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都市伝説と作家と振り回されるだけの俺  作者: スズハラ
口裂け女
23/29

●10 回答権をもう一度



 問いに対する答えはなかった。

 あるのは痛いほどの静寂と、哲太を見つめる氷のような視線だけ。


「……あはっ」


 三日月が半月に変わる。

 続くのは狂ったような笑い声。


「あはは、あははっ! やっぱりあなた、素敵ね。すっごく素敵っ!」


 包丁の切っ先が下がり首筋が恐怖から解放されるが、肝心の哲太の心が安まる暇はない。

 口裂け女が哲太の肩に手を置き、背伸びをした。

 まるでキスでもせがむかのような体勢。哲太の視界が口裂け女の顔でいっぱいになり――強制的にその名の元凶となった呪われた顔を見せつけられる。怖いのに、もうそんな痛々しい傷跡は見たくないのに、目を離すことができない。


「いいわ、いいわ教えてあげる。特別よ、素敵なあなたにだけ特別に私を教えてあげる!」


 そう言ってから口裂け女の口からは堰を切ったかのように言葉が溢れ出す。

 それは口裂け女ではなく――彼女の物語はなしだった。


「私ね、醜い自分の顔が嫌いだったの。キレイになりたかったの! だから整形することにしたの。前の、誰も見てくれない私なんていらない。友達なんかいない、親からも社会からも私が見放されたのは全部全部醜い顔のせいだったのよ!」


 ブス、ナイ、キモい、その言葉を何度言われただろうか。――答えは数え切れないほどだ。

 だからキレイになりたいと願った、と女は言う。

 キレイにさえなれば全てが変わると信じていたのだ。


 しかし、願いは叶わない。

 女はキレイになるはずの整形手術で――失敗したのだ。


「キレイになりたい、それだけを願ってした手術の結果がこれよこれ。左側だけ醜く歪んだ傷跡と大きく裂けた口、何これこんなの化け物じゃない! 高いお金かけてキレイに生まれ変わるはずが、私は人間から化け物に生まれ変わったのよ! うふふ、あははっ、あはははっ! 可笑しいわ、お笑いぐさよね。笑っていいのよ? 笑いなさいよ――笑え」


 心底可笑しくてたまらないとばかりに笑いながら告げる女。

 壊れた機械のように笑う、ただただ笑い続ける。

 だが、哲太は笑えない。目の前の女は身体全体で笑っているはずなのに目だけ笑っていないのだ。

 女の言葉を真に受けて愛想笑いでも浮かべた瞬間、確実に殺されるだろうことは誰の目にも明らかだった。恐怖に固まる哲太の表情など気にかけることなく女は話を続ける。


「でもね、この顔のおかげでいいこともあったわ。誰も私を無視できなくなったの! 私のこと煙たがってた同僚も私を無碍に扱い続けた上司も、私の一世一代の告白を『キモい』の一言で終わらせたあの人も――誰も彼もが全員、私を見てくれた! もう誰にも私のことを無視なんかさせないっ!」


 それが痛快でたまらなかったと言わんばかりに女はケタケタと笑う。

 ケタケタケタケタ――取り憑かれたかのように、高圧的に、ただただ笑い続ける。

 その瞳にある感情は紛れもない怒りだった。悦びでも哀しみでもなく、女の笑顔には怒りが満ちていた。決して冷めることのない怒りが彼女の中で尽きることなく燃え上がり続けている。かつて抱いたであろう悲しみも絶望も何もかもを全て怒りに変え、女は今もなお続く激情いかりに支配されているのだ。


「でもね」


 狂ったように笑っていた女だったが、急に俯き火が消えたように静かになった。

 感情の起伏が激しすぎてついていけない。それでも恐る恐る顔を覗き込むと、彼女は目の前にいる哲太にすら聞き取れないほどの小さな声で呟く。


「……それだけだったの。みんなが見るのは私の顔だけで、誰もを見てくれないの」


 心細げな、幼い少女を連想させる声。

 俯いているために顔が見えない。女は俯いたまま身体を小刻みに震わせて思いの丈を吐露する。


「それどころか、もう誰も私の名前を呼んでくれない。誰にも呼ばれなくなった時、口裂け女と呼ばれるようになった時――私は私の名前を失くしていたわ」


 もう自分自身ですら思い出すことができない、と女は笑った。

 空虚な笑い声は虚しく夜の公園に吸い込まれていく。彼女の痛みは誰にも夜の闇に消えていく。


「だから、もう私にはこれしか残ってない。キレイになりたいという願いだけ」


 哲太の中に微かな同情が芽生えなかったと言えば嘘になる。

 願いは誰もが抱くものだ。理想の自分に近づきたいと願うという点では哲太と女に違いはない。


 けれども、続く女の笑みで哲太は決定的に違うと思い知らされることになる。

 歪な三日月がにんまりと笑ったのだ。


「私はキレイになりたい。でも、こんな顔じゃどう足掻いたってもう無理。ああ、綺麗な顔が嫌い。平凡な顔が憎い。醜い顔なんか絶対に許せない。嘘をつくヤツも私の顔を馬鹿にするヤツも全員殺す。全部ひとり残らず殺してやるって決めたの。――だって私は口裂け女なんだもの」


 ああ、と哲太は初めて彼女を理解した。

 この女は――人の形をした化け物だ。話し合いなんて、分かり合うなんて、初めから無理だったのだ。


「私はあなたを知って、あなたも私を知った。ねぇ、もういいわよね? お願いだからこたえて。――私、キレイ?」


 問いに込められた想いは切実だった。

 イエスかノー、どちらを答えられても同じ結末になると分かっていながらも、彼女は問わずにはいられない。

 ――キレイになりたい。その執着心でしか、もうかつての自分を感じられないからだ。


「……お…………俺、は」


 喉がひりつく。声が震える。

 哲太の中で答えは未だに定まらないが、もうこれ以上答えを先延ばしにすることは無理だった。


「ああ、なるほど。口裂け女(あなた)は怒りで出来ているんだな」


 小春が呟く。

 僅かに意識が背中に向くが、前を見てろと言わんばかりに背中を小突かれる。目を離すな、と言葉にしなくても言っているのが分かる。


「あなたは怒っている。他人だれかにも自分にも、全てにね」


 ギロリと口裂け女が哲太越しに小春を睨む。

 小春の代わりに真っ向から睨まれることになった哲太の身体は硬直するが、哲太という盾に隠れた小春にはそんなものはどこ吹く風だ。いや、きっと真っ向から睨まれていたとしても小春は動じたりしないのだろう。

 その証拠に、あっさりと小春は哲太の背中から出て姿を口裂け女の前に現した。


 バカ、なんで――。

 言葉は声にならない。哲太の声は口裂け女が苛立たしげに吐いた言葉に掻き消えてしまう。


「――邪魔するなって、言ったはずよね。そんなに殺されたいのかしら」

「それは無理だよ。だって、あなた自身が言ったじゃないか。私を殺すのは哲太の次だってね。自分が言った言葉には責任を持たないと」

「そんなの嘘かもしれないわよ?」

「かもね。でも、嘘じゃない。口裂け女(あなた)は嘘を許さない」


 小春が断言すると口裂け女は嫌そうに顔を歪めた。

 だから嫌いなのよ、と小さく吐き捨てた声が哲太には聞こえた。


「もう黙って。次おかしなこと言ったら、その舌切り裂くわ」

「おやおや、気に障ったならごめん遊ばせ。だけど、私は黙らないよ。物書きに黙れだなんてそれは死ねと言っているのと同じだ。どっちにしろ殺されるんなら、作家としては死ねないな」


 それに、と小春は続ける。


「あなたは気づいたはずだ。自分とそこの哲太おとこは同じだと。お互いに分不相応な願いを抱いている。強いだとか綺麗だとか、そもそも個人の価値観で大きく異なるものの判断を他人に委ねる方がどうかしてる。それでも答えが欲しいと言うのなら、僭越ながら未だに答えが出せないそこのヘタレに変わって私が答えようじゃないか」


 両手を広げ、大仰な態度で小春は告げる。


「――答えはノーだ、口裂け女(あなた)はキレイじゃない。少なくともあなたが思うキレイは、自分で自分を認められない人のことじゃないはずだ」


 そう言った瞬間、口裂け女の怒りが膨れ上がるのが分かった。

 顔に浮かぶ笑みは深く暗い悦びに満ちている。怒りをぶつける対象がやっと定まったとばかりに、あれだけ哲太しか見ていなかった目が小春に向けられる。


 ダメだ、と感情に突き動かされる。

 それ以上、小春こいつに背を負わせちゃいけない。


「違う、そうじゃない! ああくそっ、なんでいつもお前はそんな強いんだよ。いつでも直球で物事を言えるんだよっ」


 突然の哲太の叫びに小春が驚いた。

 それもそうだろう。お互いの共通の敵は口裂け女だったはずなのに、気がつけば哲太の怒りは小春に向いていた。この放っておけば一人で何でもできてしまう――自分にはない強さを持つ少女に哲太は怒っていた。


「自分を認められないのはな俺だって同じだ。でもな、だからって俺はキレイじゃないとは思ってねぇ。けど、自分ですら信じられないことを他人だれかに言われたって、信じられない気持ちの方が痛いほど分かるんだよ!」


 そうだ、だから哲太には分からないのだ。

 どうすればこの気持ちが口裂け女に届くのかが分からない。

 分からないことばかりだが、それでも小春が出てくることだけは違っていると断言できる。

 この強くて正しい少女には、足りないモノを抱えた者の悲哀は分からないのだから。


「俺は、強くなりたいです。今でもずっと。もう手遅れかもしれないけど、諦めるなんてことできない」


 理想は高く、掴める保証はない。

 それでも願わずにはいられない。


「今の俺にはあなたの質問には答えられません。だから、もう少しだけ時間をください。俺が自分で自分を誇れるような男に――強い男になれた時、その時はちゃんと答えられると思うんです」


 だって、それが哲太にとっての理想の男なのだ。

 強い男というのはいつだって、目の前で泣いている女の子を救うのだ。


「――――」


 静寂が夜の公園を支配する。

 しばらく続いた沈黙を破ったのは、口裂け女の三日月が浮かべた笑みだった。


「あなたって、本当に素敵」


 包丁を手に迫る口裂け女から哲太は小春だけは守ろうと突き飛ばす。

 腹を刺されることくらいは覚悟していた。答えることのできない意気地なしにはそれくらいの報いは必要だ。


 突き飛ばされた小春が慌てて起き上がるとそこで見たのは、口裂け女から熱い抱擁を受ける哲太の姿だった。


「ああ、素敵ね、本当に素敵。私のこと怖いくせに必死な目で私を見るあなたの目、食べちゃいたいくらい素敵よ」


 ペロリ、と裂けた口から伸びた舌で左目――眼球を舐められる。

 突然の抱擁と眼球へ受けた未知の感触に哲太は身じろぎ一つ取ることが出来ない。口裂け女の手には包丁が握られたままであり、その切っ先で顎を上げるように促される。


「今すぐこの首に噛みついたら、あなたの血はきっと、それはそれは綺麗で美味しいんでしょうね」


 白く無防備な首筋を口裂け女は愛おしげに見つめた。

 堪らず唾を嚥下する様子は獰猛な獣のそれで、哲太は嫌が負うにも死を覚悟した。

 せめて小春だけは、と願った時、口裂け女はくすりと笑った。


「でも、もっと素敵なあなたが見れるなら今日のところは保留にしてあげる」


 え、と思わず声を漏らす。

 包丁を下ろした口裂け女はにっこりと笑った。


「男の子は成長するものだもの。あなたが最高に格好良くなった時――その時は食べてあげるわ」


 だから、と初めて笑みが歪む。


「次こそはちゃんと私にこたえてね」


 それは切実な願いの込められた笑みだった。







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