第九十九話 日常の尊さ
寒い朝に焚き火を囲い、俺達は向かい合う。
小さなコップを握り、凍えた手を温める。
中身は昔、カルスがお勧めしてくれた飲み物だ。
「……お話しする前にひとつ謝らせてください。あなた達を襲ってしまい、本当にごめんなさい」
「その件は気にしてないよ」
「私も右に同じ」
下半身に被せた毛布にくっつくほど、女の子は深く頭を下げる。
下に視点を向けなければ、土下座と勘違いするほどの美しさだ。
この若さでこの域に達するなんて、一体人生何週目なんだろう。
冗談はさておき、食糧難で生きるか死ぬかの瀬戸際だったんだ。
今回の件で、この子を責められる人間なんていない。
道端の旅人を襲って少しでも延命できるのなら、誰だってそうしただろうし、俺だってそうしただろう。
むしろ、殺害ではなく無力化であることに優しさが詰まっていると言える。
「そう言っていただき、ありがとうございます」
女の子は少し照れくさそうにしながらも、俺達の目を見て感謝の言葉を告げる。
そして、深く深呼吸を挟み、覚悟を決めたように両手をギュッと握った。
「わたしの名前はニーナです」
女の子……ニーナが話し始めたのは、彼女の生い立ち、そして今に至るまでの出来事だった。
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わたしが生まれたのは、ニンバスという町です。
皆さんもご存知の通り、魔法薬が有名ですね。
え? 雲の上にある町だって?
確かに巷ではそう伝わっていますけれど、厳密に言えば雲じゃないです。
あ! 話が逸れてしまいました。すみません。
わたしの両親は、ニンバスが誇る有名な薬屋を営んでいました。
薬屋の名前は『ニンバス』。そう、町の名前と同じなのです。
それには理由があって、話はわたしが生まれる数十年前にまで遡ります。
数十年前の当時、アズマ共和国とその隣国は戦争状態でした。
それはそれは激しい戦いだったそうで、両国に多大な被害が発生します。
当然というべきか、長くに渡る戦闘に疲弊した国民や兵士は、戦火が及ばない安息地を求めて彷徨います。
そして、辿り着いたのが、後にニンバスと呼ばれることになる土地でした。
その土地の噂は瞬く間に広がり、移り住む者まで現れます。
しかし、その土地は一時的に身を隠すならまだしも、永住するには何もかもが足りません。
最初こそ、人々が持ち込んだ物資で何とか生き長らえることができていましたが、食糧、住居、治安、そのどれも安定させるには、多額のお金が必要でした。
そこで、わたしの祖父母が名乗りをあげます。
アズマ共和国で薬屋を営んでいた経験を活かし、その土地に新たな薬屋を開いたのです。
そう、この薬屋こそが『ニンバス』でした。
ただ、魔法薬の調合に欠かせない魔草も一から作るため、最初はかなり大変だったそうです。
しかし幸運なことに、その土地はおかしなくらい晴れが続く気候だったため、魔草は順調に育ちます。
そして、薬屋を開いてから2ヶ月、最初の魔法薬を完成させることができたのです。
さらに祖父母の行動に感化された人々が続き、何時しかその土地はひとつの町に様変わりしていました。
質の高い魔法薬や魔草などを他国に宣伝し続けたこともあり、やがては貿易も始まります。
そうして、人々は悲願の安息地を手にすることができたのです。
人々は、その土地を正式に町とすることに決めます。
その際、ここまでの功績が認められて、町の名前を薬屋と同じであるニンバスとすることが決まりました。
はい、これが簡潔にまとめたニンバスの歴史です。
前述した通り、わたしは町のシンボルともいえる薬屋ニンバスに生まれました。
幼い頃から、薬屋の娘として日々勉強に勤しんでいました。
その内容は、主に魔草の育て方から魔法薬の調合までの狭く深いものでした。
両親はよくこう言いました。
ニーナは将来、誰よりも立派な薬師になれる。
身に付けたこの知識や技術が、いつかきっと皆の笑顔に繋がると信じて疑いませんでした。
それは今でも変わりません。
その言葉が、わたしの全てです。
わたしが8歳になる頃、ひとつ不可解な出来事が起こりました。
それは両親に連れられて商談に出掛けた時。
両親に仕事を丸投げし、わたしは8歳児らしく木登りをしていました。
しばらくすると、そこに商談相手の息子も加わります。
この日以降、会う機会はなかったので、この少年の特徴についてはあまり覚えていません。
わたしは運動神経は良い方じゃないけど、ドジでもないので落ちたりはしません。
だけど、少年の方は張り切り過ぎたようで、見事に落下しました。
幸い、骨折などの重傷は負わなかったけれど、肘のあたりに切り傷を負いました。
少年はわたしに言いました。
薬屋の娘なんだから、治してくれと。
当然、回復薬の作り方は知識としてあります。
しかし、商談にそんなものわざわざ持って来るはずがありません。何せ8歳ですし。
商談の妨げになるので両親に助けを求めることもできません。
それでも治せと言うので、わたしは困り果てました。
そんな時、わたしは昔小耳に挟んだ、ある噂を思い出しました。
その噂と言うのは、冒険者は依頼の途中、軽い傷を負った時は、傷口に唾液をつけておくというものです。
果たしてそんなことで傷が治るのか。
薬屋の娘として言わせてもらえば、まず有り得ないです。
しかし、火のない所に煙は立たぬとはよく言います。
悩んだ結果、試してみようと決断しました。
百聞は一見に如かずとも言いますからね。
試してみた結果は、驚くべきものでした。
何と、少年の傷は跡形もなく完治したのです。
胡散臭い噂が、まさか本当だったとは思いませんでした。
――――――――いえ、やっぱり普通に考えて唾液で傷が治るはずがありません。
とはいえ、目の前にある事実を見過ごすこともできません。
ですので、ニンバスに戻った後で詳しく調べてみました。
すると、衝撃的な真実が発覚しました。
少年の傷が完治したのは噂通りに唾液をつけたからではなく、わたしの唾液をつけたからでした。
つまり、わたしの唾液が特別だったのです。
さらに詳しく調べてみると、わたしの唾液は回復薬と全く同じ効果を持っていることが判明しました。
何故そのような体質なのか、当時のわたしには見当もつきません。
そのため、異常者だと思われないか心配で誰にも相談できませんでした。
年月が経つにつれて、わたしの唾液は回復薬だけでなく、他の魔法薬の効果も引き出せるようになりました。
ちょうどこの頃になり、わたしは両親に相談することを決めました。
父によると、それは特異属性魔法とのことでした。
五大属性魔法や無属性魔法とは異なる、わたしだけの特別な魔法なのだと。
正直言って、どうしてわたしなのだろうと考えてしまいました。
そんなわたしに、母はこう言ってくれました。
あなたは誰よりも優しい力に恵まれたのだと。
わたしは嬉しかったです。
この力で両親の、町の、そして皆の役に立てると思ったから。
こうしてわたしは、普段の勉強に加えて、この特異属性魔法についてさらに調べることにします。
そこから時は流れ、9歳になる頃には全容を把握することが出来ました。
この特異属性魔法は、わたしが認識できる液体ならば何でも生成することが可能であり、場所や道具にも左右されない。
薬師であるわたしにとっては、まさに理想のような魔法でした。
でも、この事実が後に悲劇を招くことになるなんて、当時のわたしには想像すらできませんでした。
さらに時が流れ、わたしが10歳になった頃、父が急病で亡くなりました。
それについては、もう心の整理は済んでいるので大丈夫です。
一晩中泣いたけど、わたしには父の意志を継ぎ、薬屋を続けていく使命がありますから。
いつまでも、ぐずぐずしてられません。
ただ、町のシンボルである薬屋ニンバスの主人が亡くなったという事実は、町の根底を大きく揺るがすことになります。
元々、魔法薬や魔草の輸出で生計を立てていた町ですから、その筆頭が危うい状態になれば当然不安は広がります。
そんな中、新しい町長はこれを機に魔法薬に頼り切った現状から脱却しようと画策しました。
町長は他国から凄腕の実業家を町に招き入れ、すぐさま改革を進めます。
その改革の内容は、魔法薬から毒薬の生産への移行でした。
人々を救う薬の提供から、人々を苦しめる薬の提供に舵を切ろうとしたのです。
町中から非難が殺到する――――――――そう思いきや、実際は賛否両論でした。
前述したように、町民に不安が広がっていたこと。
年々数を増やす競合の存在。
さらには、毒薬の需要が近頃高まりをみせていることが原因だと、母は言っていました。
毒薬は調合が難しく、うまく形にしたとしても毒性を著しく損ないます。
武器に仕込むなんて、以ての外です。
今の世の中、毒薬が出回っていないのはそれが原因です。
そんな背景がありながらも、何故実業家は毒薬の製造に目を付けたのか。
それは、一度調合の技術を確立してしまえば、あらゆる国に売りさばくことができ、市場を独占できると考えたからです。
職人、設備、環境、その全てが揃っているこの町が選ばれることは、必然でした。
毒薬の生産となれば、当然、町一番の薬屋である我が家にも話が来ます。
しかし、代々継いできた意志を守るために、母は何度も追い返しましたが、それでも連中はしつこく戻ってきました。
連中が頑なに諦めなかったのは、我が家が拒み続ける限り、この改革は進歩しないからです。
だからこそ、なんとしても我が家を手中に収めたかったんだと思います。
……今思えば、わたしの魔法の存在が連中の耳に入ったことも原因のひとつだったのかもしれません。
わたしの特異属性魔法は既存の魔法薬はもちろん、全く未知の魔法薬すらも生み出すことが可能です。
ただ、生成するには、わたし自身が生成する液体の構成成分を理解し、頭で設計図を組み立てる必要があります。
逆に言えば、それさえ出来てしまえば、あとは調合する技術が未完成でも生成できてしまうのです。
連中はその点に目をつけました。
一度わたしに完成品を生成させて、そこから逆算して調合技術を確立しようとしたのです。
その企みに気づいた母は、わたしを連れてすぐに町から出ようとしました。
だけど、連中がそれを許すわけがなくて、実業家が雇った私兵に薬屋を囲まれてしまいました。
そんな状況でも、母はわたしのことだけを考えていました。
母は自らを囮にして、わたしを逃がしてくれたのです。
誰かに助けを求めることも出来たけど、今はそうしなくて良かったと思います。
町長が連中の味方である以上、あの町に留まっていては遅かれ早かれ捕まっていたでしょうし、最悪巻き込んでしまう可能性もあったから。
もう味方は誰もいなかったけど、振り返らずにただ走りました。
どんな道を通って逃げたのか、記憶に全くありません。
ただ、その日、雨が降っていたことだけは覚えています。
ニンバスが泣いたのを見たのは、わたしの知る限り、その日が2回目でした。
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「あとはご想像の通りです。なけなしのお金も使える機会がなかったし、旅人に助けを求めようにも疑心暗鬼に陥って足踏みしちゃう。わたしはもう……どうしたらいいか分からないです」
ニーナは最後、声を震わせて俯く。
いつ自分に襲い掛かって来るか分からない脅威から我が身を守るように、自らをギュッと抱きしめる。
「話は大方理解できた。つまり、その町長と実業家を殺せば丸く収まるってことだよね」
「簡単に言うけど、相当なリスクが伴うぞ」
「そんなの承知の上だよ。まさか、怖気づいたとか言わないよね?」
「まさか……そんなわけないだろ」
震えるニーナの肩に、俺はそっと手を掛ける。
さっきの話を聞いただけで、この子がどれだけ薬屋に情熱を注いでいたかが分かる。
「なあ、ニーナ。薬屋、続けたいか?」
「うん。皆が笑顔でいられる世の中にすることが、わたしの夢なの」
「そっか……」
レイナは力強く立ち上がり、右手に杖を掴む。
そして、傍に置いておいた帽子を被り、ローブを着る。
「さ、そうと決まれば即行動だよ。さもなきゃ、取り返しのつかないことになる」
「……どうして、わたしの為にそこまでしてくれるの?」
「日常の尊さは、一度でも失ったことのある人にしか分からないから」
「……だな」
口で言うのは誰にだってできる。
だけど、真の意味で理解するには、実際に自分の身で経験しなければならない。
俺もレイナも日常がどれだけ尊く、大切なものなのかよく理解している。
だからこそ、ニーナに親身に寄り添ってやれるのは俺達くらいだ。
まだ10歳くらいの女の子が、夢ではなく現実を直視せざるを得ないこの状況を、黙って見過ごすわけにはいかない。この子には、帰る場所があるべきなのだ。
その場所を奪還するためなら、何だって惜しくはない。




