第三十五話 ドルズ・ランベルク
理解が追いつかなかった。
いや、違う。俺の脳が理解するのを拒んだのだ。
目の前の無慈悲な光景に。
「あ……ああ」
言葉にならない声とは、きっとこういうのを言うのだろう。
自然と、意識外から漏れた声。
止めようとする余裕は、俺にはなかった。
「……嘘だ……こんなの」
レイナは崩れるようにへたり込んだ。
そして、袋の中の体にゆっくりと触れた。
しかし虚しいことに、愛する娘の手にも反応することはなかった。
脳みそがふわふわと浮かんでいる感覚がする。
言い換えるなら、魂だけが体から分離している感じ。
まるで夢の中にいるみたいだ。
けれど、目の前の光景が現実だと言うことを教えてくれた。
触れてみて感じたこの冷たさも、光を宿すこともない虚ろな眼も、全て紛うことなき本物だ。
そしてようやく理解した。
カインさんはもう動くことはないのだと。
「ふふふ……、はっはっは!!」
静寂の中、ドルズの高笑いだけが響いた。
「すまんすまん。あまりにも面白かったのでな」
ドルズはイラつくような笑みを浮かべ、馬鹿にするような視線を向けてくる。
「相変わらずアルムガルトの血統は家族を優先する……。それが、お前ら自身の根絶につながるというのにな」
「そういうお前は、家族を大事にしないクズのくせに!!」
レイナが叫ぶように反論した。
その瞬間、彼女の両目から大粒の涙が溢れだした。
「うん? ああ、確かにそれは言えてるな。俺にとっては妻も子供も道具に過ぎない」
間違いない。ドルズは本気で言っているんだ。
彼にとっては家族など、自分が国王になるための道具でしかない。
どうやらカルスの言っていた噂は本当だったらしい。
「……それで、言いたいのはそれだけか? 最後なんだ、今なら何でも答えてやるぞ」
ドルズは勝ち誇った顔で、ふんと鼻を鳴らした。
まあ実際、彼の思った通りに事が進んだのだ。
勝ち誇った顔にもなるだろうな。
しかし、だからこそ最後の情けのつもりなのだろうか。
――――――――いや違うな。ただ単に、俺達の絶望した様子を目に収めたいだけだろう。
くそ、外道にもほどがある。
今すぐにでも殺してやりたい。
けれど、ここは一旦冷静になるんだ。
今のレイナに状況を判断する余裕はない。
だからこそ、代わりに俺がやらなくては。
「他にも2人拘束したはずだ! 2人はどこにいるんだ!!」
俺は震える声を抑え、なんとか平然を装った。
ルビアさんとリダ。
2人の行方を知る絶好のチャンスだ。
これを逃すわけにはいかない。
ここからは一層、ドルズを怒らせないように、慎重に言葉を選ばないとな。
「あ~、あの2人か……」
ドルズは顎に手を当て、再び天井を眺めた。
まるで、考え込むかのように。
その反応を見て、俺の頭にある考えが浮かんだ。
ドルズは、2人がすでに死んでいることを、俺達にどう伝えようか悩んでいるのではないかと。
「一応生きてる」
幸い、俺の考えは外れたみたいだ。
けれど、まだ安心はできない。
嘘をついている可能性もあるからな。
「今頃は奴隷商人に連れられてるだろうな」
「………………は?」
俺が唖然とするのと同時に、レイナが動いた。
「くたばれ外道!」
止める間もなく、レイナは水魔法をドルズに向けて放った。
殺意を剥き出しにし、後先も考えずに。
ドルズがどれほどの実力者なのかは定かではない。
けれど、実力で国王の座を奪った訳ではないので、実際はそこまでなのだろう。
しかし、それだと言うのに彼は一切逃げようとする仕草を見せなかった。
まるで、魔法が自分に届かないのを知っているかのように。
「無駄だ」
レイナの水魔法は、ドルズに届くことなく消滅した。
いや、正確には防がれたのだ。
透明な壁のようなもので。
あれはおそらく、結界魔法だ。
レイナの魔法を防ぐレベルだから、相当のものだろうな。
ドルズの余裕の正体はそれか。
「俺が何の対策もしてないと思ったのか?」
ドルズは不敵な笑みを浮かべた。
「そんなのに守られなきゃ、まともに女とも話せないくせに……」
一方のレイナは涙で目を腫らしていた。
彼女自身もそれに気づいたのか、目に溜まっている涙を袖で拭った。
「そんな怒るなよ。あの2人も、お前も端から殺す気はない。
俺が始末したかったのは、カイン・アルムガルトともう一人の男だけだからな」
「……」
ドルズはそう言って、俺のことを指差した。
まるで、次はお前だと言うかのように。
「私からまた家族を奪おうっていうの!?」
「お前も知っているんだろう? その男が呪子だということを」
久しぶりに聞いたな。呪子という単語を。
確かに俺は黒髪だけど、それは前の世界の名残なだけで呪子とは無関係だ。
第一、俺が黒髪を見せたのはアルムガルト家の皆だけで、他には誰にも見せていない。
カルス達にもだ。
アルムガルト家の外では、常に細心の注意を払っていたからな。
「染魔薬を使ってうまく誤魔化していたみたいだが、お前は一度へまをした」
「へまだって?」
「思い出してみろ。お前がまだ平穏に過ごしていた時を」
「……まさか」
ああクソ、思い出したぞ。
あの時、俺は一度だけ見られたんだ。
アルムガルト家の部屋の外からこちらを覗く、あの不気味な男に。
「あの男はお前の差し金だったのか!?」
「差し金とは少し違うな。あの男と俺は協力関係だっただけだ」
協力関係だと?
つまり、あの男は騎士団とは別の組織の人間だということか?
「俺がアルムガルト家を根絶やしにしたかったのは知っているだろう?
しかし、いくら俺が国王だからと言っても、理由もなく事を起こすことはできなかった。
アルムガルトは国王の座から退いた後も、この国の愚民どもに慕われていたからな」
アルムガルトは国民から慕われ、一方のドルズは国民から嫌われている。
そんな状態で、アルムガルト家を襲撃して皆殺しにしたことが公になったら、国民の怒りは爆発するだろう。
ドルズはそれを恐れていたのだろうか。
「大人しくアルムガルトの連中がこの国から出て行ったのなら、いくらでもやりようはあったんだがな。
忌々しいことに、奴らはこの国から出て行こうとはしなかった。
だから理由が出来るのをずっと待っていたのさ」
ドルズは顎を撫でながら、得意げに話を続けた。
「奴隷組合と手を組むことで、四六時中監視をしていたんだが、特に何もなく日が過ぎて行ったよ。
さすがの俺も諦めかけた時、お前が現れたんだ」
ドルズは懐かしむように目を細めた。
「その日から、お前にも監視をつけて毎日泳がせた。
そして遂に、お前が呪子であることを突き止めた。
おかげで、あのアルムガルトが呪子を匿っているという、これ以上にない理由ができたよ」
「そんな自慢げに言ってる割に、俺とレイナを逃がすっていうへまをしたな!!」
「馬鹿だな、わざとに決まってるだろ」
「……何?」
「確かにそっちの女が逃げたのはちょっと想定外だったが、まあすぐに書状を出せば戻ってくるだろうから心配はしてなかったさ。
俺が期待してたのはお前の働きだ」
働きだって?
ドルズは俺を逃がすことに何のメリットがあるって言うんだ?
「お前が逃げた先で問題を起こしてくれることを待っていたんだ。
問題を起こした呪子であるお前を殺して愚民の前に出せば、アルムガルトの信頼を地に落とすと同時に、俺の評価も上がるからな」
確かに、俺を殺してそのまま国民の前に出すよりも、
問題を起こした俺を殺して、それを功績とした方が国民の信頼は獲得できるだろう。
ドルズの狙いは、それだったらしい。
「ところが結局、お前はクソほどの役にも立たなかったな。期待外れだよ」
「期待に応えられなくて光栄だね」
「まあ過ぎた事だ。別に構わないさ、現にお前たち2人は俺の目の前にいるのだからな」
非常にまずい状況だ。
周囲は複数の騎士に囲まれており、地の利はあちらにある。
オマケに俺達はこの王城の構造を知らない。
まさに絶体絶命と言うやつだ。
「随分喜んでるみたいだけど、周りの奴らに聞かれて大丈夫なのか?」
「ここにいるのは俺の飼い犬どもだ。何も問題はない」
相変わらずのクズだ。
自分の家族だけでなく、自分を守る存在すらも見下しているとは……。
本当に嫌われているのが納得できる。
「少し話過ぎたな。そろそろ、お別れの時間としようか」
「……レイナはどうなる?」
「あの2人同様、奴隷商人に引き渡す。その後はまあ……、運次第だ。
良ければどこかの貴族にメイドとして買われ、悪ければどこかの豚貴族に性奴隷にされるだろうな。
悪く思うなよ。元々そういう話で奴隷組合と手を組んでいたからな」
「私が……そんなのに大人しく従うと思うの?」
レイナは鋭い目つきでドルズを睨んだ。
凄まじい殺意と共に。
「頼むから抵抗しないでくれよ。俺もあんまり手荒な真似はしたくない。
わかるか? お前は世界でも珍しい銀の髪を持っているんだ。
奴隷としての価値はそこらの奴とは比べ物にならない。
こちらとしても、価値を落としたくないんだからな」
確かにどの街でも銀髪の人間はいなかったけれど、まさか世界的に見ても珍しいなんてな。
レイナの……いや、ルビアさんの血筋は何か特別なのだろうか。
「もういいだろ、話は。いい加減待ちくたびれた」
そう吐き捨てるように言い、ドルズは玉座から腰を上げた。
そして、右手で端にいた騎士に合図をした。
おそらく、俺を殺すための。
「長かった……。だが、これでようやく終わる。
お前たちの小さな犠牲のおかげで、俺の今の地位はより盤石なものとなるのだ」
ドルズは満足したかのように、ニヤリと笑った。
その顔に、俺は心の底から怒りが湧いてきた。
……いや違う。最初から怒りはあった。
ずっと我慢していた怒りが、今になってあふれ出したのだ。
俺は静かにレイナへと向き直った。
そして、小さい声で囁くように言った。
「なあ、レイナ。この先、アイツに従いたい?」
「絶対にやだ。エトもわかってるでしょ」
「じゃあさ、俺と一緒に無茶しない?」
「……もちろん。私は最初っからそのつもりだったよ」
「……わかった」
詳しいことは言わない。言う暇もない。
けれど、それだけで十分。
もうしばらくの時間を一緒に過ごしたんだ。
お互いの考えることくらい、大体わかる。
「なんだ? 今になって死にたくなくなったか?」
ドルズは俺とレイナが自分に再び向き直ったことに気づいた。
しかし、それでも焦りはない。
当然だろう。結界魔法に守られてるのだから。
「ドルズ・ランベルク!!」
「ふん。いきなり何だ」
「俺はお前が嫌いだ!!」
「だったらなんだと言うんだ」
言いたいことはまだまだある。
あるけれど、逆にありすぎて何からどう言おうか整理できてない。
それに、全部言うには時間が足りない。
だから、わかりやすく行動で示すことにした。
俺は右手に言いたかったこと、感情、全てを込めた。
特に技名とかはつけてはいなかったが、これで使うのは3回目だ。
1回目も、2回目も、右手がひどいことになった。
原因は多分、電気出力を考えないからだろう。
しかしその分、威力はとてつもないものだ。
俺が一番わかっている。
その威力は、結界魔法など貫通するには十分だ。
「おい、お前何をする気で……」
気づいた時には、もう手遅れだ。
ドルズ・ランベルクは避ける暇もなく、消し飛んだ。
玉座ごと、全て。
その様子を見届けることもなく、俺とレイナは走り出した。
幸いなことに、騎士たちが動揺したおかげで、俺達は謁見の間を抜け出すことに成功した。
後悔はない。
むしろ清々した。
けれど正直、その後のことはあんまり考えてなかった。
おかげで、これからこの王城で命を懸けた地獄の鬼ごっこが始まることになったのだ。




