第三十話 不死身の守護者
カルス達と別れた後、俺とレイナは順調に足を進めていた。
その間も、やはり魔物とは遭遇することはなかった。
「レイナ、魔力は大丈夫か? 何か体調に変化はないか?」
「今のところは変わりなし」
レイナの返答に、俺は胸をなでおろした。
魔力欠乏症になったのは、パーティーメンバーの中でもアンドルとアリスの2人だけだ。
では、この2人に一体どんな共通点があるのか……。
ここからは俺の推測だが、それは多分、魔力総量なんじゃないだろうか。
アルムガルト家にあった本で読んだことがある。
魔力総量は体の成長に合わせて増えていき、18歳で成長と共に止まる。
つまり個人差があれど、まだ10歳のアリスは魔力総量が少ないということだ。
一方のアンドルは、元々の魔力総量が少ないのが原因だろう。
マカオンでも、魔力が切れかかっていたしな。
とは言っても、やはり光球体を使用するだけで魔力が切れるとは到底思えない。
それじゃあ何故、この2人は過剰に魔力を消費してしまったのだろう。
可能性としては、やはりアスクレピスだろう。
この魔草は明らかに人知を超えている。
もしかしたら、魔力の消費量を増加させるとか、俺達も含めて周囲から魔力を吸収するといった効果があるのかもしれない。
あくまで、俺の推測だ。無理やりなところもある。
しかし、俺の推測が正しければ、魔力総量が多いレイナに症状がでていない理由にも説明がつく。
カルスと俺は……、多分平均くらいはあるから大丈夫なのだろう。
まあ、時間の問題だと思うが。
「おいおい、行き止まりかよ」
またしても開けた空間にでた。
一帯を見渡してみても、何もない。
進むべき通路もない。
「くそ……」
まさか、アスクレピスを見落としたのか?
いや、そんなはずはない。
ちゃんと、確認しながら進んできたんだ。
本当はアスクレピスなんてものは初めからなかったんじゃないか?
俺達は騙されたのではないか?
まずい、疑いだしたら止まらなくなってしまった。
心臓がバクバクする。
「あ!! あれじゃない!?」
血の気が引いている俺とは打って変わって、レイナはテンションが高かった。
彼女はにっこりとした笑顔を浮かべ、前方のやや上部を指差した。
その先を見てみると、毒々しい紫色をした魔草が一本生えていた。
「あれが、アスクレピスか」
マリオ曰く、辺りに魔草は生えないらしいから、あれがアスクレピスで間違いない。
……でも、すごい見た目だ。
何も知らない人が見たら、毒草だと勘違いするだろうな。
「とりあえず、あれをどうやって取ろうか」
「頑張れば登れそうだけどね」
目的のアスクレピスは、切り立った岩壁の、高さ5メートル程のところにポツリと生えていた。
もしも俺達が老人だったら、取るのは厳しかっただろう。
しかし、俺達はまだ若者だ。
岩壁の小さな凹凸を利用すれば、登れないこともない。
「とりあえず、俺が登る。レイナは周りを見張っててくれ」
「わかった。私にまかせなさい」
万が一、魔物が現れたりしたら大変だからな。
まあ、多分出ないと思うけど。
「よいしょっと」
まずは右足を岩壁にかける。
次に左手を。その次は右手。
最後は左足を右足よりも高いところにかける。
後はその繰り返しだ。
「くっそ、思ったよりきついな」
凹凸は、どこもギリギリの大きさだ。
少しでも気を抜いたら、落っこちてしまう。
「落ちそうだけど、大丈夫?」
「……静かにしてろ。今、集中してる……」
あと少しだ。
あと少しでアスクレピスが手に入る。
そう考えるだけで、無意識に口角が上がってしまう。
「あともう少し……」
後は手を伸ばすだけで……。
「何か来る!!」
レイナの大声をかき消すように、それは天井から降ってきた。
「うわ!!」
それが着地する衝撃で、俺は足を踏み外した。
そして、そのまま下まで落っこちた。
「一体なんだ!?」
立ち上る土埃から姿を現したのは、身の丈4メートルはあろうかという緑の巨体。
丸太のように太い右手には、武器らしき石棒が握りしめられていた。
「……最悪だ」
コイツのことは知っている。
アルムガルト家にあった魔物図鑑に書いてあった。
「……トロール」
危険度は5。マックスだ。
おそらく、白狼やテラーモンキーとは比べ物にならない戦闘力だろう。
ただ、魔物図鑑に載っていたトロールとは違う点もある。
それは、体色だ。
魔物図鑑では灰褐色と記載されていた。
しかし、目の前のヤツは深緑だ。
まるで、長い間放置されて苔生したような感じだな。
可能性としては、先天的な問題で体色が変化しているとかだ。
もしくは、生息地によって違うのか。
一番最悪の可能性は、アスクレピスの影響で凶暴化や突然変異しているとかだな。
「大丈夫?」
「ああ、今のところは」
トロールは、凶暴だ。
岩壁を大人しく登らせてくれるとは思えない。
つまりアスクレピスを手に入れるには、まずトロールを倒さなくてはいけない。
とは言っても、どうやって倒すか……。
トロールは単体でも強い。特に膂力は魔物の中でも群を抜いている。
つまり、近距離で戦うのは避けた方がいいだろう。
では中距離はどうか。
トロールは知能は高くない。それに、中距離の攻撃方法を持っていない。
一方の俺達は、近距離は心もとないが、中距離はもってこいだ。
以上のことから、魔法を使って中距離から攻撃するのが得策だな。
「レイナ! 中距離から魔法で攻撃する作戦でいくぞ!!」
「作戦も何も、それしかないでしょ」
俺の脳内で念入りに練られた作戦を、レイナの冷酷な一言で片付けられた。
ちょっとショックだけど、今はそれどころじゃないな。
「来る!!」
トロールは俺達の存在に気づいた瞬間、雄叫びを上げながら突進してきた。
スピードは思ったよりも速くはなかった。
「『水斬撃』!!」
「『電撃』!!」
迎え撃つのは、俺の電撃魔法とレイナの水魔法。
トロールは当然、避けようとする仕草は見せない。
避けるという考えがないのかもしれない。
この感じならいける。
「な!!」
俺とレイナの放った魔法は直撃した。
それだと言うのに、トロールは全く怯まなかった。
「避けろ!!」
トロールが右手に握りしめた石棒を振りかぶり、俺たち目掛けて乱暴に叩きつけた。
その威力は凄まじく、地面にへこみが残るほどだった。
避けるのが遅れていたら、今頃ぐちゃぐちゃに潰れていたかもしれない。
そう思うと、背筋が凍った。
「『水斬撃』!!」
すかさず、レイナはトロールの背後に回った。
そして、再び水魔法を放つ。
――――――――が、びくともしない。
うっすらと傷跡が残ったくらいだ。
「直撃してるのに、なんで……」
レイナは絶望したように青い顔をした。
『水斬撃』はおそらく、殺傷力だけで言えば彼女の使用する魔法でもトップだろう。
そんな魔法が、大したダメージも与えられないのだ。
青い顔をするのも理解できる。
しかし、もっとショックを受けたのは俺だった。
彼女の水魔法が、致命傷ではないにしろ、傷跡を残しているのに対して、
俺の電撃魔法は、トロールには全くと言ってもいいほど効いていない。
痺れさせて、動きを止めることすら出来ない。
その事実に、呆然としてしまった。
「エト!! また来るよ!」
有効な策を考える間もなく、トロールの追撃が俺を狙う。
「『水壁』!!」
次の瞬間、俺とトロールの間に高さ5メートル程の水の壁が反り立った。
これは一度見たことがある。相手の視界を遮る魔法だ。
確か、レイナとロドルフが決闘した時だったっけ。
ともかく、おかげで難なく避けることが出来た。
「助かる!」
一応、感謝はしたけど、これからどうするか……。
正直、トロールの攻撃する度に、レイナの『水壁』で視界を遮り続ければ、攻撃を避け続けることは出来るだろう。
しかし、それだと負けないだけで、勝てるわけではない。
それに、万が一レイナの魔力が切れたら、そこで終わりだ。
「レイナ!! カルスが言ってた魔力出力だか何だか! それを意識したらどうだ!?」
「さっきから意識してる!! でも変わんない!!」
くそ、それじゃあどうすることもできない。
何か有効な手はないか?
「レイナ!! またくる!!」
「『水壁』!!」
トロールは再びこちらに向かって石棒を振り上げた。
そのタイミングで、間に水の壁を出現させる。
トロールには、対策を練るなんて言う大層な知能はない。
避けるのは簡単だ。
とりあえず、時間を稼いでその間に何か作戦を考えよう。
もしかしたら、何か見落としてる弱点とかあるかもしれないし。
「――――――――は?」
まさに刹那の出来事だった。
重い何かが、俺の体を吹き飛ばしたのだ。
――――――――いや、違う。
俺は丸太のように太い左手で、薙ぎ払うように吹き飛ばされたのだ。
「ぐっ……!!」
そのまま、地面をボールのように転がった。
幸い、岩壁に激突せずには済んだ。
痛みは感じる。どうやら、死んでいないようだ。
一体何故?
その理由を理解するのに、時間はかからなかった。
「うぅ……」
俺は叫ぼうと喉に言葉を詰めたが、出てきたのはうめき声だった。
すぐに立ち上がろうとしたが、体に衝撃が残っていてうまくいかない。
ただ虚しく、大きな背中を見るだけしかできない。
トロールの狙いは、レイナだった。
おそらく、水魔法を厄介に思い、狙ったのだろう。
何故、狙う相手を選ぶほどの知能があるのか。
そんなものはわからない。
ただ、ヤツには他のトロールとは違い、知能がある。
ただそれだけだ。
じゃなければ、瞬時に攻撃態勢をやめて『水壁』に突っ込むなんていう対策は出来ないだろう。
「『水流弾』!」
レイナ自身も、自分が狙われていることを瞬時に理解した。
その上で、魔法を放った。
『水斬撃』でもなく、『水壁』でもない。最も得意としている『水流弾』を。
『水流弾』自体に殺傷能力はない。
ただし、この際はそんなものはどうでもよかった。
必要だったのはトロールに見せていない魔法。
まだ、対策されていない魔法だ。
レイナの読み通り、トロールの顔に直撃し、視界を奪った。
『水流弾』はレイナの使用する魔法の中で、最も速い。
おかげで、彼女は九死に一生を得た。
しかし、今度こそ万事休すだろう。
「うぅ……、くっそ……」
もはや、俺に残された手は一つしかない。
あれは体に大きな負担をかける。
しかし、今の状況を打破するためには、やむを得ない。
俺はゆっくりと痛む体で立ち上がった。
そして、あの時を思い出す。
ロドルフとの決闘を。
あの時は、怒りに身を任せていた。
しかし、今は違う。怒りなんてものはない。
ただ、レイナという大切な人を殺させないという思いはある。
そのために目の前のトロールを殺そうという殺意も。
俺はあの時のように、右手に魔力を目一杯こめた。
こめて。こめて。こめて。
そして、放った。
---------
結論から言おう。
トロールは死んだ。
土手っ腹に大きな風穴を残して。
「ハア……ハア……。大丈夫か、レイナ」
「私は、なんとかね」
レイナも無事だった。
その事実に、俺は胸をなでおろした。
右手は、反動で悲惨な状態だった。
前回放った時よりも、もっと。
「右手がこんな状態だからさ、アスクレピスはレイナが取ってくれない?」
「それはもちろんいいけど……。とりあえず、回復だけでもした方がいい」
レイナは俺の右手に回復魔法をかけてくれた。
しかし、出血は止まったが、それ以上は治らなかった。
こればかりは、必要な代償だったと考えるしかないな。
「ごめん……。完璧に治せなくて」
「いや、いいよ。それよりも、アスクレピスを」
「……そうだね」
トロールとの戦闘で忘れていたが、魔力欠乏症の件がある。
俺とレイナも魔力を消費してしまった。
早くこの洞窟を脱出するに越したことはない。
レイナは運動神経がいい。
おかげで、スムーズに岩壁を登り、アスクレピスを取ることが出来た。
ようやく、これで依頼完了だな。
「……ん?」
気のせいか?
今一瞬、トロールが動いたような気がしたんだけど……。
まさかな。
「お……お……」
気のせいではなかった。
死んだと思っていたトロールが、再び立ち上がったのだ。
それだけではない、土手っ腹に空いていたはずの穴が、みるみるうちに塞がってしまった。
「……ああ」
知らなかった。
いや、載っていなかった。
トロールが再生能力を持っているなんて。
それとも、この個体だけが特別なのだろうか。
けれど、そんなことはもうどうでもいい。
目の前にいるトロールは再生能力を持っている。
その事実だけで、俺達を絶望させるには十分だった。
「……終わりか」
いや、まだ諦めるには早い。
俺が隙をつくって、その間にレイナだけでも……。
「『土の槍』」
その言葉と同時に、トロールを土で形成された槍が貫いた。
一切の手加減なく。
そして、その声には聞き覚えがある。
男らしく、頼もしい声。
「カルス!!」
その男は立っていた。
「お前ら!! 大丈夫か!?」
カルスは急ぎ足でこちらに向かおうとした。
しかし、まだ終わっていなかった。
「まだ動くのか」
カルスの『土の槍』によって貫かれた傷も、すぐに癒えてしまった。
このトロールは無敵なのかもしれない。
それとも、再生の限度があるのか。
「……なるほどな。コイツに還元されるのか」
何やらカルスは意味深な発言をした。
一体どういう意味だ?
再生能力に関係しているのだろうか。
「『土の兵』」
カルスは地面に手をつき、そう唱えた。
すると、驚くことにカルスの目の前に、トロールと同等の大きさの土人形が地面から出現した。
これも土魔法なのか?
「お前ら!! こっちに走って来い!」
カルスの言われた通り、俺とレイナはカルスのもとまで猛ダッシュした。
トロールのことなど考えずに。
当然、横を通ろうとする俺達をトロールは見逃さなかった。
再び石棒を振り上げ、今度こそ俺達を潰そうとした。
しかし、カルスの出現させた土人形がそれを許さない。
「ハア……ハア……」
背後で勃発した巨体対決を拝むことなく、俺とレイナは全速力でカルスのもとまでやってきた。
「来たな。急いで脱出するぞ」
カルスは土魔法でトロールが通れないように通路を塞ぎ、急いでその場を後にした。
俺達もその後に続いた。
トロールが追ってくる気配はない。
目的のものも手に入れた。
今度こそ終わりだ。
---------
外に出ると、闇夜が俺達を出迎えた。
時刻は夜らしい。
「ハア……ハア……。カルス、助かったよ……」
震える膝に手を乗せて、俺は感謝の言葉を絞り出した。
胸がひどく痛む。汗も止まらない。
ああ、駅伝大会を走り切った選手もこんな気分なのか。
「ハア……ハア……」
レイナに至っては、地面に寝っ転がっている。
そして、今にも死にそうなほどゼーゼーとしている。
余程、疲れたらしい。
「エト! レイナ! 無事でよかった!!」
すぐさま駆け寄ってきたのは、アンドルだった。
古の洞窟を出たからか、彼は随分と元気そうだ。
「アリスは、大丈夫なのか?」
「ああ、今は寝てるよ」
そっか。大丈夫か。
「はあー……、疲れた」
俺もその場に寝転がった。
そして、夜空を見上げた。
夜空には、至る所に円らな輝きがあった。
こうして見ると、美しいものだな。
疲れているからか、余計にそう思う。
「皆さん、よくぞご無事で」
次にやってきたのは、マリオだった。
彼は俺達が洞窟に潜っている間、ずっと待っていてくれたのだ。
「それで、目的のものは手に入りましたか?」
マリオの問いに、レイナは右手を上に掲げた。
その手には、アスクレピスがしっかりと握られている。
「おお、流石です!!」
マリオは興奮したようだった。
「今日はもう遅い。ここら辺で野宿しよう」
カルスの提案に、誰もが賛成の意を示した。
幸い、マリオがこの辺りに詳しいので、野宿場所には困らなかった。
食料もカルスが持っているし、タオルを敷けば寝ることもできる。
後は魔物なんだが……、マリオ曰くこの辺りには魔物がいないとのことなので、安心だ。
今のうちに、カルスにいろいろ聞きたいことがあったが、まあ明日でも遅くないだろう。
今日はカルスも疲れているだろうし。
明日は朝早くに公都クルドレーに戻る予定だ。
その道中にでも、聞くとしようかな。
ああ、そういえば右手の事なんだが……、なんとカルスの回復魔法で治ったのだ。
下級では無理だったが、中級ではいけたっぽい。
改めて、彼に感謝しなくては。
「……疲れたな」
とりあえず、今日はもう寝るとしよう。
明日もまだ、続くからな。
頑張ろう。




