2.学苑にて(1学年目)
この世界で学苑と言えば、王都にある国立学校のことを指す。
学苑は、16歳以上の強い魔力や秀でた才能を持った人物に対して貴賤の隔てなく広く門戸を開いている。
と言っても、前述の通り貴族令息令嬢は強い魔力が遺伝することも多いため、貴族8割、平民2割といったところだろうか。
学苑では、武芸一般や魔術といった実戦的要素の他に、経営や学問一般、紳士淑女教育といったものを3年間にわたり学べるため、文官志望者や研究者志望の方々、上流階級とつながりを持ちたい方々も在籍している。
年齢的には前世でいうところの高等学校といった感じだが、その実態は幅広い専攻を有する大学に値し、授業の受講方法も己に必要な授業を自分で履修する形なので、より大学らしさが感じられるものだ。
前世では17歳で没していて大学に通えなかったので、異世界と言えどキャンパスライフが送れることは素直に嬉しかった。
まぁ、そもそも専攻が魔術で、授業の代わりと言わんばかりに魔獣討伐に放り込まれるので、キャッキャウフフなキラキラキャンパスライフとは程遠いのだが。
むしろギャンギャンブフーと騒がしい魔獣をガンガン倒すキャンプライフ。キラキラしているのは殿下くらいだ。というか、魔獣の返り血を浴びてもキラキラが衰えないのなんなん?いえ、何故なのでしょうか?
そんな殺伐としたキャンパスライフと並行して、わたくしは独自に調査・研究を行うことにしていた。
研究内容はそのものずばり『聖女』と『浄化魔術』だ。
先日殿下から『聖女召喚』の話を聞き、それがそもそも『異世界召喚』であったことと、それを引き金に前世の記憶と照らし合わせて思ったのだ。
『聖女召喚』て傍から見れば単なる誘拐犯なのでは?と。
しかも界はまたいでいるわ、よくよく調べたら『召喚』は出来ても『召還』は出来ないわとか、かなり悪質である。
身も蓋もない言い方をすると、無理やり世界を超えて拉致し、さらに魔獣が闊歩する危険な場所で働かせようというのが『聖女召喚』の真相である。
これは酷い。かなり酷い。呼ばれる聖女側の都合など一切考慮に入っていない極悪非道の行いである。
『聖女』というからには召喚されるのは女性であろうし、魔獣討伐が可能な年齢であることが想定される。
うら若い乙女が強制労働とか鬼畜の所業と言っても過言ではない。
ただ、この世界で16年(先日誕生日迎えました)生きてきた身としては、『聖女』に縋る気持ちもよくわかる。
それだけ魔障や魔獣の被害は恐ろしいものだ。無辜の民に被害が出るたび、高位貴族として力が及ばないことが悔しくて仕方がない。
『聖女』の『浄化』による一刻も早い魔障の消滅を願ってしまう。
なので、現状最も有効である『聖女召喚』自体を否定したり拒否したりすることは自分でもできなかった。
そこで『聖女召還』と『浄化魔術』の研究をすることにしたのだ。
『召還』については、魔障の『浄化』を行える聖女様は、『覚醒者』つまり心を通わせる殿方が見つかっているということもあり、帰還を望まないかもしれないが、帰る方法が全くない状態で残って欲しいと願うことは脅迫にも等しいと思う。
なので、なんの憂いなくこちらの世界を選んでいただく為にも、『召還』方法を確立するのは必要だと思うのだ。……わたくしの個人的な思いを多分に含んでいる事は否定できないが。
さらに『浄化魔術』
こちらはそもそも魔障に対してこの世界の人間が自分で対処できれば、わざわざ聖女様を誘拐する必要もないといった思考に基づいている。
こういった考えに昔の人が及ばなかったとは思えないので、現状女神さまのお力をお借りして聖女召喚に頼り切っているこの状況がある意味最適解なのだろうとは理解しているのだが、そこで思考を止めてしまうのもまた間違っていると思うのだ。
なので、こちらの人間でも使える『浄化魔術』の開発がわたくしの悲願ともなっている。
……正直どちらの進捗も芳しくはない。
『召還』に関してはそもそも女神の奇跡を前提にしたものであり、そんなものを一介の公爵令嬢がどうこうできるかと言うと非常に難しい。
『浄化』に関しても、学苑の書庫で歴代の『聖女』について書かれた書物を読んでみたが、『聖女』の『浄化』はそもそも魔術ではないらしい。
それはもう女神の奇跡に等しい技であるようだ。
そもそもわざわざ女神様のお力をお借りしてまでお越しいただいた聖女様を送り返す方法を研究しようなどという、国の不利益につながりそうな研究を行う酔狂な人間はこの学苑ですらいない。
なので、表立って研究できないのも辛いところだ。そりゃ王太子の婚約者で公爵令嬢がこんな狂人じみた国の益にならない研究をしていては眉を顰められるどころか、糾弾されてもおかしくない状況なので、致し方ないのだが。
『浄化』については聖女不在の今、できるものなら欲しい手段ということもあり、共同研究者も見つかったが、何せ手がかりが少なすぎる。
歴代の聖女様は、魔域を浄化し終わると、早々に表舞台から姿を消してしまうのだ。何故そうも早く隠居してしまうのかの詳細は伝わっていないし、隠居した聖女様を引きずり出して『聖女』のお力について研究する人間もいなかったので、『聖女』のお力に関しても不明な点や、明らかにされていない点が多い。
そんな状況で若干心が折れそうになりつつも、研究は続けている。
諦めたら試合が終わると、前世の芸能人が言っていた気もするし。あれ?有名人だっけ?
そんな状況ではあるが、なぜか殿下は寛容にも研究に対して否定せず付き合ってくれるし、何なら王宮の禁書庫への入室許可を取ってくれる。
……まぁ、その対価はしっかりと払わされたわけだが…
「あれ?顔赤いけど具合悪い?」
禁書庫への入室許可に伴うやり取りを思い出してうっかり赤面したところを、しっかり殿下に見られていたらしい。
相変わらず、よく見ていらっしゃる。
「なんともありませんわ。お気遣いいただきありがとうございます」
淑女らしい微笑みを浮かべながら、紅茶を一口いただき、添えられた焼き菓子に手を伸ばす。
「そうかな?てっきり私との甘い思い出でも思い出していたのかと思ったのだけど…」
「んぐっ」
焼き菓子を喉に詰まらせて、淑女らしからぬ声が漏れる。
本当によく見ていらっしゃる。前世の世界であったサトリの妖怪もびっくりな読みっぷりだ。
「アシュリー嬢、ますます顔が赤くなったが、本当に体調は大丈夫なのか?」
「……ヘリオンはもう少し状況を読む能力をつけたほうがいいと思いますよ」
「しょうがないよぉー。ヘリオンのそういった部分は戦況を読む力に全振りしてるからねー」
学苑入学から半年が経った今、婚約者との恒例のお茶会は学苑へと場所を変えて、相変わらず行われている。
変化があったと言えば、たまに参加者が増えるようになったことだろうか。
参加者は殿下の側近候補でもある3人だ。
公爵令息でわたくしの1つ年上の兄でもあるカイン。次期宰相の呼び声も高い頭脳派と言われている、しかしながら若干腹芸が苦手、と言っても殿下に比べてだが、真の腹黒である殿下に時々おちょくられているインテリ眼鏡。
侯爵令息で現騎士団長のご子息で武術において同年代どころか年の近い年代の追随も許さない実力を持つヘリオン。但し若干脳筋気味。
同じく侯爵令息で現魔術師団長の愛弟子と噂のテオ。魔術の天才とか魔術の寵児とか呼ばれているが、わたくしに言わせると単なる魔術オタクである。現魔術師団長も含めて。まぁ、『浄化』魔術の研究に関心を寄せてくれているので非常に助かっているのだが。たまに暴走して魔術師塔から爆発音が聞こえるとか、ヒャッハーな雄たけびが聞こえるとかはあくまで噂である。あくまで。
と、若干個性が強すぎるような気もするが、各々方向性の異なるイケメン揃いで、殿下を含めて学苑内の女性徒の視線を一気に集めている存在だ。
まったくもってどこの乙女ゲーだよって面子である。
て、待って!そうなるとわたくし悪役令嬢ポジション!?殿下の婚約者だし!?
なんて、思っていた時期もありました。
「あら、アシュリー様はまた殿下方にまとわりついて邪魔をしてらっしゃるの?少しは己の立場というものをご理解された方がよろしいのではなくて?殿下方が迷惑されているのがわからないのかしら」
いかにもやれやれといった表情で、背後に2人の取り巻き令嬢を配して、わたくしの進路を塞ぎつつ文句を付けてくるのは、1つ上の学年に所属しているナイトレイ侯爵家のご令嬢レイラ様だ。
というか、いくら学苑では実力主義、身分はあまり重要ではないとされているとは言え、この発言は見当違いも甚だしく、人に聞かれていれば眉を顰められること請け合いの勘違い発言である。
わたくしの立場?公爵家のご令嬢ぞ?王太子の婚約者ぞ?
そちらこそ理解しているのかと小一時間問い詰めたい。
「わたくし、ご迷惑おかけしておりますか?」
ご令嬢方を無視して、その背後に問いかける。
「そんなわけないだろう。君は私の妃なのだから。私たちは常に一心同体…」
「まだなっておりませんし、個人の自由は大事です」
キラキラスマイルを振りまきながらとち狂った事を宣う殿下は、ご令嬢方を避けてわたくしの隣にやってきた。そして腰に手を回され我が物顔で引き寄せられる。その時ついでと言わんばかりに腰を撫でられるのもいつものことだ。前世的にはセクハラですと言いたいところだが、わたくしもなんだかんだと許容してしまっているので、セクハラには当てはまらないのだろう。
というか、この方『覚醒者』の候補なのよね。『覚醒者』に選ばれたらどうするつもりなのかしら。その時わたくしは……
「で、君たちは私のアシュに何用かな」
暗い思考に落ちそうになった時、キラキラスマイルの中明らかに目が笑っていない殿下の冷たいお声が廊下に響いた。
その様子を見て、殿下の登場に顔を青ざめさせていたご令嬢方はますます顔色を無くしていった。
「お、覚えてらっしゃい!!」
ぶるぶる震えながら捨て台詞を残して去っていくレイラ様他2名。
相変わらず三下臭が酷い。3人組だけに。あれでいいのか侯爵家。そして殿下に挨拶していかないとか、無礼にも程がある。
そんな彼女たちの行動を見て、彼女たちが悪役令嬢なのでは?とは思うのだけれど、小物臭が酷すぎて何とも言えない。
そもそも、この世界に似た乙女ゲームにも心当たりはない。もしやお約束のWeb小説か?とも思うが、こちらも覚えがない。
「面倒くさいなら、そろそろアレら排除する?」
キラキラしながら腹黒オーラを出して物騒な事を言い出す王太子殿下。権力怖い。
「まぁ、まだそこまでではないので放っておきますわ」
学苑に入学して以来3日と置かず絡まれて早1年が経とうとしているのに、わたくしがひたすら軽くあしらっても、かの令嬢方は止めない、めげない、諦めないの3ない運動を展開している。また明後日くらいには復活して絡まれるだろうけど、嫌がらせもささやか過ぎて正直どうでもいいのだ。
そんなことを気にしている暇も正直言ってない。学苑の授業、王家の教育に魔獣討伐と何かと忙しいのだ。
「ふぅん。まぁ、面倒くさくなったら言って」
『消すから…』と存外に聞こえたような気もするが、聞こえないふりをする。怖い。
「ところで話があって君を探していたんだ。もし今日これから予定がなければ城へ来てほしい。今日は木の日で明日は学苑が休みだろう?ちょっと長い話になりそうだから。公爵家にはこちらから使いを出しておこう」
「特に予定はないのでかまいませんわ」
「ならこのまま私の馬車で向かおう」
令嬢方に絡まれた時からそのままだった腰に手を回した状態で歩き出す。
ちらりと見上げると、わたくしが是と答えてからよりキラキラ度が増した気がする。端的に言うと機嫌がいい。いいを通り越してゴキゲンなレベルだ。正直殿下がここまで感情を露にするもの珍しい。
はて?今日は何か特別な日だったかしら?と疑問に思いつつ、殿下の馬車で王城へ向かうこととなった。
この日がある意味忘れられない特別な日になるということは、この時のわたくしは気づきようがなかった。