第七十一話 埋葬
テサーナ王国から帰還し、レイナと別れた後、俺はその足でサンダルト城まで向かった。
今日残った時間でやっておくべきことがあったからだ。
別に緊急を要するってわけじゃないが、早い方がいい。
「忙しい中、時間を割いてもらってありがとうございます」
「構わないさ。そもそも、僕が受け取りに来いと言ったんだからな」
クリスに連れられ、サンダルト城内を進む。
わざわざここに寄った目的は、預かってもらっていた剣を受け取るためだ。
「テサーナ王国でのこと、ディオンテから聞いたよ。まさか、そんな展開になったとはな……」
「俺自身、驚いてますよ。でも、あれはレイナにしかできないことだったんだと思います」
「確かに、彼女の大胆さでなければ不可能だろうな」
特に面白味なんてない会話だったのに、クリスは小さく笑った。
てっきり、クリスが笑うなんてよっぽどのこと以外ありえないと考えていたんだが……。
「僕はもともと君達に微塵も興味なんてなかったはずなんだが、今では君達の行動にすんなりと納得できてしまうよ……」
出会ったばかりの頃のクリスは、凄く嫌なやつだった。
敵対心を隠そうともしないし、不愛想な態度ばっかりとっていた。
それでも関係を続けていたのは、ララ様が俺達に興味を示したからだ。
それが今では、かなり打ち解けたんじゃないだろうか。
少なくとも、こうして話していても以前のような気まずさは感じない。
「だが、くれぐれもララ様の顔に泥を塗る行為は控えてくれよ」
「……言い聞かせておきます」
そんな何気ない会話を続けつつ、着いたのは知らない部屋だった。
「ここは……?」
「僕の部屋だ。おかしなものは置いていないから安心してくれ」
「はあ……」
まあ、これだけ広い王城内に個人の部屋くらいあっても不思議じゃないか。
それにしても、クリスの部屋なんてイメージが湧かないな。
小綺麗なのか……はたまた、オタク系の個性豊かな部屋なのか……。
「失礼します」
クリスの部屋は意外にも、何かの実験器具で散らかっていた。
それに、見たこともない薬草らしきものまである。
もしかして、ここで怪しげな薬でも開発しているのだろうか。
「まさか、毒ガス兵器!?」
「……魔法薬の研究だ」
ああ、そういえば親衛騎士団には副業が存在するってディオンテさんが話してたっけ。
それに、よく見れば染魔薬や回復薬などの見覚えのある魔法薬もあるな。
「ほら、これだろう?」
「そうです。ありがとうございます」
白と緑で彩色された異質な剣。
相変わらず、一度目にすればもう忘れることはないであろう奇抜なデザインだ。
俺みたいな素人が持つのは気が引けるが、遠目からでも自分のだとわかるのはメリットかもしれないな。
「これは助言だが……敵から武器を受け取るなんてハッキリ言って論外だ。もしも罠だったらどうするつもりだったんだ」
「……おっしゃる通りです」
「幸い、今回はそういった類のものは仕掛けられていなかった。次回からは気を付けてくれ」
「わかりました」
アテナを受け取った際、もしも毒でも塗られていたら大変な事態になっていたかもしれない。
あの時は状況が状況だったこともあり、そこまでは考えがまわらなかった。
「あの、ひとつ聞きたいことがあります」
「ん? 何だ?」
「神器って聞いたことありますか?」
「もちろん、剣士なら誰もが一度は耳にしたことぐらいあるはずだ。それがどうかしたのか?」
どうやらヴォルクの言っていたことは適当じゃなかったようだ。
まあ魔法のある世界なら、何かしら特別な武具くらいは存在してもおかしくはないか。
だがしかし、肝心なのはこのアテナが本物なのかどうかだ。
「この剣、アテナって言うらしいんですけど、ご存知ですか?」
「アテナだって? 知らないわけがない。君は神器についてどこまで知っている?」
「恥ずかしい話、全くです」
だって、この世界に来てまだそんなに時間は経ってないんだもん。
そんな知ってて当たり前の常識みたいな感じで話さないでほしいよ。
「君の場合、知らなくても無理はない。
神器というのは、大昔にデュークという武器職人が創り出した武具のことだ。
その中でも、アテナは彼の最高傑作と呼ばれる剣で、あの初代剣王の愛剣だった」
「え!? じゃあ、めちゃくちゃ凄い剣じゃないですか!?」
「その通りだが、初代剣王の死後、アテナは他の神器と同様に表舞台から姿を消した」
「じゃあ、もしかしたらこの剣が本物っていう可能性も――――――――」
淡い期待を打ち壊すかのように、クリスは卓上にある分厚い本を掴んで投げ上げた。
そして同時にアテナを構えて、鞘から振り抜く。
アテナの剣身が大冊を正確に捉えたが、斬り裂くことはなく、ただ壁際まで殴り飛ばしただけだった。
「あれ? 切れてない……」
「これで理解できただろう?」
両断どころか、切れ目すら入れられていない。
最高傑作と謳われているにしては、あるまじき切れ味だ。
残念ながら、偽物……レプリカのようだな。
「もっと切れ味のいいものを購入した方がいい」
ヴォルクはこの剣に嫌われているだとか言っていたが、結局はただのナマクラだったというオチか。
最強になるとか豪語していた彼が、ちょっと哀れに感じてしまう。
まあそれは、ちょっとだけ期待していた俺も同じか。
『誰がナマクラだって?』
あれ? 今誰かの声が聞こえたような……。
おかしい、この場には俺とクリスの2人しかいないはずだ。
「どうかしたのか?」
「いえ……」
どうやら、クリスには聞こえていないらしい。
だとしたら、きっと聞き間違いか何かだろう。
剣が喋るなんてことはないだろうし。
「まさか……だよな…………」
魔法が存在する以上、有り得ないと脳死で決めつけることができない。
でもまあ、今回は本当に何でもないだろう。
「明日、またテサーナ王国へ出向くのだろう?」
「はい、家族全員で向かう予定です」
「護衛はいらないのか?」
「それは……大丈夫です。敵意はないと判断できましたから」
「そうか。だが、用心はしておけ」
「わかりました」
今日のところは、目的達成だ。
疲れたし、このまま真っ直ぐ屋敷へ帰ることにしよう。
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次の日。
空は雲一つない快晴、どこか懐かしい風が吹く中、
ルビアさんとリダを連れて再びテサーナ王国を訪れた。
「あの王城、あそこに父さんがいる」
昨日とは違い、護衛は一人もいない。
それはカインさんを静かに見送りたいという、家族の意向によるものだった。
「本日はご足労いただき、ありがとうございます。陛下のもとまで私がご案内いたします」
使用人の案内のもと、王城内を進んでいく。
昨日と同じ道を通っているから十中八九、目的地はあの部屋だろう。
「陛下、連れて参りました」
「通してくれ」
返事を受け、扉が開かれる。
最初に目に入ったのは、起立したままこちらを見つめるエルダルドだった。
お互いに目が合うと同時に――――――――
「この度は、本当に申し訳ございませんでしたッ!!」
開口一番、エルダルドは謝罪をしてきた。
ああ、この光景、昨日見たまんまだな。
「此度の事態は、全て私の力不足が招いたことで――――――――」
「あなたがエルダルドさんですか?」
「え? あ、はい、私がエルダルド・ランベルクですが……」
怒涛の謝罪を塞き止められ、エルダルドは狼狽える。
ルビアさんは怒っているわけでもなく、戸惑っているわけでもなかった。
至って冷静で、いつもの彼女そのものだ。
「主人からあなたのことは聞いていました。こうしてお会いすることは初めてですね」
「カインさんが……私のことを?」
「ええ、とても聡明で温厚なお方だと」
「そんなことは……」
エルダルドは照れているような困惑しているような、複雑な表情をしている。
まあ尊敬している人の夫人を前にすれば、こうなるのは必然なのだろう。
それとも、想定とは違う対応に虚を突かれたのか。
「あなたが責任を感じる必要はありませんよ。こうなることは、主人も覚悟していましたから」
「それでも、夫人は……」
「当然、私も覚悟は済ませていました。それに、気掛かりだった子供達もこうして無事です。
全てを水に流すわけではありません。大事なのはこれからですから」
如何にずっと前から覚悟を済ませていたとしても、レイナとリダまで死ぬのは避けたかったはずだ。
結果としては皆無事だったが、もしも1人でも欠けていたら、ルビアさんの対応も今とは違っていたのだろうか。
いや、過ぎ去った仮定の話は考えるだけ無駄だな。
「僕は……父さんがいなくなって、凄く悲しい。今でも、ずっと悲しい」
ルビアさんの陰に隠れていたリダが、勇気を出して一歩踏み出した。
若々しくも力強い視線を、エルダルドは正面から受け止める。
「だけど、あなたが悪い人じゃないことはわかるんだ。だから、僕はどうしたらいいのか、わからない……」
リダはまだ若い。
だから、父親を亡くした怒りを誰にぶつければいいのかわからないのだろう。
レイナみたいに割り切るには、まだ幼過ぎるのだ。
「ねえ、リダ。父さんを殺されたこと、許せない?」
「ごめん。母さんやレイナ姉のように、うまく割り切れない」
「別に無理に自分を納得させようとしなくていい。私は、誰かを恨むことが悪いとは思わないよ。
ただ重要なのは、その恨みを向ける相手を誤らないことだと思う」
レイナは腰を屈めて、リダと同じ目線で語りかける。
その姿は、まさしく姉そのものだった。
「リダ、お前は賢いから理解できるでしょ?」
「うん。わかったよ」
「よし、偉い」
レイナは最後に、リダの頭をポンと軽く叩いた。
そして、もう大丈夫と言わんばかりに、こちらへと視線を送ってきた。
「さ、挨拶も済んだことだし、そろそろ父さんに会わせて」
「わかった。少し待っていてくれ」
エルダルドは席を立ち、少しの間だけ部屋を留守にした。
そして戻ってきた時、その両手には大きな骨壺が抱えられていた。
「父さん!」
久しぶりとなる再会に、俺達はすぐそばまで駆け寄った。
ルビアさんが受け取り、そして全員で囲う。
そこには、喜びも悲しみもあった。
いくら魔法があるとはいえ、朽ちるものは朽ちる。
最後にカインさんの顔を拝むことができると期待する自分がいたが、そう都合のいい話ではない。
だけど、何も遺らないよりはマシだ。
「カインさんならば、王族の眠る墓地に埋葬することもできますが……」
「お気遣いありがとうございます。ですが、主人が本当に好きだった場所に埋葬してあげます」
「そうですか。確かに、そちらの方が喜ぶかもしれませんね」
「今日はお会いできてよかったです。様々なご配慮、感謝いたします」
積もる話はたくさんあるけれど、ここからは家族水入らずで話したい。
それに、この場でこれ以上、時間を浪費することはできない。
日が落ちる前に埋葬してあげなくちゃいけないから。
「これから先、この国は私が治めます。
まだまだアルムガルト王のようにうまくはいかないでしょうが、必ずやカインさんに誇れる国を取り戻してみせます」
「そうですか。それでは、主人の育ったこの国をよろしくお願いいたします」
最後にエルダルドはレイナと交わした約束を宣言し、改めて決意の固さを示してくれた。
これなら、彼に期待してもいいだろう。
心の底から、そう思えた。
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首都テリラスから距離を置いて、ここはミシバ村の外れ。
少し物寂しいが、その分だけ自然の優しさが香って来る。
そう、ここはアルムガルト家があった場所だ。
ドルズ・ランベルクの手によって、すでに家は跡形もなく消え去っていたが、思い出までは消え去らない。
「懐かしいな。あそこで鬼ごっこしたっけ」
「あ、あそこって私の誕生日の夜に、エトが泣いてたところじゃない?」
カインさんを埋葬するため、家族みんなで土を掘り返す。
あれからかなり時間が経過し、辺りは夕日の赤に照らされていた。
「はは、思い出まで掘り返してる気分だな」
「そろそろいいんじゃない?」
家族4人で掘ったとはいえ、穴はそこまで大きいものじゃない。
だけど、骨壺を収めるには十分だろう。
「よし、いい感じ」
土を戻す前、最後の別れを告げる時間だ。
最初に口を開いたのは妻であるルビアさんだった。
「まず最初に、こんな私を妻に迎えてくれてありがとう。
結婚したあの日から今まで、長いようで短かったけれど、間違いなく幸せだった。
子供たちはもう十分立派だけど、ちゃんと最後まで私が見守るから安心して」
今まで俺達の前では気丈に振舞っていたルビアさんだったが、最後の瞬間に一筋の涙を流した。
カインさんとは一番付き合いが長かったんだ。
俺とは比べ物にならないほどの思い出があるのだろう。
「お爺ちゃんが国王だったこと、私に最後まで黙ってたよね。
正直に話してほしかったけど、今なら父さんの気持ちも理解できる。
だからね、私は自分の思うがままに、自由に生きてみせるよ」
レイナは最後にさようならと告げて、別れを済ませた。
「父さん、安心してね! 家族は僕が守ってみせるから!
今はまだレイナ姉の足元にも及ばないけど、絶対に強くなってみせるから!!
だから、空から僕達を見守っててね」
リダは事前に書いておいたであろう手紙を添えて、涙を拭った。
「俺がこの世界で死にかけてた時に、手を差し伸べてくれてありがとうございます。
家族に迎えてくれて、本当に嬉しかったです」
言いたいことは、まだまだたくさんある。
だけど、それよりも一番伝えなくちゃいけないことがあった。
「父親のいなかった俺に、優しく寄り添ってくれた。
カインさんは紛れもなく、俺にとって父親のような存在でした」
生まれてから、父親というものがどんな存在なのか分からなかった。
漫画やアニメでは当たり前のように出てくるが、それでもやっぱり実感が湧かなかった。
だけど、カインさんと出会えたおかげで、父親というのがどういう存在なのか理解できた。
もしかしたら、それが他の人の考える父親とは違うのかもしれない。
それでも、やっぱりカインさんは俺にとって父親だった。
「この先、一生あなたのことは忘れません」
最後に小さな花を添えて、別れを告げた。
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土を戻し、墓標を立てて、埋葬は完了した。
その間、皆が思い浮かべたカインさんとの思い出はバラバラだったかもしれない。
だけど、最後の最後に発した言葉は、家族みんなが一致した。
おやすみなさい
ただ一言。
されど、重々しくて名残惜しい一言だった。
それでも、生きている者は先へと進まなくてはならない。
それが、せめてもの死者への手向けなのかもしれない。




