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「改めまして、僕はミルディン・バーキル。実家は王宮の図書番のお役を戴いております。こちらの我が心友殿とは入学当初からの腐れ縁です。御芳名はかねがね心友殿から聞き及んでおります」
仕切り直しといった感じで、僕はとりあえず落ち着いた先輩に今一度自己紹介をします。
まあ、基本、この流れはいつものことなんですけどね。
今回は心友殿の昔からの知り合いと言うことで、多少違うところもありましたが、所謂掴みはオッケーと言ったところでしょう。
「御丁寧な挨拶痛み入ります。私はラヴィニス・ウインザルフ。実家はフェルガナ方伯の地位を預かっていますわ」
先程までの態度とは違い、高貴な出身だけ遭ってたおやかな佇まいを先輩は見せる。
あれ程警戒されているところを見れば、どう考えても僕の噂を知っているのはバレバレですし、自分の弟分が相当に親しいのを見て落ち着いたとみるべきでしょうね。
普段の依頼人ならば、まだ警戒心バリバリの流れですからね。
流石は方伯家の姫様、ある意味で度胸がある。
「お前もうちょっとどうにかならないの?」
「普段の依頼人の時にはそんな事云わない人に云われてもねえ」
心友殿の非難の言葉を鼻で笑い飛ばし、「それで御用向きは如何なる事でしょうか?」と、僕は先輩に話を促した。
「先程貴方が云われた通りのことですわ。私の親友の消息を教えて欲しいの」
「然う云われましても、通り一辺倒の噂しか知りませんよ。残念ながら、僕は一介の学生でしかありませんからね。失礼ながら、先輩の方こそ何も知らないのですね?」
先輩が親友と呼んでいる人物が同室の級友であることは知っていた。
この学園は完全な全寮制である。
そして、一部の例外以外は誰であろうと二人部屋で卒業まで過ごすこととなる。同室の相手は学園側が選ぶために、取り巻きを持つ大貴族がその内の一人を指名することなどできない。学園側が選んだ相手と卒業まで付き合うしかない。
そうは言っても、学園と手未来の大貴族家当主様に喧嘩を売るつもりはない。完全に不倶戴天の間柄の家同士を選ぶとか、家格が離れすぎている者同士を選ぶなどといった真似は一切しない。悪くて中立、大抵は仲の良い家同士を選ぶ。
この先輩の同室の相手も伯爵家の御令嬢だったはずだ。
方伯家と比べれば一段落ちる家柄かも知れないが、家同士の仲は良く、二人とも入学前の社交界で馬が合う友人同士だったという話である。親友呼びも当然と言えよう。
「ええ。居なくなる直前までその様な素振りを見せていなかったんですもの。私にも相談無しに居なくなるなんて、今でも信じられませんわ」
「まあ、本気で駆け落ちを考えていたならば、親しい友人にも秘密を空かせないのは当然だと思いますけどね。例年の話に拠れば、毎年、数例はあると云う事ですし」
「ええ、そうですわね。確かに親元から反対されての駆け落ちならば納得も致しますわ。ですけれど、彼女は許婚と相思相愛、駆け落ちしたと云われる相手から云い寄られて迷惑していた事実がありますのよ。その様な話、到底納得できるものではありませんわ」
先輩の証言を聞き、思わず僕はにやりとした。
正に、正にその様な話を知りたかったのだ。
「詳しく、お聞かせ願えますか、先輩?」
「そのつもりですわ」
我が意を得たりとばかりに話し出した先輩の言い分を要約すればこうなる。
元々先輩の同室の方は許婚が入学前から決まっており、周りから羨まれるほど仲睦まじかった。
当然、卒業後の進路は嫁入りであり、両家共にその準備は万端に整っていた。
状況が変わったのは卒業が近い新学期に入ってから。突如、とある侯爵家の公子が親友さんに言い寄ってきたらしい。
その公子こそ、今、親友さんが駆け落ちしたという噂が流れている張本人とのこと。
「ですから、あり得ないのですわ。明るい未来が決まっているのに、態々それを捨てる真似をするなんて」
「確かに、普通に考えれば有り得ませんね」
僕は感情的になっている先輩に同意した。
実際のところ、今聞いた話からは態々その公子を選んで駆け落ちする理由が見出せないのだ。
何せ、駆け落ちして残るのは愛ぐらい。安定した生活はまず望めない。追っ手も来るだろうから、国外まで逃げ切る必要があるし、乳母日傘で暮らしてきたボンボンやお嬢様が自分の力だけで生きていけるほど世の中上手くできていない。
強いて言えば、魔術を代表とした特殊な技能を十全に活用できる天才ならば、ワンチャンあるかなあ、程度である。
僕が聞き及んだ話の中に、駆け落ちしたとされる二人がその様な手に職を持ったタイプだというものはない。
だからこそ、僕はこの駆け落ち事件がどうにも引っかかっていた。
「先輩、幾つか僕から質問をしても宜しいでしょうか?」
「答えられるものならば良いわよ」
「先輩方お二人とその公子は入学前からの知り合いでしたか?」
「ええ、そうよ。社交界ではそれなりに知れた顔でしたもの。お互いに知り合いでしたわ」
「その公子は出会った当初は全く親友さんに言い寄っていなかったのですね?」
「そうね。お互いに良い友人同士だったと思うわ」
「先輩の知る限り、その公子に許嫁が居るかどうかは御存知ですか?」
「侯爵家の跡取りなのだから、居ない方が不思議よ? 当人も隠してはいないから誰かまでも知っていますし」
「公子と許嫁の方の仲は悪いのですか?」
「そんな事はないわよ。むしろ、政略結婚であれだけ仲が良ければ羨ましがられると思うわね」
「先輩はその方を御存知で?」
「社交界って広くて狭い世界ですからね。ええ、知っているわ」
「すると、その方も今は肩身が狭い思いを?」
「まだ学園に入学する年齢ではなかったはずよ。でも、これだけ騒動になれば耳に入っているかも知れないわね」
優しげな表情でやるせなさそうに首を左右に振る。それだけでも相手のことを思いやっているのが分かる。
「先輩は、公子達も気に為されているのですか?」
「少なくとも、横恋慕で人を破滅させるのを好き好んでいる人ではないと知っているだけよ。ただ、あの子に迷惑を掛けている以上、どうかと思ってはいるけれど」
「公子の方にも何らかの理由があると考えているのですね?」
「止めておきなさいと忠告したのだけれど、『あいつが止まらないなら、止めなければならない』と、だけ吐き捨てて聞く耳持たなかったわね」
「あいつとは誰のことなのでしょうか?」
「誰かまでは分からないわね。急に然う云いだしたから。ただ、女性相手に汚い言葉を使う人ではなかったから、私も知っている男性なのではないかしら? それでこちらも分かるといった感じの会話だった気がしたわ」
「成程、成程。非常に参考になりました。ありがとうございます」
僕は先輩に深々と頭を下げた。
実際、聞きたい情報は聞き出せたし、思わぬ拾い物もあった。
「それで、あの子はどこに居るか分かる?」
「申し訳ありません。学内のことならば情報通である自負がありますが、現状、学内の話かどうかも分かりませんので、少し時間を頂けないでしょうか?」
現状言えることを言い訳とし、僕は申し訳なさそうな表情で先輩に告げた。
完全な嘘というわけでも、本当のことを言っているわけでもないのですが、確証のないことを喋る気にはなれません。
友人同士の馬鹿馬鹿しい世間話なら確証のない推測も語れるのですが、あちらからすればかなり深刻な相談事。そんな軽い気持ちで話せる内容でもありません。
だったら、完全に裏をとり、解決してから種明かしをする方が何倍も良いと判断しました。
「後、こちらから支払える物は余りないのだけれど──」
「あ、構いません。多分、最終的に収支は取れますので、特には要りません。それで気が済まないというなら、後でお気持ち程度の何かを僕に渡す程度で良いですよ、今回は」
どうせ、先輩を連れてきた心友殿を扱き使う予定ですからね。
代償や足の出るだろう必要経費はそっちに支払って貰うとしましょう。
それに、現状戴いた情報だけで収支を上回っていますからね。そこら辺のことは言いませんけど。
「噂とは大違いね」
「先輩の日頃の行いが宜しかったのでしょう。普通ならば、それ相応の代償を請求しますよ。当然、支払えないほどの物ではないものをね」
驚きの表情を浮かべている先輩に僕はにっこりと笑って見せた。