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転生ミスで異世界へ  作者: たけのこ
第五章
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第四十八話 我が家

 王都サンダルトの外れに位置する平民の区域に、僕はアリスを連れて来ていた。

 もちろん、このことは事前に皆には伝えてある。

 カルスさんからは心配されたけど、大丈夫だと説得して、今ここにいるのだ。

 ちょうど今頃、エト達はララ様と会っている頃だろうな。

 カルスさんはよくわからない。



 大雑把に平民の区域と言っても、この辺りはその中でもかなり低級の方だ。

 道には当たり前のようにゴミが散らかっているし、それに紛れて人も転がっている。

 家もなく、職もない。ただ、死を待っているような人たちだ。


 そんな劣悪な環境の中を、アリスを連れて歩くのは少々気が引けた。

 けれど、生まれてからの十数年間、自分たちもここで暮らしていたんだと思うと、なぜだか嫌いにはなれない。


 僕たちの家も、ちょうどこの辺りにある。

 外見は酷くて汚くて、あの屋敷を見た後だと家とは思えないくらいかもしれない。

 けれど、あそこには懐かしい思い出がたくさん詰まっている。


「あ!! 見て見て! あったよ!」


 アリスは元気よく声を張り上げ、人差し指で遠くの家を指した。

 もちろん僕にもわかる。あそこが、我が家だ。



 この家に帰ってくるのは、もうすぐ1年ぶりになるのだろうか。

 まるで短いようで、長かった。

 この一瞬では全てを思い出せないほど、過酷で辛くて、それでいて楽しいと思える時間だった。

 真に仲間と呼べる人達と出会うことができたから。


 けれど、心の中ではずっとわかっていたんだ。

 家を飛び出したあの時から、ずっと。


 エトも、レイナも、みんな現実と向き合おうとしているんだ。

 僕だけずっと背を向け続けるのは、彼らへの侮辱になるだろう。

 やっと、僕にも現実と向き合う時が来たんだ。


「ねえねえ、お母さん元気にしてるかな?」

「さあ、わからない。多分、元気だと思う」


 実際はどうなのかわからない。

 もしかしたら死んでしまったかもしれないし、もうこの家には住んでいないかもしれない。

 いや、後者の方が可能性としては高いだろう。

 僕に割いていたお金を、自分に使えるようになったんだから。

 むしろ、僕が居なくなって良かったとさえ思っているかもしれない。


 そんな僕の苦悩も知らず、アリスはさっきから飛び跳ねたりして、年頃の女の子らしく喜んでいた。

 1年ぶりに親と会えるんだ。アリスがこうなるのも当然だろう。

 けれど、僕ときたら……。


 くそ、未だに手の震えが収まらない。

 覚悟はしてきたはずなのに、体が言うことを聞かない。

 もちろん緊張もあるけど、恐怖心が僕の覚悟を揺るがしているんだ。


「お兄ちゃん、体調悪いの?」

「……いや、大丈夫だ。行こう」


 玄関の扉の前に立ち、僕は大きく深呼吸した。

 そして意を決して扉をノックした。


「……」


 しばらくの間、沈黙が流れた。

 家の中からは一切物音は聞こえなかったのだ。

 やっぱり僕の考えは当たっていたのだろうか。


「……誰なの?」


 扉の奥から弱々しい女の人の声が聞こえた。

 僕にはその声に聞き覚えがあった。


「……母さん?」


 ゆっくりと扉が開く。

 そして、見えてきたのは白髪が混じった茶髪の女性。

 間違いない、母さんだ。


「……」


 母さんは呆気に取られたように、口を開けたままその場に立ち尽くしていた。


「あ、あの……」


 呆然とする母さんに、僕はなんて声を掛ければいいのか分からなくなってしまった。

 こんなつもりじゃなかったのに、言葉が出ない。


「お母さん!!」


 沈黙を破ったのはアリスだった。

 母さんの顔を確認するや否や、勢いよく飛びついたのだ。


「……これは夢なの?」


 飛びついてきたアリスを見て、母さんは困惑していた。

 自分の目の前で起きていることが信じられないようだった。

 しかし、アリスを両手で抱きしめると、目から涙が零れ落ちた。


「これは……夢じゃないのね……。本当に、帰って来てくれたのね……」


 母さんは両手でアリスを包み込み、声を震わした。

 その光景を見て、僕の口はとうとう開かなくなってしまった。


 母さんはアリスが帰ってきて喜んでいるんだ。僕なんかじゃない。

 僕自身もわかっていたはずさ。

 結局なにもできずに逃げた役立たずが、今さら帰ってきたところで、こうなるのも当然だ。


 しかし、今日ここに来た理由はアリスのためだ。

 エト達の家族の位置が割れた時に、彼女をここに預けるための下準備みたいなもの。

 だから、僕はどう思われていようと構わない。


 ……ついさっきまでは、そう考えていた。

 けれど、やっぱり面と向かってだと傷つくものだ。

 僕自身が招いたものだと知っていても、ただただ辛い。


「……」


 ただ収穫もある。

 アリスの喜ぶ姿を見ることができたことだ。

 あんなに心の底から笑っている彼女を見るのは、久しぶりだ。


 家出をしてからカルスさんに出会うまでの間、アリスにはとても辛い思いをさせてしまった。

 僕一人じゃ、まともに食事も寝床も用意してあげられなかったから。

 アリスから笑顔を奪っていたのは、紛れもない僕自身だったんだ。

 だから、今の彼女を見られただけで、僕はもう……。


「アンドル……」


 その時、誰かが僕の名を呼んだ。

 いや、その声の主はわかってる。けれど、理解するのに時間がかかったんだ。


「無事でよかった……」


 そう言って、母さんは僕のことを両手で抱きしめてくれた。

 その両手からは弱々しい震えが伝わってきた。


 真っ先に浮かんだのは、困惑だった。

 なんで僕を? 僕は役立たずなのに……。


「ごめんね。今まで辛い思いをさせて……」


 次に母さんの口から飛び出したのは謝罪だった。


「無事でよかった……」


 母さんに抱きしめられるのは、一体いつぶりだろう。

 それも、もはや思い出せないけれど、やっぱりいいものだ。


「……僕も、ごめんなさい」


 自然と涙が出てきた。

 僕は母さんに見放されてなどいなかったんだ。

 その事実が、僕の心に安心と充足をもたらしてくれた。


「あらためて、2人共お帰りなさい」


 こうして、再び家族の形が戻ってきたのだ。




 ---------




 結局、昼食を家族3人で食べることになった。

 家計に余裕がないのだから遠慮したけれど、どうしても母さんが作るというから渋々了承したのだ。

 すると、母さんは満面の笑みを浮かべながら、せっせと調理を始めた。

 あんな笑顔を見るのは、父が亡くなる以前ぶりかもしれない。


 母さんが作ったのは、この国に古くから伝わる伝統的な庶民飯だ。

 味は淡白で、実に質素である。

 けれど、母さんの愛情による補正で、極上の味に仕上がっている。


「またこんな日々が戻って来るなんて、夢にも思わなかった」


 無我夢中で頬張る僕とアリスを眺めながら、母さんはポツリと呟いた。


「あんた達が居なくなったあの日から、毎日後悔してた。

 どうしてあんな接し方をしちゃったんだろう、なんでもっといい関係を築けなかったんだろうってね」


 母さんはまるで懺悔をしているかのように淡々と話した。

 ボロボロの机の上に両手を合わせて、涙を堪えながら。


「騎士団長にしてやることが家の為に、そしてなにより子供自身の為にもなるだろうって勝手に思い込んでた。けどね、2人が居なくなってから気づいた。

 私たちにとって一番大事だったのは、何気ない家族の形だったんだって。

 お金や地位なんていらない。ただこうして3人でご飯を食べる日常が尊いんだって」


 母さんはそれ以上は何も言わなかった。

 ただ、今この瞬間を堪能するかのように、食事を終えた僕とアリスをじっと見つめていた。


「あのね! 私たち、すっごい体験してきたんだよ!!」

「そうなの? ぜひ母さんに聞かせておくれ」


 嬉しそうに興奮するアリスは、夜逃げをしたあの日からの出来事を話し始めた。



 母さんは相槌をうったり驚いたりと、真剣に聞いてくれた。

 そして途中途中に僕が補足をして、大まかにだけれど、あの濃厚な日々を伝えることができた。


「そんな凄い経験をしたんだね。本当に無事でよかったわ。

 ところで、今度その仲間たちを連れて来てくれない? 直接お礼を言いたいのだけれど……」

「えっと、今は色々と立て込んでて。全部片付いたら連れてくるよ」

「約束だよ?」

「うん。約束」


 もしかしたら母さんはエト達にもご馳走しようとしているのではないだろうか。

 あまり散財はしないでほしい。


「それとなんだけど、仲間の問題が解決するまではまだここには戻れないんだ」

「そうなの? 住居はちゃんとあるんでしょうね?」

「うん。サンダルト城の近くにね」

「え!?」


 僕が今は屋敷で過ごしていると知って、母さんは仰天した。当然の反応だろう。


「あと、ひとつお願いがあるんだ。時期が来たら、アリスをここに預けようと思う」

「もちろん、いいけれど……」

「ありがとう、母さん」


 よかった。これでひとまずアリスについては大丈夫だろう。


「本当は私も行きたかったんだけどね!!」


 アリスは頬をぷくっと膨らませた。

 しかし、事前に約束していたおかげもあってそれ以上の駄々はこねなかった。

 彼女も成長しているということだろう。


「危ない場所にでも行くつもりなの?」

「ううん、心配はいらない。大丈夫だよ」

「気を付けるのよ」


 母さんは心配そうだった。けれど、止めはしない。

 僕の考えを尊重してくれているんだ。


「そろそろ戻らなくちゃ。母さん、今日はありがとう」

「もう戻っちゃうの? まあ、いいわ。いつでも帰ってきていいからね」

「うん」


 僕はアリスを連れて家を出る準備をした。

 幸い、荷物はあまり持って来ていなかったので準備はすぐに終わった。


「あの、母さん」

「なに?」

「仲間の問題が解決したら、僕、やっぱり騎士団に入団するよ」

「でも……」

「違うよ、母さん。今回は前とは違う。僕自身の意思なんだ」


 あの時は挑戦する前から、諦めて投げ出してしまった。

 けれど、エトやレイナを間近で見て、勇気が湧いた。

 諦めるのは、挑戦した後でも遅くはないだろう。


「でも今は、目の前のことに集中しなくちゃ」


 玄関の扉を出て、僕は振り返った。

 そして、母さんに向かって一言。


「いってきます」


 あの時に言えなかった言葉を、やっと言うことができた。


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