●3 非日常への逃亡
「――で、告白されたのにびっくりしてその後顔が合わせづらいから大学をサボったと」
開口一番、小春は哲太の今日一日の行動を一言で要約してみせた。
やめてそんなはっきり言わないで、と哲太は定位置になっているソファの上で柔らかくも弾力のあるクッションを必死に抱き閉めながら小春の冷たい視線に耐えていた。
これは夢か幻か、帰り道で陽菜に告白されたという事実を受け止めきれなかった哲太は完全なキャパオーバーを起こして一睡も出来ずに夜を明かすことになった。身体も脳も休養を求めているにも関わらず、目だけがギンギンに冴え渡っている。
起きていると嫌でも当時のことを思い出す。
少し固い感触のする陽菜の手が、告白した瞬間だけ少し力がこもった。これが嘘だなんて思えない。哲太の反応を楽しむための演技だとしたらもう誰も信じられない。
一人でいるとずっと考えてしまうために家を出た。
しかし、陽菜と出会う可能性が高い大学には行けずに時間を潰すだけの金もない。となると逃げ込む場所など限られていき、哲太は本来ならば来たくもないはずの小春の家に逃げ込んでいた。
小春との接触は都市伝説に関する時のみであり、言うなればこの場所は非日常の象徴であるはずだったのだが、昨日の陽菜から受けた告白で日常が日常でなくなった今、哲太に残された逃げ場所はここしか思いつかなかったのだ。
てか、大学に行って陽菜にあったらどうすればいい? どんな顔をして、何を話せばいい? そう考え始めたら哲太にはもう右も左も分からない。
誰かに話を聞いて欲しい。そんな時に思い浮かんだのが、年下でありながら小生意気にも遠慮も配慮もない小春の存在だったのである。高校の授業が終わり、小春が家に戻ってくるまで時間を潰してようやく息がつけた。
まさか、小春の部屋にいることに安堵する日が来るなんて思いもしなかったが。
「――どヘタレ」
うぐぅ、と哲太は胸に突き刺さる暴言を何とか堪える。
正論ではある。自分でも情けないと思う。しかし、思ってもみなかった展開に哲太は決壊寸前なのである。
「つまりこれってさ、やっと哲太にやってきた遅すぎるモテ期自慢ってことでしょ? てか、ノロケ? 俺の幼馴染みがこんなに可愛いはずがないと?」
「かっ、可愛いとか言ってないぞ俺!」
「はいはい、そうですね。でも、わざわざ口にしてくれなくても分かるから。嫌いじゃないんでしょ? てか、かなり好きだよね。今までの言動から哲太の幼馴染みさんに対する信頼は人並み外れていると言っていい。頑なに私と幼馴染みさんを引き合わせようとしないのもこんな面倒なことに巻き込みたくないからでしょ?」
「違うっ! お前と陽菜なんつーオカルト大好きな奴らが手を組んだら確実に俺がキツいことになるだろうが!」
「はは、そうかもねー。でも、それは完全な杞憂だよ。私と幼馴染みさん、絶対に気が合わないもん」
なんと、と哲太は思わず目を瞬かせた。
都市伝説などのオカルトが好きで、二人とも怖がる哲太で遊ぶのが好きという厄介な性格の持ち主。これでどうして気が合わないと言うのか。
本気で不思議がる哲太に小春は言う。
「それは前提条件が違ってるんだよ。私は都市伝説が好きなんであって、幼馴染みさんは哲太が怖がるから怖い話が好きなの。哲太ありきだってことをお忘れなく」
「……そ、それじゃあ、まるで陽菜が昔から俺のこと好きだったみたいじゃないか!?」
「そうだって本人が言っているのだが。ま、ここから先はどうぞお一人でお考えくださいな。どっちにしても都市伝説じゃない以上興味ないしね。契約外だ、出て行け!」
「れ、恋愛だって小説のネタになるだろ? 包み隠さず話しますから。相談に乗ってくださいお願いします!」
「……ついに自分から売り出してきやがった。確かに恋愛感情も興味深いよ。でも、哲太の小学生レベルの恋とかどうでもいいわ! てか、むしろ迷惑だから!」
「そんなこと言って、お前アレだな? どうせ知識だけで自分が恋愛したことないとかそういうオチなんだろ? お前、彼氏とかいそうにねぇもんな!」
売り言葉に買い言葉の応酬に、ほほう、と小春は目を細めた。
あ、やばい。そう直感するが今更引っ込むことはできない、と哲太も身構える。
「男の人ってモテ期が来ると気が大きくなるものなのか。へぇ、ほー、参考になったよ」
ありがとう、と微笑む小春の顔が怖い。
顔は笑っているのに小春が少しも笑っていないことが一目で分かってしまう。
「でも、私のプライベートを話す必要性はないよね? 哲太と私って友達でも何でもないわけだし。だから、さっさと帰ってもらえます?」
「……すまん、今のは完全に俺が悪かった。ちゃんとお前の好きな都市伝説の話も持ってきてる」
誠心誠意、心を込めて哲太は頭を下げる。これ以上小春の笑顔を見ていられなかったというのもあるが、そうでもしないと許して貰えないような気がしたのだ。
少しの間無言が続き、はあ、とため息を吐く音が聞こえた。
恐る恐る顔を上げると肩を竦めてみせる小春がいた。そして、続けて、と言わんばかりに腕を組んで軽く顎で促してくる。
この年下の少女に頭が上がらない状況を屈辱に思いつつも哲太は重い口をゆっくりと開いた。
「……その前に一つ教えてくれ。お前、過去に戻りたいと思ったことあるか?」
「ないよ。そんなの考えるだけ無駄だからね」
即答する小春に哲太は安堵した。
もしも小春が過去に戻りたいと望むのならばこの話はしたくなかったからだ。きっぱりばっさり言う小春には過去に後悔も未練ないように思えて、安心して続きを話すことが出来る
「なぁ、夕方の違う言い方って知ってるか?」
「夕暮れ時、黄昏時、逢魔が時」
「ちょ、待っ……そんなにあるのかよ!?」
「これだってただの一例だよ。昼でもなく夜でもない人が妖に出会う時間帯ってことで、私は逢魔が時って言い方が好きだなぁ」
「……趣味悪いぞ」
嫌がる哲太の反応に喜びながら小春はいつものようにマジックを片手に立ち上がった。
向かう場所は壁のホワイトボードである。現在、白い壁はところどころに文字が書かれているだけで、まだまだ十分余白がある。哲太が知る限りではあるが、普段はこの程度で口裂け女の時の文字量が異常だったのもかも知れない。
小春は壁に『逢魔が時』と書いてから、隣に『大禍時』と書く。
「古来では妖怪や魔物の存在が信じられていたから、昼から夜へと移り変わるこの時間帯を酷く不吉な時間だと認識していた。満足な灯りがない時代では夜は人以外の存在の時間だったからね」
「そ、そんな怖いこと言ったってビビったりしないんだからな。しかも、今回重要なのはそっちじゃなくて黄昏時の方だ」
「黄昏時ねぇ。夕暮れの行き会う人の顔が分からず『そこにいるのは誰ですか?』と尋ねたことから『誰そ彼』時。確か、万葉集で使われた和歌があるんだったけか」
『誰そ彼時→黄昏時』と書いて一人頷く小春の背中を哲太はうんざりした顔で見つめてしまう。万葉集なんて言われても、はいそうです、と答えられる者がいったい何人いるだろうか。
昨日、哲太は黄昏時について語る陽菜の姿に小春を重ねてしまったが、いざ本物を目の前にすると全く別物であることが分かる。随所で入る捕捉のせいで小春に説明するのは限りなく面倒くさい。
「ん、どうかした? ほら、続けて続けて」
「へぇへぇ、お前が話の腰を折らなきゃすぐ終わるよ。なんでも、その黄昏時に町を歩いているとやり直したい過去に戻れるんだと」
哲太の投げやりな説明を聞いた小春は少し考えてから、やり直したい過去、と口の中で小さく呟いてホワイトボードに書き込む。
「で?」
「は? でってなんだよ?」
「続きは?」
「んなもんない。これで終わりだ」
ふむ、と小春は顎に手を当てて考え込む。
考え込むほどのことだろうか、と訝しがった哲太はソファから立ち上がり小春の隣――文字が書かれた壁の前に立った。
同じ場所に立てば小春と同じモノが見えるかもしれないと思ったのである。
「……神隠しかな」
「あ?」
哲太に応えずに小春は『神隠し』と壁に書く。
そうしてからやっと小春は隣に立つ哲太を見た。
「今、哲太が教えてくれた話――これ、神隠しだよ」
「どうしてそうなる?」
あまりに突拍子もない言葉に哲太は思いっきり顔を顰める。
何言ってんだこいつ、とその顔が告げていた。
「この、やり直したい過去に戻れるってとこ、言い換えれば過去という別世界に行くってことだ。現在からは消えることになるじゃん」
「だから神隠しだと? いくらなんでも発想が突拍子もなさすぎだろ。そもそも|神隠しって拉致とか誘拐でいなくなるってイメージなんだが」
「うーむ、あながち間違いとも言いきれないな。哲太はさ、日本で行方不明になる人がだいたい何人いるか知ってる? 年間八万人だよ」
「は、八万!? そんなにいんのか!」
「哲太が言ったような誘拐や拉致、あとは殺害。事件性に関わるモノもあれば、自ら消息を絶つモノもあるだろうから全部を一括りには出来ないけど、その中には確実に神隠しの被害者は存在するだろうね」
小春は『神隠し』と書いた文字を丸く囲んでから哲太に向き直る。
「さて、哲太。神隠しとはなんぞや?」
そのこちらを試すような笑顔にうんざりしながらも哲太は必死に頭を捻って考える。
「……お前がさっき言った言葉が確かなら、誘拐とか拉致って意味じゃないんだよな?」
「イエス。それらによって行方不明になっていたとしても確かな状況が分からないから現代では便宜的に神隠しという言葉が使われるけど、今求めているのはそれじゃない。神隠しという言葉が持つ本来の意味だ」
「なら、人が唐突に姿を消すってとこじゃないか? 確か、昔は山や森に入ったままいなくなっちゃった子どもが神隠しとか天狗隠しにあったって言われてたんじゃなかったか?」
正解、と満足げに頷いた小春は哲太から話を引き継ぐ。
「そう、人が消えるという概念は昔から存在する。しかも今回の都市伝説は黄昏時に起こるという指定がある。この昼でもなく夜でもない時間帯、異世界へと迷い込むには絶好の瞬間だと言える」
「なら、黄昏時に歩いてるヤツ全員消えてなきゃおかしいだろ。そんな簡単に異世界に行けるんだったらこっちの世界から人がいなくなるわ、日本だけじゃなくて世界中で神隠し続出してなきゃおかしいだろうが!」
「まあ、そこは都市伝説ですし。どこでもかしこでも実現するものじゃない。そもそも哲太、異世界への入り口ってわりと近くにあったりするんだけど知ってる?」
「んなもんない」
「あー、はいはい。いいんじゃないか、哲太がそう思うんならね。多く語られているのは、鏡や水面だね。物語的には交通事故で死んでなんかが多い気がするけど、私たちにとって身近なところで言えば十階以上のエレベーターに一人で乗るとなんてのもある」
「……え? ちょっと待て、え?」
「帰り、気をつけろよってこと」
ニヤリと笑う小春と一瞬で顔面を蒼白とさせる哲太。
小春が住むこの部屋は十七階建てマンションの最上階である。余裕で十階以上の建物であった。
顔を強張らせる哲太があまりに可哀想だったこともあり、いやいや、とすぐさま小春は小さく手を振った。
「そんな深刻な顔しなさんなって、普通にしてれば迷い込むことはないよ。哲太だって言ったじゃないか、そんな簡単に異世界に行けるんだったらこっちの世界から人がいなくなるって。簡単に行けるわけないだろ、ちゃんと条件があるんだよ」
それがこれだ、と小春はホワイトボードに書いた文字を大きく丸で囲む。
「今回の条件はやり直したい過去ってヤツだよ」
言われて哲太ははっとする。
そう、やり直したい過去に戻れるのである。つまり逆を言うならば、やり直したい過去がなければ戻れないのである。
それの事実はまるで光明のように哲太を照らす。
「はっ! そうだ、やり直したい過去だ! それがなければ俺は過去には戻らないって事じゃないか! 今回俺は、都市伝説に巻き込まれたりなんかしない!」
はは、はははっ、と哲太の口から笑い声が漏れる。
勝った。毎回毎回、嫌気が差すほど都市伝説に巻き込まれてきたが、ついに神様でもどうにもできない属性を手に入れたのだ。
過去はやり直せない。哲太にはやり直したい過去はない。今回の哲太は都市伝説に遭遇する対象ではないのである。
「え、哲太にもあるでしょ。やり直したい過去」
さも当然のように言う小春に哲太は自信満々に首を横に振る。
「ない」
「いや、あるよ」
「ねぇって」
「いやいや、あるって」
即座に否定してくる小春を哲太は思いっきり睨む。
誰もが息をのむ怖い顔に睨まれようとも小春はまるで動じない。それどころか、心底不思議そうに見返してくる。
「だって、過去をやり直せるんだよ?」
「は、勉強が足りねぇんじゃねぇのか小説家。過去は変えられないんだ。バタフライエフェクトとか世界線とかが狂うから変えちゃいけないんだよ」
「うん、単語の意味が分かってない感がすごくするけど、確かにそれは物語上のお約束だ。でも、それはそれ。変えられないという事実と変えたくないという感情は別物だぜ」
ニヤリと意地の悪い笑み。
人の不幸を心から悦ぶような底意地の悪い笑顔で小春は告げる。
「幼馴染みさんが後悔してるっていう引っ越す前、哲太から告白して付き合っちゃえば哲太を今困らせている状況が全部まるっと解決するじゃん」
愕然として哲太の顎が垂れ下がる。
目から鱗とはまさにこのことだった。確かに、この状況から逃げられるならば過去を変えたいと思ってしまうほどに。




