●1 持つべきものは出来る友達
お祈りメールというものを知っているだろうか。
それは就職活動における不採用通知の俗称である。企業から送られてくる不採用を告げる通知には『貴殿の今後の活躍をお祈り申し上げます』などという言葉で締めくくられていることが多いため、このような呼び名がつくことになったらしい。
だが、お祈りメールなどと呼ばれていてもこのメールには本来の祈りという言葉にある切実な願いは微塵も感じられない。はっきり言ってただの社交辞令でしかないためにこれほど貰いたくないメールはないと言っても過言ではないだろう。祈るくらいなら雇ってくれ、が受け取った者の本音である。
そんなメールを大学の講義中に確認してしまった哲太の心中が穏やかでいられるはずはなく、既に講義が終わって教授も学生たちも撤収しだしていることにも気づかない。
何故なら、哲太にとってはこれで通算二十通目のお祈りメールなのだ。一番手応えがあったところでこれなのだから、もう就職は絶望的だと言っていい。というよりも就職活動なんて辞めたい。自分の就職先は決まっていないのに周りはドンドン決まっていくというこのプレッシャーとストレスからさっさと解放されたいのだ。
知らず知らずのうちに携帯画面を見る哲太の目が細まっていく。まるで親の仇かのよう強く睨みつける姿は殺気さえ放っていた。それが生来の目つきの悪さを持つ一九〇センチ近いでかい図体の男にやられると、傍目には鬼の形相にしか見えないことを哲太は気づいていない。
「――しわ」
つん、と指先で眉間を突かれて携帯画面に釘づけになっていた哲太は我に返る。すると、前の席に座る女子の存在に気がついた。さっきまで前には誰もいなかったはずなのに、と哲太は一瞬混乱するが、そこでやっと周りの生徒たちが次々と席を立って移動していることに気づき、講義が終わったのだと理解する。
「もう、そうやって力むと顔怖いって何度も言ってんじゃん。ただでさえ、テツくんってば人殺し級に目つき悪いんだからさ」
くすりと花がほころぶような笑み。
その笑みが自分に向けられれば誰もが勘違いしてしまいそうなほど整ったものであったが、昔からの経験からそれが本当に勘違いであることを哲太は知っている。こういう時、幼馴染というのは厄介だ。
彼女――相川陽菜が楽しそうに笑っている時というのは、大抵というかほぼ確実に哲太で遊んでいる時だということを長い付き合いで分かりきっている。
「……うるせぇな、目つきは生まれつきだよ」
「そんなことないよ、小さい頃の泣き虫テツくんは可愛かったもん。それがちょっと会わない間に図体ばっかり大きくなっちゃって、どうしてこんなに変わっちゃったのか……」
よよよ、と陽菜の古臭い泣き真似に辟易としながら哲太は携帯を机に伏せる。
お前だって変わっただろ、と本来ならば言い返したいところであったが、具体的にどこがと聞かれると墓穴を掘りそうだったので押し黙る。
記憶の中の陽菜は活発としか言いようがない少女だった。祖父が空手の道場をやっていた影響から、そこいらの少年よりも腕っぷしが強く気も強い。男勝りな幼少期だったので、哲太は陽菜を男友達だと認識していた。
生まれた年は同じだったが誕生日から学年が離れたこと、哲太が進学先の高校に男子校を選択をしたことから、すっかり疎遠になっていたのだが大学で再会した時は驚いたものだ。
なんせ、とちらりと陽菜を見る。
薄茶に染められた長い髪に切れ長の瞳。すらりと伸びた身長は高く、長身の哲太と並んでも見劣りしない。今でも適度に身体を鍛えているのか身体のラインは細く綺麗でありながら、脂肪もつくところにはついている。主に胸に。かなり胸に。
なんというかその、再会した悪友が女性にしか見えなくて哲太は未だに対応に困ってしまうのだ。
「で、なんか嫌なメールでも来たの? もしかして、死神様メール?」
その楽しげな口調にため息をつきながら哲太は陽菜にお祈りメールを見せる。
初めの一行を読んだだけで全てを理解した陽菜は、ああ、と納得したように頷いた。
「わぉ、連敗記録を更新したってことか。それじゃあんな顔にもなるね。いつも一次の書類で落とされてるんだから、やっぱり原因はこの写真じゃないかな。履歴書の顔、一段と怖いもん」
「他人事みたいに言ってくれるけどな、お前だって明日は我が身だからな。来年にはお前もようこそ就活へだからな」
「ご心配ありがと。でも、わたしの就職先はもう決まってるので。今、バイトさせてもらっている出版社に卒業した後は社員として在籍するって話をもらってるから」
「はっ!? ちょっと待て、なんだよそれ!」
「そりゃあ、大学入ってからすぐにバイトして自分を売り込んできましたので。どこだって一から新人教育するより即戦力の方が重宝されるに決まってるでしょ。あの出版社で働くのが小さい頃からの夢だったしさ」
「……ちなみに、なんてとこだ?」
じゃーん、と陽菜は鞄から一冊の雑誌を取り出した。
それは有名なオカルト雑誌だった。そして、陽菜の幼少期からの愛読書だった。かなりマニアックな雑誌ではあるが、出版社自体は大手であり完全な勝ち組街道まっしぐらである。
強烈な頭痛を覚えて哲太は頭を抱えたくなった。就職を先に越されたということもある。だが、それ以上にどうして自分の周りの女はこうも変わっている奴ばかりなのだろうかと嘆きたくなる。
「まぁまぁ、そう落ち込まないの。頼まれてたヤツ調べて来てあげたからさ」
そう言って陽菜は雑誌の中に挟んでいたレポート用紙を取り出す。いったいなんて場所に入れてくれるのか、と複雑な気持ちになりながらも哲太はそれを受け取った。
クリップ止めされた数十枚のレポート用紙には『死神様メールについて』という表紙がつけられていた。
「さすがに頼まれたのが昨日の今日じゃ時間足りなくてさ、出来るだけ詳しくってレベルなんだけど、いいかな?」
「十分だ。サンキュ」
「……中身、確認しないの?」
「ああ、お前が調べたんだからどうせ完璧だろ。俺にはざっと概要だけ教えてくれればいい」
「俺には、ねぇ」
ふーん、と面白くなさそうな反応をしながらも、陽菜は哲太の要望に応えて話し始める。
それはここ数日前から大学内を騒がせているとある都市伝説についてだった。
「ご存知、死神様メールは大学のオカルト研究サークルで語られている都市伝説だよ。死ぬ前に死神様に願うと一人道連れとして殺してくれるらしい、なんてね。これがオカ研の掲示板に書かれたのは三年前だけど、当時はよくある与太話として全く騒がれていない。なのに急に脚光を浴びることになったのは――」
「――あの飛び降り自殺、だな」
思った以上に重々しい声が出た。
ただ言葉にしただけで記憶が呼び起こされそうになる。それをなんとか押しとどめるために哲太は無意識に机の上に投げ出した手を強く握り締めていた。
それは五月の初め、ゴールデンウィークが終わったばかりの日のことだった。
人気のない朝の早い時間帯、一人の学生が大学の屋上から飛び降りて自殺をした。哲太は運悪くその現場に居合わせてしまったのだ。手のひらに爪を立てて握り、痛みで必死に思い出しそうになる記憶に蓋をする。
心配そうな瞳で覗き込んでくる陽菜に哲太は出来るだけ平静を装って頷いてみせる。こういう時、笑いかけられれば良かったのだろうが、哲太が無理矢理笑うと怖いとしか言われないのでやめた。
哲太の気持ちを汲み取った陽菜は、ほんの少し苦笑してから話を再開する。
「ちょっと前から――より正確に言えば、自殺したのが五十島こころさんだと大学中に広まったあたりからなんだけど、彼女の名を語ったチェーンメールの存在が確認されているの。その内容は五十島さんが死神様にメールをしたって主張するものだった。本来、死神様メールは死神様にメールする行為を差していたんだけど、今ではこのチェーンメール自体が死神様メールと呼ばれてる。……というわけでテツくん、メール来てたりしないよね?」
「んなもん来てたら、お祈りメールなんかで取り乱したりしないっての」
「それもそうだ。テツくんは昔からオカルト《この手のこと》に関してはチキンだしね」
チキン、という言葉には思うところがあったが、哲太はぐっと我慢した。
悔しいことに陽菜の言葉は真実である。お化け怪談幽霊その他諸々、所謂オカルトと称されるモノが哲太は滅法苦手だった。話を聞くだけでも泣きたくなる。本当は今だって耳を塞ぎたい。そんな哲太の反応が面白かったからこそ、陽菜がオカルト好きになったことを哲太だけが知らない。
陽菜はレポート用紙を捲り、実際に送られている死神様メールの文面を見せてくる。
『死神様へ
私を死に追いやったあいつが許せません。どうか復讐をさせてください。私と同じ苦しみを味合わせてください。
五十島こころさんの願いは正当に受理されました。該当者の捜索のため、三日以内にこのメールを三人の人に転送してください。協力していただけない場合はあなたが該当人物であると見なされ、死神様が訪れます』
「……内容は典型的なチェーンメールだね。けど、身近で死んだ人の名前を出してくるなんて冗談にしても性質が悪い」
陽菜の声には静かな怒りがあった。
オカルト話が好きだと言っても、陽菜は踏み越えてはいけない線を正しく心得ているのである。
「これって、指示通りにしなかったら、しし、死んだりとかしないよな?」
「流石に死人が出ればもっと騒がれてるって。でも、実際に死神様が現われたと言う人はいる。逃げる時に階段から足を滑らせて怪我をしたらしいけど……この辺りの確証は取れてない。ちゃちゃっと特定して話聞きたかったんだけどさぁ」
「俺、そこまでしろとは言ってないからな。てか、できたら逆に怖いわ」
「えー、できない方が怪しいって。デマの可能性が高いってことなんだよ!」
自身の力不足を唇を噛んで悔やむ陽菜だが、哲太としても苦虫を噛みしめる思いだった。
こと調べるという事柄に関しての陽菜の集中力は特出しすぎている。十分な時間とその気にさえなれれば、迷宮入りした事件だって完璧に調べ上げてみせるだろう。それが決して幼馴染みとしての誇張なんかではないことが哲太は密かに怖ろしい。幸か不幸か、昔から陽菜の興味はオカルトにのみ向けられており、そして引き際も心得ているのでそんな偉業にまでは至っていない。優秀すぎるというのも困りものである。
「あとはメール自体の信憑性だね、本当に五十島さんが復讐したいと恨んでいる人はいたのか。ある程度は絞り込めるかと思ったんだけど、これも該当者が多くてまだ絞りきれてないんだ。あと一日くれればもう少しマシになると思うけど」
「いや、そこまではいいって。けど、該当者が多いってのはなんでだ?」
「五十島さんは天然というか……ちょっと浮世離れしてて変わってる子だったんだ。あと、恋多き女性で付き合ってた人、何人もいるみたいなんだよね」
「……ホント、よくもまあそんなことまで調べられたな」
「高校が一緒だったから多少予備知識がね」
へ?、と思わず間抜けな声が出た。
今、陽菜はなんと言ったのか。
「だから、同じ高校だったんだってば。学年違うし直接的な付き合いはなかったけど、いろいろ目立つ人だったから嫌でも耳に入るよ」
「いろいろつーと?」
「いろいろだよ。詳しいことはレポート参照」
むー、とレポートを指先でつつきながら哲太は唸る。頼んでおいてなんなのだが、哲太自身はこのレポートを見る気がない。
自殺とは言え、死者についてあれこれ探るのは良い趣味とは言えないし、こういうことは哲太の担当ではない。万が一、化けて出るなんて事態がおきないとも限らないので、関わりは最小限にしたいのだ。
「ご要望のざっくり説明っていうならこんなところかな。何かご質問は?」
哲太は少し考えてからゆっくりと首を横に振った。
苦手意識が強すぎて疑問点なんか思い浮かばない。そもそも陽菜のレポートさえあればあいつは勝手に理解する。哲太としては会話が出来る程度の知識が持てれば十分なのである。
だから、質問があるとすれば個人的な疑問だけ。都市伝説なんてオカルトであれば陽菜は放っておいても首を突っ込んでいくというのに、哲太が言い出すまで調べたりはしなかったのだという。曰く、特に興味がないとのことだった。
「なぁ、陽菜。お前、本当にこの死神様メールには興味ないのか?」
「ないよ」
即答だった。その返答に一欠片も迷いはない。
確固たる決意を持って陽菜は断言する。
「わたしが好きなのはオカルトであって本物じゃないもの」
冗談とも本気とも取れる発言に哲太は返す言葉すら思いつかなかった。
哲太だってできることならば関わりたくなんかない。もらったレポートは気味が悪く、持っているだけでも嫌なのにこれを使って説き伏せねばならない人物について思うと気も胃も重くなって仕方ない。
それでも、やらねばならない。既に他人事ではなく足を突っ込んでしまっているのだから。
「それにさ、私より先にテツくんを怖がらせたんだもの。ムカつく」
「おいやめろよその思考は。お前が本気出したら俺絶対泣くからな! 本気でやめろよなっ!」
半泣きになりそうな勢いで焦る哲太に満足したのか陽菜がくすくすと笑った。
疲れきったため息を吐きながらレポートをバックパックに仕舞う哲太に陽菜は言う。
「ね、最後にわたしからも質問。――そのレポート、どうするの?」
哲太が隠し事をしていることくらいは陽菜にも分かっていた。
言いたがらないことを無理矢理吐かせる趣味はないが、探りたくなる好奇心は抑えられない。
「……別に、ただの準備だよ。資料はあった方が話は早いだろ」
素っ気なく答えて哲太は教室を後にする。
馴れ合いの時間は終わり、これから向かう相手は陽菜のように優しくはない。去って行く哲太の後ろ姿は決意を固めた男のものだった。
それを黙って見送った陽菜の元にこの後の講義の代返を頼むために慌てて引き返してさえ来なければ、ちょっとは決まっていたのだが。