第六十八話 帰還
水浸しの部屋の中、カルスとペイルは対峙する。
「自分を救世主呼びとは……。まるで子供だな」
「おいおい、そんな真に受けんなよ。ガキじゃねぇんだから」
「……お前はきっちり殺してやる」
「は! やれるもんならやってみろよ」
お互い堂々とした態度で向かい合う中、先に仕掛けたのはペイルだった。
「『風の太刀』!」
「うお!」
ペイルの放つ風魔法を、カルスはステップを踏んで躱す。
霧のおかげもあるだろうが、完全に軌道を読んで余裕をもって回避しているように見える。
おそらく、カルスは風魔法の使い手との戦闘経験があるのだろう。
レイナはそう推測した。
「見たところネックレスを身に付けていないようだが……どうやって結界魔法を通過した?」
「あ? ネックレスだって? そんなもん、知らねぇな。
俺はただ結界魔法が掛けられた部屋を通らないよう、別の通路をつくっただけだ」
「なるほど、土魔法ならば可能だな。だが最悪、崩落する可能性もあったんじゃないか?」
「そんなもん覚悟の上だ。その甲斐あって、こうして仲間の危機に間に合ったんだしな」
地下や洞窟などの閉鎖空間において、土魔法の行使は常に崩落の危険と隣り合わせである。
小規模での行使ならまだしも、通路を作り出すなどもってのほかだ。
「地面に触れる暇など与えないぞ!」
ペイルが次々と風魔法を繰り出す中、カルスは余裕な笑みを崩さない。
しかし、いくら軌道が読めるとはいえ次第に追い詰められていく。
それなのに、カルスは頑なに反撃しようとはしなかった。
そして遂に回避しきれず、風魔法が腕を直撃した。
「カルスッ!!」
「慌てるな。このくらい問題ない」
最悪、腕を切り落とされてもおかしくはない威力のはずだが、代わりに落ちたのは土の欠片だった。
注目してみると、カルスは腕に土で作られた装甲のようなものを纏っていた。
「それは……ガントレットか? 土魔法で作るなんて見かけによらず器用なんだな」
「こんなもん、やろうと思えば誰にでもできるわ」
「そうなのか。だが、見たところ一回しか使えないようだな。反撃しなければいずれ死ぬぞ?」
「別に、ただ待ってただけさ」
「……何だって?」
すると突然、カルスの周囲にドリルのようなものが形成される。
何の前触れもなく、ただ突然に。
「馬鹿な! 一体どうやって!?」
「お前が風魔法を乱発してくれたおかげで、空気中に小さい土埃が舞ってるんだ。
俺はただそれらを魔力で集めて硬化しただけだ」
空気中に漂うドリルが回転を始める。
その回転速度は段々とあがっていき、甲高い音が鳴り響く。
「はは! 土魔法の使い手は陰湿な戦い方をすると思っていたが……面白い!
お前の貫通力とあたしの風圧、どちらが勝るか勝負といこう!」
「いくぜ? 『土の錐』!」
甲高い音とともに、凄まじい勢いでドリルが発射される。
対するペイルは両手を構えたまま仁王立ちをしている。
「『風の守護』!!」
すると、彼女の周囲で風が竜巻のように唸りだした。
レイナはその凄まじい風圧に帽子を押さえる。
カルスのドリルか、ペイルの風の盾か。
レイナにはどちらが有利なのか見当もつかない。
助太刀しようにもタイミングが掴めず、ただ見守ることしかできなかった。
「ぐッ……うぅ……」
一騎打ちとは思えない激しさだったが、勝負は一瞬だった。
カルスの放ったドリルが風の盾を打ち破り、ペイルの左肩を貫通したのだ。
あまりの衝撃に、ペイルは片膝をついて俯く。
左肩を押さえる右手から、湧き水のように血がにじみ出ているのが見えた。
「よかったな。風で少し逸れてなかったら、今頃即死だったぜ?」
「まさか……これほどの土魔法使いがいたとはな……」
「レイナにやられたその右脚、そして今できた左肩の怪我……もう戦闘継続は難しいんじゃねぇか?
もっとも、回復魔法でも使えるなら話は別だが……」
右脚の怪我で機動力が死んだ上に、左手まで満足に使用できない今の状況。
誰の目から見ても、ペイルには勝ち目がない。
しかし、それでも諦めるつもりはないようだった。
「同情のつもりか? あたし達は敵同士、命を奪うまで戦いは終わらないんだよ!」
ペイルは無事な右手を使い、カルスに風魔法を放つ。
ところが、両手ではないからか精度や威力が大きく低下していた。
心なしか、レイナは受ける風が乱れて荒ぶっているような印象を抱く。
「どうした? あたしにとどめを刺さないのか!?」
「……なら、望み通りにしてやるよ」
風魔法を潜り抜けて、カルスは再びドリルを作り上げる。
そして、躊躇する事無くペイルに向けて発射した。
「それでいい……本望だ。あたしは勝負の世界に生き、そして死ぬことができるのだから……な」
高速で発射されたドリルはペイルの腹を容易に貫いた。
力なく仰向けに倒れ込んだ彼女は、満足そうな顔をしていた。
「おい、最後にひとつ聞きたいことがある。
お前らはレイナの家族を厳重に扱っていたみたいだが、アルムガルトに他とは一線を画すほどの価値があるのか?」
カルスは奴隷商売について詳しいわけではないが、世界を旅する道中に奴隷の売買を目撃する機会が多々あった。
その中には、没落貴族や国を追われた王族といった他とは違った背景を持つ奴隷も少なくない。
当時のカルスは、その扱いが平民と何ら変わらない酷いものだったと記憶している。
「あたしも詳しいところまでは知らない……というより、知らされていない……。
ただひとつ言えるのは……こういう扱いの奴隷は希少な血を引いている場合が多いってことだけ」
「希少な血……だと? つまり、元王族であることが原因じゃないってことか」
「ハア……ハア……考えてみろ。お前は今まで……銀色の髪をもつ人間にあったことがあるか? 少なくとも、あたしはないな」
ペイルの言葉に、カルスは今一度考えを巡らせる。
レイナと初めて会った時、確かに銀髪であることに違和感を覚えた。
ただ元々楽観主義であるため、きっと世界にはそんな髪色が主流の国でもあるのだろうと流していた。
「銀髪の希少な種族なんて聞いたことがないが……」
「ハア……ハア……もしかしたら……すでに……絶滅……している……かも……しれ……な……」
ペイルのしゃべりは段々と弱々しくなり、そして最後には途絶えてしまった。
「ねえ、カルス。その……ありがとう」
「仲間だろ? 助けて当然だ」
「私……自分の力を過信してたのかな。カルスがいなかったら今頃は……」
「……おい」
いつになく落ち込むレイナの額を、鋭いデコピンが襲う。
驚いたように顔を上げると、カルスと視線がぶつかり合った。
「お前はまだまだ若いんだ。そう気に病むことねぇよ。
もしも反省すべきところがあったんなら、次に活かせばいいだけだ。
今は目の前のことにだけ集中しろ」
「……うん。そうだね」
カルスに励まされ、レイナは少し気恥ずかしい気持ちになった。
彼女自身、らしくないと自覚している。
だからこそ、一度頭を振って切り替える。
「動くな。背中の怪我を治す」
「ありがとう」
カルスの持つ回復薬を背中に掛けてもらい、レイナはようやく満足に動けるようになった。
そしてすぐさまペイルの死体をあさり、檻の鍵を見つけ出した。
「心配させてごめん」
「無事でよかった……」
「あー、感動の再開のところ悪いんだが……すぐにここを脱出するぞ」
「そうだね。あ、母さん、この人は私の仲間だから安心してね」
「まぁ! レイナがお世話になっております」
「い、いや、こちらこそ……」
人妻に照れるカルスを見て、レイナは先程までの気恥ずかしさが消し飛んだのだった。
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ヴォルクを撃破し、無事にリダを救出することに成功したエト達。
「行くぞ、リダ。早くここを脱出しないと」
「でも、ここにいる他の人達はどうするの?」
「それは……」
もちろん、この後の動きに支障が出ないのなら解放してやりたいと思う。
しかし、これだけの人数がいる以上、地上に出れば騒ぎになることは避けられない。
それに、ここにいる奴隷たちは皆、無一文だ。
一時の情に流されて解放してしまえば、外で殺害されたり餓死したりする危険性もある。
死んでしまうよりは、ここに残ってもらう方がいいんじゃないだろうか。
「選択にはメリットとデメリットが存在するものだ。エト、君はどっちを選ぶ?」
「俺は……」
最優先事項はリダの無事だ。
だとすれば、他の奴隷は解放しない方がいい。
俺達3人ならば下手な騒ぎにならず、静かに帰れる可能性が高いのだから。
そう、俺が自分自身の良心を押さえつければ済む話なんだ。
「家族がいるんです。お願いします」
「娘に会いたい……」
「お母さんに会いたいよぉ……!」
くそ……やめてくれ。
俺は……自分の目的を達成するためにここに来たんだ。
無駄なリスクをとる必要はない……ないんだ。
「ごめん。やっぱり俺……非情にはなりきれない」
ここにいる奴隷たちにも、それぞれの物語があるはずだ。
それはこれまでも、そしてこれからも続いていく。
その果てに待っているのは悲惨な死かもしれない。
だけど、俺が今ここで解放したおかげで、幸せな未来を掴み取れる人もいるはずなんだ。
「ここにいる奴隷を全員解放したい。いいですか?」
「僕は君の決断を支持する。だが、もちろんそのリスクも把握しているな?」
「はい。だけど、そのリスクを逆に利用してやろうと思います」
「利用? どういうことだ」
「奴隷を解放すれば、地上で騒ぎになることは避けられません。だったら、逃げる奴隷たちに囮になってもらいます。
そうすれば、敵を散らすことができるかもしれません」
「……殺される者もいるかもしれないぞ?」
地上に出た奴隷はきっと四方八方に逃げるだろう。
敵の大部分は、そっちの対応に追われるはずだ。
俺達の方にも一部来るだろうが、それはもう最小限のリスクとして受け入れるしかない。
「わかっています。だから、俺達がやるのは檻の鍵を開けるところまでです。
ここから逃げるも逃げないも、個人の自由に任せます」
「そうか……それなら、さっさと鍵を開けてしまおう」
ヴォルクが持っていた鍵を使い、部屋にいる奴隷を全員解放した。
率先して逃げ出す者もいれば、流されるまま逃げる者もいる。
そして結局、この部屋にいる奴隷は全員逃げ出した。
「急げ。僕達も続くぞ」
クリスを先頭に、その後ろをリダが続く。
そうなれば当然、最後尾は俺が務めることになる。
さっさとこんな部屋からおさらばしようとした矢先、ヴォルクに足を掴まれた。
「うおッ! こいつ――――――――!!」
「待って……くれ。お前に……これを……」
最後っ屁でもするつもりかと思いきや、ヴォルクは俺に一振りの剣を手渡してきた。
白と緑が絡み合う色合いを持ち、日本刀のように反った剣。
確か……アテナって銘柄だったっけか。
神器ってやつのひとつらしいが、胡散臭いので信じていない。
「なんのつもりだ?」
「俺が死んだら……この剣も売り物に……されちまう。
どこの馬の骨かも知れない……やつらに……渡るくらい……なら……お前に託す」
敵からいきなり得体の知れない剣を渡されて、脳死で受け取るような馬鹿はいないだろう。
もしかしたら、子供が使うような玩具の剣かもしれないんだから。
「……頼む」
「ひとつ聞きたい。どうして俺達との戦いでこの剣を使おうとしなかったんだ?」
「はっはっは……ゲホッ! ハア……ハア……俺はこいつに嫌われてるからな」
剣に嫌われているだって? 最後の最後でボケでもかまそうとしているのだろうか。
ヴォルクの話を真面目にとらえるとして……彼が言いたいのはつまり、自分じゃ神具を扱えなかったって意味だろう。
ゲームでも強い装備を扱う場合、それに見合ったレベルを求められるのと同じなのかもしれない。
「……俺も嫌われるかもしれないぞ?」
「そうだとしても、俺は剣士に受け継いでもらいたいんだ」
俺が剣士なのかは疑問だが……まあ、魔法使いとも違うしな。
魔法と剣術を両方扱う、魔剣士ってやつかもしれない。
「わかったよ」
「ありがとう……」
この剣を持って帰るには、今使っているやつはここに置いてかなくちゃならない。
それは剣士からしたらリスクだが、俺の場合は違う。
今の俺は左腕を怪我しているため、戦闘では右手しか使えない。
片手ではまともに剣なんて扱えないため、地上では電撃魔法を使う予定だ。
つまり今ここで剣を交換してもしなくても、さしたる問題ではない。
「エト! 何をしているんだ!?」
「今行きます!」
剣を受け取った後、ヴォルクとは特に会話もなくその場を後にした。
最後に彼の顔がちらりと見えたが、満足そうな表情をしていたな。
これできっと後悔なくあの世にでも逝けるだろう。
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地下にのびる一本道を戻り、ようやく事務室まで帰ってきた。
その途中に仕掛けられていたはずの結界魔法も、すでに効果を失っており素通りできた。
逆方向からでは反応しないのか、それとも仕掛けた本人が死んだのか。
真相は不明だ。
さて、事務室の様子だが……相変わらず資料だらけだ。
解放された奴隷たちはすでに行ってしまったようで、部屋には人の気配がなかった。
しかし、屋敷の外では人々の叫び声が響いているのがわかる。
「おかしい……騒ぎになるのが早すぎる」
外では悲鳴だけじゃなく、衛兵のものと思われる声も聞こえてくる。
どうやら、すでに敵が揃い始めているようだ。
「もしかしたら、カルスの方も奴隷を解放したのかもしれない」
レイナはわからないが、カルスは奴隷を解放するだろうな。
元々弱者を助けたくて旅に出たような男だから。
今、問題なのはそこではない。
「カルス達の方が早かったか」
「まだ30分は経っていないはずだ。だが、急いだほうがいいな」
騒ぎになったため、事前に決めていた通り指輪を使うことになる。
タイムリミットはカルス達がアンドルの待つ空き家に到着してから30分だ。
それを過ぎてしまえば、俺達は馬で帰るしかなくなってしまう。
「クリスさん。リダをお願いしてもいいですか?」
「……僕がか?」
「もしもの場合は俺を切り捨ててもいいです」
「しかし、僕は……」
「お願いします」
正直な話、左手が使えない今の状況ではリダを守り切れる自信がない。
まあ、怪我をしていなくてもクリスに頼むつもりだったが。
彼の実力なら安心して任せられる。
「……わかった」
「ありがとうございます。リダ、この人から離れちゃだめだからな」
「うん!」
これでとりあえずリダは大丈夫だろう。
あとは自分の身を自分で守るだけでいい。
「衛兵だ!!」
正面玄関に向かって廊下を進む最中、武装した衛兵と出くわした。
暗闇の為、お互いの距離はそれなりに近い。
先手を打ったのはクリスで、地面を蹴って一瞬で衛兵の首を切り落とした。
「ふう……屋敷に明かりが戻っていないのが救いだな」
その後、無事に正面玄関に辿り着いた。
屋敷の庭には奴隷と思わしき死体が幾つか転がっているのが見える。
気の毒だと思うが、運命だったと割り切るしかない。
「行くぞ!」
俺達は混乱に乗じて屋敷から出ることに成功した。
今のところ、追って来る輩はいない。
屋敷から空き家までは一直線、このまま何事もなく進めばいいが……。
「待ちやがれッ! このクソ野郎!!」
ここにきて衛兵に見つかった。
数は3人、後ろから走って追って来る。
「エト! 頼めるか!?」
「『電撃銃』!!」
右手を構え、撃つ。
走りながらの為、エイムが定まらないが連発することでカバーする。
おかげで2人は倒せたが、残る1人は仕留められない。
どうやら、そこそこできるやつのようだ。
今はまだ距離があるが、詰められると面倒だ。
「あれだ! 『電撃銃』!!」
直接じゃ防がれるなら、発想を変えてみよう。
今度俺が狙ったのは道の脇に停めてあった馬だ。
もちろん死なないくらいの、優しめの威力で。
「うおッ! この野郎!」
刺激に驚いた馬は道のど真ん中に躍り出る。
その結果、衛兵の進路を遮ることに成功した。
だが、これだけじゃ大した時間稼ぎにはならない。
「『電撃』!」
衛兵は興奮気味な馬に一瞬だが気を取られている。
その隙を見逃さず、俺は電撃を馬の脚の間から通して直撃させた。
よし、これで追手はいなくなった。
「ハア……ハア……ハァ……」
少し前まで、ここベルリオは静まり返っていた。
それが今では打って変わって悲鳴と怒号が入り混じったカオスになっている。
そんな街の中を俺達は走り抜ける。
「おい!! お前らそこで止まれや!」
「邪魔をするな」
先頭を走るクリスの前に、冒険者らしき男が立ち塞がった。
衛兵ではなく、どうして関係のないであろうコイツが邪魔をしてくるのかは分からない。
ただお互いの要求が食い違ったことで、剣がぶつかり合う。
「うおおぉぉ!!」
リダを守りながらというハンデがありつつも、特に問題なくクリスは男を撃破する。
去り際にお金がなんちゃらとか呟いていたから、もしかしたら雇われたのかもしれない。
だとしたら雇い主は衛兵とかそこら辺だろうな。
「エト兄! 大丈夫なの!?」
「ああ! 突っ走れ!!」
衛兵や冒険者だけでなく、この町に配属されたであろう騎士も立ち塞がる。
だが、どんなに数が多かろうとクリスの前では意味をなさない。
もちろん、俺も追手を排除したり活躍をしている。
「見えてきたぞ! あと少しだ!!」
ようやく皆が待つ空き家が見えてきた。
それは大変喜ばしいことなのだが……同時に面倒なことにもなっていた。
なんと敵が空き家を囲んでいたのだ。
「正面から突破する! 離れず付いて来い!!」
敵は剣だけじゃなく、弓や杖を持っている。
近距離に加えて中遠距離からの攻撃にも警戒しなくちゃな。
「いたぞ! 撃てえぇぇ!!」
合図とともに、いくつもの矢が飛んでくる。
電撃銃で撃ち落とそうにも全部は無理だし、よくて1、2本が限界だ。
「問題ない! 構わず走れ!!」
クリスは向かって来る矢を剣で叩き落しながら走り続ける。
リダと俺はその後ろを遅れずに付いて行く。
なんとか矢を凌ぐことには成功したが、なんと今度は魔法が飛んできた。
「ちッ!」
火や水の弾が飛んでくる。
どれもレイナのものより威力はないだろうが、相変わらず数が多い。
命中しなくても動きを止められれば、剣士に囲まれて一網打尽にされかねない。
「……やるしかない!」
走りながらでは狙いが定まりづらいが、やむを得ない。
せめて数発だけでも落としてみせる。
「『土の壁』」
突如として地面から分厚い壁が出現し、敵を遮った。
間違いない、カルスの仕業だ。
「お前ら! 早くしろ!!」
空き家の入口からカルスとアンドルが姿を現す。
やっぱり、先に帰っていたのか。
本当に助かった。
「急いで!! 敵がまわり込んできてる!!」
カルスの隣にレイナも姿を現す。
少し服がボロボロだが、ひとまずは無事のようだ。
しかし、安心するのはまだ早い。
「指輪を起動しろ!!」
クリスの掛け声にアンドルが応える。
入口まであと僅か。
やっとだ……やっと帰れる。
あと数歩で、家族みんなで帰れるんだ。
「追いつかれるぞ! 急げ!!」
入口はもう目の前だ。
リダを先に行かせて、すぐ後ろにクリスが続く。
きっとリダの背後を守るためだろう。
入口に駆け込む前、一度振り返ってみた。
すると、カルスの作り出した土壁はすでに崩壊しており、敵はもうすぐそこまで迫っていた。
俺は焦って前を向き直り、全力疾走をする。
「早く転送魔法陣に乗れ!!」
空き家内にレイナ達の姿はなく、指輪をはめたアンドルだけだった。
指輪の使用者である彼を残して、きっと先に王都に帰ったのだろう。
だったら、次は――――――――
「リダ! 行け!!」
リダはこの土壇場で躓いたが、すぐさまクリスに後襟を掴まれて一緒に転送魔法陣に乗ることに成功した。
途端に2人は光に包まれて、姿が消えた。
これであとは俺とアンドルだけ。
「行くぞ! アンドル!!」
指輪をはめたアンドルが転送されれば、その時点で転送魔法陣は消える。
つまり、最速でも俺と一緒のタイミングじゃないとダメだ。
俺はアンドルの手を掴み一緒に転送魔法陣へと足を踏み入れる。
「――――――――ッ!!」
転送魔法陣に乗っても、転送されるまでには僅かだが時間がかかる。
その転送されるまでの刹那に、敵が入口に到達したのが見えた。
だが、この距離では向こうの攻撃が届くことはないだろう。
ただ万が一のために、俺はアンドルを庇うように体を動かした。
やがて光が視界いっぱいに広がる。
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光が徐々に弱くなり、視界が一変した。
先程までの怒号は一切聞こえなくなり、長閑なそよ風が髪を撫でる。
目の前には、見慣れた王都サンダルトの光景が広がっていた。
まだ実感が湧かないが、それでも俺の眼が真実だと語る。
やった……帰ってきたんだ……。
過酷で長い道のりが、ようやく終わるのだ。
そして、同時に始まる。
俺達家族の明るい未来が。
ああ、今から想像するのが楽しみだ。
けれど、ひとまずは帰ってこられた喜びを皆で分かち合おう。
「ハア……ハア……うぅ……」
あれ? 喜びの声をあげようにも、うまくできない。
おかしいな。
「どうしたの……それ」
レイナが青い顔をして、こちらを見ている。
なんでそんな顔をしてるんだ?
待ち望んでいた瞬間が訪れたというのに……。
「……」
ああ、わかった。
どうしてうまく声が出せないのか。
どうして皆が心配そうに俺を見ているのか。
自分の体を見て、理解した。
俺の胸に、矢が突き刺さっていることに。
「……ご…………めん……」
事態を脳が認識した途端、足に力が入らなくなった。
まるで神経が最初から存在していなかったかのように、身体が言うことを聞かない。
クリスが仰向けに倒れる俺を受け止めてくれて、そのまま横にしてくれる。
「だ、大丈夫だよ。私が回復魔法で治してあげるから。少し、我慢しててね」
レイナは俺の胸に刺さる矢を優しく引き抜く。
そして胸に手をかざして、回復と唱える。
しかし何も起こることはなく、ただ静寂が訪れるだけ。
「あ、あれ? どうして? そ、それなら回復薬で……」
レイナが小さな瓶を取り出し、胸に勢いよく掛けてくる。
それでも、何の変化もない。
どうやら、治せる限界を超えてしまっているらしい。
「そ、そんな……やだよ。せっかく……ここまで来たのに……。ねえ、カルス! 何とかできない!?」
レイナが近くで叫ぶ。
きっと凄くうるさいんだろうな。
もう、まともに聞こえもしない。
胸から吹き出た血が、まるで深紅のシーツのように俺を包む。
ああ、なんて温かくて、残酷なほど冷たいんだろう。
薄れゆく意識の中、辛うじて見えたのは涙を流すレイナの顔だった。
最後くらいは、笑うレイナを見たかったな。
やがて視界が漆黒に染まった。




