4.応接室にて
「ほへぇ~。道が石畳だぁ~。家も日本と全然違うし。しいて言うなら歴史の中のヨーロッパ?でもなぁ…やっぱりこれは夢…かな……」
召喚された聖女様を神殿から王城へお連れするべく用意された馬車の窓から王都を眺めながら、聖女様が独り言をつぶやいていた。
確かにこの世界は中世ヨーロッパのような雰囲気なのだが、大きく異なるのが、魔術を用いた街整備だろう。
上下水道が完備され、排水は魔術を用いて処理し、清潔な水となって水路や川へ戻される。廃棄物も魔術による分解処置を行う道具が普及しているため、清潔感溢れる街並みが広がっている。
人々の生活にも衛生観念がしっかりと根付いており、標準的な家にはいわゆるバストイレが完備されている。さらに街中に大衆浴場も存在し、庶民の憩いの場としてにぎわっているようだ。
さすがに今世は貴族令嬢なので、大衆浴場に足を踏み入れたことはない。
余談だが、地方には温泉のようなものもあるらしいので、いつか行ってみたいと思っている。温泉で癒されたい……
それはともかくとして、この国では、前世の歴史で習ったような、糞尿を道にまき散らしたり、何日も風呂に入らず香水でごまかしたりといった文化はない。
もちろん香水やハイヒールといったものも存在するが、これらはあくまでも身だしなみやお洒落の一環である。
……この辺りは前世を思い出したときに若干もやっとした部分でもある。あまりにご都合主義過ぎないかと。やっぱり乙女ゲームか?とつい疑ってしまうのも致し方ないと思う。
王城へ到着すると、広めの応接室へ案内される。
その間何故か聖女様のエスコートはわたくしに託されていた。
本来であれば、『覚醒者』の候補でもある者がエスコートするのが望ましいのであろうが、わたくしにもちょっとした都合があったため、他の誰かに譲らずにここまで来たのだ。
応接室の中央にしつらえてある、ゆったりとしたソファーへ聖女様を案内する。貸していたマントを預かる体で聖女様に近づき、その耳にそっとつぶやいた。
「信頼できる人以外に本名を明かしてはなりません」
聖女様は驚いたように目を見開いたが、一瞬の後には元の表情に戻っていたので、誰にも怪しまれずに済んだようだ。
後は、彼女が察してくれることを祈るのみだ。
そのまま、そっと離れようとするが、ぐっと手を引かれ、たたらを踏む。
「あ、あの隣に座ってください!」
そう聖女様本人に引き留められた。そして引かれた手はそのまましっかりと握りこまれる。
一応困ったような表情で他の参加者達を見回すが、誰からも何も言われなかったので、そのまま隣に腰掛けることにする。ちなみにマントはそのまま聖女様のひざ掛けに早変わりだ。ひざ丈スカートは座ることによって足の露出面積が増え、より目の毒になるのだ。
神殿から1人着いてきた神官だけが苦虫をかみつぶしたかのような表情を浮かべていた。
テーブルを挟んだ対面にはセルジュ様とお兄様が着席し、その背後に護衛を兼ねたヘリオンが立つ。こちらから見て左側の1人掛けソファーにはテオが、その対面には神官が着席した。
全員が着席した段階で、王城のメイド達がお茶と菓子類をテーブルに配し、それが終わると扉の方まで下がっていく。
「さて、話をするにあたって、機密事項も含まれるし、防音と盗聴防止の魔術を張らせてもらうよ」
そうセルジュ様が告げ、テオに合図を送ると、テオが手の一振りで結界魔術を起動させた。簡単なように見えるが、結界魔術を魔術陣無しで無詠唱で行うのは、かなりの実力が必要となる。それをいとも簡単に行うあたり、魔術師団長の愛弟子は伊達ではないのだ。
「さて、聖女殿には改めてご挨拶申し上げる。私はこの国の王太子を担っているセルジュ・ヴィルキスだ。隣にいるのが、私の側近のカイン・カルム、背後に控えているのが同じく側近で護衛も兼ねているヘリオン・シャンクス、先ほど結界魔術を行使したのはこちらも同じく側近のテオ・フラン。テオの対面に座しているのは神殿で神官を勤められているルイ殿だ。そしてあなたの隣にいる女性が私の最愛のアシュリー・カルム…」
「殿下!」
セルジュ様のお言葉を遮り、ルイ神官が立ち上がる。
「……何か問題でも?」
王族として穏やかな微笑みを常に浮かべているセルジュ様が、珍しく真顔でルイ神官を見つめる。そのまなざしは凍てつかんばかりで、もしそれが自分に向けられたかと思うと背筋がぞわぞわする。
その視線を真っすぐ向けられたルイ神官は案の定気圧されたようにソファーへ逆戻りした。
そんな状態のルイ神官をカインお兄様が苛立たしげに眺めている。というか、お兄様お顔に出すぎです。未来の宰相様かつ次期公爵様がそんなにわかりやすく表情に出すのは問題だと思います。
お隣の、寒々しい視線がなかったかのように胡散臭く微笑んでこっちを見ているセルジュ様を少しは見習ってください……やっぱり見習わなくていいです。お兄様はそのままで。なんて明後日のことを考えていると、何事もなかったかのようにセルジュ様が話の続きを始めた。
「聖女殿。あなたのお名前とご年齢をお伺いしても?」
「あー、えー、えーっと……アスカ…です。17歳です」
その名前を聞いて、再び感情が高ぶるのがわかった。それを抑えるためふっと小さく息を吐く。その時聖女様とつないでいる手にぐっと力が入ったことに気づいたので、そっとわたくしからも軽く力を込めると、聖女様の手から力が抜けた。
「アシュカ殿だね」
「いえ、アスカです」
「…アシュカ殿」
「……いえだからアスカ…」
「……アシュ…カ殿?」
「………いえですから、アスカ…あー、もうアシュカでいいです」
まさかのセルジュ様、アスカを発音出来ず。
「あー。では。アシュカ殿。と言ってもこちらでは聖女殿のお名前を軽々しく呼ぶことはない。基本的にはあなたのことは聖女殿と呼ばせていただきたい」
こちらの世界では名前は大きな意味を持つ。名前にはその人の魂と強く結びつき、名を魔術に込めることによって、自分の魔力を上げたり、相手を縛ったりすることができるのだ。前世でいうところの真名のようなものだろうか。面倒なのでこちらでも真名と呼ぼう。うん。
そういった訳で、基本的に真名となる本名は明かさず、アシュリーやセルジュと言った愛称や略称を使うのが一般的だ。
真名は家族や魔術契約による婚約や婚姻関係を結んだ相手には明かされる。なので、セルジュ様はわたくしの真名がアシュリルーナだと知っているし、わたくしもセルジュ様がセルジュシード様だということを知っている。魔術契約を行っていないと明かされないのは、万が一婚約破棄や離婚となったとき、魔術で本名を記憶から削除することが出来るからだ。
そう、本来であれば真名となる本名はここまで厳密に扱うものである。なのにこの場で何も知らない聖女様にお名前を尋ねることは、人質ならぬ名前質を取ったようなものだ。
王家や神殿としては、せっかく召喚した聖女様に逃げられたり、他国に攫われたりしては本末転倒なため、聖女様の真名を手に入れることは保険であり、治世者としては必要な判断であることも理解している。
理解しているが、納得できるかはまた別問題で、しかも前世からのつながりを感じさせる彼女にいらぬ苦労を掛けるのは本意ではないため、ついあのようなことを伝えてしまったのだ。
彼女は正しく意味をくみ取ってくれたようだ。いつか彼女が本名を明かせるお相手ができることに一縷の望みを託して、わたくしは自分の思惑の為にもこのことを黙っている。
……それにしてもセルジュ様が聖女様のお名前を正しく発音できないことに驚いた。これは、前世でもあった外国人には発音しづらい日本名と同じような現象なのだろうか。というか、あの状態で本当に聖女様のお名前がアスカ様だった場合、魔術による真名の縛りは有効になるのだろうかと、はなはだ疑問である。
発音できなくて舌っ足らずになるのはセルジュ様だけなのかも気になるところだ。いつも完璧な王子様然としているセルジュ様にもお可愛らしいところがあったのかしらと、口元がニヨニヨしてしまう。
「聖女聖女って、さっきからなんのことですか?夢にしてはリアルだし。何の話をしているかさっぱりなんですけど!」
また明後日の思考になりかけたところを、聖女様のお声が引き戻した。確かにそろそろ最初の混乱が落ち着いて、事態を見極め始める頃合だろう。
「そうだね。初めから説明させていただく。まずこの世界は女神セラ・ウルが造りたもうた世界セイルーシャと呼ばれている。そしてこの国はヴィルキス王国。私の父が国王としてこの国を治めている。
この国には、魔障と呼ばれる人間や動物に害をなす霧が発生する土地があり、200年に一度程度大規模な浄化を行わないと、その魔障に侵され、人も動物も住めない国となってしまう。この国で魔障の拡大を防げなければ、この世界すら危ないだろう。
しかしながら、大規模な浄化はこちらの人間が行うことは出来ない。そのため、私たちは女神さまのお力をお借りして、200年に一度異世界から大規模な浄化が行える聖女様を召喚し、魔障の浄化を行ってもらっている。そして、今代の『聖女』としてお呼びしたのが、貴女だ」
セルジュ様が言い切った後、しんとした沈黙が続く。途中から俯き、小刻みに震え始めた聖女様の動向を皆が伺っているせいだ。
「……異世界って何のこと?私が聖女って何?っ!!!私にその浄化とやらの力はないわ!!今すぐ私を元の世界に還して、ちゃんと力を持っている人を呼び直してよ!!」
わたくしと繋いだ手ごと立ち上がり、声を荒げる聖女様。引っ張られた手が痛むが、聖女様の痛みはこんなものではないのだろうと、口には出さない。いや出せない。
「……申し訳ないが、召喚魔術陣に間違いはない。貴女が今代の聖女様であることも。そして、戻るすべはない。先代先々代の聖女様もこの地にて一生を終えられている。貴女にも浄化の暁には生涯を心安らかにお過ごしいただけるよう、王家の名において約束しよう」
「そうじゃない!そんなのいらないから還して!!浄化の力なんてないってば!!」
「それは……これから学んでいただくことになる。歴代の聖女様も召喚時は微々たるお力だったが、その後大いなる浄化能力を手に入れたと残されている」
セルジュ様のフォローをするように我が兄が言葉を紡ぐが、いささか逆効果のような気がするのは気のせいか?多分聖女様が求めているのはそういった話ではない。
案の定聖女様の感情はさらに高まって、激昂と言っても過言ではない状態になった。
「だからそうじゃないんだってば!!私は還りたいの!友達と楽しくだべってた最中だったの!!のほほんと生活してたの!!そんなのが、人間をおかしくする魔障とかいうやつに対抗できるわけないじゃない!人選ミスだってば!」
「……申し訳ないが、お還しすることはできない。我々にはその術がない」
ぐっと何かをこらえるような辛そうな顔で、それでもセルジュ様がきっぱりと告げた瞬間、はっとした表情で聖女様がテーブルに身を乗り出した。
「……っ!?そういえば召喚されたときもう一人女の子がいなかった!?」
「いや、召喚陣には貴女以外の姿はなかったが……」
「そんな……」
その瞬間聖女様のお顔から表情がごっそり抜け落ちた。
「もう会えないの?もう二度と会えないの?あの子は私を助けようとして、変な壁に遮られて…そんな…そんな……ああああああああーーーーーーー!!!!」
それは心の底からの慟哭だった。哀しくて痛々しくて。聖女様と繋がっていた手を強く引き、その身をきつく抱き寄せる。
「ごめんなさい。ごめんなさい。わたくしたちのわがままでごめんなさい。わたくしたちの世界がごめんなさい……」
聖女様を抱きしめながら、わたくしも涙が止まらない。この世界だけで完結出来ない出来損ないの世界が呪わしくて。それに巻き込まれた彼女達が悲しくて。泣いた。
わたくしの心の奥底にほんの少しだけある、聖女様の慟哭するほどの思いに対するほの暗い喜びは見ないふりをしながら。