第六十九話 目覚めと別れ
俺はどうなったんだろう。
確か……逃げる際に矢が胸に突き刺さって……もしかして俺、死んだ?
しかし、こうして思考することも、呼吸をすることもできる。
もしかしたら、ここは天国なのだろうか。
いや、人を殺した俺は地獄行きか。
……そもそもの話、そんなところに酸素なんてあるのか?
目を開ければ、きっと全ての真相が分かる。
だけど、俺にとってそれはかなり勇気がいる行動だ。
一度死んだことのある俺は知っている。
死んだ生物の行く末は天国でも地獄でもなく、新しい世界なのだ。
新しい世界で、新しい生物として生まれ変わる。
つまり、俗にいう輪廻転生ってやつだ。
目を開けて、そこが未知の世界だったら俺は……きっと耐えられないだろう。
やっと家族を助け出し、残された時間でやりたいことが見つかったっていうのに。
くそ、未練があり過ぎる。
だけどまあ、俺が居なくなってもレイナ達ならうまくやっていくだろう。
さて、そろそろ目を開けよう。
例えそこが知らない場所だったとしても、受け入れてみせる。
すぐには無理だろうが、それでも……。
あれ? そう言えば俺、記憶残ってるな。
「これが……知らない天井ってやつか……」
目を開けて最初に映ったのは、綺麗な白い天井。
どうやら俺は横になっているみたいだ。
このふかふか具合からして、ベッドか?
「ここは一体どこなんだ」
恐る恐る体を起こしてみる。
すると、他にもベッドが設置されているのが見えた。
ああ、ここ診療所だ。
負傷者は俺以外にはいないようだが。
「……エト?」
ベッドの横から聞き慣れた声がする。
ふと目を向けると、そこには目にクマをつくったレイナの姿があった。
「お前が付添人か。その様子じゃ、長いこと――――――――うぉ!!」
「よかった!! 本当に、よかったよ!!」
いきなり抱き着いてきやがった。
俺が負傷者だってこと完全に忘れてるだろ、これ。
それに、俺の胸になんていうか……柔らかい感触が走って――――――――
「お、おい! 止めろって! その……当たってるから!!」
「え? 何が?」
「……いや、何でもない」
ひとまず、レイナには離れてもらう。
そしたら、そうだな……まずは何から聞こうか。
「家族は……皆は無事なんだよな?」
「うん、全員元気だよ。母さんとリダは、エトを看病するってうるさいから説得大変だったよ。
今はあの2人、疲れて屋敷で寝てる」
「そっか。あんな薄暗い地下じゃ、満足に寝られるわけないもんな」
家族が無事。
それさえ分かれば、安心できる。
「俺は何日の間、寝ていたんだ?」
「2日間だよ。あと少し治療が間に合わなかったら、手遅れだったってさ」
「どう考えても手遅れだったけど……。一体誰が治療してくれたんだ?」
レイナの回復魔法も、回復薬すらも効いていなかったはずだ。
それほどの怪我を治せるとすれば、それは上級回復魔法しか考えられない。
当時の現場に、そんな高度な魔法を使える人間はいなかった。
「それは――――――――」
「私ですよ」
俺とレイナしかいないはずの部屋に、透き通った美声が響く。
こちらもまた聞き慣れた声だ。
普通ならこの距離で聞くことすらおこがましい声。
「そうだったんですか。それじゃあ、ララ様は命の恩人ですね」
「そんな大層なことをした覚えはありませんよ。ただ、友達を助けただけですから」
「それでもです。ありがとうございます」
ララ様なら上級回復魔法も使えておかしくない。
あの現場にたまたま居合わせてくれるなんて、とんだ幸運だ。
「ああしたことにならないようにクリスを同伴させたのですがね……。
万が一に備えて、あなた達を見ていて正解でした」
……ん? 見ていただって?
どういうことだろう。何か、比喩的な表現だろうか。
「エト、すまない。ララ様の言う通り、僕は君を守らなくちゃいけないはずだったんだ」
「クリスさんは俺の頼みを聞いてくれただけです。むしろ、感謝しています」
リダを守るよう頼んだ時、クリスが迷うような表情を浮かべたことに俺は気づいていた。
きっと、ララ様から何かしらの任務を受けていたのだろうと察した。
それでも、俺の頼みを優先してくれた彼には感謝してもし切れない。
「さて、私がここに来たのはお見舞いのためだけではありません。
エト達に伝えなくてはならないことがあるからです」
「伝えなくてはならないこと……ですか」
「我々があなた達の家族の居場所を特定した日より2週間ほど前、ある人物から情報提供がありました」
ある人物だって?
少なくとも、俺達と奴隷組合の間にある因縁を知っているってことになるが……思い当たる人物はいないな。
「提供された情報は、奴隷組合の移動経路、そして目的地についてでした」
「目的地ってことは……」
「ロザン神聖国、ベルリオのことです」
今だからわかるが、その情報は正確だ。
つまり、情報提供者は奴隷組合ではなく俺達側の人間。
ますます誰なのか見当がつかなくなった。
「その情報をすぐに俺達に伝えなかったのは、情報提供者に問題があったからですか?」
その情報の真偽に関わらず、情報の提供があった事実を俺達に伝えてくれてもよかったはずだ。
そうすれば、皆で考えて結論を出すこともできた。
それなのに俺達に伝えなかったのは、その情報が考えるまでもなく嘘だと判断したからということになる。
「その通りです。情報提供者の名はエルダルド・ランベルク」
「ランベルクって……まさか、あの……」
その姓は、忘れもしない。
カインさんを殺したあの憎き男、ドルズ・ランベルクと同じだ。
「エルダルドは、テサーナ王国前国王であるドルズ・ランベルクの実の息子です。
父であるドルズが死に、今は彼がテサーナ王国を治めていると耳にしました」
父を殺された恨みから俺達にデマを流そうとするのは理解できる。
だけど、まさか正確な情報を渡してくるとはな。
そのエルダルドとかいう男の真意が読めない。
「もちろん、提供された情報は信憑性に欠けるため流していたのですが……、昨日になりまた手紙が送られてきたのです。その用件は、アルムガルトの者と直接会って謝罪したいというものでした」
「なんですか、そのふざけた用件。自分の父親を殺したエトを誘い出すための罠ですよ」
「テサーナ王国に戻るも戻らないも、あなた達の自由です。私はただ、このことを伝えに来ただけですから」
レイナは罠だと断言し、相手にするつもりはないようだ。
普通に考えれば、そういう対応になるだろう。
だけど、よくよく考えてみると今までのエルダルドの行動には引っ掛かるものがある。
ラー王国に連れて来られた日、ララ様は王殺しの下手人である俺達を拘束しないと言っていた。
その理由は、テサーナ王国が下手人に対する処罰をしないと各国に通告をしていたからだ。
もしもその決断を下したのがエルダルドなのだとしたら――――――――
「なあ、レイナ。昔、カルスが言ってた噂のこと憶えてるか? ほら、ドルズ・ランベルクについての」
「……憶えてないや」
「その噂によると、ドルズ・ランベルクは王位を継承するために実の息子も利用したらしい。
もしかしたらの話だが……エルダルドも被害者なんじゃないか?」
「だから、同じ被害者である私達に父親に代わって直接謝罪したいってこと? なにそれ」
「可能性の話だってば」
奴隷組合についての正確な情報の提供。
王殺しの罪を不問とする決断。
噂の真偽はともかく、この2つは実際にあったことだ。
「もしも罠だったら、今度こそ私達の命はないんだよ?」
「わかってる。だけど、テサーナ王国にはカインさんの遺体があるんだ。
これは俺の我儘な願望なんだが、カインさんをそのままにはしたくないんだ」
少なくとも、ドルズ・ランベルクが死んだあの時にはまだ遺体は残っていた。
エルダルドが俺の推測する人間なら、きっと遺体を雑に処分したりはしないはずだ。
「父さんを弔ってあげたい、その気持ちは私も一緒だけど……」
「もしも迷っている理由が騙し討ちを警戒してというのなら、こういうのはどうでしょう?
あなた達は我が国の要人としてテサーナ王国国王と対談する。
こういう形なら、堂々と護衛を連れていけますよ」
テサーナ王国に戻るのを躊躇うレイナに対して、ララ様は精一杯の解決策を提示する。
もしも要人としてやって来た俺達がテサーナ王国で殺されれば、国際問題に発展するだろう。
その先に待っているのは、国同士の戦争だ。
それほどのリスクを負ってまで騙し討ちをする可能性は低いだろう。
「それは大変ありがたい提案なのですが、俺達にはおこがましいというか……」
「あら、そうですか? しかしながら、私の友人であるあなた達は要人となんら変わりませんよ?」
「……最初から護衛をつけるおつもりだったんですか?」
「もちろんですよ。何処の誰にも私の友人を傷つけさせるわけにはいきませんからね」
安全を確保できると踏んだから、俺達にこの話を持ってきたのだろう。
まったく、ララ様には全てお見通しというわけか。
「それならレイナはどう?」
「……わかった。だけど、母さんやリダは連れて行かないよ」
「ああ、その2人を連れて行くのは信用できる相手だと判断してからだ」
ひとまず、テサーナ王国を訪ねるのは決定か。
これでカインさんの遺体を回収できる。
「とりあえず、私の用はこれで終わりです。お大事になさってくださいね」
「あ、えっと、傷はもう治っていると思うんですけど……まだ安静にしておいた方がいいですか?」
「何かしら後遺症が残っていないのなら、いつここを出ても大丈夫ですよ」
ララ様には家族を救い出すにあたり、たくさん助けられた。
他にも、クリスやカルスを始めとする皆にもだ。
受けた恩には釣り合わないが、せめて直接感謝の言葉を伝えるのが礼儀だろう。
「家族の救出に力を貸していただいて、本当にありがとうございました」
ベッドの上とはいえ、可能な限り頭を下げた。
そして、溢れんばかりの感謝を言葉に込めて贈る。
「またお話しできる機会を楽しみにしていますよ」
「君の剣は僕が預かっている。余裕ができたら受け取りに来てくれ」
最後にそう言い残して、ララ様とクリスは行ってしまった。
俺は2人の姿が消えるまで、その背中をずっと見届けた。
「あ、私は皆にエトが起きたこと伝えてくるね」
「わかった。あと、付き添いありがとうな」
「ひとつ貸しね」
部屋を出る直前、レイナは小悪魔のようにウインクしてみせた。
あいつに貸しを作っておくと、きっとろくなことにならない。
後でさり気なく返しておくとするか。
「ふう……」
レイナが出て行ったことで、この部屋はすっかり静まり返った。
俺以外には誰もいないのだから、当然と言えば当然か。
「本当に……終わったんだな」
俺にとっては、ついさっきまで殺し合いの最中だった。
だからこそ、こうして皆が平和に暮らしている実感が湧かない。
しかし、レイナのあの晴れやかな笑顔を見れば、これが事実なんだと理解できる。
ベッドの上でそんなことを考えていると、段々と冷静にもなって来る。
すると頭をよぎるのは、俺が殺した人達のことだ。
奴隷組合とは言え、きっとその人達にも家族がいたのだろう。
そう考えると、申し訳ない気持ちが湧いてくる。
だがしかし、それでも後悔はない。
やらなくちゃ、こっちがやられていたんだ。
野生で言うところの弱肉強食ってやつだ。
それでも、この罪悪感だけは忘れないようにしよう。
それがせめてもの俺への罰だ。
---------
しばらくすると、レイナがルビアさんとリダを連れて戻ってきた。
2人とも心配そうに労わってくれたが、俺はもうただの健常者なのでその必要はないことを伝えた。
「何はともあれ、無事でよかったわ」
「エト兄が死んじゃったら、僕は……ぐすん……」
俺の姿を見て安心したのか、リダはわんわん泣き出した。
誰もいないとはいえ騒音はよろしくないため、頭を撫でてやることにした。
ああ、もしも助からなかったらこうすることもできなかったんだろうな。
「……」
生を実感するのもほどほどにして、俺には伝えなくちゃいけないことがある。
「……2人には話さなくちゃいけないことがあるんです」
話す方よりも聞く方がもっと辛いだろうが覚悟を決めてもらうしかない。
「薄々気づいていたかもしれないけど、カインさんは――――――――」
その後を続けようとする口を塞ぐように、ルビアさんは人差し指を当てた。
突然の行動に戸惑う俺に対して、優しい微笑みを向けてくる。
「大丈夫、もう知っているから。それ以上、あなたが苦しむ必要はないわ」
知っていると聞いて、俺は驚きを隠せなかった。
だってそんな仕草も見せないし、それじゃあこんなに冷静である理由がわからない。
「私が話したの。エトが寝てる時にね」
「そ、そうだったのか……。でも、どうしてレイナが?」
「だってエトずっと責任感じてたじゃん。どうせ母さんたちには自分から説明して謝ろうとでも考えてたんでしょ?」
「そ、それは……」
まさかの図星で顔を下げざるを得ない。
家族がバラバラになった事件、そしてカインさんの死。
レイナには散々俺のせいじゃないと言われてきたが、それでも俺が全ての契機だったことには変わらない。
だからこそ、ケジメとしてルビアさん達に伝える役目は引き受けるつもりだったんだがな……。
「ねえ、エト。私達は家族なんだから、ひとりで責任を負おうとしちゃ駄目」
ルビアさんが優しく包み込むように俺の両手を握って来る。
「僕も皆を守れるように強くなるから。だから、僕のことも頼りにしてね」
リダが小さくも力強く両手を重ねてくる。
「ね? ひとりじゃないでしょ?」
さらに、レイナがそっと慎重に両手を重ねてくる。
「皆……本当にありがとう」
それ以上の言葉は要らなかった。
ただこの両手から伝わる熱と重みだけで、俺には十分だった。
テサーナ王国にある家にはもう住めないため、ルビアさん達とは屋敷で一緒に暮らすことになった。
カインさんは居なくなってしまったけど、またあの頃の日常が戻ってくると思うと感無量だ。
---------
一緒に暮らすと決まれば、まずは部屋を準備しなくちゃならない。
ということで、皆は先に屋敷へと帰って行った。
俺も一緒に帰っても良かったんだが、もう少しだけここで我慢することにした。
確証はないが、そうした方が都合がいいと判断したからだ。
「エト~!!」
「うばッ!」
予想していた通り、2人の男女が姿を現した。
少女の方は俺の姿を確認するなり勢いよく飛びついてきた。
「こら! エトは怪我人なんだから止めるんだ」
「いや、今はもう何ともないから大丈夫」
「そうなのか。それはよかった」
最後に俺の見舞いに来てくれたのは、アンドルとアリスだった。
「心配したんだよ? 皆が帰って来たっていうのに、エトの姿が見えなかったからさ」
「ああ、不安にさせてごめんな」
「今回だけは許してあげる!!」
家族救出作戦にアリスは不参加だったこともあり、いつも以上に甘えてくる。
離れていた期間はそれほど長くはないはずだが、まあ彼女は寂しがり屋だからな。
「エト、すまなかった。君が庇ってくれなかったら僕は……」
「お互い、自分の役目を全うしただけだ。謝る必要なんてないよ。
むしろ、家族の救出に協力してくれたことに感謝してる」
あの時はお互い必死だった。
その中でできることをした結果なだけで、特別なことをしたわけじゃない。
「それと聞いてくれ、ルビアさん達も一緒に暮らすことになったんだ。
だから、いつも以上に賑やかに――――――――」
「そのことなんだが、僕とアリスは実家で暮らすことにしたんだ」
「え? どうして……」
「元々あの屋敷は陛下が君達の為に用意したものだ。与えられた環境にいつまでも甘えるわけにはいかない」
詳しくはわからないが、アンドルは固い決意を持っているようだ。
それなら、俺がとやかく言うのはナンセンスだろう。
それに、会えない距離じゃないしな。
「そっか、寂しくなるな……」
2人と出会ってもう数ヶ月になる。
その間、何度も一緒に死線をくぐり抜けた。
もう、ただの仲間という単語だけじゃ片づけられない関係だ。
「離れていても、俺達は仲間……いや、親友だ」
「わかっているさ。もしもの時は、遠慮なく頼ってくれ」
信頼の証として、俺とアンドルは握手をする。
そして最後に軽く別れを告げ、2人は部屋を後にした。
「あとはカルスだけど……」
てっきり、一番乗りで来ると思ってたんだけどな。
いつまで経っても姿を現す気配はない。
だとしたら考えられるのは――――――――
「こうしちゃいられない」
俺はすぐさまベッドから起き上がり、急ぎ足で部屋を後にする。
行き先は勘だが当たっている自信はある。
「ハア……ハア……くそッ! 怪我明けにこれはしんどいなッ!」
心臓がバクバクと音を立てている。
胸を貫かれてから数日しか経っていないというのに、もう全力疾走をしている自分が馬鹿みたいだ。
こんな間抜けなことを可能にしてしまう魔法には、改めてびっくりだな。
「待ってくれ!」
「ん? お前どうしてここにいんだ!?」
体力が尽きる寸前だったが、どうにか間に合った。
転送屋の目前、カルスは俺の姿を見て驚いた顔をする。
「ハア……ハア……どうしてなんだ?」
「お前の家族を救出できた以上、俺の役目はそこで終わりだからな」
「違う! どうして皆に何も言わずに行こうとしたのか聞いてるんだ!!」
レイナやアンドルの様子から、おそらくカルスは何も伝えていない。
ただ黙ってこの国を出て行こうとしているんだ。
「誰かに感謝されるなんて俺の柄じゃないだろ?」
「だからって――――――――」
「それに、俺は感謝されるようなことをした覚えはないしな。まあ、いつかまた会おうぜ」
カルスはこちらの返答を待つことなく、歩き始める。
この傍若無人っぷりは彼らしいと言えばそうだが、それでもここで簡単に行かせるわけにはいかない。
俺に残された時間はもう数年しかない以上、再開できる保証はないから。
「カルスには言ってなかったけど、俺はもう数年したら元の世界に帰ることになってる。
だから、この場を逃したらもう感謝を伝える機会はないかもしれないんだ」
「そうか、それなら後悔がないよう過ごせよ」
「……相変わらずだな、カルス」
どうやら考え直す気はないらしい。
それなら、こっちも傍若無人ムーブに切り替えるだけだ。
「すぅー………………カルスッ!! 俺達のこと助けてくれて……ありがとうぅ!!」
「お、おい、そんな大声で――――――――」
「何から何までッ!! 本当に……ありがとぉ!!!」
まわりの人に聞かれるのなんて承知の上で、俺は喉をぶっ壊す勢いで叫んだ。
別に無視してそのまま行くならそれでもいい。
だけど、せめて記憶に残るくらいのことはさせてもらう。
「おいおいおいおい! ちょっと待て、わかったから」
さすがに恥ずかしくなったのか、カルスは観念したように両手をあげる。
そして、やれやれといった感じでこちらに戻って来る。
「カルス、前に言ってたよな? 感謝は全て終わった後に聞くって」
「そんなこと言ってたか? よく憶えてるな」
「その時からずっと待ってたんだ。今まで溜めに溜めた感謝を、全てぶつけてやるってさ」
本当はレイナを始めとした皆で一緒にやるつもりだったんだけどな。
今この場にいない以上、仕方がないから俺が全員分の感謝を伝えるだけだ。
「最初は怪しいやつだと思ってたんだ。だけど、日々を重ねるごとに信頼できるようになってさ。
今じゃカルス以上に頼りになる人間はいないとすら思うよ」
「こう……正面向かって言われると、なんだか照れくさいな」
カルスは頬をぽりぽりと掻いて照れ隠しをしていた。
それでも俺は口を閉じることなく、その先の言葉を続ける。
「改めて……今までありがとうございました」
足はそろえて、頭をしっかりとさげる。
このお辞儀のやり方が正しいかどうかはわからない。
だけど、俺の中にある感謝の気持ちを表すために全力を注いだ。
「ああ、その言葉……確かに受け取ったぜ」
今度はそれとなく逃げるわけでもなく、正面から受け取ってくれた。
今俺の中には、ようやく伝えられたっていう満足と、別れの寂しさの2つが入り混じっている。
「それで、これからどこに行くかとか決めてるのか?」
「いいや、適当に国を転々とするつもりだ」
「そっか、まあカルスらしいや」
「逆に、エトはどうするつもりなんだ? もう数年しか残ってないんだろ?」
残された数年間。
その中で俺がしたいことは、もう決めてある。
「学校にでも通おうかなって」
「学校だって? それがしたいことなのか?」
「いいや、それはただの通過点。俺はこの世界のことを知らな過ぎるから。
まずは知識を蓄えて、ゆくゆくは世界を旅しようと思うんだ」
この世界には、日本じゃ見られないような景色がたくさんある。
だからこそ、帰る前に記憶に刻み込みたい。
この世界が、確かに存在したんだと。
そしてその世界の中で、俺は生きていたんだと。
「いい考えじゃねぇか。もしかしたら、旅の途中でまた会えるかもな」
「可能性はあるけど、世界は広いだろ?」
「確かにそうだが、なんだろうな……エトとはまた会えるっていう確信がある」
「そうか、それじゃあ信じることにするよ」
お互い笑い合った後、カルスは背を向けて歩き始める。
今度こそ別れ、そう思っていたが彼はピタリと止まり振り返った。
「そういや、残った金は屋敷においてある。好きに使ってくれ」
「カルスはどうせ要らないんだろ? だから、アンドルと山分けすることにするよ」
「はッ! わかってるじゃねぇか」
カルスはもう言い残すことはないと満足して、再び歩き始める。
段々と小さくなる彼の背中を、俺はただ見つめるだけだった。
「……またな」
カルスは今度は振り返ることなく、ただ軽く右手をあげた。
「ああ、またどこかで……」
この先に待っているのは不確定な未来。
明るくもあれば、暗くもある。
立ち塞がってくる問題も多いだろう。
だがしかし、どんな困難な状況に立たされたとしても、今の俺には頼れる親友がいる。
決して独りじゃないんだ。
そう考えるだけで、未来が少し明るくなるような気がした。




