3.秘室にて その1
カルム公爵邸で昼食を頂いてから王城に戻ると、ちょうど午後の執務が始まる時間だったようだ。お昼時の喧騒とは違い、書類を持った仕官や訓練に向かうであろう騎士達とすれ違う程度で、静かな廊下が続いていた。
そのままの足でみゃーちゃんと禁書庫に向かうと、既に扉の前にセルジュ様方がお待ちだった。
「お待たせして申し訳ございません」
慌てて近づくと、セルジュ様も近づいてきて、すっと頬を撫でられる。
「いや、我々も今来たところだ。アシュは『真紅』殿のお説教大丈夫だったかい?火魔術の一つでも飛んでこなかった?」
「母のお説教は……恐らくセルジュ様が想像されているものと真逆ですわ。主にこう……精神的に……」
「伯母上のお説教はココロにくるからねー。でも、その様子だと比較的短時間で終わったんじゃないー?タオル1.5枚分てとこかな?」
ひょっこりとセルジュ様の背後からテオが顔を出す。そしてタオルの枚数まで的確に当ててくるとは、伊達に幼少の頃から母のお説教仲間を務めていない。
「タオル?何故説教にタオルが?一体公爵夫人はどんな説教をしているんだい?」
「公爵家の威信にかかわりますので、母からお説教を受けることになった時のお楽しみという事で……」
苛烈と噂の『真紅の魔女』のお説教が泣き落としとか、評判に関わる。なので、セルジュ様が母からのお説教を受ける日など来るはずがない事を見越した上での発言だ。
後にみゃーちゃんから、「それはフラグって言うんだよあーちゃん……」と言われるとは、この時ちらりとも思い浮かばなかった。
「ところでなんでテオまでいるんですか?」
話題転換する意図もあったが、先ほどから目に見えて浮かれているテオの姿がちらちら視界に入るのがいい加減鬱陶しくもあったので、セルジュ様に尋ねた。
「あぁ、昨日の秘室に魔術師団も興味津々でね。代表してテオを連れて行くことになった」
「ふふふー!魔術師団長を含む全魔術師団員と死闘を繰り広げて、勝ち抜いてきたよー」
「死闘って……何をしてきたんですか……」
魔術師団総員で死闘とか、それこそ死者が出てもおかしくない。
「安全に配慮してじゃんけんだよー。恨みっこなしの勝ち抜き戦!」
……案外平和だった。
「この世界にもじゃんけんあるの?!」
みゃーちゃんが驚いている。
「アシュリー嬢が小さい頃に教えてくれたんだよー。それからはよく使うよね。お菓子の取り合いも平和的になったし。というかせいじょさまのその反応。じゃんけんも向こうの世界のものだったんだねー。じゃんけんを編み出したアシュリー嬢天才か?!って思ってたけど、褒め損だったねー」
褒められたことないのですが……思っただけのことに対して勝手に損されるとか、わたくしの方が損した気分だ。
「んー?アシュリー。前世の記憶を思い出したのは15歳になってからじゃなかったのー?」
「わたくしもそうだと思っていたのですが……」
はて?と小首をかしげる。
「アシュは幼少の頃から、不思議な知識を持っていたり、不思議な物言いをしていたよ。本人はどこからそんな知識が出てくるのか分かっていなかったようだけど。で、前世がある話を聞いて、納得したというか……」
「……わたくし、何か変な物言いをしておりましたか?」
心当たりはないのだが、変な事を口にしていたのだろうか?
「そうだなぁ。例えば淑女を装っているときの事をよく『猫を被る』と言っていただろう。意味を聞いたら本性を隠して淑やかに見せる事と言っていたが……カインと二人で不思議がっていたものだよ。この国で猫と言ったら……アレだろう?」
セルジュ様が、後半苦笑しながら説明された。
確かにこの世界の猫を前にして、『淑やかに振舞う』ことの例えには向かないなと納得した。こちらの猫はあちらの世界でいうところの、虎やライオンをさらに一回り大きくしたまさに猛獣だ。淑やかさのかけらもない。
「猫!この世界にも猫いるんですか!?見たーい!」
みゃーちゃんが猫の存在を耳にしてテンションが上がっている。そういえばみゃーちゃんは猫派だったな。
「犬が全部ポメラニアン風なら、猫はマンチカンとかかな?長毛種も捨てがたい!!なでなでしたい!モフモフしたい!!」
その様子を見て、思わずセルジュ様とテオと顔を見合わせてしまった。
すると、セルジュ様とテオが何故か悪い顔になる。これはお二人がいつも悪戯を仕掛ける時の顔だ。嫌な予感しかない。ちなみに主な被害者はカインお兄様だ。
「あの……お二人とも……?」
「せいじょさまは猫好きなんだねー。でも残念ながら猫は郊外の方にいるんだー。でも安心してー。浄化の旅の時にでも会えると思うよー。それまで会うのはお楽しみー」
「それがいいだろうな。この世界の猫も気に入ってもらえるといいのだが……」
「わー!!楽しみ!こちらの猫は飼ったりしないんですね!放し飼いかな?」
まだ見ぬ猫に思いを馳せるみゃーちゃんを止めなければ……
「ちょ、お二人とも!聖女様!この世界の猫は……ふぐっ!」
セルジュ様の手で口を塞がれた。
「アシュ。黙っていないと手以外のもので口を塞ぐよ」
「むぐっ!」
耳元で物騒な事をささやかれ、思わず屈してしまった。みゃーちゃんごめん。
「さ、時間も勿体ないし、早速調査を始めようか。アシュ、聖女殿、秘室へお願いできるか?」
「お菓子も山盛り持ってきたし、準備は万端だよー」
よく見ると、テオの側にはメイドたちが使うティーワゴンが用意されていた。
その上には茶道具一式と、山盛りの焼き菓子。さすがテオ、いかなる時もぶれない。
「じゃ、行きましょー」
そう言って、みゃーちゃんがこちらに手を伸ばしてきたので、その手を取り、魔術陣に触れる。壁の抵抗がなくなり、身体は壁をすり抜けて行った。振り返り半身を出して、セルジュ様とテオを部屋に招く。
「ほぇー。不思議な魔術だねー。外の魔術陣も解析したいなー。人が入ると光魔術が点くとか、どうなってるかも気になるー。これ普段使えたら便利じゃないー?」
確かに。前世でいうところの、人感センサー付き照明。あれば便利だ。
「テオ、それは後だ。一先ず『聖女』について調べることが優先だ」
「わかってるよー。そっちも興味津々ー。昨日興奮して、日付が変わるギリギリに寝ちゃったよー」
……それ、別に普通では?むしろ日付が変わってもセルジュ様が寝かせてくれないことがままあるわたくしからすれば羨ましい限りなのだが……
そこまで考えて、思考を停止した。これは今考えてはいけない件だ。
「さて、どこから手を付けようか。最終的には全部確認するとしても、片っ端から見ていくには量が多いな」
そうセルジュ様が書庫の前に立ちながら零す。
確かに壁一面の書棚を半分ほど埋めている書籍。いくらわたくしでも読み込むなら一週間は欲しいところだ。
「普通この量一週間じゃ読めないからね?」
みゃーちゃんから呆れた目線が来た。どうやら口に出ていたらしい。
「全く本の虫はこれだから……で、手を付けるとこですけど、どうやら最終的な浄化の時は『聖女』と『覚醒者』が二人の真名を使って力の増幅を行うらしいんですよー。その方法?魔術?を先に抑えておきたいでーす!失敗すると私だけでなくあーちゃんの命も危ないかもなんで、気合入れてお願いしまっす!」
「……は?」
セルジュ様から何やら黒い圧が出てきた。
「聖女殿、その話、詳しく伺おうか……」
黒い圧と無表情をみゃーちゃんに向けながら、セルジュ様が問いただす。
「いや、さっきあーちゃんの実家で、先々代の『覚醒者』だった人の日記を読んだんですよー。あ、あーちゃんが持ってきてますんで後で目を通してみてください。んで、その『覚醒者』だった人も先々代の聖女様が亡くなった後しばらくして亡くなってるんです。それが聖女様を失った事による衰弱死なのか、『聖女の死』に引き摺られたのかはわかんなかったんですが、万が一という事もあるんで、よろしくお願いしまっす!」
「……当たり前だ。テオ、詳細を明らかにするぞ」
「はいはーい。あ、アシュリー嬢。後でその日記見せてねー」
「わかりましたわ。こちらに置いておきますわね」
そう伝えて、机の端に公爵家から預かった日記を置いておく。みゃーちゃんの話を聞いたセルジュ様が鬼気迫る勢いで書籍を読み始めた。
それにしても、セルジュ様のあの圧と無表情を正面から受けても平然と返しが出来るとは、みゃーちゃん流石だ。
「ほらほらあーちゃんも!ぼーっとしてる暇はないんだよ!」
……なんてことを考えていたら、みゃーちゃんにお尻を叩かれた。比喩ではなく物理的に。
「アシュに触るな!そこを触っていいのは私だけだ」
「……殿下、ブレないのは流石だけど、ムッツリスケベだね。金髪碧眼のキラキラ王子サマがムッツリスケベとか知りたくなかったよ!」
みゃーちゃんが泣き真似をしながら書棚に向かう。わたくしも書棚からいくつかの書籍を抜き取り、席についた。
そこにはセルジュ様が用意してくれた筆記具が置いてあったので、ありがたく使わせてもらう。
パラリパラリと書籍をめくる音、カリカリと何かを書きつける音が広くはない秘室のあちらこちらで聞こえてくる。
手に取った本を読み進めていくと、どうやら先代聖女のフューミ様について書かれた物だったらしい。
黒目黒髪のフューミ聖女が召喚された時は、色鮮やかな『キモノ』というものを身に着けていたとの記載に、フューミ聖女もどうやら日本人だったことが伺える。
いや、フューミという名は少し日本人離れしている気もするが……チャコ聖女と同じようにあだ名、こちらでいうところの愛称だったのだろうか。そうなると、この部屋の書籍にすら聖女様方の真名が記されていないことになる。この世界で真名は重要な為、その慎重な扱いも納得だが、この秘室に置かれるような書籍にすら残っていないというのも不思議な話だ。
それに……公爵家の日記では、『チャコ』が真名だったと書かれていたはずだ。それは……もしかして……
その時、秘室の入り口の壁が叩かれるような音がした。
はっと、顔を上げ、壁から半身を出すと、そこにはテオのお父様でもある魔術師団長がいた。




