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初勝利

 聖華暦834年 9月26日 帝都ニブルヘイム


 乱れた息を一吸いで無理矢理整えて、正面の揺らめく影を見据える。


 周囲に圧倒的な威圧感を放つそれは、僕の師匠であるオルテア・イディエル卿その人だ。


 右手に剣を持ち、ゆったりと構えている姿は隙だらけ。

 でも、それが全て隙などでは無く、相手を死地へと誘い込む罠だという事は先刻承知している。


 それだけに踏み込む事が出来ず、手をこまねいている。


 もう幾度目かになる師匠との組手。

 何百回も組手をしていて、今の今まで一本も取れた試しが無い。


 師匠はどこまでも高い壁で、自分がそこまでの高みに至るには、いったいどれほどの修練と経験が必要になるのか、全くと言って良いほどに見当がつかない。


 それでも、そんな事で立ち止まっている暇はない。

 強くなる為の抜け道なんて、無い。

 今はただ、高い壁を乗り越える為の足場をひたすらに積み上げていくしかない。


 だから、力一杯踏み込んで打ち掛かる!


 右から左から上から下から、がむしゃらに、冷静に、じっくりと、迅速に、一手一手に必殺の気迫を込めて、双翼刃を振るい、斬り込む。


 一方の師匠はというと、僕の烈気を涼しい顔で受け流し、いなし、払い除ける。

 まさに余裕そのものといった様子だ。


 そんな事を組手の最中でも観察して分析出来るようになった分、僕も成長出来ているようだ。


 もっとも、剣技の溝は一向に埋まっていないのだけれど……。


 それでも少しずつだけど、師匠の剣筋が解ってきた、気がする。


 根拠と呼べるようなものは無く、当たるかどうかも判らない直感のようなもの。

 けれど、例えそれが的外れであっても試してみる価値はある筈だ。


 師匠の右手側から切り込み、剣で弾かれる。

 その反動を利用して左側へ双翼刃を滑るように押し込む。

 しかし、師匠は一歩引いてその斬撃を躱す。

 師匠の剣が上段から襲い掛かってくる。


 だけど、その流れは読めた。

 その次の動きも。


 僕はさらに踏み込んで上段からの斬撃を流しつつ、双翼刃を振り抜いて師匠の左側脇腹をついに捉えた。


「……ふっ、見事だ。」


 浅い当たりではあった。

 けれども、初めて師匠の体に当てる事が出来た。


「……少し休憩にしよう。」


「はぁ、ハァ……はい…。」


 師匠は剣を置いて水差しからコップに水を注ぎ、ゆっくりと飲む。


「はい、どうぞ。」


「ありがとうございます。」


 僕はエミリさんから差し出されたコップを受け取ると、同じようにゆっくりと飲み干す。


 水を飲んで、上がった息を深呼吸で整える。

 ようやく実感が湧いて来た。

 ついに、師匠から一本を取った。


 彼女から手渡されたタオルで汗を拭ったら、また師匠との組手が再開された。

 ただ、さっきまでとは様子が違っていた。


 今度は師匠の右手には手槍が握られ、左手の方は剣を逆手に構えている。


「ここからは手を抜く必要は無いな。」


 長いリーチを生かした槍の刺突と逆手剣による防御とカウンター。

 そう、これこそが師匠の本当の戦闘スタイルだ。


 その後、さらに十数回の組手を行ったけど、再び師匠から一本取る事は出来なかった……。


 *


 それから一週間後。

 帝国統轄騎士會で、恒例の勝ち抜き組手が行われた。


 今現在、ビクトルが三人を打ち倒し、四人目も今まさに打ち取られた。


「ハンっ、お前らは相変わらず手応えがまるで無いな!」


 声高に周囲を煽る。

 しかし、その実力を前に皆が認めるしかなかった。


「次は僕が行きます。」


 僕が進み出ると、ビクトルは連戦後だというのに相変わらず涼しい顔でニヤリと笑った。


「なんだ、もう出てきたのか。あと3人くらい後なら勝機もあったかもしれないぞ?」


「僕もそこまで姑息じゃ無いです。」


 ふん、とビクトルは鼻で笑った。

 それから真顔になって練習用の片手半剣を両手で構える。


「構えろ。」


 僕も練習用の双翼刃を下段に構え、二人同時に暗黒闘気を纏う。

 さらに、それと同時に僕は切り掛かった。


 流石に見え透いた手であったから、ビクトルは余裕で最初の切り上げた一撃をいなす。


 そのまま僕は反動で回転して双翼刃を横薙ぎに振るう。

 ビクトルはそれを後ろに二歩下がって躱し、最短で胴を狙った突きを放って来た。


 僕は回転の勢いのまま伏せて躱し、足を狙って再び横薙ぎにする。

 これにはビクトルは僕を飛び越えるように跳躍して躱し、距離をとってお互いに体勢を整える。


「少しはマシな戦い方が出来るようになったじゃないか。」


「それはどうも。」


 息を吐いて、同時に踏み込む。

 ビクトルが上段から打ち下ろすのが解り、僕は半歩分左に体を反らす。


 振り下ろされた片手半剣が虚しく風を切り、僕の双翼刃が、ビクトルの脇腹を薙いだ。

 暗黒闘気に阻まれて浅かったけれども、僕の刃は完全に胴に届いた。


 初めて、ビクトルに攻撃を当てる事が出来た。


「な、んだ…と?」


 自身の脇腹に手を当てて、ビクトルは僕の顔と自分の腹を交互に見た。


 それから一瞬、怒りの形相を浮かべた後、大きく息を吐いた。


「ちっ、思ったよりも体力を消耗していたようだ。運が良かったな。」


 そう吐き捨てるように言うと、剣を鞘へ戻す動作をして下がった。


「「「おぉおおー!!!」」


 周囲が一斉に沸き立つ。


 僕はここで、ようやくビクトルに初めて勝った事を実感した。


 確かに、彼が言ったように彼自身が万全では無かったかもしれない。

 だけど、僕はついに手の届く範囲に来たのだと、そう確信した。

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