第八十六話 顕現する恐怖
俺とレイナ、そしてジーク先輩、その3人でヴェロニカと対峙していた。
まさにその最中、突如として乱入してきたのは巨大な竜。
竜と言えば、冒険者ギルドでは危険度5に指定されている強力な魔物だ。
標高の高い山々を生息地とし、稀に地上にまで降りて甚大な被害を与えることもある。
超有名な五雄王が誕生することになったきっかけも、8000年程前の規格外の竜……神龍の出現だった。
そういった経緯もあり、竜の存在を知らない人間はこの世界には居ない。
地球育ちの俺ですら、当然知っている。
「で……でけぇ……」
当然知っているはずなんだけど……図鑑で見た個体よりも数倍は大きいような……。
あれか? 通常種よりも凶暴になりやすい亜種ってやつか?
それとも未踏の地に生息する、全く別の種だろうか。
毒々しい緑に彩られた鱗が、不気味に月光を反射している。
耳を澄まさなくても、ゴルル……と低く唸る声が聞こえてくる。
裂けた頬から流れ出ているあれは、唾液だろうか。
地面に触れた途端にジュワジュワ聞こえるのは……幻聴だと思いたい。
ヴェロニカにすら苦戦しているってのに、こんな竜を相手にできるわけがない。
今すぐ逃げに徹したいところだが、そうもさせてくれないだろう。
ただでさえ詰みに近い状況だってのに、勘弁してくれよ。
「エト、私の後ろにさがって」
竜の口から蒸気が漏れていることに気がついたレイナが、杖を構える。
仮に炎でも吐き出そうものなら、辺り一帯が焼き尽くされるだろう。
満身創痍のレイナでは、レジストするには荷が重い。
それに、竜の攻撃手段がひとつとは限らない。
例えば両腕の先端に付いた鉤爪とか、俺が偽アテナで防御しなくちゃならないだろう。
レイナ一人に任せるわけにはいかない。
とは言ったものの……やっぱりデカい……。
ちょっと鼻を鳴らしただけで、髪がなびく始末だ。
腕を振るっただけで、俺みたいな小さな存在は砂埃のようにバラバラになって吹き飛ぶだろうな。
そう考えただけで、足がすくむ。
グレインもヴェロニカも想像の及ばない化け物だが、姿形は人間と瓜二つだった。
ところが、竜はそもそも生物としての構造が俺達とかけ離れている。
そのせいもあってか、生物的な……本能的な恐怖をどうしても拭い切れない。
「……情けないな」
こんな状況になっても、レイナの背中に隠れてるなんて、ダサすぎる。
ここは、男としての意地を見せるところだろ。
「エト?」
「お前だけに任せるわけにはいかない。戦うなら、一緒だ」
レイナの横に立つ。
2人でいる時は、戦うのも、勝つのも、負けるのも、そして死ぬのも一緒だ。
彼女だけ先に行かせるわけにはいかない。
好戦的な俺とレイナの姿を見て、竜は興奮したように翼を震わせる。
何処からどう見ても、明らかに戦闘態勢に入ったな。
来るなら来い。
炎を吐こうが、鉤爪が来ようが受けて立ってやる。
身構える俺とレイナ、そんな2人の前に――――――――
「あら? 誰の許可を得てここにいるのかしら?」
ヴェロニカが立つ。
まるで、竜から俺達を守るような立ち位置に。
「随分と反抗的な態度ね。父上に躾けられたのは、もう一万年も前になるものね。
いいわ。忘れたと言うのなら、わたくしがもう一度その体に叩きこんであげる」
ヴェロニカから強烈な殺気が漏れ出す。
目には見えないが、それでも肌でじりじりと感じ取ることが出来る。
生け捕り目的であった俺には、決して向けることのなかったものだ。
ヴェロニカが俺達を庇っているような構図になっているのは、獲物を横取りされないためだろう。
そんなことは重々承知しているが、この機会を利用しない手はない。
竜とヴェロニカが交戦し始めたら、隙を見て逃げよう。
ただそうなると、問題なのはグレインの方だな。
「うがあぁ!!」
シェリィの水魔法で吹き飛ばされたグレインが、竜の鱗に激突する。
彼女の方を一瞥するタイミングをうかがっていたが、その必要はないようだ。
「クソ! さっきからちょこまかと! 正々堂々戦え!!」
「アンタの得意分野でわざわざ戦ってやる理由がないだろ」
ここでシェリィが合流する。
見たところ、大きな怪我はないようだし、逃げることも出来るだろう。
後はエリックの居場所の把握だな。
彼が動けるかどうかで、逃走する難易度が変わるんだが……。
「ねえ、シェリィ。エリックは何処にいるの?」
「居場所は把握してる。いざって時は、泡で運ぶから大丈夫だ」
シェリィの言う泡と言うのは、水の泡のことだろう。
俺も一回運ばれたことがあるから分かるが、かなり便利な移動手段だ。
それでも逃げている最中、ずっと維持するにはかなり労力を要するだろう。
「てっきり大陸の守り神かと思ってたけど、まさか参戦してくるなんて……」
「レイナは、あの竜に心当たりでもあるのか?」
「上陸する時、遠くから見ただけだよ。実際に戦ったわけじゃない」
竜が乱入して、すぐに抱いた違和感。
それは、レイナが驚くほど冷静だったことだ。
初見だったのなら、俺のように少しは狼狽えるはずだが、彼女にそんな様子はなかった。
もちろん驚いてはいたけど、それはきっと乱入してくるとは思っていなかったからだろう。
違和感の正体は、竜の姿を一度目にしていたからか。
「……シェリィ?」
全員が警戒を強める中、シェリィだけは違った。
あの竜を、好奇心旺盛の視線で捉えていたのだ。
「上陸の時は暗がりだったから、鱗の色までは把握できなかったけど……まさか緑だったのか……」
「ねえ、さっきからどうしたの?」
「アタシ達は今、伝説を目の当たりにしてるんだよ」
「……伝説? 何の話?」
いきなり伝説だとか言われても、理解できない。
確かにあの竜は、他の種とは違う異質さを感じるけどさ。
「伝説の三魔獣。古くから伝わる伝承さ」
「私……心当たりあるかも。半年くらい前、エトが本屋で買ってきた本に載ってたよ」
「……そうだっけ?」
半年前……本屋……と言えば、剣術の本を買った覚えがある。
後は……司書の老婆に勧められた本があったっけ?
そうだ、思い出したぞ。
本の名前は確か『伝説の魔物の正体!!』だったか。
今考えても、アホらしいタイトルだ。
結局は流し読みだけで、内容はもうほとんど覚えていない。
「あんな胡散臭い本を、いつの間に読破したのかよ」
「暇だったから。でも、別に内容自体はただの噂程度にしか捉えてないよ」
「まあ普通そうだよな」
頼みの綱のジーク先輩に視線を送る。
すると、彼は頷き返してくれた。
どうやら、同じらしい。
「その伝承はただの噂じゃない。伝説の三魔獣は実在する」
どうして存在すると断言できるのだろうか。
目の前にいる奴が本物という確証はないはずなのに。
「他の竜とは一線を画す硬度を誇る緑の鱗。獲物を冷徹に見つめる金の蛇眼。あらゆる結界をも砕く黒い鉤爪。目の前にいる竜こそが伝説の三魔獣の一体、邪竜ウロボロスだ」
「あら? よくご存知ね」
「今でも冒険者ギルドには、ソイツを探す組織も存在するくらいだ。
ま、アタシも一時期はソイツを探して世界を旅してた。
それがまさか、こんな辺鄙な大陸で懐柔されてるなんてな。どうりで見つからないわけだ」
冒険者ギルドには、様々な目的の冒険者たちが訪れる。
当然、その中で利害が一致した同士でパーティーを組む者たちが多数いる。
その目的は、単純に依頼を受けるためだけじゃない。
例えば、魔石の発掘だったり、未踏の洞窟の攻略だったり、特殊な目的であることも多い。
中でも、自主的に強力な魔物を討伐することを主とする冒険者のことを、魔物ハンターと呼ぶ。
シェリィもそれに該当するだろう。
「稀にそちらの大陸に出張るから、大衆に見られちゃったのかしら。放任主義の悪いところが出ちゃったわね」
まるで保護者面をしているヴェロニカ。
彼女を竜にぶつけようと考えていたんだけど、何だか戦う流れじゃないな。
肝心の竜の方も、空気を読んでいるのか一向に攻撃を仕掛けようとしない。
「それで……ようやく出会えたウロボロスをどうする気なのかしら? まさか、仕留めるなんて言わないわよね?」
「それも魅力的だけど……残念ながら今日はソイツが目的じゃないんだ」
「そう……安心したわ。この子はわたくしの可愛いペットだから、他人に痛めつけられるのは気に入らないのよね」
「姉上、話が長い!! さっさと続きと行こう!!」
「まあまあ、グレイン。そうは言っても、この子がここに降りてきた理由を聞かないと……」
普通なら、竜と会話が出来るはずがないが、ヴェロニカには可能なのだろうか。
見たところ、ただ鱗をさすっているようにしか見えないけど……。
「姉上、茶番はよしてくれ」
「お黙り。心を通して語り掛けてるのよ」
果たして本当に会話が出来るのだろうか。
ただ鱗を叩いてるようにしか見えないけど……。
「……今のうちに逃げるか?」
「アリだと思う。私とシェリィが同時に霧を発動すれば……」
「それは駄目だ。ヤツには風魔法がある以上、効果がない」
ジーク先輩の光魔法なら手はあるかもしれないが、肝心の彼はもう限界が近い。
そんな状態で無理をさせるわけにはいかないし、さてどうしたものか。
――――――――案ずるな――――――――
その時、心の底を撫でまわるような恐ろしい声が聞こえた。
決して不快な感じではなく、むしろ威厳を感じる語調に戸惑いを隠せない。
一度も聞いたことのないはずなのに、何故か妙にしっくりきてしまう。
「――――――――誰だッ!?」
辺りを見回すが、もちろん声の主は見当たらない。
だとすれば、この竜が喋ったのだろうか。
いいや、それはない。
何故だろう。そう確信してしまう。
「何か……嫌な予感がする……」
何時になく焦るレイナ。
その横顔には、まるで滝の様な汗が流れている。
本人は気づいていないが、その両足は小刻みに震えていた。
「レイナ!」
このままじゃいけないと考え、レイナの手を掴む。
そこでようやく気がついた。
俺の手も、まるで生まれたての小鹿のように震えていることに。
「な……なんだよ……これ……」
正体不明の恐怖。
その事実がまた、より深い恐怖を生み出していた。
「じ、ジーク先輩……」
俺よりも戦闘経験が豊富な彼であっても、同様だった。
今までに見たことがない表情を目の当たりにして、さらに恐怖がこみ上げる。
彼の存在感がここまで小さくなるなんて……。
呼吸するのが、やっとだ。
頭の中で脳みそが膨らむような感覚に襲われる。
全身に流れる血液の存在が、嫌でも強調されている。
「かは……」
まるで神経ガスのようだ。
逃げようにも、足が言うことを聞かない。
駄目だ……もう……。
「結界魔法『癒しの領域』」
足元に大きな魔法陣が現れ、俺達をまるっと囲い込む。
そして瞬く間に、柔らかい暖かさに全身が包まれて、気分がマシになっていく。
この魔法は……まさか、シェリィの仕業か。
「しっかり気を引き締めろ!」
「で、でも……何が何だか分からなくて……」
「この結界魔法には、不安や緊張を和らげる魔法が付与してある。つまり、アンタ等はただ単に重苦しい空気に精神をやられてるだけ。だから、弱気になるなって言ってるんだ」
重苦しい空気だって?
確かにあの正体不明の声が聞こえてから、空気が一変したのは覚えているが……。
ただそれだけで、ここまで息苦しくなるものだろうか。
「見てみろ。ようやく、ボスの登場だ」
シェリィの指差す先、そこには今まさに大きな口を開けようとする竜がいた。
まさか、炎を吐こうとしているんじゃないだろうか。
そんな心配は、杞憂に終わった。
「外の空気……随分と懐かしいな」
竜の口の中から姿を現したのは、巨人でもなく、未確認生命体でもなく、ただの青年だった。
否、青年とは言っても、その身に纏う雰囲気は外見には見合わないものだった。
ただ、そんな異質さは些細なこと。
全員が釘付けになったのは、青年の髪だった。
「…………黒髪」
そう、青年は黒髪だったのだ。
この世界で黒髪とは、不吉の象徴だ。
その原因は、紛れもなく呪子の存在だろう。
呪子とは、世界に稀に生まれる呪われた子のこと。
その者たちは一貫して黒髪という特徴を持ち、15歳になる前に原因不明の破壊衝動に駆られて命を落とす。
それがこの世界における、呪子の共通認識だ。
だがしかし、目の前にいる青年は若いとはいえ、15歳は超えているように思える。
無論、外見で判断するのは危険だとは承知しているが、それでも呪子という印象は受けない。
だとすれば考えられるのは――――――――
「……転生者か?」
俺と同じく、前の世界から肉体を維持したまま転生させられた者。
呪子じゃないのなら、考えられるのはこのパターンだ。
だとすれば、話が通じるかもしれない。
「父上! どうしてここに!?」
「何事かと思ったら、お父様の仕業でしたか……」
「高密度の魔力衝突を感じたから駆けつけてみれば……なんだ、姉弟喧嘩ではないのか」
「もうそんな年じゃありませんわ」
あの青年、ヴェロニカとグレインの父親か。
外見上では、むしろ青年の方が若く見えるけど……。
「あ、あの!!」
シェリィの結界魔法のおかげで、気分は幾分マシになった。
向こうに戦意があるようには思えないし、話すとしたら今しかない。
「……貴様、何者だ」
青年が鋭い視線を向けて来る。
その瞬間、全身に物凄い風が吹きつけて来るような感覚に襲われた。
魔力は基本的に目には見えないはずだが、青年のまわりには歪んだオーラのようなものが漂っているように見える。
それだけで、格が違うと嫌でも理解できた。
「グレインが連れてきた者たちですわ」
「つまり、向こうの大陸の人間というわけか……」
青年はうんざりしたように顔を押さえる。
俺達がどうしてこの場にいるのか、詳しくはまだ把握できていないようだ。
「あの! あなたも転生者なんですか!?」
「転生者……? 何の話だ?」
「え? だってその黒髪……」
「これは父上から受け継いだものだ。それ以外にあるわけがないだろう」
青年の父親から受け継いだもの?
つまり、遺伝と言うことか?
とすると、青年の父、つまりヴェロニカとグレインの祖父が転生者ということだろうか。
「父上、おそらく例の呪子と勘違いをしているのではないか?」
「……呪子か、久しぶりに聞いたな」
どうやら、青年にも呪子という単語に聞き覚えがあるらしい。
しかし、俺が聞きたいのは転生者についてなのだが、この反応からして何も知らないようだ。
くそ、俺の思い違いだったか。
「初めまして。アタシの名はシェリィ。アンタが『魔王』で間違いないか?」
「いかにも。我こそが魔王だ」
「魔王……? まさか、あの青年が……?」
魔の大陸の頂点に君臨する者こそ、魔王だ。
なるほど、どうりで圧倒的な迫力があるわけだ。
「ようやく会えたわけだ。わざわざこんな大陸にまで足を運んだ甲斐があった」
「ふむ、臆さず我と言葉を交わすか」
「お父様、見た目は幼くとも、奴は五雄王の一人、『水王』の称号を授かりし実力者。決して油断なさらぬよう」
ここで明らかになった衝撃の事実。
シェリィは五雄王の一人、『水王』だったのだ。
ただ正直な話、そんな気がしていた。
だって考えてみてほしい。
あの名門であるサンダルト魔法学校において、レイナは水魔法の使い手の中では学年1、2を争うほどの実力者だ。
そのレイナを軽く上回る水魔法の使い手なんて、普通に考えたら『水王』くらいだ。
それに加えて、俺達はすでに『光王』に会っていることもあり、五雄王がそう遠くない存在だと理解していることも関係しているだろう。
「五雄王だと? ああ、レグルスの弟子の……」
突然、魔王の雰囲気が変わった。
殺気とは違うが、それでも辺り構わず捻り潰しそうな怒気を感じる。
それほどに、『五雄王』という単語が地雷だったらしい。
「ふっふっふ……もう8000年も前になるのか。だが、ついこの前の事のように思い出せる。奴のせいで我はこの体になったんだからな」
やっぱり、青年のような外見には訳があったか。
言い方的には、そのレグルスって奴が原因のようだが……。
それに、8000年前ってことは神龍討伐の時期と被っているけど、何か関係があるのだろうか。
「ふむ、確かに見たところ、貴様が一番マシだな」
「父上! 雑談は程々にしてくれ!! 俺達は今、こいつ等と戦闘中なんだ!!」
グレインが大剣を構える。
どうやら、まだまだやる気満々のようだ。
「グレイン、こっちに来い」
「ん? 何用だ、父上!?」
魔王がグレインを手招きする。
意図は不明だが、グレインは考えることなく行動に移す。
そして、目の前にまで近づいて来た彼を前に――――――――
「何を――――――――ぐげぇッ!!」
まるで服に付いた埃を払うかの如く、魔王が右手を軽く振るう。
たったそれだけで、グレインの体がバラバラになり、吹き飛んだ。
それだけじゃない、彼の後方の建物も遥か彼方へと飛んで行く。
赤子と遊ぶかのような仕草から繰り出されたのは、天災と見間違えるほどの威力を誇る風魔法だった。
「ぐ……」
風圧に堪えるのに必死で、建物の崩落にまで頭が回らなかった。
ただ幸いなことに、瓦礫が落ちてくることはなかった。
もしかしたら、魔王がそう調節したのかもしれない。
「はは……規格外だな。これが『魔王』か」
目の前の出来事に、流石のシェリィも苦笑いを浮かべる。
ジーク先輩とレイナに関しては、もはや唖然としているな。
俺はと言うと、今にも腰が抜けそうだ。
「父上! いきなり酷いぞ!!」
体を吹き飛ばされ、首から上だけになったグレインが怒鳴る。
まさかとは思ったけど、やっぱりこいつも完全な不死身か。
血が繋がっているかは不明だが、魔王の息子ならそれくらいは普通なんだろうな。
もう驚くのも疲れた。
「時期が来るまでは、向こうの大陸には手を出すなと昔、言ったはずだ」
「そ、それは謝る! けど、俺だって父上を思って実験体を……」
「今度は頭がいいか? それとも、数十年封印してもいい」
「分かった! もうしないって!!」
行き過ぎたやり取りだが、こう見ると親子って感じだな。
ただそんなことに、俺達を巻き込まないでほしいけど。
「お父様。わたくしは当然、関与していませんわよ」
「分かっている。お前は一族の中でも群を抜いて賢いからな。その点は信用している」
「あら、嬉しい」
ヴェロニカは地面に転がるグレインの生首を掴んで持ち上げる。
すると、生首の切断面から黒い蒸気と共に、ニョキニョキと肉が溢れ出した。
ホラー映画もビックリの演出が数秒続き、やがてグレインは肉体を取り戻した。
「姉上、さっきよりも寒いぞ」
「当たり前じゃない。服までは再生しないのよ?」
「なるほど。確かにそうだな!」
確かにグレインの体は再生した。
それも、ものすごい速さでだ。
だがしかし、彼の威厳までは再生されなかったようだな。
さっきまで死闘をしていた相手の裸なんて、誰が見たいんだろうか。
こっちには絶賛思春期のレイナに、まだ子供のシェリィがいるんだぞ。
誰かそいつに布でもあげてくれよ。
「お父様、どうされました?」
「まったく不便な体だ。いつもの調子で魔法を行使すれば、肉体の方がもたない」
先程の魔法が影響したのか、魔王の右手がボロボロと崩れ落ちた。
その傷はすぐに再生することはなく、まるで肉体が朽ちているかのようだ。
「肉体が復活してから、まだ500年程しか経過していないですもの。
万全になるまでは、少なくとも後400年は先ですわ」
「それまでは出力を調節しなくてはな」
どうやら魔王の肉体は万全じゃないようだ。
話の流れから察するに、レグルスという人物にやられたのだろう。
それが8000年前で、復活したのが500年前。
つまり、7500年もの間、肉体を失っていたということになる。
驚異的な再生能力を持つであろう魔王が、何故それほどまでに復活に時間を要したのか。
封印魔法か、それとも未知の魔法によるものなのか。
今となっては分からない。何せ、もう大昔の話だからな。
「時にシェリィとやら、貴様は我に何の用だ?」
シェリィの反応からして、目的は魔王に会うことだったのだろう。
まさかとは思うが、手合わせとかじゃないよな?
そんな戦闘狂には見えないけど、他に魔王に会う目的なんてあるだろうか。
「出来ればお近づきになりたかったけど、どうも歓迎されてないみたいだ」
「生憎、この有様だからな。今はそちらの大陸の者と関わりを持つつもりはない」
「今は……ね」
シェリィはそれ以上、食い下がろうとはせず、あっさり引いた。
良かった。変に刺激せずに済んだ。
『今は』って言い方が気になるが、肉体が万全になるまで400年もあるなら、俺が心配するだけ無駄だ。
「他に用がないのなら、ヴェロニカ、この者たちを送れ」
「あら? 素直に帰してよろしいの?」
「グレインが攫ってきたのなら、こちらに非があるだろう」
「うふふ……分かりましたわ。それでは皆さん、わたくしの後に続いてください」
ヴェロニカの人差し指から、小さな火が灯る。
案内人のつもりだろうか。
「私達……助かったってことでいいんだよね?」
「どうやら、そうみたいだな」
一時はどうなるかと思ったが、事態はうまく好転したようだ。
何かひとつでも噛み合わなかったら、今頃、地べたに這いずり回っていたかもしれないと考えると、鳥肌が止まらない。
「まるで歴史の書物の世界に迷い込んだ気分だ」
ジーク先輩は憔悴し切っており、話すのもやっとな感じだ。
足元も覚束ない彼の肩を持ち、ヴェロニカに付いて行く。
「あ、エリックを起こさなきゃ」
こんなところに置いてけぼりにするなんて、地獄に落とすくらい残酷なことだろう。
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ヴェロニカに連れられて、着いたのは海岸だった。
「あ! あれ! 行きの船だ!」
レイナが指差す先には、木造の小さな船があった。
どうやら、あれに乗って海を渡ったようだ。
「う~ん。どうしてこんな状況になったんだ? 俺達、殺し合いしてたよな?」
「うふふ……まあ、色々ありましたのよ」
さっき起きたばかりのエリックは、未だに状況を飲み込めていない様子だった。
魔王が襲来したことも知らない彼からしたら、事態が急転しすぎてて戸惑うのも無理はない。
一応、成り行きだけは後で伝えるとしよう。
「ねえ、あなた。少しお話でもどうかしら?」
「……俺? 一体何の用だよ?」
「あなたの名前は確か……エト君だったかしら。提案があるのよ」
どうも奇襲を仕掛けてくる感じではない。
純粋に話をしたいようだ。
心配そうに見つめてくるレイナを先に行かせ、応じることにした。
「ねえ、エト。わたくし達のもとに来ないかしら?」
「……は? 正気なのか?」
「ええ、わたくしは本気よ。それに、この提案はあなたの為でもあるわ」
戦闘を禁じられたから、今度は話し合いで俺を取り込もうって魂胆か。
ふざけやがって、何が俺の為だ。
お前が一体どれほどの命を奪ったと思ってる。
今更、信用なんて出来るわけがないだろ。
「前に言ったわよね? 血には、その者の情報が詰まっているって。
血を操るわたくしにとって、血の味から肉体の情報を解読することは造作もないことなの。
だから、あなたの体にこれから起こることが、わたくしには分かる」
「これから……起こることだって?」
「あなたも心当たりがあるはずよ。今ならあなたを家族として迎え入れることも不可能ではないわ。わたくしが、皆を納得させる」
「俺の家族は……アルムガルト家だけだ」
これ以上、耳を傾ける必要はないと判断し、話を切り上げる。
背後でヴェロニカが残念と呟くのが聞こえたが、振り返ることはない。
「お~い、エト! もう出港するぞ!!」
「ああ、今行く!」
ふと、左手首を見る。
そこにはヴェロニカに付けられた切り傷があるはずだが、今はもうどこにも見当たらない。
心当たりは俺にもあるさ。
戦闘中にも、違和感はずっとあった。
だけど、気にしないように自分に言い聞かせていた。
「どうしたの? せっかく生きて帰れるのに、そんな落ち込んで……」
「……いや、何でもないよ」
隣に座るレイナが心配そうに見つめて来る。
だけど、俺は空元気で応えてみせた。
「帰りの船は狭いな!」
エリックの能天気な声が響き渡る。
海上には、不気味なほど美しい満月が浮かんでいる。
深淵を纏う悪魔の大陸を背に、船は進む。




