第八十九話 手合わせ
エトを振り切り、走り続けること数十分。
貴族の邸宅が並ぶ区画を抜けて、平民の住む区画までやって来た。
「ハア……ハア……」
サンダルト城を出た時、目に入ったのは綺麗な虹――――――――の手前に昇っていた水の柱だった。
エトは見落としていたようだが、その不自然さにレイナは瞬時に違和感に気がついた。
一見、意味のないような行為だが、そんなことをする人物は一人しか思いつかない。
「シェリィ、いるんでしょ!?」
王都サンダルトの郊外、そこには緑茂る野原が広がっていた。
どうやら平民の区画には家だけじゃなく、その広大な土地を活かした農業や畜産が盛んのようだ。
緩やかに流れる小川が、耳に波紋を届ける。
「一体何の用なの? こんな田舎じゃないと話せないこと?」
周囲を見渡すが、人影らしきものは見当たらない。
試しに耳をすましてみるが、自然の音が聞こえるだけ。
「もしかして、ご指名は私じゃなかった? もしそうだとしたら、そっちが悪いよ。
あんな分かりにくい目印、私じゃないと気がつかないもん」
未だにシェリィは姿を現さない。
もしかしたら、あの目印はシェリィによるものではないのかもしれない。
レイナの頭の中に、そんな考えが横切る。
「まさか、シェリィがそんな恥ずかしがり屋だったなんて思わなかったよ。あの報告会の時も内心では緊張しまくりだったのかな?
あ~ぁ、もう帰ろっかな。家族が待ってるし。じゃ、またね」
散々揺さぶりを掛けてみたが、返事はない。
素直に自分の勘違いと認めて、レイナは踵を返す。
そんな時だった――――――――
「――――――――『水壁』ッ!」
背後に気配を感じ、振り返ると同時に魔法を発動させる。
地面から伸びる水の壁が、何者かからの攻撃を防ぐ。
「水魔法……やっぱりいるんだね、シェリィ」
「不意打ちのつもりだったけど、よく分かったな」
「そりゃ、怪しい雰囲気ビンビンだったからね。そういうのも含めて気づかれないようにしなきゃ」
「あはは! まさか小娘に助言される羽目になるとはな!」
前方に見える大樹、その真横の空間が歪む。
そして姿を現したのは、似合わぬ拍手をするシェリィだった。
「やっぱ、アタシは正々堂々の方が性に合ってるようだ」
シェリィが杖を構える。
手短に用件を聞くつもりのレイナだが、彼女の様子を見て気を引き締める。
理由は分からないが、交戦する意思があるのなら容赦はしない。
レイナはそういう人間だった。
「こんな風に――――――――『水激弾』!」
シェリィの放った水魔法を前にして、レイナは一瞬躊躇した。
想定していたよりも規模、威力共に上だったからだ。
(水壁じゃレジストしきれない。それなら……)
「『水の槍』!」
防御系の魔法ではなく、攻撃系の魔法で無理やり相殺する。
一か八かの荒業だったが、セイレーンによる補助と持ち前のセンスで何とか成功させることが出来た。
「今度はこっちの番! 『水斬撃』」
杖から放たれたのは、無音の斬撃。
レイナが使用すれば、並の剣士の一振りよりも鋭い一撃となる。
が、そんなものは直撃しなければ意味はない。
「それはちょっとバカ正直すぎるな」
シェリィが杖を軽く振るうと同時に、斬撃が僅かに逸れた。
杖の先端に水を纏わせ、受け流したのだ。
こんな芸当が出来るのは、水王である彼女だけだろう。
(雑な攻撃じゃ意味がない。だったら、一気に勝負をかける)
「『水激流』!」
シェリィの動きに対応する形では、レイナに勝ち目はない。
かと言って、生半可な魔法では話にならない。
そんなことは同じ水魔法の使い手である、レイナ自身が一番理解してる。
だからこそ、勿体ぶることなく大技を放ったのだ。
「アタシを相手に真正面からかッ! 面白い!!」
『水王』である自分に対し、レイナは正々堂々の撃ち合いを仕掛けてくる。
その覚悟を前に、受けて立つと言わんばかりにシェリィは杖を構えた。
「行くぞ! 『渦潮』」
互いの杖から放たれた魔法がぶつかり合う。
まるで滝の麓にでも居るかのような轟音が響き渡り、周囲の音が遮断される。
足元には、氾濫したかの如く水が積み重なっている。
「くぅ……うぅ……」
一見すれば、レイナの方が多量の水を放出している。
しかし、押しているのはシェリィの方であった。
(この差は……魔力出力かな。それに加えて、杖の性能差もある。このままじゃ押し負けるのは私だ。
私がシェリィに勝ってるのは、多分、魔力総量だけ。長期戦に持ち込めれば勝機はある。
けど、そんな都合よく事を運ばせてくれるような相手じゃない。それなら……)
レイナは杖を右手に任せて、空いた左手を下に向けた。
すると、みるみるうちに足元から3つの水玉が出現する。
「『水流弾』」
「――――――――ッ!」
3つの玉が弾となり、シェリィを襲う。
しかし、事態の変化に即座に気づいた彼女は、咄嗟に地面から水柱を出現させて相殺した。
「私と同じ手……!」
「アンタだけが使えると思うなよ!」
シェリィの放つ水が回転を速める。
すると、辛うじて成立していた綱引きが崩壊した。
「うぐぅ……ぅ……ッ!!」
レイナは全集中力をつぎ込み、対抗しようと試みる。
しかし、一度崩壊した均衡は取り返しがつかず、そのまま小川の真ん中まで押し流されてしまった。
「ゲホ……ゲホ……」
直撃したとはいえ、ある程度威力を相殺していたおかげで大事には至らなかった。
すぐさま顔を上げてシェリィの追撃に備えるが、彼女にその気はないようだった。
「ほんっと……真意が読めないよ。今になってどうして裏切るのか見当もつかない」
「裏切るもなにも、アタシは別に、アンタ達の仲間になったわけじゃない」
「……それもそうだね。はぁ……殺すなら一思いにやって」
レイナは降参したかのようにため息をつき、自らの首をトントンとつつく。
殺すなら苦しまず、即死させてくれという意図。
しかし、肝心のシェリィは一歩も近づこうとはしなかった。
「殺気が滲み出てる。どうせ油断して近づいたところを殺すつもりなんだろ? さっきアンタが言ってた怪しい雰囲気ってやつが、今なら分かるよ」
「チッ……残念。ま、バレたならしょうがない。死んでもお前を道連れにしてやる」
魔の大陸で消耗した分、残りの魔力量はたかが知れている。
それらをかき集めたとしても、シェリィには届かないだろう。
だがそれでも、せめて足を引っ張るくらいはできる。
頭から滴り落ちる水を薙ぎ払い、杖を両手で握りしめる。
「後悔させてやるから、覚悟しろ」
「いや、何を勘違いしてるんだ? 別にアンタを殺す気なんて端からないぞ」
予想だにしなかった発言に、レイナは数秒間フリーズする。
そして、ようやく頭が理解したと同時に、浮かんだのは?の一文字。
「………………は? え? じゃあ、今までのやり取り何だったの?」
「それは……まあ、力試しって感じ? アタシの見込み通りの実力なのか測りたくってさ。勘違いさせて悪かった」
レイナはただ呆然と上へ視線を向ける。
相変わらず青い空が何処までも広がっているが、今はそれ以上の印象は受けない。
「ねえ……一発殴らせてもらえない? ていうか、殴らせろ」
「悪かったって! ちゃんと理由を説明するからさ!!」
虚無の次に湧き上がった怒りを何とか鎮めるレイナ。
ひとまず理由を聞いて、その後に殴ろう。
彼女は、そう決めたのだった。
「アタシは世界中を旅してるんだが、その理由は分かるか?」
「どうせ男探しでしょ?」
「勘違いされそうな言い方だが、まあそうだ。しかし、それとは別にもう一つあるんだ。
それが水王を継ぐに値する人間の選考……すなわち、弟子探しだ」
「はぁ……」
今までの茶番が全て弟子探しのための試験だったと聞き、レイナは困惑を隠せない。
何故なら、彼女は一度たりとも弟子入りを希望したことはないから。
勝手に目星を付けられて、勝手に試される。
実に理不尽極まりない。
「せめて意思確認くらいしてくれればいいのに」
「そんなことしたら、アンタは断って帰るだろ?」
「結局同じことだよ。じゃ、用件が済んだなら、私はもう帰る」
レイナはバイバイと手を振り、踵を返す。
話を切り上げて勝手に帰ろうとする彼女を、シェリィは焦って呼び止める。
「まだ何か?」
「いや、合否を聞かずに帰る気かよ」
「聞いても聞かなくても同じだもん。私はシェリィに手も足も出なかった。それくらい分かるよ」
レイナは再び手を振り、踵を返す。
そんな彼女の背中に向かって、シェリィは声高に伝えた。
「合格だよ。アンタは弟子に相応しい逸材だ」
何を言われても足を止める気がなかったレイナだが、予想外の言葉に振り返る。
その顔には困惑と同時に、驚きの表情が浮かんでいた。
「今まで何百回と選考を繰り返してきたが、アタシの服を濡らすことが出来たのは、アンタが初めてだ」
シェリィがここ見ろと言わんばかりに、自らの裾の部分を指差す。
そこには少しだが、確かに水滴が染み込んだ跡があった。
レイナからしてみれば、たかがそんなこと。
されど、シェリィからしてみれば合格に足る功績だったらしい。
「おいおい、そんな呆けた顔をするなよ。もちろん、理由はそれだけじゃない。
無意識だったのかどうかは知らないが、アンタは手合わせの最中、魔法の同時発動をやってのけた」
レイナは先程の魔法のぶつかり合いを思い返す。
あの時は焦りもあったが、それでも冷静に打開策を考えていた。
それで思いついたのが、魔法の同時発動だった。
やったことはなかったが、それでも出来るという確信があった。
「魔法の同時発動ができる魔法使いは、世界でも一握りだ。ただ単に集中力の問題じゃなく、才能の領域だからな。それをその年でやってのけたんだ。合格以外の何物でもない」
逆に言えば、世界に一握りもいるということ。
将来性を加味しているにしても、少々持ち上げられすぎな気がする。
「極めつけは、その魔力総量だ。アンタの魔力総量は、アタシのそれを上回ってる。
アタシのもとで修行すれば、アンタは水魔法使いとしてアタシの上を行くことが出来るぞ」
当代の水王からお墨付きを貰えたというのに、レイナはあまり嬉しくなかった。
彼女にとって水王の座は、憧れの対象とは言い難いからだ。
「申し訳ないけど、私はあなたの弟子にはならないよ」
「……強くなりたいとは思わないのか? 今回の件、アタシがいなきゃ、アンタはエトを助けられなかったんだぞ?」
「分かってる。それに関しては、自分の実力不足を痛感してるよ」
レイナの切実な願い、それは家族の無事。
もしも弟子入りすれば、きっとひとりで守り抜ける実力を身に付けられる。
だがそれは、一体何年後の話なんだろうか。
元の世界に帰るエトには、時間があまりない。
限られた時間の中、自分にできることは一緒に過ごすこと。
弟子入りすれば、それも出来なくなる。
「だけどやっぱり、私はついて行けない」
「そうか、無理強いはしない。けど、もしも気が変わったのなら会いに来てくれ」
「……ねえ、どうしてシェリィは私をそこまで気に掛けるの?」
レイナの洞察力が見抜いたのは、シェリィの表情に秘められた違和感だった。
魔の大陸において見た彼女は、いい意味で切り替えの早い性格をした女。
それが今はどうだ。一緒には行けないと知るや否や、まるで残念そうな、哀しい眼をしている。
そこにはただ単に弟子入りを断られただけでは見せないであろう、真意が隠れているように感じられた。
「………………少し、な」
「教えてくれない? 何があなたをそうさせているのか」
「……遅かれ早かれアンタは知る……いや、知らなくちゃいけないことだ。長くなるけど、構えないか?」
「今更だよ。だから、聞かせて」
シェリィが話し始めたのは、遥か昔の出来事。
すでに過ぎ去ったが、それでも確かに実在した悲劇の話だった。
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7000年前、北の地域である国が生まれた。
その国は、当時急速に生息域を広げる人族に不満を持つ一族で構成され、『呪王』と呼ばれる男が王に君臨する、異質な国だった。
呪王は建国するや否や、即座に周辺の人族国家に侵攻を始めた。
数では遥かに劣るが、それでもあっという間に蹂躙してしまうほど、その国は強かった。
占領した人族国家を併合しつつ、その国はさらに侵攻範囲を広げていく。
そして次の標的になったのは、カリオステラという国家だった。
標的にされたと分かるや否や、国王は自殺。カリオステラは大混乱に陥った。
軍もまともに機能しなくなり、自滅に近い状況に追い込まれた。
抵抗しようと立ち上がった者たちもいたが、当時の人族は今ほど魔法も剣術も普及しておらず、せいぜい弾除けにしかならない戦力だった。
そんな中、残された議会で絞り出された対抗策は、近くの密林に住むとある種族に助けを求めることだった。
その種族は、アトリア族。
無口で沈黙な印象を受けるが、その実、極めて温厚で優しい種族柄で、喜んで協力すると言った。
数にすれば100にも満たない小さな増援だったが、戦力で言えば全くの別。
アトリア族は魔法の扱いに長けた種族であり、侵攻してくる勢力を圧倒的な実力で返り討ちにした。
こう書けば、カリオステラからすれば救世主以外の何者でもなかっただろう。
ところが混乱した国内では、知らぬ種族同士の戦争に自国が巻き込まれた形に見えたようで、あろうことか、アトリア族が侵略者だと決めつける国民まで現れたそうだ。
嵐が過ぎ去ったカリオステラ国内は、瞬く間にアトリア族を悪とする風潮になった。
挙句の果てには、彼らの住む密林に火を放つ者まで現れた。
心の平穏を失った人々は、何かに当たらないとやっていけないのかもしれない。
住処を追われたアトリア族は別の住処を求めて彷徨うも、数を減らしやがて絶滅したと言われる。
人族のように、まったく別の環境に即座に適応することは彼らにとっては難しかったのだ。
ちなみに、呪王を含むその侵略国家はその後、初代剣王の手で壊滅を迎えることになる。
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シェリィが話し終えた後、場には何とも重苦しい空気が流れていた。
「惨い話だね。せっかく手を貸してあげたのに、迫害して絶滅に追い込むなんてさ」
「何も知らぬ者からすれば、強い勢力の方が悪く見えるのかもな。
それとも、アトリア族のある特徴が、妙に印象に残ってしまったからなのかもしれない。もう言わなくても分かるだろ?」
「うん。アトリア族の特徴……それは、銀髪だね」
何故この話を他でもないレイナに聞かせたのか。
皆まで言わなくても、理解できてしまう。
レイナは絶滅したとされる種族の末裔だったのだ。
「今でこそ文献はあまり残ってないが、今もまだ北部の地域では銀髪の悪魔の話が風習として残ってる」
「なるほどね。学校で北部出身の奴らから恐れられたり、喧嘩を売られたりする理由がやっと分かったよ」
「……アタシとアンタじゃ一族の境遇は全く違う。それでも、同じ仲間が傍にいない孤独や虚しさはアタシも理解できる。だから、少しでも今の状況が辛いと思うなら、アタシと一緒に……」
「その心遣いには、本当に感謝してる。だけど、私は今まで孤独や虚しさを感じたことはないよ。
私には、いつも傍にいてくれる家族がいたから。だから、心配しなくても大丈夫」
「そう……か。よかったな」
レイナは心配させまいと、力強い笑顔で応えた。
それだけで十分と言わんばかりに、シェリィは小さな笑みを浮かべて踵を返した。
「今度こそお別れだ。元気でな、レイナ」
さらに小さくなるシェリィの背中を見つめたまま、レイナは手を振り続けた。
ずっと、ずっと、シェリィの姿が見えなくなる、その時まで。
「あ、殴るの忘れてた」
行き場のなくなった拳を収め、乱れた髪を整える。
「……寒」
田舎の肌寒い風で、ようやく全身濡れていることを思い出した。
何だかおかしくなって、レイナはひとりで笑う。
そしてシェリィとは真反対に、力強い足取りで歩き出した。




