戦場の空気
聖華暦835年 3月12日
レスクヴァ奪還作戦が始まって丸4日。
攻勢と後退を幾度となく繰り返しながら、戦いは膠着したまま大きな動きを見せないでいる。
陸上戦艦から放たれる激しい砲撃音、大挙した機兵の大地を踏み砕く轟音、金属同士がぶつかり合う、命を散らす戦場音楽。
朝も昼も夜も問わず、繰り返し繰り返し繰り返し。
そして夜も更けようかという時刻。
地上のそこかしこで燃える戦火の他には、この戦場を照らすものは天に浮かぶ半月のみ。
「第七機兵隊は左側面の砲撃陣地の攻略に集中してください! 第十二重機兵隊、正面の敵機を引き付けてから迎撃を! 第三中隊は私に続いて右翼集団に吶喊です!」
『『『『『『『了解!』』』』』』』
各部隊の返事が唱和し、一斉に動く。
それぞれの部隊がリリィの指示に従って動き、小規模ながら戦術面の勝利を重ねてゆく。
けれども悲しいかな、やはり小規模な勝利をいくら重ねようとも、戦局自体にほとんど影響を与えていない現実に、リリィは焦燥感を覚える。
それと同時に、敵機を一機、また一機と屠るたび、得も言われぬ悦びを感じていた。
リリィが手にした剣を振るい命を刈り取る瞬間、『感情視の魔眼』によって視覚した相手の、感情の色の妖艶な美しさに魅了され、得物を通して伝わる生々しい感触の心地良さに痺れる。
拭がたい悦楽が、身体の芯を貫いてゆく。
「あぁ、ダメ、人を殺しているのに……私……あぁ…」
機兵の操縦槽の中なのが幸いし、彼女が人殺しの際に浮かべる笑顔を見られずに済んでいる。
対峙する敵、聖王国の兵士達が憎いわけではない。
けれども帝国を護る為、帝国の民達を戦火から遠ざけ、彼らの安寧を護る為、リリィは剣を取って戦うのだ。
その大義は確かに揺るぎない、彼女の戦う理由となっている。
それなのに、敵を倒す際、すなわち命を奪う際に、快楽を覚えてしまう。
こんなのは私ではない。
こんなものを欲して暗黒騎士になったのでは無い、と、彼女は自らに言い聞かせて戦っている。
けれども、敵機が眼前に迫り、剣を振るうたびに、彼女は斬り倒す相手にベインの姿を重ねてしまう。
理性で帝国の敵を斬り、本能で恋敵を斬ったつもりとなって、ごくごく僅かばかりな溜飲を下げている。
……いいや、そんなのはただの言い訳、自分の淺ましい本性を認めたく無いがために無理矢理捻り出した弁明に過ぎない。
本当はリリィ自身も解っているのだ。
それでもやはり、認めたくないし、認められない。
大勢の無辜の民を護る大義を持ち、師匠であるシルヴィア・ガーランド卿に抱いた憧れを持って、暗黒騎士を目指し、その為の力を得たのだ。
それを、自らの歪んだ欲望を満たすために振るっているだなんて。
戦いの最中ではあったが、リリィはそんな自分の有様に嫌悪感を抱いていた。
敵部隊が一時的な退却を始めた事で、リリィは我に返った。
「皆さん、追撃は無用です。私達も後退し、補給を受けましょう。」
『了解しました、全機後退します。』
各部隊を指揮する指揮官からの応答を受けてから、リリィは操縦槽の中で深呼吸をする。
機兵の操縦槽の中にいても、血と油の焦げついた臭いが漂っている気がした。
ここは戦場の只中なのだ。
それ自体はあながち間違いではないのだろう。
それとも、そう感じるのは、戦いに身を置く事で自覚してしまった自分の歪んだ欲望のせいなのだろうか。
リリィは頭を軽く振って邪念を追い出し、部隊の殿について後退した。
惚けている場合では無い、まだ戦いは続いているのだ。
今は自分の淺ましさを気にしている時では無いのだ。
より多くの命を護る為、より多くの命を刈り取らなければならないという矛盾を、今は考えない事にした。




