第六十七話 ヒーローは遅れてやってくる
エト達と別れたあと――――――――
「話によれば、この廊下を真っ直ぐ進んだ先に物置部屋はある」
「あんまり遠くないといいんだけど。それよりも、何でこの屋敷こんなに暗いんだろ」
「さあ? 屋敷の主人がいないから手を抜いてるんじゃねぇか?」
薄暗い廊下を歩きながら、軽く談笑する2人。
途中で見回りの衛兵と遭遇するも、特に騒ぎになることもなく処理する。
やがて廊下の終わりに到着した。
「ここが物置部屋か」
「埃とか溜まってないといいんだけど」
呑気に会話しながらカルスが部屋の扉を開く。
すると、中から2人の男女が飛びかかってきた。
「うお!」
間一髪のところでカルスは攻撃を躱し、男のみぞおちを殴りつける。
さらに続けざまで顔に2発の拳を叩きこんでノックアウトした。
「おのれ!」
「『水流弾』」
残った女の方もレイナの水魔法を横顔に喰らい、壁に頭をぶつけて倒れ込んだ。
「びっくりさせやがって。いつから隠れてやがったんだ?」
「さあ。だけど、私達結構大きな声でしゃべってたからね」
思い当たる理由はそれしかない。
しかし、過ぎたことなのであまり深くは考えない。
2人ともそういう性格だから。
「ほんとに物置部屋って感じだね。入口の手掛かりとかないかな」
「まあ適当に物をどかせば見つかるかもな」
それから2人は必死に物をどかし続けた。
大きな棚やソファなどの下には見つからず、最後には一際大きな作品が残っていた。
「これは……彫刻だな」
台に乗った彫刻をずらしてみると、その下には古びた蓋があった。
「狭いな」
「うげぇ……。きったない」
蓋を開けたその先は、蜘蛛の巣だらけの階段だった。
幅は人ひとり分ほどしかない。
「人間よりも怨霊の方が出てきそうな雰囲気だな」
目の前の蜘蛛の巣を払い除け、カルスが先頭で階段をおりる。
先の暗闇から吹き抜けてくる気味の悪い風を肌に感じながら、レイナはその後に続く。
やがて階段を抜けると、目の前にはボロボロの扉があった。
「気を付けてよね」
レイナは先程のような待ち伏せを警戒するよう促す。
カルスはそんなこと承知と言わんばかりに勢いよく扉を開けた。
幸い、敵が飛び出てくるようなことはなかった。
「何だよ、誰もいねぇじゃねえか。それはそれで――――――――ん?」
頭を掻きながら足を踏み入れた瞬間、部屋が緑色に輝き始めた。
その異様な変化に気づいた時には、すでに手遅れだった。
「あれ? どこ行ったのカルス……」
目の前で光に包まれて消えたカルスを探すが、どこにもいない。
せめて何か手掛かりを得ようと部屋に足を踏み入れようとする。
しかし、罠の可能性を考えて踏みとどまる。
「どうしよう……」
きっと部屋に何らかの魔法が掛けられているだろうことは、レイナでも推測できた。
しかし、その実態まで掴めず思案の海へと陥ってしまう。
やがて、レイナは考えるのをやめた。
考えることをやめたとはいえ、行動することまでやめたわけではない。
レイナはすぐさま階段を駆け上がって、物置部屋へと戻る。
そして端っこに倒れている奴隷組合の男に詰め寄った。
「ねえ、起きて。ねえってば!」
カルスからもらったパンチが相当効いたのか、男はなかなか目を覚まさない。
それでも、諦めの悪いレイナは必死に頭を揺らし続ける。
試しに顔を軽く殴ってみたりもしてみる。
「おい! いい加減、起きろ!!」
レイナの渾身の鉄拳が通じたのか、男はゆっくりと目を開けた。
しかし、まだ意識が朦朧としているのか焦点がおぼつかない。
「地下の部屋に入った仲間が消えた。どういう仕掛けなの?」
「うぅ……」
「時間がない。さっさと答えて」
体調が優れないであろう男にも、一切容赦する事無く問い詰める。
「お前らなんかに教えることなんて……」
「聞こえなかった? 時間がないの」
レイナは男の顔を鷲掴みにして壁に押し当てる。
そして、掌から水を出現させて溺れさせた。
「ゲホッ……ゲホッ……」
「次はもっと長くやるよ」
「ハア……わかった。だが、教える代わりに命だけは助けてくれ」
「……しょうがないな」
「これだ。このネックレスを首にかけておけば結界魔法を素通りできる」
男は首にかかる緑色のネックレスを手に取り、それをレイナへと手渡した。
レイナは半信半疑だったが、素直に受け取ることにした。
それしか試すことがないためである。
「嘘だったら……許さないから」
「この状況で嘘を言うと思うのか?」
「お前らのことは信用してないから」
レイナはもう用済みと言わんばかりに、男の頭を壁に力いっぱい叩きつけた。
約束通り殺してはいないが、先程の話が嘘だった場合は容赦はしない。
「ネックレスなんて初めてだな」
もちろん、存在自体は知識として知っている。
ただ昔から家に引きこもりがちだったレイナは、おしゃれの類とは全くの無縁だった。
(まあ、そんなこと関係なしにおしゃれなんてハナから興味ないけど)
レイナはネックレスを首にかけて、再び地下へと戻った。
そして部屋の前で一度深呼吸して、勇気を出して一歩を踏み出してみる。
「あの男の話……嘘じゃなかったんだ」
カルスの行方は不明。
レイナは探すべきか考えたが、結局先に進むことにした。
その決断の裏には、彼に対する信頼があった。
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想定外のアクシデントがあったが、構わず地下をひとり進んでいく。
その途中で奴隷組合の連中と何度か交戦したが、とくに苦戦することもなく撃破することができた。
レイナの抜きん出た魔法の才能に、杖の中でも高い性能を誇るセイレーンが合わされば、その辺のゴロツキでは相手にならなくて当然である。
そして今、様々な骨董品が飾られた部屋へと辿り着いた。
レイナはおしゃれの類と同様、骨董品になど微塵も興味がない。
強いて言えば、売れば高く買い取ってもらえるといったことぐらいである。
「こんな古臭いものでも高価なんだもんね……。ほんと、不思議な世界」
レイナは棚に飾られた大きめの壺を手に取ってみる。
そして興味本位で中身を覗いてみるが、薄黒い底が見えるだけだった。
やはり骨董品の価値はよくわからない。
「その壺はうちの大事な商品だ。丁寧に扱ってくれ」
先程まで人気がなかった部屋に、謎の剣士が姿を現した。
レイナは警戒してそちらに目を向けつつ、壺を元の棚に戻した。
一応、言われた通り丁寧に。
「一応聞くけど、敵ってことでいいよね?」
「君がこの先に進みたいと望むなら、そうなるね。だけど、残念なことに君はこの先には進めない」
「へえー、それはどうしてかな?」
「なんてったって……この俺がいるのだから!!」
剣士は胸を張って声高に叫ぶ。
そのあまりの自惚れっぷりに、レイナは若干寒気を感じた。
(ああ、私ってこういうタイプが一番嫌いなんだ)
レイナ自身も知らなかった発見だった。
「あれ!? なんか引いてない?」
「申し訳ないけど、生理的に無理」
「が~ん!! 面を合わせて言われるとショック!!」
「はあ……」
もう会話するのもうんざりしたレイナは、杖を構える。
使用する魔法は、牽制も兼ねて水流弾だ。
「おっと! 危ないじゃないか」
不意打ちにも近い形だったが、剣士はあっという間に剣を抜いて全て防ぎ切った。
水流弾は元々攻撃性の高い魔法ではないが、レイナが使用すれば並大抵の者はそれで倒せてしまう。
しかし、どうやら今回の敵はその並大抵ではないらしい。
(げぇ……めんどくさ。さっさとくたばってくれればいいのに)
レイナは内心、うんざりしていた。
時間の無駄であることに加えて、この濃ゆい敵とまだ関わらなければいけないから。
「俺は甲剣流の使い手だからな。どんな攻撃も防ぐ絶対防御の男だ!!」
勝手に自分の手の内まで話し出した。
馬鹿なのか、それとも余裕からきているのか。
ただただ、レイナは首を傾げるだけだった。
「そこまで言うならさ、試してみてもいい?」
「ふん! どこからでもかかってこい!」
剣士は剣を構え、自信満々に言う。
レイナは先程の疑問の答えがわかって、もやもやが少し晴れた。
「『水流弾』」
杖の先端から水の弾を5つ放出し、剣士に向けて別々の方向から向かわせた。
「無駄だ!!」
視界外からの攻撃も、剣士は見事に斬り落としてしまった。
剣一本で防ぎきるのは難しいはずだったが、どうやら自信を持つだけのことはあるらしい。
「さあ、次はどうする? 俺としてはまだまだ遊びに付き合ってやってもいいが……」
「それは私が勘弁」
「ふ、そうか。それなら、終幕といこうか!」
剣士が右袈裟斬りを仕掛けてきたが、レイナはその軌道を読み、しゃがんで躱す。
続けざまの攻撃も、辛うじて躱して距離をとる。
「あれ? 守りは立派だけど、攻撃は疎かだね」
「言ってろ! 次第に追い詰めてやる!!」
甲剣流は守りに重きを置いた流派ということは、レイナも理解している。
だからこそ、攻撃面が疎かになりがちだということも。
「うおぉぉ!!」
剣士は挑発されたことが余程頭に来たのか、攻撃を畳みかけてくる。
レイナは余計な反撃をすることなく、やがて壁際に追い詰められた。
「どうした? 反撃してこないのか?」
「うん。だって無駄だろうし……」
「はは! よくわかってるな!! そのまま抵抗をしないなら、一撃で楽にしてやろう!!」
レイナは杖をおろして反撃する意思がないことを示す。
その様子を見て、剣士は満足したように剣を構える。
「あ、最後に私の持論を聞いてよ」
「なに? 持論?」
「私ね、絶対防御なんて存在しないと思うんだ」
「何を言い出すかと思えば……。さっき身をもって知っただろう?」
「まあ、真正面からじゃ魔法を防がれるだろうね。だけど、意識外からならどうかな?」
「馬鹿げたことを――――――――う!?」
剣士は背後から大きな衝撃を受けて前のめりに吹き飛んだ。
レイナはその隙を見逃さず、すぐさま立ち上がろうとする剣士の首に杖を向けた。
「ど、どういうことだ? お前は魔法を使っていなかったはずなのに……」
「確かに魔法を使う暇なんてなかったよ。少なくとも、剣を躱してる時はね」
「その前に、すでに手を打っていたということか!?」
ここで剣士は、先程まで棚に飾られていた壺が床に転がっていることに気が付いた。
さらに、その壺から僅かに水が流れ出ていることにも。
「万が一に備えて、壺を棚に戻す時に中を水で満たしておいた。
あとは隙を見て遠隔で操作すればいいだけの簡単な話だよ」
「所作を一切見せずに、そんな高度な技術を……。そんな馬鹿な!!」
「さ、どうする? 抵抗するの?」
冷や汗を浮かべる剣士に対して、冷酷な視線を向けるレイナ。
先程とは立場が完全に逆転した。
「い、命だけは頼む」
「自称絶対防御なんでしょ? そんなに焦る必要ないと思うよ。
あ、もしかしてその命乞いも防御手段だったりするのかな?」
小馬鹿にするような態度に、剣士は怒りを必死に抑える。
そして、この状況を打開できる策を考える。
「何か考えてみるみたいだけど、意味ないよ」
「お、おい、頼む! 頼むから――――――――」
「『水斬撃』」
杖の先から放たれた魔法は、剣士の首を簡単に切断した。
最後の足掻きすら許さない、冷酷無比な一撃だった。
「これ以上、お前の茶番に付き合ってたら時間の無駄」
レイナは冷たい眼で、血に沈む剣士の死体を見下ろした。
そして振り返ることなく、さらに先へと向かって歩き出す。
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地下を進み続けて、ようやく終点に到着した。
「ここは……牢屋?」
見渡すたびに瞳に映るのは、飢えて力なく倒れ込む老若男女。
助けを求める気力すらない奴隷たちを哀れに思いつつ、レイナは自身の目的のために行動する。
「母さん! リダ! 誰かいないの!?」
レイナは大声で家族の名を叫ぶ。
慣れないことをしたせいで喉を傷めたが、それでも効果はあった。
「……レイナ?」
「その声……母さん!?」
部屋の奥から聞きなれた声で返事が返ってきた。
レイナはすぐさま駆け寄ろうとするが、その前にひとりの女が立ちふさがった。
「……邪魔しないで」
「おいおい、あたし達の事業を邪魔している輩には言われたくないな」
長身に短髪、そして黒いローブに身を包んだ女を前にしても、レイナは一切怯むことはない。
むしろ、邪魔をしてくることに凄まじい怒りを燃やしていた。
(得物の類は見当たらない。魔法使いなのかな?)
近接武器を身に付けていないことから、相手は魔法使いと推測する。
一応、まだ隠し持っている可能性も否定できないため、レイナはこの距離から仕掛けることにする。
「『水流弾』!」
「おお、躾がなってないね」
最速で仕掛けた水魔法を、女は優しく撫でるように逸らす。
その一連の洗練された動作に、レイナは鬱陶しそうに舌打ちをする。
(今のは武術の類かな……? でも、魔法に直接触れてるわけじゃなかった)
女の得体の知れない技術に、レイナはより一層警戒心を強める。
「初対面なんだから、まずは自己紹介からじゃない? あたしはペイル。あなたの名は?」
「……レイナ」
「レイナ・アルムガルトね。いい名前じゃないか」
「――――――――ッ」
ペイルの口からアルムガルトという単語が出てきた瞬間、レイナは杖を構えて水流弾を数発放った。
……が、それもペイルには届かず、周囲に逸らされた。
「あたしはここにいる奴隷のことは一通り把握しててね。
後ろにいる女の姓くらい当然知っているわけさ」
(私がさっき母さんって呼んだのを聞かれてたのか……)
明らかに挑発している。
レイナはそう判断し、相手のペースに乗らないよう自分を抑えつつ、ペイルが使う不思議な力について考察を続ける。
(触れずに魔法の軌道を逸らす方法なんてあるのかな?)
「あたしの手の内がわからなくて迂闊に攻撃できないんだろ? 別に難しい問題じゃないんだけどな」
「うっさいな。それじゃあ答え、教えてよ」
「いいぜ、直接見せてやるよ」
ペイルは両手を広げた後、何かを優しく包み込むようにそっと合わせる。
彼女の外見からは想像もできない優雅な動作に、レイナはゾッとした感情を覚える。
やがて、ペイルは合わせていた両手を離して唱えた。
「『風の太刀』」
その瞬間、レイナに向かって見えない何かが物凄い速さで飛んでくる。
そして、あっという間に横を通過していき、帽子が宙に舞って足元に落ちた。
幸い、事前に仕掛けてくることがわかっていたため、髪を数本切られるだけで済んだ。
「運がよかったね。少しでも顔を傾けてたら耳が落ちてたよ」
「今のは……風?」
「ああ、そうさ。あたしは風魔法の使い手だよ」
(ああ、だから魔法が私の横を通った時にヒュンヒュン鳴ってたわけだ)
レイナは乱れた髪を整え、床に落ちた帽子を拾い上げてかぶる。
そして、杖を構えて再びペイルに向き直る。
「なんだ、そんな単純なことだったんだ」
「強がんなくていい。その反応じゃ、風魔法を見るのは初めてなんだろ?」
ペイルの指摘は合っている。
レイナは魔法使いとして類稀なる才能を有しているが、唯一といえる弱点が存在した。
それは、家に引きこもっていたが故に戦闘経験が乏しいことだ。
(初めてだろうが関係ない。私は、私の戦いをすればいいだけ)
レイナは一度、深呼吸をする。
そして、杖を構えて詠唱した。
「『水流弾』、『水斬撃』」
まずは5つの水の弾を周囲に展開させる。
次に、空いた正面からは水の斬撃を飛ばし、逃げ道を潰すように八方から水流弾で仕掛けた。
「無駄……だねぇ」
ペイルは正面からの水斬撃は風の斬撃で相殺し、周囲からの水流弾は腕を回転させて逸らした。
これでもまだ余力を残しているであろう相手に、レイナは自称絶対防御の剣士よりも鉄壁な印象を受ける。
「今度はこっちの番」
ペイルの周囲からヒュンヒュンと鋭い音が鳴り始める。
おそらく、身の回りの空気に魔力を送り込んだのだろう。
レイナはそう直感で理解した。
「『水壁』!」
「『風の太刀』」
レイナは視界を遮るため、間に高さ数メートルの水の壁を瞬時に作り上げる。
そして、同時にしゃがみ込むことで風魔法を回避した。
後ろを振り返ってみると、壁には横一直線に切り傷が残っていた。
(あっぶな……。一瞬でも遅かったら首飛んでたよ)
下級水魔法である水壁は、一定の衝撃が加えられると崩壊する仕組みになっている。
今回もその例に漏れず、水の壁は崩壊し部屋内は膝下が浸かるくらいの水位になった。
(やば……気を付けないと部屋が水没しちゃう)
「はは! いつまで持つかな!?」
ペイルは休むことなく追撃を仕掛ける。
レイナは瞬時に走り出し、死角となる柱の後ろまで後退した。
その際に左肩を少し斬り裂かれたが、回復魔法を使うまでもない軽傷であった。
「レイナ!! 私は大丈夫だから逃げなさい!!」
「問題ないよ。すぐに助けるから」
母親からの叫びに、レイナは冷静に返す。
ここに来た時から、逃げるなんて選択肢は眼中にないのだ。
「隠れてちゃ、母親を助けられないぞ?」
(風魔法……軌道が読めなくて迂闊には近づけないな。それなら――――――――)
「『霧』」
「ん? これは……」
杖の先端から白い霧が噴出し、あっという間に部屋を覆いこむ。
当然、視界が悪くなるが、レイナの狙いはそこではない。
「はは、考えたな!」
白い霧が部屋中に充満したおかげで、風魔法の軌道が読めるようになった。
もちろん魔法の速度や威力自体には変化はないため、引き続き警戒が必要なことには変わりない。
しかし、軌道が見えるのと見えないのでは天と地ほど違う。
(このまま魔法の撃ち合いになれば、私が不利だな)
レイナがその気になれば、魔法の撃ち合いにおいてペイルに遅れをとることはない。
しかし、ここが地下であり、さらに虜囚までいる今の状況では満足に魔法を行使することが不可能だった。
ただそんな状況でも、最小限の規模でペイルを戦闘不能にできる方法がひとつだけ存在する。
(あの魔法を当てられれば勝てるけど、そのためにはまず近づく隙を作らなくちゃ)
レイナは懐から少し汚れた短刀を取り出す。
それは、アンドルが鹿を捌く際に使用したものだった。
(チャンスは一回だけ。集中しなくちゃ)
死角になっていることを改めて確認し、レイナは短刀を床の水に沈める。
そして次に、ペイルに向けて数発の水流弾を放つと同時に駆け出した。
床の方に意識が向かないよう、できる限り注意しながら。
「おいおい、捨て身か?」
当然のように水流弾は四方八方に逸らされる。
それでも、レイナは迷うことなくペイルに向かって突進する。
「無駄なことを――――――――うッ!?」
ここでペイルは自身の右脛に違和感を感じ、体勢が崩れる。
そちらの方に一瞬意識を向けてみると、なんと短刀が深く刺さっていた。
「これは!? くそぅ……『風の太刀』!!」
体勢が崩れた状態から放たれた風の太刀を、レイナは紙一重で躱しきる。
そして至近距離まで到達すると同時に、杖の先端を向ける。
「『水の泡』」
杖の先端から膨らんだ泡が、ペイルの全身を包み込む。
すぐさま脱出しようともがくが、水で満たされた泡の中では無駄な抵抗だった。
「ふぅ……なんとか成功。床の水に魔力を流し込んで短刀に推進力を与えたんだよ。……ってもう聞こえないか」
泡の中に囚われた対象は、やがて窒息で息絶える。
最期の抵抗を眺めているのも悪くはなかったが、レイナは家族を優先した。
「母さん! 大丈夫だった!?」
「レイナ……無茶ばっかりして……」
今にも泣きだしそうな母の顔を見て、レイナはこれが夢じゃないことを確信する。
そして同時に、堪え切れない程の歓喜が湧いてくるのを感じるのだった。
「リダの方も、今頃エトが助けてるはずだよ。だから、安心して――――――――」
「ッ!! レイナ後ろ!!」
次の瞬間、レイナの背中を鋭い痛みが襲った。
堪え切れず倒れ込み、背後に視線を向ける。
すると、そこには泡の中に閉じ込めたはずのペイルが立っていた。
「……うぅ」
「どうしてって顔だな」
「……泡の中は水で満たされてるから、風魔法は行使できないはず……なのに」
「お前の言う通り、魔力を送り込む空気が無かったよ。……体外にはな」
「……まさか」
「お察しの通り、肺の中に残ってた空気を使ったよ。初めての経験だったが、うまくいった」
家族の救出を優先し過ぎたが故に招いたこの状況、レイナは自身の詰めの甘さを痛感した。
(くそ……思っていたよりも背中の傷が深い)
致命傷ではないものの、動くことができない。
回復魔法を使おうにも、その隙をつかれて今度こそ殺される。
レイナは考えを巡らせるが、有効な手段は簡単には思いつかない。
「安心しろ。そのまま抵抗しないなら、殺さないでやる」
「……はぁ? どういう風の吹き回し?」
「お前、染魔薬を使ってただろ? 水にぬれて銀髪に戻ってるぞ」
ペイルの指摘を受けて、レイナは急いで水に映る自分を見つめる。
すると、確かに一部だが元の銀髪に戻っていた。
どうやら、攻撃を受けた際に頭髪が水に触れたようだった。
「組合から、銀髪は丁寧に扱うよう通達を受けてるもんでね。
お前の存在は想定外だったが、商品がひとつ増えるのは好都合だ」
「……人間のクズ」
「人間生きてりゃ1つや2つは罪を犯すだろ? それと同じだ」
レイナは一か八か、杖を握りしめて攻勢の構えをとる。
が、ある男の姿が見えたことで動きを止めた。
「おいおい、楽しそうだな。俺も混ぜてくれよ」
「まだ仲間がいたのか。残念だが、お呼びじゃないぞ」
「んじゃあ、乱入者ってことでもいいぜ? 予想外のハプニングがあった方が盛り上がんだろ」
男は水浸しの床に目もくれずに、堂々と部屋の中へと足を踏み入れる。
いつもはどこか抜けている印象だったが、今この状況では凄く頼りになる。
レイナは男への印象を少し改めることを決意した。
「随分と……遅い参戦だね」
「救世主は遅れてやってくるもんだろ」
罠にかかって消えたはずのカルスが、そこに立っていた。




