が出てるのに傷がない? そんなことあり得るわけがない。
だが目の前で実際に起きれば、傍から見た者は無理矢理にでも納得せざるを得ない。
俺はよそとは違う。
自分の体のことは、自分が一番よく理解している。
俺は見た。
掌の傷が、黒い蒸気と共に治るのを。
それには見覚えがある。
「ハア……」
思い出したくもない、魔の大陸での出来事。
そこで出会った、人ではない悪魔たち。
その悪魔たちと同じ血が、俺の体を流れている。
「ハア……ハア……」
兆候はずっとあった。
傷の治りが異様に早かったり、膂力が前とは比べ物にならなかったり。
ずっと見ない振りをしていたが、それももう限界だ。
「ねえ、起きてるんでしょ?」
突然、ドアの向こうから声がした。
外の感覚を遮断していたからビックリしたけど、声の主がレイナであることはすぐに分かった。
「こんな遅くに何の用?」
「……目が赤い。泣いてたの?」
部屋の前で用件を聞いたのに、レイナはお構いなしに中まで入って来る。
「悪いけど、今は独りにしてくれないか?」
「まだ誕生日は終わってないんだから。独りじゃ白けちゃうよ」
相変わらず空気が読めないな。
けれど正直、話すならレイナしかいないとは考えていた。
タイミングが良いのか悪いのか、果たしてどっちだろうな。
「こんな積極的というか……横暴的なお前は、大体何か察してる時だけだ」
「うん、その通りだよ。マグカップの破片の大きさと割れる勢い、そして何より出血の量。普通に考えたら、切り傷くらいないとおかしいよ」
「……やっぱ、気づいてたか」
そりゃ、傷があるから血が出るんだもんな。
逆のパターンがあるのなら、むしろ教えて欲しいくらいだ。
「エトが短期間で回復魔法を会得できるとは思えないし、極めつけは黒い蒸気。あれは魔人族の自然治癒の際に生じるものと同じだった。聞かせて、一体エトの身に何が起こってるのか」
「はは……ほんと、お見通しだな。分かったよ、あの要塞で何があったのか……」
話したのは、要塞内で俺の身に起こった全て。
主に魔将グレインの血を体内に注射されたこと。
レイナは嫌悪することも、話を切り上げることもなく、真剣に聞いてくれた。
「本来なら成功することのない人体実験だったはずなのに……何らかの理由で成功したんだ」
「それって喜ばしいことなんじゃないの? 実験が失敗してれば、エトは死んでたんでしょ?」
「そりゃあそうだけど。あいつらと同じ力は、俺にとっては忌むべきものなんだ」
自然治癒力も、筋力増強も、俺が望んだ力なんかじゃない。
たくさんの犠牲の上に立つのも、決していい気持ちにはならない。
それに、俺が今一番恐れているのは――――――――
「なぁ、レイナ。俺は今、人間なんだろうか?」
元々は人族だったが、そこに少量とはいえ魔人族の血が混入した。
その結果、人族としてはあり得ない変化が体に現れ始め、もはや誤魔化すことも出来ない。
今の俺は生物学上、どのような立ち位置になるのだろう。
「この意識も……この思考も……本当に俺のものなのか? 今の俺は、過去の俺と同一人物と言えるのか?
どんなに考えても……分からない。自分がどんな奴だったのかも……」
今、この脳みそで思考しているのは、俺?
そもそも、何を以て自分が自分だと認識できる?
分からない……分からない……分からない。
「落ち着いて!」
周囲の視界が歪み始めた時、レイナが両肩を掴んできた。
そして揺さぶってくれたおかげで、俺は我に返ることが出来た。
「落ち着いて。私の目を見て」
「あ、ああ、ごめん。自分でも、こんなに取り乱すなんて……」
一旦、深呼吸をして気分を落ち着ける。
気がつけば、両手が汗ばんでテカテカだ。
「エトは、エトだよ。少なくとも、私の目には今までと同じに映ってる」
「今は大丈夫でも、奴らと同じようにイかれるのも、時間の問題かもしれない」
グレインも、ヴェロニカも狂気に塗れた異常者だ。
俺も血の影響で、そいつらと同じように狂ってしまうかもしれない。
それが何よりも不安で、何よりも怖い。
「私の認識ではグレインも、ヴェロニカも理性のない怪物じゃなかったよ。
グレインは単純で馬鹿だけど、あれは戦闘狂の一面が強いからだと思う。
ヴェロニカは変わった嗜好を持ってるだけで、冷静沈着で頭の切れる強者だった。
どちらも狂人な側面はあれど、個性の範疇に収まる程度だよ。
だから、血の影響で人格に異常をきたすことは無いよ」
レイナの意見は、あくまで可能性の話。
そのことを理解した上で、あえて断言してくれたのだ。
俺をこれ以上、不安にさせないために。
「もしも……俺が見境なく人を襲うようなことがあれば、
その時は――――――――俺を殺してくれ」
「……」
俺が最も気の許した家族であり、他の誰よりも近くにいてくれるレイナにしか頼めないことだ。
当然、彼女からしたら受け入れ難い提案だろう。
だけど、それが一番みんなの、家族の、そして俺のためになる。
「レイナ、頼む」
「………………分かった。けど、それは最終手段だから。それだけは覚えておいて」
「ありがとう」
これから先、この身に何が起こるかは全くの未知だ。
だけど最悪の状況に陥る前に、打てる手は打っておいた。
あとは、レイナを信じるだけだ。
「それで……日常生活で不便はある?」
「自然治癒に関しては……まあ、見てほしい」
ベッドに座るレイナを横目に、俺は机へと手を伸ばす。
そして、手に取るのはキッチンナイフだ。
「それは台所に置いてあるやつだね。まさか母さんに黙って持ち出してきたの?」
「あとで綺麗にして返すよ」
見つかったらルビアさんに殺されるから、スパイ張りの隠密行動が必要になるが……。
そんなことを考えながら、キッチンナイフの刃を二の腕に軽く当てる。
そして、軽く引いて切り傷をつける。
流石はルビアさん愛用のキッチンナイフだ。
刃物の扱いに慣れていない俺でも、簡単に浅い切り傷を付けることが出来た。
傷を付けて1秒後――――――――黒い蒸気があがる。
それとほぼ同時に、肉がウニウニと動いて傷を塞ぎにかかる。
軽い切り傷くらいなら、ものの数秒で完治した。
「うげ、気持ち悪い。まるで悪夢から漏れ出てるみたい……」
「思っても口に出すな。それで、うまく誤魔化せると思うか?」
「う~ん、やっぱり違和感はある。特に回復魔法を使える者からしたら、黒い蒸気が不思議でならないと思う。治り方も気持ち悪いし」
「やっぱり駄目か?」
「いや……違和感で終わると思う。魔人族の性質なんて誰も知らないだろうしね。ただ、ジーク先輩とエリックには見られない方がいいかな」
「それはそうだな。気をつける」
レイナ曰く、自然治癒能力に関しては大して問題ではないみたいだ。
ただし、魔人族について知っている人物の前では、気をつけなければならない。
「次は、力加減だな」
「それはかなり深刻な問題だよ。もしかしたら、人の頭とか握り潰しちゃうかも」
「いや、その心配はない……と思う。大雑把な力加減は出来るけど、問題なのは微調整の方だ。
下手したら手に持った小物を、さっきのマグカップみたいに壊してしちゃうかもしれない」
今の俺ならば、素手でリンゴジュースくらい簡単に作れるだろう。
だがそれは、俺が意識して力を入れればの話だ。
問題なのは、そのリンゴを潰すほどの力を5分の1でも、うっかりと発揮してしまうこと。
さらに厄介なのは、この問題は握力に限った話ではないこと。
魔人族の血で強化されたのは、握力だけじゃなく、腕力・脚力を始めとしたありとあらゆる筋肉だ。
気を抜けば、また別の危険が生まれる。
「じゃあ、訓練しよう。力の微調整が出来るようになるまで、私が付き合うよ」
「ま、結局、そうなるよな。仕方ない、明日から訓練を始めるとするか」
先に待ってるのは、不安だけ。
今の俺は、目の前に広がる暗闇に足を止める子供のようだ。
正直、怖い。
だけど、迷いながらも進まざるを得ない。
人生なんて、そんなものだ。




