●11 始まりの終わりに
ストン、と落ちた包丁が地面に突き刺さる。
それと同時に口裂け女の姿は消えていた。目を反らしてなどいなかったにも関わらず、小春にも分からないほどそれは一瞬の出来事だった。
哲太は突然消えた口裂け女の姿を視線だけ何とか動かして探す。
そして、その姿が見えないこと、残されたのが包丁だけであることをやっと理解して全身から力が抜けたかのようにその場に座り込む。
「だはあっ、た、助かった……のか?」
「ははっ、マジかよホント有り得ない。未来の自分に丸投げすることで口裂け女を納得させやがった」
「お前、その言い方は人聞きが悪いぞ」
「でも他に言い方はないよ。で、分かってるんだよね? 哲太はまだ助かったとは言えない。哲太がやったのは問題の先送りであって解決じゃないんだから」
「で、でも、今がなんとかなれば……」
「近い将来まだ会うことが確定しても構わない、と。なんて英雄行為、自己犠牲主義とかもう流行らないっての!」
呆れきっているのか辛辣な物言いの小春。
それが心配しているのか怒っているのか哲太にはよく分からなかった。
「……まあでも、口裂け女の結末なんて血生臭いことにしかならないと思ってたから、哲太の出した答えは私じゃ思いつかなかったことは確かだ。それは認めよう。それに、哲太に救いがないわけじゃないしね」
「救いって、どんな?」
「口裂け女との次の邂逅は哲太が強い男になった時でしょ? なら、一生ヘタレのままなら哲太の勝ちと言うわけだ」
「それ俺の心が救わねぇよっ!」
はははっ、と小春は笑う。
一頻り笑ってから、座り込む哲太に向かって手を伸ばす。
「まぁ、どうあれおつかれ。及第点ってとこじゃないかな、哲太にしてはよく頑張ったよ」
どこまでも上から目線の言葉。
けれども、それが素直じゃない小春にとって最大限の賛辞であることは短い付き合いでも分かった。
だがそれを喜べるほど哲太も素直ではないわけで、哲太は差し出された小春の手を取り、わざと無駄に体重をかけて立ち上がる。
当然、大柄な哲太を小春が支えきれるはずがなく、わわっ、とバランスを崩しそうになる小春を逆に支えてやってから哲太は言う。
「お前もな、足引っ張ってばっかり使えねぇかと思ったけど引き立て役としては上々だったぜ」
ニヤリと哲太はこれ見よがしに笑う。
笑顔は得意ではないが、人の神経を逆撫でする笑みならば小春というお手本がいるので自信ある。
小春は多少ムッとしつつも、自分の非に自覚があるのか押し黙った。それでも簡単に納得できるものではなく、うー、と唸ってから爆発するように吐き出した。
「そもそも、今回のは哲太がノープランで行くのがいけないんだよ! 私のせいじゃないもん!」
「うわっ、なんだそのガキみたいな言い訳。ノープランでも何でも結果オーライならそれでいいだろ?」
「良くない! あーやだやだ、こんなのプロットも作らず行き当たりばったりで書いた物語みたいなもんじゃないか。二度とやらない、もう哲太の意見なんて聞いてやらないから!」
「ああ、俺だって二度とごめんだね! 都市伝説もガキも相手もな!」
ふんっ、と互いにそっぽ向く。
そしてほぼ同時に吹き出すように笑った。
「ねぇ、哲太」
「なんだよ、苦情ならもう聞かねぇぞ」
「違う違う。私さ、さっきは散々丸投げだとか言ったけどさ、哲太の出した答えはそう悪いものじゃないとって思ってるのは本当だから、それだけは勘違いしないでほしい」
だって、小春は微笑んだ。
「哲太は主人公だからね。もしかしたら、そんな未来もあるかもしれないって希望が持てるもの」
今まで見ていたのとは違う、何の含みもない笑みだった。
そんな風にも笑えるんだと思った。
「じゃあ、そろそろ撤収しようか」
そうだな、と頷きながらも哲太はまだ僅かに不安だった。
まだ一人の家に帰るのはほんの少し心細い。一人になった瞬間に口裂け女が現われるとか、そんなことがあったら心臓が止まると断言してもいい。
微妙に顔を強張らせる哲太を見て全てを察したのか、小春は盛大にため息をついてみせた。
「言っとくけど、ここから撤収するだけでまだ終わりじゃないからね。私の家に戻ったら、哲太には口裂け女の所感とか聞くから正直に答えるように」
「げっ、なんでそんなことすんだよ。もう思い出させるなよ!」
「ダメだね。ネタを提供するっていう取引でしょ、最後まで付き合って貰うよ。なに、私も鬼じゃない。今日一日徹夜するくらいで終わらせると約束しよう。ほら、分かったらさっさとその包丁を拾う」
「ばっ、お前バカだろ!? こんな呪いのアイテムなんで拾おうとか思えんだよ!」
「別に拾わなくてもいいけど、それ絶対に哲太の元から離れないよ。哲太は正しい、まさに呪いのアイテム。口裂け女からのマーキングみたいなものとして受け取っておけばいいのに。資料にもなるし」
「絶対に嫌だ! お前にだって持ち帰らせないからなっ!」
はいはい、とおざなりに肩を竦める小春。
年上の男性が半泣きで叫ぶというのは見物だったが、今宵は少々見飽きていたのだろう。
あっさり包丁から目を離した小春はふと哲太を見る。身長の差から当然ではあるが、下から覗き込むように哲太の瞳を見つめてくる。
その様子は、少しだけ今までと違った。
「最後さ、口裂け女に何か言われてなかった?」
それは口裂け女が消える間際のことだ。
哲太の耳元に唇を寄せ、哲太にだけ聞こえる小さな声で口裂け女は言った。
「……いや、大したことじゃない。会えるのを楽しみにしてる、とかそんなんだよ」
ふーん、と小春はがっかりしたようにため息をつく。
こういう場合は重要なことを呟くのがお約束なのに、と唇を尖らせてさえいる。いつでもどこでも現実を物語のように語る小春だが、今回ばかりは勘が良くて焦る。
動揺が顔に出ないように哲太は祈る。
「じゃあ行こう、帰ろ哲太」
おう、と小さな背中を追いかけながら哲太は口裂け女の最後の言葉を思い出す。
小春に言ったことは嘘だ。哲太自身、言葉の意味を飲み込めておらずどうすればいいか分からない。
『一つ忠告してあげる。――あの子を信じちゃダメよ』
ふいに左手に重い感触。
何かと思って哲太が視線を移せば、その手にはいつの間にか一本の包丁が握られていた。
どす黒い血を吸った出刃包丁はそれが当たり前のように哲太の手の中に収まっている。柄についた血はまだ乾いておらず哲太の手を赤く濡らしていた。
「――――――っっっっ!!!!」
哲太の声にならない甲高い悲鳴が夜の公園に響き渡る。
それに驚いた周辺住民が警察に通報するなどという自体になったのだが、哲太と小春は事が大きくなる前に公園から逃げ出していた。
途中、何度も捨てたはずの包丁はその度に必ず哲太の元へと戻ってくる。哲太自身がいつの間にか手に持っていたり、鞄の中に入り込んでいたりなどなど――。
「ほらね、だから言ったじゃん。呪いのアイテムは捨てられないって相場が決まってる。都市伝説からプレゼントを貰える人なんてそうそういないんだから大事にしなよ」
絶望に染まる哲太とは反対に、小春は愉しげにいつまでも笑っていた。
これが哲太と小春の出会いにして、始まりの都市伝説。
それから哲太は幾度となく都市伝説と出会うことになるのだが、小春の手を借りてなんとか解決に持ち込んでいく。
だが、口裂け女の言葉の意味だけは未だに分からないままだった。




