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都市伝説と作家と振り回されるだけの俺  作者: スズハラ
黄昏時の神隠し
26/29

●2 それは赤い赤い夕日の下で



 陽菜の歩くペースに合わせてゆっくりと歩いていると、まだそう遅い時間でもないにも関わらず日が沈み周りが赤く染まっていく。


「日が落ちるの早くなったよな」

「そりゃあ、まだ暑いとはいえ暦の上ではもう秋だからね。またすぐに冬が来てあっという間に暗くなっちゃうんだよねぇ」

「……すぐに冬が来るとか言うなよ。十二月とか考えただけで胃が痛くなるだろ」


 哲太にとって冬と言えば十二月、である。卒論の最終締め切りであることを考えるだけで哲太はキリキリと胃が痛むのを抑えられない。気を抜けば吐きかねない。

 渋面を作る哲太を見て陽菜はくすくすと笑った。


「あはは、この話は今のテツくんには禁句だね。なら、もっと別の楽しい話をしようか」

「頼むわ。卒論アレに関わること以外なら何でもいい」


 ほほう、と陽菜が意味ありげに笑ったことを哲太は気づかない。目の前のことにいっぱいいっぱいすぎて、嫌な前触れであることに気づけない。


「なら、遠慮なく。テツくんはさ、今みたいな日が沈む時間帯をなんて言うか知ってる?」

「あ? んー、夕方とか夕暮れとかか? てか、呼び方なんてどうでもいいだろ。そんな意味があるわけでもあるまいし」

「もう、そうやってすぐに意味を求めるのはテツくんの悪い癖だと思うな。情緒の問題だよ、ロマンと言ってもいいね。何もかもシンプルでストレートに現しちゃったらつまらないでしょ?」

「つまらないってお前な、面白さを追求するところでもねぇだろ」

「だからロマンだってば。今みたいな日が沈む前の、昼でもなく夜でもない曖昧な時間のことをね、黄昏時って言うんだよ」


 黄昏時、と口の中で呟きながら哲太は僅かに目を細めた。

 事も無げに説明してくれる陽菜の姿が、都市伝説を得意げに語る小春の姿に重なって嫌な気持ちになったのだ。そして、そういえばとここ一ヵ月ほど小春に会っていないことを思い出す。躍起になって就活に取り組んでいたこの一ヵ月間、哲太にしては珍しく都市伝説とは無縁の生活を送っていたのである。

 そもそも哲太が小春と会うということは都市伝説と遭遇した時だけであり、それ以外は会う理由などない。会わない方が身のためである。

 だから、ほんの少し脳裏に過ぎった感情は無視することにする。

 会わない方がいい、むしろ清々するくらいだ。少しだけ寂しく思うなんてこと、錯覚に決まってる。


「黄昏時の元々の語源は『誰そ彼時』って言うんだって。沈む夕日の光で行き会う人の顔すら分からず『誰だ彼は』と曖昧になってしまうこの中途半端な時間帯は、古来より人が妖しに出会う時間帯と言われていたってね。つまり、黄昏時では何が起こってもおかしくないってこと」

「……何が言いたい? 陽菜、まさかお前――」


 また怖い話をする気か、と続く言葉を哲太は口にすることは出来なかった。

 今更気づいたところでもう遅いとばかりに陽菜は微かに微笑んで話を続けるのである。いつだってこの展開は避けられない。


「ねぇ、知ってる? 最近ね、こんな噂が流行ってるの」


 ――やめろ、言うな。その言葉は聞きたくない。

 いったいもう何回目だろう、続けて語られる都市伝説に哲太は幾度となく悩まされている。発展途上のこの町の在り方は酷く曖昧で――本来ならば噂話で終わるはずの都市伝説さえも実在させてしまう。


「あまりに夕日が綺麗な黄昏時に歩いていると、ふと隣を歩く人の顔すら曖昧になって見えなくなっていく時があるんだって。そして一際綺麗な夕日に目を奪われた時――」


 ――やめろ、やめてくれ。

 手を伸ばす。無理矢理にでも口を塞いでしまえば、これから起こるであろう展開を回避できると信じて縋る。

 ――俺の前でそんな話をすると、本当になってしまうから。


「――やり直したい過去に戻れるんだって」


 え、と間抜けな声が出た。

 てっきり怖い話だと思って身構えていた哲太の全身から一気に力が抜ける。伸ばしかけた手が何も掴まずに落ちる。

 拍子抜けしたような哲太の顔を見て陽菜は悪戯が成功した子どものように笑った。


「テツくんさ、都市伝説を怖い話だって決めつけてるでしょ? 確かに都市伝説は恐いとか怖ろしいって側面が強いけど、こういう救われる系の話もあるんだよ。良かったね、怖い話じゃなくて」

「……お前ね、そうやって人のこと怖がらせて遊ぶのはどうかと思うぞ。だいたい、救いってなんだよ? 過去に戻れるとか、これのどこが救いなんだよ?」

「救われるでしょ。誰にだって戻りたい過去の一つや二つあるもの」


 さも当然と言わんばかりに返されて哲太は自身を振り返る。

 確かにそれは誰もが一度は考えることだろう。哲太だって、先日最終まで残った面接の場でもっときちんと回答できていればと悔やんだことは記憶に新しい。誰だって大なり小なり後悔が生まれてしまうから、人類のタイムマシンに対する憧れはいつの時代でも尽きることがないのだろう。

 だが、実際に過去に戻りたいかと言われれば哲太は首を横に振る。


 うーむ、と唸りながら陽菜を見ると、陽菜は不思議そうに首を傾げた。

 すぐに聞き返すわけではなく、哲太の考えがまとまるまで待っていてくれている。この幼馴染みという長い付き合い、腐れ縁だからこその理解度に哲太は決して口にはしないがいつも感謝しているのだ。これが小春だったならば、待ってなどくれないし挙げ句の果てには哲太が見つけるよりも早く答えを探し出す。しかもそれが、正しかったりするのだからどうしようもなく癪に障るのだが。


 こんなことを言っていいのか、と哲太が迷いながらも口を開こうとした時、一際明るい夕日が目に飛び込んでくる。眩みそうになる目をなんとか開けて陽菜を見れば、光の加減で陽菜の顔がよく見えなかった。


『ふと隣を歩く人の顔すら曖昧になって見えなくなっていく時があるんだって。そして一際綺麗な夕日に目を奪われた時――』


 脳内で再生される聞いたばかりの都市伝説。

 その状況がそのまんま今だと理解した時、哲太は咄嗟に陽菜の手を取っていた。きつく手を握り、哲太は陽菜がどこかに行ってしまわないように引き留める。


「陽菜、お前はやり直したい過去があるのか?」


 陽菜は驚いたような顔で握られた手と哲太の顔を交互に見る。

 そして、ぎこちなく笑ってみせた。その笑みが何を隠しているのか、哲太には分からない。ただ夕日のせいか、顔色は少し赤い。


「……そりゃあ、まぁ、人並みにはね。あの時ああしていればこうしてたらなんて後悔することくらいあるよ。そんなのたらればだって分かってるけど、思わずにはいられないって時がね。テツくんもそうでしょ?」

「俺にはない」


 哲太は断言する。

 いつだって優柔不断で、物事をはっきりさせるのが苦手な哲太でもこれだけは断言できる。


「俺にはやり直したい過去なんかない」


 それは後悔のない生き方をしてきたなんて格好の良いものではない。むしろ失敗ばかりで、過去を思い返せばいつだって後悔の連続だ。

 それでも、哲太はやり直したいとは思わない。


「どうせ俺じゃ、やり直せたって同じ事を繰り返すだけだしな。前より上手くやれるなんて思えないんだよ。……それに、昔の俺が精いっぱい悩んでした決断を無かったことになんかしたくない」


 そうだ、いつだって上手くやれた試しなんかない。

 一生懸命なんて泥臭いけれども、それでもその時の自分の精いっぱいだったのだ。それをなかったことになんかできないし、そもそもまた同じ局面に遭遇するなんて以ての外だ。そっちの方が嫌だ。

 なら、今のままでいい。失敗も後悔もいつまでもなくならないけれども、折り合いつけて生きていくってことは生まれてから今までそれなり学んできたのだから。


「……わぁお、テツくんが格好良いこと言ってるぅ。明日は雨かな?」

「茶化すなよ。ただ俺はそう思うってだけの話だろ」


 それに、と言いながらも哲太はその続きを口にしなかった。

 格好良いという言葉は苦手だ。言われる機会なんかほとんどないし――何よりその言葉は小春を思い出してなんだか複雑な気分になってしまう。

 しばらく哲太の口から続きが語られるのを待っていた陽菜だったが、哲太がだんまりを決め込んだことを見て諦める。

 こういう時、一度決めた哲太は何を言っても聞かないことを陽菜は知っているのだ。


「そうだね、テツくんの言うとおり過去に戻るなんてことに意味はないね。未来に生きる方が現実的だ」

「おう、だから変なことを考えるなよ。噂とか都市伝説なんつーもんにはな、首を突っ込まないのが一番なんだよ」

「あはは、それってテツくんが関わりたくないだけじゃん」


 からからと笑う陽菜の様子にほっと胸を撫で下ろす哲太だったが、その一方で握った手を離すタイミングを逃していた。左手で自転車を押し、右手では陽菜の手を握っている。

 突然女性の手を握るなんて、本来ならば振り払われたとしても文句は言えない状況だったが、相手が陽菜だからかその手は今も握られたままだった。


 いきなり手を離したら意識してしまったことがバレてしまうだろうか?

 このままゆっくり力を抜けば、自然と離れられるだろうか?

 そもそもずっと手を握っているというこの状況は友達としておかしくないのだろうか?


 そんなことばかりが頭の中をぐるぐる回っているくせに、意識していることがバレたら負けだなんて意地を張って哲太は必死に考えないようにしていた。


「ちなみにだけどさ、わたしが戻りたいと思った過去っていつのことか分かる?」


 手を握ったままで、陽菜が尋ねてくる。

 哲太は意識の大半を手に奪われながら考えるが、結局首を捻ることしか出来なかった。


「――分からん。俺からするとお前くらい要領良ければ、人生イージーモードなんだが」

「そんなわけないでしょ。わたしにだってね、失敗の一つや二つあるんです」


 ぷい、と怒ったように顔を背ける陽菜を哲太は信じられないような目で見つめてしまう。

 今、何と言ったのか? 失敗の一つや二つって、これまで生きてきた中でという意味なのか? 二十年以上生きてきて失敗が一つ二つだなんて、と呆気に取られるが、陽菜ならば有り得なくもないと思えてしまうことが怖ろしかった。

 生きる世界が違うというのはこういうことなのか。


「ね、これは知ってる?」


 心底嫌そうな顔で訝しがる哲太。もうその言葉に対してアレルギーのようなものが出来上がっていたからなのだが、無言で睨みつけても陽菜はにっこりと笑うだけでその顔の裏で何を考えているのか分からない。


「なんだよ、都市伝説ならもう聞かねぇぞ」

「違う違う、そんなんじゃないよ。これはわたしがやっちゃった失敗の話です」


 少し、好奇心が湧いた。

 不謹慎だと思いつつも、哲太からすれば完璧な陽菜が失敗したという話は全く想像できなくて、知りたいという気持ちが無言で話の続きを促してしまう。

 握った陽菜の手に、意を決したかのように力がこもる。


「わたしね、テツくんのことが好き」


 大切な想いを打ち明けるかのようなそれは囁くように小さい。けれども、哲太の耳にはしっかりと届く強い声だった。


 声が、出せなかった。

 顎が落ちる。馬鹿みたいに開いた口が塞がらない。

 突然の告白なんて信じられなくて、哲太の頭は真っ白になる。

 嘘だ、有り得ない。何かの冗談に決まっている。だって、そうでもなければ陽菜が自分を好きになるはずがない。

 何とか絞り出した掠れた声で哲太は言う。


「……そ、それは、友達としてってヤツだよな? 勘違いする俺をからかおうってオチなんだよな?」


 もちろん、と陽菜が笑う。

 その笑顔に少しがっかりしつつも、哲太の胸には安堵の気持ちが大きかった。

 陽菜が言う『好き』は英語で言うところのlikeでありloveではない。そう、特別な意味などないのだ。

 それはとても残念だけども、今の程よい関係が続くということであり、それ以上を望む方がどうかしているのだ。

 だから、これでいい。哲太がそう自分を納得させているのを顔色一つ見ただけで理解した陽菜は困ったように笑う。

 笑って首を横に振った。


「もちろん、男の人としてってヤツだからね。わたしはテツくんのこと異性として好きだよ」


 いつものように哲太のペースに合わせるのではなく、はっきりと陽菜は自分の気持ちを口にした。


「本当はテツくんから言ってもらいたかったんだけど、待ち続けて前回失敗したわけだし、今回は後悔しないようにちゃんと伝えておこうかなって」

「……ぜ、前回?」

「うん、テツくんが引っ越しちゃった時。あの時告白していればって、何度も後悔したんだよ。だって引っ越ししたくらいで連絡も取れなくなるとは思わないじゃん。こっちがどれだけメールを送っても、返ってくるのは一言二言だし」

「い、いや、だって……メールとか、苦手なんだよ」

「知ってるよ。だから、大学で再会できた時はすごく嬉しかったんだ。再会したばっかのテツくんは余所余所しかったけど、すぐに昔に戻れたからね。今のこうやって幼馴染みだから居られる距離感はすごく心地良かった。……手放しがたく思うほどね」


 そこまで言ったところで陽菜は握った哲太の手がかっちこちに固まっていることに気づく。

 見上げてみれば、そこには固まりきった哲太がいた。

 大男が信じられないとばかりに顔を強張らせて冷や汗をかく姿は傍から見れば情けない以外のなにものでもなかったが、それは陽菜の知る哲太らしかった。

 恋愛にとことん疎い哲太だからこそ、陽菜は今まで行動に出ることが出来なかったのだ。哲太が唯一頼る友人というポジションは失いがたかった。何より、告白して今の関係すら壊れて無くなるかと思うと動くことなんか出来なかった。

 でも、それは前回失敗したのと同じであり、大学卒業に就職とまた哲太が違う場所に行ってしまうことを陽菜が行動に出るのは時間の問題だったのだ。


 まあ、その可能性を少しも考えていなかったであろう哲太の驚きようには思うことがないわけでもないのだけども。

 停止フリーズ寸前の哲太に陽菜は最後とばかりにたたみかける。



「好きだよ、テツくん。たぶん、これ以上に誰かを好きになることなんてないってくらいにね」



 あまりに赤い赤い黄昏時――。

 幼馴染みからの告白を受けた哲太が、その後どうやって自分の家まで帰ったのか全く記憶に残っていなかった。








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