第二十九話 緊急事態
レイナの後を追ってから、5分ほど経っただろうか。
階段はまだ続いているが、アンドルは息を切らしていた。
一段一段上がるごとに、膝に手をついて苦しそうにしている。
ここは一旦、休憩すべきだろうか。
「ハア……ハア……。くそ、体力が落ちた……」
アンドルは下を向きながら、そんなことを絞り出すように呟いた。
彼は運動不足……という訳ではないと思うんだけどな。
事実、毎日筋トレしてるらしいし。
緊張のせいではないだろうか。
「エトはいいな、そんなに体力があって……。レイナもだ。僕なんかとは比べ物にならないな」
「まあ、彼女は色々と変わり者だから」
「確かに、そうかもしれないな。……よし、先を急ごう」
ようやく息を整えたのか、アンドルは顔を上げた。
同時に、彼の額から汗が流れるのが見えた。
表情も、憔悴しているように見える。
もしかして、無理してるんじゃないだろうか。
「アンドル、もう少し休んだほうがいいぞ」
「僕は大丈夫さ。それよりも、レイナの方が心配だ」
そりゃあ、レイナも心配だよ。
光球体も持たずに、一人で突っ走ってさ。
魔物にでも急襲される可能性だってあるのに。
でも、同じくらい彼のことも心配だ。
もしも、ここで無理しすぎて倒れられたりでもしたら、どうすることもできない。
運ぶのは厳しいし、魔物に出くわしたら守り切れる自信もない。
「お~い!! 何してるのぉ~!?」
そんな時、階段の先から声が聞こえてきた。
それも、案外近い所から。
もしかして、階段の終わりが近いってことか?
「行くぞ、エト」
そう言って、アンドルは階段を上り始めた。
その後を、俺は慌てて追いかけた。
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俺の予想通り、階段の終わりは近かった。
やっとの思いで上がりきったら、レイナがしゃがみ込んで休んでいた。
かなり余裕のある感じだな。
「あ、やっと来た」
ようやく俺達に気づいたらしく、涼しげな顔でこちらを見上げた。
その口元には、水滴がついている。
どうやら、水を飲んだらしい。
「水飲む?」
「ああ、頼む」
レイナは、仕方がないなって感じの顔を浮かべ、よっこらせと腰を上げた。
「手、出して」
言われた通りに、俺は両手を差し出した。
そして、彼女のかざした手から溢れ出る水を、しっかりと受け止めた。
「ありがとう」
一言お礼をして、俺は両手に溜めた水を勢いよく口に流し込んだ。
かあ~! 生き返る~!
極限まで喉を渇かしてから飲む水は最高にうまいな。
「僕にも頼む」
「ん、わかった」
レイナは体の向きを変え、今度はアンドルの両手に水を注いだ。
そして、両手から溢れるなるほどに溜まった水を、アンドルは無我夢中で飲み干した。
「ふぅ……、助かった。ありがとう、レイナ」
アンドルのお礼に、レイナは頷いて答えた。
それにしても、やっぱり水魔法はこういう時に役立つから便利だな。
レイナがいる限り、水には困らない。
後は食料さえどうにかなればな……。
さて、休憩はこの辺までにして、そろそろ出発するとしますか。
――――――――おっと、その前に言うことがあったな。
「レイナ、次は独走すんなよな」
「……わかってるって」
果たして本当にわかっているのだろうか……。
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アンドルを先頭に、俺達は歩みを進めた。
今のところ、魔物とは遭遇していない。
そのことが、むしろ不気味に感じる。
「頭に気をつけるんだ」
アンドルの言った通り、天井が低くなっていた。
彼が忠告してくれなかったら、危うくぶつかるところだったな。
さっきから、こういったデコボコの通路ばかり通っている。
行き止まりにぶち当たったりもした。
まあ、それが本来の洞窟って感じだけど。
「痛!!」
突然、ドテン!! と大きな音が鳴った。
後ろを振り返ってみると、レイナが見事にすっ転んでいた。
……ドジだな。本当に。
「ううー……。自然、おそろしい」
彼女は若干涙目になっていた。
幸い、怪我とかはしていないようだ。
まあ、彼女の場合は回復魔法が使えるから、そこまで心配しなくてもいいんだが。
「足元、気をつけろよ」
「大丈夫、油断しただけ」
何が油断だい。
ドジっ子の一番おそろしいところは、自分がドジっ子だと理解しないことだってのに。
彼女は、まさにその典型例だな。
「見ろ。また道が分かれてる」
前方に目をやると、アンドルの言う通り、道が左右の2つに分かれていた。
うーん、どっちが正解だろうか。
右か? それとも、左?
「右に進めと、私の勘が言ってる」
レイナは右派らしい。
いやでも、レイナの勘なんて世界で一番信用できねえよ。
やっぱり、左が正しいな。
「みんな静かにするんだ。誰か来る」
右の通路から、何やら光が近づいてくる。
まさか、光で獲物を呼び寄せるタイプの魔物か?
それとも――――――――
「あ!! お兄ちゃん!!」
アリスだった。
ということは、だ。
「無事だったか! よかった!」
「カルス!!」
カルスも、当然いるよな。
彼がいるだけで、この安心感。
やっぱり、すげえ心強いな。
「それにしても、お前ら、よく生きてたな」
「いやー、偶然のおかげだよ」
パーティーメンバー全員が揃ったわけだし、
ここは一先ず、俺達が落ちてから何があったのか説明することにした。
馬鹿デカい魔物の背中のおかげで助かったこと。
俺とレイナが光球体を失くしたこと。
人工的につくられたであろう空間を見つけたこと。
そこでよくわからない本を手に入れたこと。
階段を上って、通路を進んでたらカルス達と合流できたこと。
簡単にまとめると、こんなところだろう。
「なるほどな……。とりあえず、その本とやらは一旦おいておこう。
それで、肝心のアスクレピスについてなんだが……。おそらく、こっちの通路の先にある」
カルスが指差したのは、俺達が通った通路でもなく、カルス達が通った通路でもない。
つまり、俺達から見て左の通路ってことだ。
俺もそっちに行くべきだと思っていたから、正しかったってわけだな。
……いや、まずはカルス達と合流するほうが優先事項だったから、右の方が正しかったのか?
「何でそうなるんだ?」
「だってよ、お前たちの方にはなかったんだろ? 俺達の方も一応、探したがなかった。
つまり、ある可能性が高いのはこっちの通路だけってことだ」
ああ、なるほどな。
けれど、見落としてるって可能性もあるんじゃないだろうか。
まあ、カルスのことだし大丈夫だろうけど。
「その前にさ。カルス、食べ物ちょうだい」
「ん? ああ、そうだな」
こうして、俺達のお腹は満たされ、全回復を果たした……とは言えないが、ある程度回復することが出来たのだった。
はあ、ご飯ってこんなに美味しかったんだな。
改めて、食べ物に感謝しなくてはな。
「よし!! お腹も満たされたことだし、進むとしよう!!」
空腹状態から脱却できたおかげか、レイナは元気いっぱいだった。
この調子じゃ、また独走しそうだな……。
最悪、カルスに止めてもらうとしよう。
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洞窟探索はスムーズに進んだ。
やはり、光球体が3つになったのが一番の要因だろう。
魔物と遭遇しなかったことも大きい。
「うう、お腹が痛くなってきた」
レイナのヤツ、散々張り切ったせいで胃が痛くなったらしい。
ほんとに子供みたいだな。
それはそうとして、さっきから周囲に異変が起きてる。
具体的に言うと、先に進むごとにだんだんと明るくなっているのだ。
今では、光球体すらいらない程だ。
カルス曰く、原因は不明。
可能性としては、アスクレピスに近づいたことによる影響だそうだ。
もはや魔草の域を超えてる気がするな。
「俺の推測が正しければ、アスクレピスは近くにあるぞ」
カルスの言葉に、俺は固唾を呑んだ。
古の洞窟に足を踏み入れてから、想定外のことがたくさん起きた。
それでも、結局は全員無事で、尚且つ合流もできた。
目的のものも、あと少しで手に入る。
なのにだ。
なのに胸騒ぎが止まらない。
一体何が不安なのか、自分でもわからない。
「おい、エト。何してんだ。置いてくぞ」
「……わ、悪い」
気づけば、皆は先に進んでいた。
いかんな、一旦頭の中をリセットしなくては。
余計な心配は体に悪いからな。
「アリス、顔色悪いけど大丈夫?」
「……うん、大丈夫だよ」
レイナの問いかけに、アリスはかすれるような声で返事をした。
その顔は、汗がびっしりとこびりついていて、憔悴しきっていた。
誰が見ても、大丈夫とは言えない状況だ。
「アリス!! 大丈夫か!」
次の瞬間、アリスはぐったりと倒れこんでしまった。
あまりの出来事に、俺は理解が追い付かなかった。
何か病原体に感染したのか。それとも、新手の魔物の攻撃か。
原因が全く分からない。
さらには、だ。
アンドルの鼻から、一筋の赤い線が垂れてきた。
そして、膝をついてしまった。
若干だが、息も荒い。
「カルス! 一体何が起きてる!?」
焦りまくってる俺とは対照的に、カルスは非常に落ち着いていた。
まるで、症状の原因を知っているようだった。
「……これは、魔力の枯渇によって引き起こされる、魔力欠乏症だ」
「魔力の枯渇!?」
俺の頭の中で、疑問が生まれた。
アンドルとアリスは、この洞窟に入ってから一回も魔力を使ってない。
少なくとも、アンドルは絶対に。
強いて言うなら、光球体を光らせるために使っただけだ。
それでも、魔法を使用するよりも圧倒的に魔力消費は少ないはず。
魔力切れになる理由などには、到底ならない。
それだというのに、2人は魔力切れになった。
「カルス、本当に魔力切れが原因なのか!?」
「断言は出来ねえ。けど、俺が昔によく見た症状とそっくりだ」
「それが、魔力欠乏症だっていうのか!?」
「……そうだ」
くそ……、あと少しでアスクレピスが手に入るってのに。
いや、もしかしたら、アンドル達が魔力欠乏症になったのもアスクレピスの影響だったりするのだろうか。
……ここまできたら、もう何でもありだな。
「……エト、僕は大丈夫だ。だから、構わず進むんだ」
「そんなの出来る訳ないだろ!」
「僕がアリスを連れて洞窟を出る。そうすれば、心配はないだろ?」
「大ありだ!」
アンドルはヨボヨボと立ち上がり、心配するなと言わんばかりに笑って見せた。
しかし、そんなもの作り笑いだとすぐに見抜けてしまう。
彼がやせ我慢していることも。
「……アンドル、今は無理をする場面じゃないよ」
レイナの言葉を受けても、アンドルは頑なに拒み続ける。
「せっかくここまで来たのに、今更みんなで引き返すわけにはいかない。
それに、レイナの家族の命がかかっているんだろう?」
「それでも……」
「それに、もう嫌なんだ。自分が足手纏いになるのが……。自分のせいで、失敗するのが……」
アンドルは溜息をつくように、吐露した。本音を。
その言葉は、やけに重く感じた。
そのせいで、なんて説得すればいいのか、わからなくなってしまった。
「わかった。俺がアスクレピスを取ってくる。
代わりに、エトとレイナが、アンドルとアリスを洞窟の外まで連れていけ」
「いや、逆。カルスがアンドルとアリスを洞窟の外まで連れていって」
カルスに反論したのは、レイナだった。
「……なんでだ?」
「最優先はアンドル達の安全。
魔物に襲われたりした時に、2人を守れる可能性が高いのはカルスだから」
「俺も、レイナの案がいい」
レイナもいるとは言え、流石に魔物に遭遇する可能性がある中で、2人を守れる自信がない。
第一、この依頼を受けたいと言い出したのは俺とレイナだ。
だからこそ、責任もって俺達がアスクレピスを取りに行くべきだと思う。
「……わかった。ただし、危険なことがあれば、すぐに逃げろよ」
「わかってる」
カルスから許可が下りた。
アンドルは不満な顔をしていたが、しょうがない。
「行くぞ、レイナ」
「うん」
ああ、なんだか懐かしい感じだ。
前まで、ずっと2人で行動してたからな。
ともあれ、アンドルの方の心配はとりあえずしなくてもいいだろう。
今はこちらに集中しよう。
アスクレピスを必ず手に入れるために。




