視察
聖華暦834年2月16日 帝国クロケット領クロケット特別区
「我が邸宅へようこそ。歓迎いたしますぞ、イディエル卿、ユミア殿。」
この屋敷の主、クロケット領主デイビー・ラスカル・クロケット伯爵は慇懃に僕達を迎え入れた。
僕と師匠は現在、このクロケット領へ視察へとやって来ている。
今日はその三日目となり、クロケット伯爵の元を訪れていた。
クロケット伯爵は、亜人だ。
それも白い毛並みを持つ狸の亜人である。
その上、眼は金の瞳で白眼が赤という風。
身体を覆う毛皮のせいか、丸々としていてどこか可愛い印象を受けるけれど、彼も暗黒騎士の一人。
決して侮って良い相手では無い。
「さて、ささやかながら夕食を用意させておるゆえ。」
クロケット卿が手元のベルを一振りすると、チリンと澄んだ音が鳴る。
すると、二人のメイドが奥から現れた。
「ご案内いたします。こちらへどうぞ。」
「うむ。」
僕と師匠はメイドに案内されて、奥の広間へと通された。
そこには大きな長テーブルが設えてあり、皿が三人分、すでに置かれていた。
クロケット卿が上座に座り、僕達はその右隣に着座した。
まずはスパイスをふんだんに使った丸焼きのチキンが出され、メイドが手早く切り分けて皆に配る。
「では食べるが良い。」
「いただきます。」
口に入れるとスパイスの香ばしさと鶏肉の脂の甘さが素晴らしく美味しい。
それから次々に料理が運ばれてくる。
捏ねた小麦粉を薄く伸ばして焼いたナンと赤、黄、緑の三色のカレーなど普段見かけない料理ばかりだったけど、風変わりでどれも素晴らしく美味しかった。
そして、最後に供されたデザートのグラブジャムン。
見た目は団子状になったドーナツのようだけど、たっぷりのシロップに浸されていて、見るからに甘そうだ。
「では、いただきます。」
僕も師匠も、まずは一つずつ皿に取り、口に運んだ。
シロップの甘い香りが漂う。
噛むとドーナツからもシロップが溢れ出し、口の中で甘さの洪水が起こる。
なんていう甘さなんだ!
ここまで甘くしなくても良いのでは無いか!
一口で……胸焼けを起こしそうだ。
「どうですかな、イディエル卿、ユミア殿。これは儂の好物でな、まだまだたっぷりありますからなぁ。さぁさぁ遠慮は要らん、存分に味わうが良かろう。」
なんと言うか、この時のクロケット卿の顔は、意地の悪い笑みを浮かべていた。
この人、初めからこうなると判ってこれを出して来たんだと悟った。
これには流石の師匠も……。
「これは……美味い。」
そう一言だけ言った師匠は、その恐ろしく甘ったるいグラブジャムンを一つ、また一つと口に放り込んでゆく。
最初こそニタニタと笑みを浮かべていたクロケット卿であったけど、グラブジャムンの山が段々と消えてゆく事に次第に目を見開き、口をポカンと開けて固まってしまった。
僕も見ているだけで胸が焼ける。
十数分の後、グラブジャムンの皿はスッカリ空となった………。
「これは美味かった。クロケット卿、いくらか土産に貰えないだろうか。」
「………ふ、ひひっ、あっはっはっは! 気に入った、気に入ったぞ。帰りにたっぷり包んでやるわ。」
この時の、クロケット卿の心底楽しそうな顔と、師匠の心底嬉しそうな顔を、僕は忘れないだろう………。
………呆れた……。
この後、クロケット卿と師匠は酒を飲みながらひとしきり談笑し、泊まって行けと部屋を用意していただいた。
次の日、帝都に戻る際には、約束通りのグラブジャムンをお土産としていただいた。
………それも1kg入りの缶詰、20個が入った木箱を3つ……。
「彼とは仲良く出来そうだ。」
帰り際、師匠はそう言った。
本当に、呆れた。




