第二十二話 森の中の死闘
悲鳴が上がった後、辺りは静寂に包まれていた。
少し前までポカポカとしていた身体は、今では肌寒くなり小刻みに震えている。
「カルスさん、アリスをお願いします」
アンドルは念を押すように、カルスに頼んだ。
兄としては、やっぱり妹が心配なんだろうな。
それか、カルスがあまりにも自信満々だから、凡ミスをしないように遠回しに警告しているのかもしれない。
まあどちらにせよ、俺からすればアンドルのことも心配なんだけどな。
戦闘に自信がない的なことを言っていたし。
こっそりとカルスに、アンドルのことも守るように頼もうかな。
「みんな、音を立てないように」
アンドルの言葉に、俺とレイナは静かに頷いた。
そして、彼を先頭に、俺、カルスとアリス、最後尾にレイナの順番で進んでいく。
正直、アンドルが先頭なのは不安だけど、テラーモンキーの生態を知っている分、俺やレイナを先頭にするよりはいいか。
「ていうか、さっきの悲鳴って、もしかして俺達より先に行ったパーティーの?」
「多分な」
テラーモンキーは夜行性だって話だから、夜遅くに行ったパーティーは間違いなく全滅してるだろう。
ていうことは、さっきの悲鳴は早朝、つまり俺達よりも少し早く行ったパーティーのものってことだ。
要するに、テラーモンキーは既に起きている。
それも、睡眠を邪魔されて激おこ状態って可能性もある。
「……マジで最悪」
心の声が漏れてくる。
もはや抑えるつもりもない。
どの言葉が最期の言葉になるのか分からないから、せいぜい後悔しないように全部吐き出しまくってやる。
「――――――――!!」
アンドルがいきなり足を止めた。
理由は聞かなくても分かった。
「……」
目の前で、真っ黒い猿が4匹程群がって、ガツガツと何かを夢中で貪っていたのだ。
ほんの数秒後には、それが何なのかが分かった。
「………………」
人だった。
もしかしたら、さっきの悲鳴も、彼のものだったのかもしれない。
ただ俺は、目の前にある惨たらしい光景に、声を上げることが出来なかった。
驚きや戸惑い、さらには恐怖。
他にもたくさんの感情がごっちゃ混ぜになって、脳がフリーズした。
「水斬撃!」
俺の後方にいたレイナが、素早く水魔法を放った。
そしてそのまま2匹の猿の首を綺麗に切断した。
「キーキー!!」
残った2匹の猿は、顔を上げ、振り返った。
そして俺達の姿を目視すると同時に、怯えたような鳴き声を上げながら一目散に逃げて行った。
「今のがテラーモンキー?」
「ああ、そうだよ」
今の猿がそうなのか。
もっと茶色の毛を想像してたんだけどな。
でもまあ、あんなに真っ黒い毛だったら夜闇に紛れて気づくのが困難だっただろう。
アンドルの言う通り、早朝に来てよかったな。
「……うげぇ。これってもう、死んでるよな?」
「見れば分かるだろ」
テラーモンキーが去った後にポツンと残された亡骸は、すでに見るに堪えないありさまだった。
顔が食い破られ、血が滝のように流れ出し、辺りを真っ赤に染めている。
あまりの生々しさに、直視することすら出来ない。
正直、俺にとっては白骨体の方が幾分ましだった。
「こういう死に方だけはごめんだな」
「……同感」
今回に関しては、俺とレイナの意見は一致した。
「それにしても、テラーモンキーってあんまり強くない?」
不意打ちだったとはいえ、レイナの水魔法で即死だった。
残りの2匹もビビッて即退散してたし。
「テラーモンキーの恐ろしい所は単純な力じゃない。頭脳だよ」
頭脳だと? さっき尻尾巻いて逃げたのも作戦だってのか?
いやいや、そんなはずない。
あの時の怯え顔はどう見ても本物だったぞ。
「ああやって相手を自分たちのテリトリーに誘導するんだよ」
「マジか……。まさかそんなに策士だったとは……」
危うく騙されるところだった。
でもまあ、結局ついて行かなかったんだから問題なしだ。
「見て見て!! お猿さん、まだいるよ!」
アリスが右奥の大木を指差しながら大声で言った。
その瞬間、全員の視線がそこへ向いた。
「……2匹……だけか」
おそらく、さっき逃げたであろう2匹が、枝の上にひっそりといたのだ。
俺はそれを見て、安堵した。
てっきり仲間を殺られた怨みで、総出で仕返しに来たのかと思ったから。
たったの2匹だったら怖くないぞ。
うちのレイナさんが秒殺してくれる。
「……あれ?」
俺の見間違いかな?
さっきまで2匹だったテラーモンキーが、5匹に増えているではありませんか。
もしかしたら疲労のせいで幻覚が見えているのかもしれないな。
「……残念ながら、現実みたいだ」
アンドルは冷や汗を額から垂らしながら、青ざめた声で告げた。
その瞬間にも、テラーモンキーの数は増えていく。
そして、あっという間に囲まれた。
「……おいおい、俺ついて行かなかったのに……」
誘導に失敗したから、向こうから来たのだろうか。
それも総出で、だ。
「おっし、これでわざわざ住処に行かなくて済むぜ」
こんな絶望的な展開の中、一人だけ能天気なことを言っているヤツがいた。
自信満々な男、カルスだ。
「気をつけるんだ。テラーモンキーは集団で獲物を狙う。前方に注意を引き付けて、死角から獲物を攻撃するんだ」
アンドルのヤツ、本当に詳しいな。俺と同い年だってのに、この差は何なんだろうか。
「来るぞ!!」
カルスの言葉が森の中に響いたと同時に、テラーモンキーが一斉に甲高い声を上げた。
「レイナ!! 後ろ頼む!」
「分かってる!!」
俺が正面、レイナが背面。
こうすることで、お互いの死角をカバーし合える。
アンドルとカルスも同じようにしているから、咄嗟の判断にしては、なかなか得策だったのだろう。
ふん、俺だってアンドルに負けてないんだぞ。
「水流弾!!」
レイナは、向かってくるテラーモンキー達に水魔法を放って応戦する。
しかし、その数の多さに苦戦していた。
一方の俺も、電撃魔法を使って応戦している。
けれど、今の俺の実力では複数の敵と戦うのには向いていない。
白狼と戦った時もそうだったが、電撃魔法を一発放った後、次に放つまでに若干タイムロスが生まれてしまうのだ。
レイナみたいに、一回で複数発放てるのなら話は別なんだけど。
「……ッ!!」
案の定、2匹抜けてきた。
そして、鋭い鉤爪を振りかざしてきた。
「オラァ!!」
その瞬間、俺とテラーモンキーとの間に鋭い音が響いた。
そう、こうなることは予想の範囲内だった。
だから俺は、魔法を放つ右手とは逆の左手で、いつでも剣で防御できるように構えていたのだ。
腕力に関しては、テラーモンキーは大して怖くない。
片手で十分対応できる。
勢いよく振るった攻撃を防がれたことで、テラーモンキーは一瞬、体勢を崩した。
そこを俺は見逃さず、思いっきり蹴りをお見舞いしてやった。
「ギィー!!」
仕留めることは出来なかったが、距離をとることには成功した。
あとは、この流れを繰り返して徐々に数を減らしていこう。
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そこからは一進一退の戦いだった。
電撃魔法で数匹撃ち落とした後、肉薄してくるテラーモンキーの攻撃を躱したり、剣で受け止めたりしてやり過ごす。
地味な戦い方だったが、それでもテラーモンキーの数は徐々に減ってきている。
勝てる。
まだ戦いの最中だが、心の中でそう思った。
何故だか、テラーモンキーはさっきから消極的な動きしかしない。
もっと殺気立ってなりふり構わず突っ込んでくるのかと思っていた。
余程、正面からの戦闘には自信が無いのだろうか。
しかし、テラーモンキーの真の狙いに気づくのに、そう時間はかからなかった。
「……マジかよ……」
森の奥から、テラーモンキーの大群が向かってきているのが見えた。
どうやら、援軍が来るのを待っていたらしい。
どうりで消極的なわけだ。
「クソ……」
テラーモンキーは背後をとることを諦めて、数でゴリ押す作戦にしたらしい。
そうなると、非常にまずい。
ただでさえ数匹の攻撃を捌くのがやっとだったというのに、これが数十匹と増えたら、堪ったもんじゃない。
そして、俺の方に来るということは、当然レイナの方にも来る。
いくらレイナと言えども、数十匹の相手は無理だろう。
そう、今度こそ詰み。打つ手なしだ。
「レイナ!!」
「ちょっと何して……」
俺はレイナの手を取って、全力で走り出した。
突然の行動に、彼女は呆気に取られたような顔をした。
しかし、そんなことに構っている暇はない。
確かに打つ手はない。ただそれは、俺とレイナ、2人だけだった時の話だ。
「カルス!!」
俺達は2人じゃない。パーティーだ。
仲間を頼るのも、立派な作戦だろう。
でもまあ、正直な話をすれば、確証があったわけじゃない。
ただ、信じた。アリスとアンドルの言葉を。
そして、その男を。
「こっちだ!! こっちに来い!」
こんな時でも、カルスは笑みを浮かべていた。
それでも、一瞬で俺の考えを理解したようだった。
「邪魔だ! そこどけ!」
進路を妨害しようとするテラーモンキーに、電撃を喰らわせてやった。
ただそれでも、数が多すぎる。
「ギィー!!」
テラーモンキーの鋭い鉤爪が、額を斜めに通り過ぎた。
そのことを認識する前に、反射的に俺は左手に握られた剣を横に振り抜いた。
その瞬間、ポキッという音とともに、刀身が地面に転がった。
しかし、そんなことを気にしている暇はない。
「水流弾!」
後方から3つの水の玉が通り抜け、前方にいるテラーモンキーを吹き飛ばした。
カルスのもとに行くには、今しかない。
俺は足に力を込めて、勢いよく地面を蹴った。
「おい! カルス!」
その時、1匹のテラーモンキーが、カルスの後ろから飛びかかっているのが見えた。
そのことに、カルスは気づいていない。
さっきからカルスはこちらを見てばっかりで、自分の周囲を確認していなかった。
そのツケが回ってきたのだ。
「キイィー!!」
甲高い声を上げると同時に、鋭く尖った鉤爪がカルスを襲う。
が、カルスはそれをいとも容易く躱してしまった。
それどころか、お返しと言わんばかりに、右アッパーをテラーモンキーの顎に繰り出した。
見事なカウンターを決められたテラーモンキーは、鈍い音とともに、後方へふっ飛んで動かなくなった。
素人の俺から見ても、カルスの動きは、一切の無駄がなかった。
もしも、この一連の流れがテレビで流れていたら、俺は迷わず立ち上がって拍手をしただろう。
さらに幸運なことに、俺達を追っていたテラーモンキー達は、カルスの方に気を取られて動きが鈍くなっていた。
おかげで、追いつかれる事無くカルスのもとに辿り着いた。
しかし、ここからどうするかは考えていない。
何とかして逃げるのか、それともまだ戦闘を継続するのか。
まあ普通に考えて前者だろう。
今から戦うにしても、俺達は既に全方位を囲まれている。
それも、圧倒的な数で。
「お前ら、俺の周りから離れんなよ」
いきなりカルスが、まるで王子様のようなことを言い、しゃがみ込んで地面に両手を置いた。
その動作は、どこか優しく、それでいて重々しかった。
そして一言。
「大地の破壊」
次の瞬間、足元に大きな揺れが生じた。
想像を絶する振動。
俺はアリスのことを両手で掴んで守ろうとした。
けれど、立つことすらやっとだった。
時間にして、僅か15秒程。
それでも、周りの景色は嘘のように一変していた。
「すげぇ……」
周囲の木々は軒並み倒れ、所々に地割れが発生していた。
規模にして半径100メートル程だ。
一体どんな魔法を使ったら、こんなデタラメなことが出来るのだろうか。
巻き込まれたテラーモンキーも、当然ただでは済んでいない。
数にして100匹以上はいたであろうテラーモンキーは、ほとんどが倒木に巻き込まれ、下敷きになるなどして壊滅的な状況になっていた。
俺たちにとっては、これ以上にない程の最高の状況だ。
「さてと、運よく生き残ったヤツらを狩るか」
生き残っているヤツも、木々が倒木して利用できない今、魔法の餌食になるしかない。
まさに形勢逆転ってやつだな。
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そこからは一方的だった。
死に物狂いで逃げようとするヤツもいれば、逆に真正面から向かってくるヤツもいた。
けれど、レイナや俺、さらにはカルスの魔法によってその全てが打ちのめされた。
その一連の様子を、アリスはニコニコの笑顔で眺めていた。
彼女にサイコパス味を感じたのは、この瞬間が初めてかもしれない。
アンドルは一人、憔悴しきっていた。
どうやら、魔力が底をつきそうらしい。
普段からレイナと一緒にいるせいか、魔力切れって概念を忘れていたな。
俺も気を付けなくては。
まあ俺自身、どのくらい魔法を使ったら魔力が底をつくのか全く分からないけど。
ともあれ、テラーモンキーを全滅させることは出来た。
もしも生き残っているヤツがいたとしても、この森に住み続けようとはしないだろう。
つまり、これにて依頼達成だ。
「やったーー!!」
相変わらずアリスは元気いっぱいだった。
残念ながら、俺とアンドルには喜ぶ元気は既にない。
ふと、テラーモンキーにつけられた傷を思い出した。
その瞬間、ジワジワとした痛みが襲ってきた。
幸い、かすり傷で済んだので、後でレイナに治療してもらおう。
初めて依頼を受けた時に譲ってもらった剣は、残念ながらダメだった。
まあ元々、かなり劣化していたからな。
しょうがない。
「よし、戻るか」
あんなに大規模な魔法を使ったのにも関わらず、カルスには一切疲労が見られない。
この男、一体何者なんだろう。
今すぐにでも問い詰めたいところだが、今日はもうやめておこう。
「……疲れた」
生き残れたはいいが、結局、カルスがいなければ死んでいたのは俺達だっただろう。
まあ俺達だけだったら、星5の依頼なんて受けることはなかっただろうけど。
ひとまずは、この疲れた身体を休ませよう。
明日もまた、忙しい日々が続くのだから。
オレンジ色に染まる空を背後に、俺は歩みを進めるのだった。
 




