決闘
聖華暦835年 1月10日 帝都ニブルヘイム貴族街
新たな年を迎えて、10日が経った。
季節はまだまだ冬真っ盛りで、今日は曇り空で、雪こそ降ってはいないけれど、一層肌寒い。
「エミリさん、遅いなぁ……」
今、エミリさんは買物に出ている。
大した量ではないからと、今日は一人で出かけたのだ。
一時間ほどで帰ると言っていたのに、もう二時間を過ぎていた。
彼女のいない時間はとても寂しくて、より一層肌寒い。
少し不安になり、門まで様子を見に出て来てしまった。
しかし、まだ帰ってくる気配が無い。
『遠視の魔眼』を使って探そうか、とも思ったのだけど、それは流石にやり過ぎだろう。
心配するあまり、自分がおかしな行動をしている事を反省して、中へ戻ろうとした時だった。
「ちょうど良い所にいたな。」
声をかけられた。
ソイツはビクトルの取り巻きの一人だった。
確か名前は……ハンフリー、といったはず。
「何か用?」
「今日は誘いに来た。大人しく着いて来ないとお前のお友達が大変な事になるぜ。」
……なんだって? それはどういう……。
まさかコイツら、エミリさんを……。
「無事なの?」
「今はな。だが、この後はお前の態度次第だ。」
沸々と怒りが込み上げて来た。
僕一人を誘い出す為に、エミリさんを巻き込むなんて。
彼女に何かあったら、絶対に、赦さない。
「……判った、案内して。」
ハンフリーは顎で付いてくるように促して歩き出した。
僕もそれに無言で従う。
しばらく歩いて、今は使われていない無人の屋敷へと辿り着く。
僕達はその屋敷の裏手に回り、開いたままの通用口から裏庭へと入った。
彼らはすぐに目についた。
枯れた噴水のそば、仁王立ちでこちらを睨むキンバリーと、噴水の縁に腰を下ろして俯く男……ビクトル・ライネリオ。
僕も噴水のそばへ進む。
「来たな。」
「彼女はどこ?」
怒りを圧し殺し、聞く。
ビクトルは顔を上げるとキンバリーに目配せをして、キンバリーは噴水の向こう側の物置小屋へと歩いて行った。
「逃げずに来たのは感心するぞ。よっぽど友達が大事と見えるな。」
ハンフリーが薄い笑みを浮かべてそう言った。
腰の剣を抜いてソイツの首を掻き切りたい衝動を抑える。
すぐにキンバリーが二人を連れて帰ってくる。
……うん? ふたり?
「リコスぅ〜、ほんとに来てくれたのか。アタイは感激したぞ。」
「くそ、情けない。」
人質となっていた二人、そう、ヴィンセントの双子は縄を打たれていた。
………なんだろう、……急激に怒りが萎み、やる気が無くなっていった。
……逆に勘違いをしていた自分が恥ずかしい………
「……すいません、もう帰って良いですか?」
「おいおいおい? 待て待て待て!」
ビクトルが変な声を上げて立ち上がった。
「お前、この二人を見捨てるつもりか? コイツらがどうなっても良いのか?」
「ええ、良いです。いや良くないのか……」
「どっちなんだよ……、まぁいい。わざわざ来てもらったんだ、俺と決闘してもらうぞ。」
「えぇ、嫌ですよ。…メンドクサイ…。」
「お前今めんどくさいって言ったか⁈」
ビクトルは最後のボソっと出た本音を聞き漏らしてはくれなかった。
「そんな事言ってません。それに決闘、私闘は禁じられているでしょうに。」
「ふん、そんな事は解っている。だからここへ連れて来たんだ。ここなら誰も見てないからな。」
はぁ……、本当に面倒くさい。
彼はどうしてこうも僕に突っかかって来るのか、理解に苦しむ。
「リコス、お前は最初から気に食わないヤツだった。イディエル卿の弟子になった事、俺よりも早く暗黒闘気、暗黒剣技を習得した事、組手で俺から1本取った事、全部‼︎」
半ば吐き捨てるようにビクトルが吠えた。
そして一呼吸置くと落ち着いた声でこう言った。
「俺は誰よりも研鑽した。誰も俺に敵わなかった。事実、師父も俺の才能を認めてくれた。だが……」
僕を睨む眼光に力が入る。
「だがお前は、俺を上回る才能を持っていた! 貴族に生まれ、期待を一身に集め、誰からも認められ畏れられる俺を。お前は、俺より上だと⁈ 認められるか、そんな事! リコス・ユミア! どちらが本当の強者か、今、ここで、ハッキリとさせてやる‼︎ 」
普段から人を小馬鹿にして見下し、傲岸不遜の塊のように思っていたビクトルが、そんな風に思っていたのは驚きだった。
「まさか、そこまでとは思ってなかったけど……、うん、判った。ビクトル・ライネリオ、僕も、貴方が嫌いだ。傲慢で不遜で、そのくせ確かな実力を持ってて、常に僕の先を行っていた。僕にとって、貴方は超えるべき壁だ。今ここで、乗り越える!」
「ふん! 一生、俺の足元で這いつくばらせてやる!」
お互いに本心を剥き出し、自分の誇りを懸けて腰の剣に手をかけた。
互いに睨み合い、視線が絡まる。
剣を抜き、ふっと息を吐いてから、示し合わせたように切先を重ねる。
次の瞬間には死合いが始まった。
ビクトルは鋭く踏み込んで突きを放つ。
僕はそれをバックステップで躱し、低い姿勢から切り上げる。
彼は紙一重で右に躱し、剣を振り下ろす。
僕は一気に前へ抜けてやり過ごすと、左へ振り向きざまに胴を薙ぐ。
それを見透かしていたかのように、彼は剣で受け止めいなす。
そこでお互いに距離を取り、一旦仕切り直す。
「やっぱりお前は気に食わない。」
「それはお互い様だよ。」
今ので、お互いの実力が伯仲している事は判った。
それによって、迂闊には仕掛けられない事も。
お互いに切先を突きつけたまま睨み合い、それでも一歩も動かない。
後は……、焦れた方が、負ける。
永遠とも感じられるこの時間。
汗が一筋、頬を伝う。
……見えた。
ビクトルがどう動くのか。
僕がどう動けば良いか。
自然と、身体が動いた。
ビクトルがニヤリと笑う。
僕が焦れたと思ったのだろう。
彼は勝ちを確信して、剣を打ち下ろす。
だけど、僕にはその軌道が完璧に読めた。
まさに紙一重、髪の毛一本の差で彼の剣を躱し、僕の剣は彼の首筋に吸い込まれ……、そして。
そして、僕の剣が触れるか触れないか、本当に髪の毛一本の差で、ビクトルの首筋に食い込ませず止めた。
ビクトルは唇を噛み、その表情は怒りと、驚愕と、悔しさに染まっていた。
「まだだ! まだ終わっていない‼︎ 」
ビクトルの瞳が不吉に光り、そして……。
僕の前に、僕自身が立ち塞がる。
僕は薄い笑みを浮かべ、顔も、身体も、手にしたナイフも、真っ赤な血で濡れている。
僕と、僕は真っ直ぐに見つめ合う。
これは、僕の心だ。
今まで否定して、消したくて、抑えつけたかった、僕の心の闇。
だけど、やっぱりこれは、僕自身の心なんだ。
どんなに願っても、切り離す事も、消し去る事も出来はしない。
僕は、僕を抱きしめて、お互いにナイフを……突き立てた。
「……もう、恐慌の魔眼は通用しないよ。」
「何故だ? 何故、俺はお前に勝てない? 俺とお前で、一体何が違うと言うんだ‼︎ 」
ビクトルはガックリと膝をつき、自身の敗北を認めた。
勝敗は、決した。
「そこまでであるな。」
突然響いた声に、この場の全員が振り返った。
そこには師匠と、シークヴァルト卿の姿。
「師父⁈ ……申し訳ありません。勝手をしたばかりか、お見苦しいところを見せてしまいました。」
ビクトルとキンバリー、ハンフリーはシークヴァルト卿の前に膝をつく。
僕も、師匠の前で片膝をついた。
「申し訳ありません。禁じられている決闘を行なってしまいました。」
「両者とも、気は済んだか?」
師匠の言葉に、僕とビクトルは頷いた。
「そうであるか。では明後日、帝国統轄騎士會に出頭せよ。この場にいる全員である。」
シークヴァルト卿はそれだけ言うと、師匠を一瞥して去った。
ビクトル達三人もそれに続く。
「師匠。」
「今は何も言わなくても良い。帰るぞ。」
「すまんリコス、その前に縄を解いてくれ。」
「あっ、そうだった。」
二人の縄を解き、僕たちはそれぞれに帰るべき場所へと帰った。
お屋敷では、エミリさんが帰って来ていて、逆に僕の帰りを待っていた。
結局、彼女はお店で店主と話し込み、買い物が長引いただけだった。




