8.裏の森にて その2
聖女様がおっしゃっている、『さっきの黒い霧』とは言わずもがな魔障の事だ。しかしながら、わたくしには何の異変も感じられないので、思わず首をかしげてしまった。
「私には見えないが、聖女殿にだけ見えてるのか?すまないが案内してくれ。ヘリオン、聖女殿の前を先行しろ。テオは私の後ろについてすぐに防御結界を張れるよう準備してついてきてくれ。その他は適宜警戒しながらついてこい」
どうやら、他の方々にも見えていなかったようだ。セルジュ様の指示に従い、皆が歩き始める。
「って、降ろしてくださいませ!自分で歩きますわ」
「却下」
即答された……
森の中を少しだけ奥に進むと、拓けた場所に出た。先ほどまで魔獣が出ていたとは思えないほど穏やかな空気が流れていて、一見すると何事もないように見える。
「あの、真ん中あたり。地面からうっすら霧が出てるように見えるんだけど」
そう聖女様が指さすあたりにも、特に何もないように見える。
「ふむ。誰かあの辺りの捜索を頼む。慎重にな」
そうセルジュ様がついてきていた護衛に指示を出すと、いつもセルジュ様の護衛をされている暗青色の髪の騎士が周囲を警戒しながら、地面を捜索し始めた。
すると比較的すぐに異変はあった。
「……黒い石があります。さらに周辺の草にわずかではありますが血痕と……これは衣服の残骸かと……」
「黒い石だって!?ちょっ!それ触らないで!」
テオが慌てたように黒い石に近づくと、石の周辺を囲むように防御結界を張るのが見えた。
「テオ、その石は何だ?お前が慌てるくらいだから、よっぽどの物なんだろう?」
少し離れた位置からセルジュ様が声をかけると、いつになく真剣な声でテオが答えた。
「……これは魔障石って言われてて、一説によると魔障が結晶化したものらしいよー。厄介な性質を持っていて、石の近くにいる生き物の魔力を吸って、魔獣を吐き出すんだ。
この場合の魔獣は魔障が固まって実体を持ったもので、魔障に憑りつかれた生き物が変化した魔獣より強く狂暴になるらしい。しかも吐き出されるまでその存在に気づけない。しかも持ち運べるから、魔障がないところでも魔獣を呼び出すことが出来る、非常に厄介な代物なんだよー」
「ふむ。この状況を見る限り、今回の魔獣達はこの魔障石が魔力を吸って、吐き出されたものだったと言う事か。それなら、学苑側の警備にも引っかからなかった説明がつくな。
しかし何故こんなところにこんなものが……偶然なのか、故意なのか……」
「んー、魔障石から魔獣が吐き出されるようにするのって、ちょっとやそっとの魔力でどうにかなるものじゃないんだよねー。しかも魔力を注ぎ続けてその容量を超えると魔獣があふれ出すって感じだから、ただ単にここに放置されていたなら、今回のような事態にはならないと思うー。誰かが故意にここに置いて、定期的にここに来て、魔力を注いでいたんじゃないかなー。
でもさー、置いた後も、それこそ魔獣が吐き出される寸前までここで魔力を注ぎ続けないと今回のような事態にはならないと思うんだよねー」
「……それはつまり、今回も魔獣が溢れ出す直前までここに誰かがいたという事か…」
「そう。そしておそらく魔力を注いでいた人間は溢れ出した魔獣に食われたんだろうねー。それが残された血痕なんだと思うー。証拠隠滅も完璧だねー」
テオの明るい声と裏腹に、ずんと空気が重くなる。この状況から鑑みるに、どこの誰かわからないが、今回の騒動を自らの命と引き換えに起こした人間がいるという事だ。
「……ここに定期的に来て魔力を注ぐって、結構目立ちませんか?校舎裏の森とは言え、警備も巡回しておりますし。テオ様の言い方だと1日2日でどうにかなるものでもないんですよね?」
「……ぼく、心当たりあるよー。ここにある程度の時間いても警備に怪しまれなかった人間にー」
「……私もあるな……」
「……まさか?!レイラ様達がお茶会されていた場所って……」
「カインに確認する必要があるが十中八九ここだろうな。問題はこうなることを知っていたのか、誰かに利用されたのか……」
「殿下!失礼いたします!」
そこに、学苑の警備の方が飛び込んでいらした。
「どうした?学苑内の安全確認はできたか?」
「はっ!学苑内及び周辺に既に魔獣の反応はないそうです!軽傷者が多数、死者はいまのところおりませんが、行方不明者が1名確認されております!」
その報告に、周囲に緊張が走る。
「……誰だ?」
「はっ!カサンドラ伯爵令嬢との事です!事件が発生する前までの授業ではその存在が確認されておりますが、発生後誰も姿を見ていないようです。自宅にも戻っていないことが確認されまして、現状何らかの手段を以って移動していないか捜索しているところです!」
「カサンドラ伯爵令嬢……いつも行動を共にしていたな」
誰ととは言わないが、皆一様に顔色が悪くなる。
「アシュリー。そのカサンドラ伯爵令嬢ってもしかして、いつもレイラ様の後ろにいた黄色系ドレスの方?」
こくりと頷くと、途端に難しい顔をする聖女様。
「何か気になることでもありましたか?」
「うーーーーーん。気のせいかと思ってたんだけど……ちょっと前にレイラ様ご一行とすれ違ったときがあったじゃない?その時そのカサンドラ伯爵令嬢?の様子がおかしく見えたんだよね。本人がどうこうじゃなくて、本人の周りにさっき石から出てたみたいな薄い黒い霧がまとわりついているように見えて……近くを見てて急に遠くを見たから目の錯覚かなーと思ったんだけど……」
「それって、モヤモヤしてるって話してらした時の?」
「そうそう!今回の黒い霧が魔障ってやつなら、あれも魔障だったのかなーって」
一同の顔色がさらに悪くなる。
「……どうやら、聖女殿には我々が感知できない程薄い魔障でも見えるようだな。しかもカサンドラ嬢に薄くとは言え魔障が憑いていたという事は、本人にも何らかの影響が出ていてもおかしくないな。魔障石の件もここにつながるのか?そもそも近くにいたレイラ嬢達に影響はなかったのか?」
「あと、カサンドラ嬢はどこで魔障に憑かれたかって問題もあるよー。あの一派は魔獣討伐に不参加組でしょー?」
基本魔力を持つ高位貴族は令息令嬢含め、魔獣討伐に参加すると言ったが、一部例外もいる。魔力保有量が著しく低かったり、持っていたとしてもうまく使いこなせないものや、令嬢に関しては家の方針で不参加だったりもする。
我が家はお父様が男女の別なく教育を施してくれたことと、カインお兄様が頭脳派……と言えばかっこいいが、ぶっちゃけわたくしの方が腕っぷしが強かったのだ。なので、お兄様が戦略を考え、わたくしが武力を行使するという形に我が家は落ち着いた。まぁ、いわゆる適材適所だ。今回の騒動でもお兄様はこの場にいないが、どこかで情報収集を行っていらっしゃるのだろう。
我が家の事情は置いておくとして、レイラ様だ。あの一派はご令嬢方を討伐に参加させないことで有名だった。
曰く、女性は淑やかに家を守ることに専念していればいいらしい。なので、ご令嬢方はそれこそ蝶よ花よと育てられるとか……
前世でもそういう考えの人はいたが、この国は先も述べたように民を守るためなら、男女関係なく持てる力量を使って貢献する事が薦められている国だ。その為ナイトレイ侯爵家一派の考え方はこの国では少数派で、むしろ高位貴族としての責務を果たしていないと眉を顰められる程なのだ。にも関わらず討伐に積極的に参加しているわたくしに絡むレイラ様。責務を果たさずにどの口が言うか!と周囲からの好感度もダダ下がりになるわけである。
それはともかく、その討伐に参加していないナイトレイ侯爵家一派のご令嬢が、いつ魔障に憑かれたかが問題だ。
魔障は基本的に魔域でしか湧かず、それ以外の場所だと魔獣にまとわりついている分くらいのものなのだ。それも魔獣の息の根が止まれば霧散する。
なので、討伐に行かないご令嬢が魔障に触れることは滅多にないのだ。
「うーん。これは少し根が深そうだ。とりあえず落ちていた衣類の破片がカサンドラ嬢の物であるかの確認、カサンドラ嬢が魔障に近づく機会があったかの調査と、魔障石の出所の確認だね。正直言ってナイトレイ侯爵家一派が怪しすぎるけど、他の可能性も考慮に入れて捜査に当たってくれ。一先ず今日はみんな疲れただろうし、撤収しよう。私にはやらなくちゃいけない重要な一仕事が残っているしね。ねぇ、アシュ」
微笑みが黒い!怖い!
「お、お仕事が残ってらっしゃるなら、わたくしは先に戻りますわ!ですので、降ろしてくださいませ!お仕事のお邪魔になってはいけませんもの!えぇ、本当に!」
思わず腕の中から逃げようと身をよじるが、しっかり囲われて逃げそびれる。
そう、討伐が終わってから今までずっと姫抱っこのままなのだ。絶対腕がプルプルすると思うので、いい加減降ろしてほしかったのだが…
逃がさないと言わんばかりに囲い込む腕の力が強くなる。
「アシュ、わかってないね。今逃げようとするのは悪手だよ。なんて言ったって大事な仕事は君へのお説教だからね。今回は随分無茶をしたようだし。ちゃんと(身体に)わからせないとね。可愛くごめんなさいが言えるかな?(言える余裕があるといいね)」
…シンプルに怖い……
カッコ内の副音声が聞こえた気がする。
「はーい。みんなてっしゅうーてっしゅうー。魔障石は魔術師団から封印魔術の付いた魔道具を持ってくるから、その間誰か見張っててー。あとカインにこの件について情報共有の為の報告ー。せいじょさまはあー…殿下の護衛さん達で連れ帰ってあげてー」
その場を仕切るテオの声が遠くなっていく。そのままセルジュ様の馬車に放り込まれ(馬車の中でも抱えられたままだった)、そのまま部屋、というか寝室に連行され、お説教という名の人に言わせると甘いお仕置きを受けたのだった。
というか、わたくし魔力体力共に限界ギリギリまで酷使して戦ったので、ヘロヘロだったんですけど!!動かなくていいよじゃありません!もうセルジュ様のお部屋の浴室、平常心じゃ使えませんからぁ!!
夜中ふっと目を覚ますと、セルジュ様の貴石のような瞳がじっとこちらを見ていた。
前世見た宝石図鑑に載っていた最上級のパライバトルマリンのような美しい瞳。
その鮮やかな瞳が彩る顔には偽りも含みもない穏やかな、それでいてさみし気な微笑みが浮かんでいる。
わたくしが目を覚ましたことに気づくと、ふっと頬を撫でられた。
「アシュ。私は君が大切なんだ。失いたくないし、失ったら私の何かが死ぬだろう。君には確かな魔術と武術の腕もあるし、高位貴族として、王太子妃としての責もあって討伐に参加していることも理解しているつもりだ。それでも無茶はしないでほしいと願ってしまう。
本音を言うと君を閉じ込めてしまいたいと常々思っているくらいなんだ。それをするとアシュに嫌われそうだからやらないけどね。だから約束して。無茶はしないと。君を傷つけるものは、それが例え君自身でも許せないんだよ」
……セルジュ様いつの間にヤンデレ属性を手に入れられたのですか?
と、心の中で茶化してしまったが、これが自分なりの照れ隠しだという事も理解している。
以前から真っすぐわたくしに愛情を向けてくれるセルジュ様。同じだけの、いえそれ以上の気持ちを返していきたいと常々思っているわけで。
わたくしは素直な気持ちを言葉にする。
「愛しておりますわ。セルジュ様。例え何があっても貴方のお側に。……でも、セルジュ様の為なら多少の無茶も許してくださいな」
ふふっと、笑いながら告げると、セルジュ様のパライバトルマリンの瞳が一瞬見開かれ、その後融けるように笑みの形を作られた。
「私も君を愛しているよ。一生手放すことはない。だけどお転婆はほどほどにね。さて気持ちを確かめ合った後は、体も確かめ合う必要があると思うんだよね。朝までまだしばらくあるし、学苑は休校になったし、心置きなく……」
「セ、セルジュ様!先ほどもなんやかんやと…って、だからそこは触っちゃダメですってば!……あぁ!」
……翌朝、目が覚めると陽が高く昇っていて、セルジュ様は既に執務に出られていた。
ぐったりと寝台に身を預けていると、マーサがかいがいしく世話を焼いてくれたが、その微笑ましいものを見るような眼差しがなんだかいたたまれなかったのは言うまでもない。




