1.前世の記憶
私が今流行り?の異世界転生をしたと思い出したのは、もうすぐ学苑に入学するという15歳の頃だった。
その日も6歳で婚約者となった殿下と定期的な顔合わせも兼ねたお茶会を行っていたのだが……
その中で『聖女召喚』の話題が出たのだ。その頃はまだ、もしかしたら自分の代で行われるかもしれないと言った漠然とした話でしかなかったのだが。
「聖女様の召喚…ですか…?」
「あぁ、まだ神殿からは何もないが、近年魔獣の被害が増えていてね。聖女様の召喚周期はこれまで大体200年前後に行われていたらしく、ちょうど再来年がその200年目なんだ」
前の時間が実技込みの魔術訓練だったため、午後のお茶会といえど割としっかり目の軽食が用意されていて、その中からボリュームのある肉を挟んだパンを手に取りながら、ふと思い出したかのように殿下が話し出した。
殿下とともに魔術訓練を受けていた私も野菜を挟んだパンを手に取る。身体を動かしながら魔術を使う訓練は非常に消費するので、夜の食事が近いとはいえ、訓練の後は腹ペコで何かお腹に入れないとつらいのだ。
「魔獣の増加ですか……ということは魔障の量も増えてきている可能性が高いですわね」
この国には魔障と呼ばれる黒い霧が発生する場所があり魔域と呼ばれている。
この魔障というのが厄介で、野生動物等に吸収され、その身を魔獣と言う生き物に変化させる。
魔障に取りつかれた魔獣は、巨大化さらに残忍化し、人や家畜などを襲うようになるため、現れたら討伐は必須となる。
この魔獣討伐は率先して王家のメンバーをはじめとした高位貴族の一族が行うため、王太子である殿下も、公爵令嬢たるわたくしも魔獣が倒せるような実践式の訓練が欠かせないのだ。
王家や高位貴族が前線投入?貴族令嬢が実戦形式の魔術訓練?とは前世の記憶を思い出したときは違和感バリバリだったが、割とこちらでは当たり前のことだった。
なぜなら優秀な者、才能のある者と率先して婚姻することが可能な王家や貴族は、えてして武術や魔術の才能に恵まれた者が生まれやすい。
魔獣は放っておくと民への被害が甚大になるため、早急に対応する必要があり、そのためなら高火力の実力者を投入したほうが手っ取り早いのだ。それが例え王家の跡継ぎだろうと、貴族令嬢だろうとお構いなしだ。
例に漏れず、優秀な血を取り入れ続けているこの国の王と、婚姻前は女騎士団長を務めあげた王妃から生まれた殿下は若いながらもすでに武人としての頭角を現しており、当時の王弟だった祖父を持つ父と前魔術師団長を務めた母を持つわたくしは、同年代の中で随一の魔力量を誇る魔術師となった。
まだ成人前ということもあり、最前線である魔域での討伐は行っていないが、王都近郊で魔獣が発生した場合にはせっせと討伐に繰り出される。
そのための訓練も日々の授業に組み込まれているのだ。
ちなみに魔障はごく稀に人間に憑りつくこともあるらしい。
魔障に憑りつかれた人間は徐々に正気を失っていき、本能のままに振舞い始め、人によっては魔障を操って攻撃したり、動物に任意で魔障を憑りつかせ、魔獣となったものを意のままに操ることもあるらしい。
しかも魔獣や魔障に憑りつかれた人間は今のところ討伐するしか方法がない。
今のところといったのは、唯一憑りつかれた後に魔障を引きはがし、浄化することができる『浄化』の魔術を使えるのが『聖女』と呼ばれる限られた人間だけであり、先代聖女が随分前に没して以来『聖女』の存在は確認されていないからだ。
『聖女』の『浄化』魔術は強力で、憑りつかれたものから魔障を浄化するだけでなく、魔域を浄化し、魔障を消し去ることもできると言われている。
実際に魔障が増え、必然的に魔獣も増加し、人間の生存に影響が出始めると『聖女』が現れ浄化をしてくれるというのは、この国では幼子が初めて読む絵本として、建国王の一つ目巨人退治と共に定番となっているほど知られた話である。
「聖女様が召喚されたら、私はおそらく『覚醒者』の候補になるだろうね」
「……さようでございますね」
一瞬の動揺が手に持っていたカップを揺らし、うっすらと波紋を広げたが、カップを傾け紅茶を口に含むことによって誤魔化してみる。
誤魔化されてくれたかどうかは定かではないが。
「……君はそれでいいの?」
どうやら誤魔化されてはくれなかったようだ。
「あら。必ず『覚醒者』になれるって、ずいぶんご自分に自信がおありなんですね?」
茶目っ気を含んだ声色で問い返すと、苦笑いが返される。
「まぁ、自分でいうのもなんだけど、地位やらなんやら諸々を鑑みて、女性からの人気は高いからね。
……君にはあんまり効果ないみたいだけど」
ぽそっと最後に付け加えられたつぶやきは、私の耳に届くことはなかった。
「それにしても聖女様のお力が愛によって目覚めるとか、本当に物語のようですわね」
若干半笑いになってしまうのも致し方ない。
これまでの伝承によると、現れてすぐの『聖女』の力は微々たるもので、『聖女』が本当に思う者が出来ると『聖女』としての真の力が覚醒するらしい。
そして、『聖女』の思い人こそが先ほど話題に出た『覚醒者』と呼ばれる。
さらに『覚醒者』は『聖女』を守護するために、強大な魔力や大幅な身体能力の向上が見られるらしい。
なので、『聖女』が現れると、見目や地位などを兼ね備えた殿方を候補者として聖女様のお近くに配し、聖女様との愛を育むことが求められる。
らしいらしいとくどいのは、『聖女』が覚醒する基準がいまいち伝わっていないからだ。
まぁ、もしかしたら王室の禁書庫や神殿には詳しい話が伝わっているのかもしれないが、王太子の婚約者であっても、聖女やその周辺の情報に関しては巷で出回っている物語レベルの知識しか現状持ち得ていないのだ。
ちなみに前世の記憶を思い出した後にこの話を思い出して、「どこの乙女ゲーだよ!」と突っ込んだのはいい思い出だ。『愛の力』で覚醒とか…ねぇ。
「ところで召喚の時期はどのように判断するのでしょうか?聖女様のお力が強くなって、神殿で感じ取れるようになるとか、そういった仕組みなのでしょうか…」
ふと疑問に思ったことを口にしてみる。この一言がわたくしの今後の運命を大きく軌道修正することになろうとは思わぬまま。
「伝承によると、聖女様はこの世界にはいらっしゃらないらしい。
『異世界』と呼ばれる全く別の世界から、女神セラ・ウルのお力をもって呼ばれるらしいよ。召喚の時期は、神殿にある召喚陣に女神様のお力が満ちることによって決定されるとか」
殿下の説明に突如動悸が激しくなり、動揺で手がフルフルと震え始める。
「い……い、せかい……いせかいって…異世界…異世界召喚?」
手から持っていたカップとソーサーが滑り落ち、床に落ちて甲高い音を立てるが、グワングワンと耳鳴りがしてきている状態ではそれに気を使う余裕もない。
『異世界』といった聞きなれないはずの言葉が頭の中をグルグル巡っていく。
そして真っ暗になっていく目の前。傾いていく体。
「アシュ!!アシュリー!!」
殿下の慌てた声と、椅子を蹴倒す音を最後に私の意識はブラックアウトした。
そしてわたくしは数多のラノベに出てきた異世界転生者が記憶を取り戻したときのお約束を踏襲するかのように、3日間ほど高熱に魘されることとなった。
高熱の間に、前の人格や記憶を持った私と今のわたくしがぐちゃぐちゃになって、混ぜられて、どろどろになって、こねくり回されて、再構築されたようだ。新生アシュリー爆誕である。
さて、私の前世は17歳の女子高生だった。
ちょっとした事故で魂だけの存在となり、先ほど殿下の話にも出てきた女神セラ・ウルによって、この世界に転生した、というかさせられた。
17歳で元の世界とさようならとか不本意でしかなかったが、魂の消滅と異世界転生を天秤にかけると転生するしかなかったのだ。
まぁ、まさかの転生先が公爵令嬢で、銀髪紫眼のなかなかの美少女だったのはびっくりしたが。ついでに王太子の婚約者とか設定盛りすぎではなかろうか。
自分で美少女とか言っているが、これが本当に美少女なのだ。前世の記憶が戻った後に鏡を見たが、自分で自分にビビった。それまで毎日気にせず見ていた自分自身にもビビった。
さらに目覚めて4日後。見舞いと称して現れた殿下を見て、心の中で土下座した。
美少女とかって調子乗ってすみませんと全方向に謝罪した。心の中でだけど。
さらりと揺れる短めの金髪に高貴な宝石のような碧眼、すっと通った鼻筋にバランスよく配された口元。まだ成長途中ということもあり、少年と青年の境界といった風情だが、前世でいうところの神絵師が描いた王子をそのまま3次元化したような美形がそこにいた。
半開きになりそうな口を現世で培った淑女力でなんとか抑え込んだが、この美形が己の婚約者だということを思い出し慄いた。
え?将来的にこの人の隣に立つの?私が?無理じゃない?イケメン過ぎるって目に優しくないのねー。まさに美の凶器!
前世を思い出した弊害か、若干淑女から離れた考えが頭をめぐっていた。そして四散していた思考が追いつくと、今度は五体投地で謝罪した。私ごときが美少女とか思ってすみません。もちろん心の中でだけど。
その後殿下に、「なんだか雰囲気変わったね。まるで別の人間が入り込んだみたいだ」とにっこり王子様スマイルを浮かべながら、あながち間違っていない指摘を受けさらに慄いた。
2、3言話しただけで、見抜いてくるとか恐怖でしかない。美形で鋭いとか誰得ですか?国得ですね。わかります。若干微笑みに腹黒さを感じるのは気のせいですかそうですか。
まぁ、将来の国王が鈍感とか腹芸できないとかでは国家滅亡の危機なのでいいのか。いいんです。
我ながら前世の思考に引きずられているのがまるわかりの、淑女とはかけ離れたとっ散らかった思考がようやく落ち着いたのは、それからさらに1週間後だった。
くしくもその日は学苑の入学式だった。