●5 傾向と対策
「そうと決まれば、早速本題に入ろうか。さて哲太、口裂け女についてはどれくらい知ってるのかな?」
哲太と協力関係を結んだことで遠慮がなくなったのか、小春は活き活きと話し始める。水を得た魚のようとはまさにこのことだろう。反対に哲太はいよいよ本格的に口裂け女について考えなければならないことにげんなりとしながらも答える。
「……まあ、だいたいは」
「なら説明を頼もうかな、口裂け女とはなんぞや?」
「今更説明とか、お前こんだけ知ってんなら必要ねぇだろ。壁の文字でも読んでろ」
「確かに私に説明は必要はないよ。けど、これは情報の擦り合わせとして必要なことだ。哲太がどの程度口裂け女について知っているのか分かった方が話が進めやすいからね」
むぅ、と哲太は嫌そうに顔を顰める。
口裂け女のことなど思い出すのも嫌な哲太としては、自分の口から説明などしたくない以ての外である。嫌がらせ良くない、と大声で叫びたい。
だが、小春の言い分が理に適っていることも理解できた。これは話し合いなのだ。部屋を見渡すだけで小春の口裂け女に関する知識が深いことは一目瞭然だ。ならば、哲太が乏しい知識を披露した方が効率的だろう。
観念した哲太は嫌々ながらも口を開いた。
「口裂け女っていうのは俺がガキの頃に流行った怖い話だ。真っ赤なコートを着て、大きなマスクで口元を隠した女が『私、綺麗?』と聞いてくる。その問いに『はい』と答えるとその裂けた大きな口を見せつけられて殺され、『いいえ』と答えても殺される――こんなところだろ」
「おお、ちゃんと分かってるんだ! 正解だよ、哲太の言ってることは正しい」
大袈裟に褒めてくる小春に、ふん、と哲太はそっぽ向く。
わざとらしい言葉なのに褒められると満更でもなく思えてしまう。それが幼少期に陽菜に無理矢理聞かされたオカルト知識というのがほんの少し複雑だったが。
「――けど、残念。哲太が知っているのは口裂け女のほんの一面に過ぎない。いいかな哲太、口裂け女にはね諸説あるんだよ」
わざとらしく持ち上げてから落とす。
哲太が何を言うか初めから分っていたかのように小春は続ける。
「口裂け女。おそらく日本屈指の都市伝説の一つであり、その名は老若男女に知れ渡る。ピークは七○年代後半から八○年代にかけて、昭和を代表する都市伝説と言っても過言じゃない。誰に聞いても哲太が今説明してくれたくらいの簡単な概要くらいは知っているだろうね」
「おい、さりげなく貶すのやめろよ! さっきちょっと得意げだった俺がバカみたいだろっ!」
「いや、ドヤ顔であの程度の説明とかププーって思ったけど、思っただけだから安心してくれていいよ。決して貶したりなんかしないとも」
「今貶してんだろうがよぉっ! そういうのはな、思っても一生胸の内に秘めとくのが優しさだろうが!」
「ははは、残念ながら私を構成する成分に優しさはないんだ。そういうのが欲しいなら、他を当たるといいよ。口裂け女さんなら哲太に優しいかもね」
ぐぅ、と哲太は小春から目を逸らす。気を抜けば本気で睨みつけてしまいそうだった。
哲太が嫌がると分かっていてわざわざ口裂け女の名を口に出す小春の神経を疑う。きっとこいつは血も涙もない、趣味は嫌がらせですとか豪語する性悪女に違いない。
「……お前の名前、性悪って書いて小春って読むんだろ」
哲太が恨みがましくそう言うと小春は愉しげに笑うだけだった。
「いやいや、哲太いじりは楽しいけどそこまで人が悪くないとも。それに、哲太は口裂け女との再会は避けられないよ。だってあの女――哲太のこと、諦めてないからね」
その言葉で思い出す。
哲太が最後に見たエントランスの、ガラス扉に張りついた口裂け女の顔。その口の動き。
――また来るわ。確かに、そう言っていた。
また来る。そう、まだだ。まだ、逃げ切れたわけじゃない。
「目が哲太しか見てなかったからね、嫌な思いをすることになっても今のうちに対策を練っとくのが得策なんじゃないかな?」
「……アレが話し合った程度でどうにかなるタマだとでも思ってるのか?」
「そりゃ無理だろうね。でも、準備は必要だ。何事にも重要なのは事前知識なのだぜ? 知っているのと知らないのとじゃ取れる対応が違う。テスト前には勉強をする、スポーツ選手が大会の前に練習をするのだって同じだ。その日に最大のポテンシャルを発揮するための準備じゃないか。だからね、今の哲太に必要なのは次に口裂け女に相対した時のための準備なんだよ」
まるで自分にも言い聞かせるように、小春は噛みしめながら言う。
「避けられないのなら、最大限にできることをしようじゃないか。口裂け女に狙われるなんてチャンス、これを逃したら二度と来ないぜ」
ああ、と哲太は納得する。
小春は小春で覚悟を持って望んでいるのだ。この自身を小説家と名乗る少女は、口裂け女という絶好のネタを手に入れるために十全な準備が必要だと本気で思っている。
そしてそれを哲太にも同様に求めている。口裂け女から逃げたい哲太と口裂け女のネタが欲しい小春の、お互いの目的を果たすために。
「……分かったよ。でも、ゆっくりな。俺は思い出すだけでも怖いんだ」
「いいとも、その気になってくれただけで嬉しいよ」
ニコリと笑う小春。そんな冷静さを年下の少女に発揮されるというのは、哲太としてはバツが悪かった。
哲太は大きく深呼吸して自身を落ち着かせる。もう今更挽回などできないかもしれないが、取り乱してばかりでは男が廃る。小春が望む話し合いだって出来やしない。
覚悟を決めた哲太が顔を上げれば、小春はゆっくり頷いてから口を開く。
「じゃあ話を戻すけど、哲太が語ってくれた口裂け女は一般的に広く知れ渡っているものだと言っていい。ここで問題になっていくのが、口裂け女には諸説あるということ。なんせ日本全国に知れ渡る超有名都市伝説だからね、噂は伝播していく過程で内容が変わっていく。口裂け女も語られていく土地土地で形を変えているんだ」
差詰めご当地口裂け女ってヤツかな、と小春は軽口を叩くが、はっきり言って哲太には笑えない。ご当地キャラのように言われても、そんな愛嬌のあるものだとは思えない。
「待てよそれじゃあ、口裂け女はたくさんいるってことか? 全国各地にいろんな口裂け女が!?」
「まさか、そうじゃないよ。語られる内容が違うってだけ。さっき哲太は口裂け女は真っ赤なコートを着ているって言ったけど、この理由は赤い血が目立たないようにするためと言われている。なるほど、それらしい。けれども、白いコートって説もある。こっちは赤い血が目立つようにするためだという。参った、どちらもそれらしい。さて、正解はどちらかな?」
「どっちが正解かって……んなこと言われても、俺は赤い方しか聞いたことなかったから白いコートなんて言われてもな」
ピンと来ない。実感が持てない。
哲太が素直にそう言うと小春は満足げに頷いた。
「そう、それだ。正解なんてものはないんだよ。口裂け女という存在は一つだが、口裂け女に対する認識が多種多様に存在するんだ」
ホワイトボードのマジックを指示棒代わりにして小春は壁に書かれた文字を指す。
そこには口裂け女の服装について、そして持っているとされる武器が羅列されていた。
「最もパターンが多いのは武器だね。ここに書いたとおり、鋏から包丁や鎌、メスに鉈に斧などなどこれだけの違いがある」
「え、ちょ……ま、待てよっ、この全部を口裂け女は持ってるってことなのか……?」
なんだよそれ、もう立ち向かえるとかそういうレベルじゃない。
怯える哲太に小春は首を横に振る。
「だから違うってば。これは語られるパターンがこれだけあるって話で、この全てが口裂け女に集結するわけじゃないよ。ねぇ哲太、哲太の前に現われた口裂け女を見てどう思った? 哲太の認識と違ったところはあった?」
「……ない、なかった。想像通りの姿だった。ちょうど今日、幼馴染みからこの町に口裂け女が出るって話を聞いたばかりで頭に残ってたってのもある。けど、そんな話をしてなくてもきっと見ただけで口裂け女を連想した、と思う」
「ありがとう、おかげで私の推測は証明される。ちなみに哲太が想像してた口裂け女ってどんなの?」
どんなのって、と哲太は脳裏に刻まれた口裂け女の姿をゆっくりと思い出す。
今日出会ってしまった口裂け女ではなく、想像していた口裂け女の姿だ。都市伝説やらオカルトが好きな幼馴染みを持ったせいで子どもの頃からよく聞かされては怖くて震えていた。哲太が口裂け女について知ったのも陽菜が面白がって話したせいだった。
それは思い出すだけでも苦痛を伴う行為だったが、記憶に靄をかけてぼかすことでその姿をなんとか口にする。
「赤いトレンチココートに長い黒髪、美人だけど大きなマスクでほとんど顔は分からない。あとは鋏か包丁を持ってるってとこか……」
「その想像は哲太が今日会った口裂け女と違ってた?」
「……いや、そのものだった」
そうとしか言えなかった。
まるで哲太の恐怖心が見せた幻かと思うほど、口裂け女そのものの姿だった。
神妙な顔で頷く哲太に小春は満足げに頷いた。
「私さ、この町では都市伝説が実現するって言ったけど、それはどういう形でなんだろうってずっと考えていたんだ。さっきも言ったように都市伝説は語られる場所や時代で形を変える、実現する時の形は何に依存するのかってね」
「んなもん、一番有名なヤツ、じゃねぇの?」
「ほう、ならその有名なヤツってのの基準はなんだ? 一番知れ渡っているなんて誰がどう判断するんだよ?」
「どうって、誰もが知ってる……ポピュラーなヤツって言うかオーソドックスなヤツだよ」
「それじゃ言葉を変えただけでしょうが。ならもう一度問おうか、ポピュラーとかオーソドックスなのってなんだ?」
むむむ、と哲太は首を傾げることしか出来ない。
小春の問いの意味が分からない。小春は似たような言葉の連続させて混乱させようとしているのではないかと思うくらいだ。有り得る。小春ならばやりかねない、と出会ったばかりでありながらも哲太はその可能性が高いと考える。
「ははっ、ごめんめん。別に哲太のことをおちょくってるわけじゃないよ。有名だとかオーソドックスだとか、その基準を誰が決めるのかってことが言いたかったんだ。ここで私が立てた推測ってのが、実現した都市伝説の形は姿を現した人間の認識に依存するんじゃないかってこと」
つまり、と小春は一度言葉を区切る。
そして壁に書かれた口裂け女に関する言葉に赤のマジックで丸をつけていく。服装は赤、武器に鋏、といったように。
それは哲太が知っている口裂け女のものだった。哲太が出会った口裂け女の特徴である。
「哲太の前に現われた口裂け女は、哲太の口裂け女に対する知識に依存するってことだ。哲太の認識が実現した口裂け女を形作っているんだよ」
俺の認識、と哲太は繰り返す。
そして、ゆっくりと少しずつ口裂け女のことを思い出す。
赤いトレンチコートを着たマスクの女。確かに彼女と出会った時にすぐさま哲太は口裂け女を連想した。『私、キレイ?』と聞いてきた言葉も、マスクを外して露わになった裂けた口も、取り出した大きな鋏も――全部全部何もかも哲太が想像した口裂け女そのものだと言っても過言ではない。
けれども、一つだけ違った。
たった一つだけあの口裂け女には哲太の認識と異なる例外が存在した。
「……待った。それなら何であの口裂け女にはポマードが効かなかったんだ? ポマードって言葉は口裂け女に対する最強の呪文だろ? 俺はそう思ってたぞ」
「口裂け女はポマードと三回唱えると逃げ出す、か。さて哲太、この元となったエピソードを知ってるかな? 口裂け女の口はどうして裂けたのかってところだけど」
「ん? あー……確か、整形手術に失敗したんじゃなかったか? その時に担当した医者が髪にポマードをつけていて思い出すからとかなんとか……」
「なるほど、そっちのパターンか」
満足げに頷いて小春はその後の説明を引き継ぐ。
「ポマード、整髪料だ。さすがに私も実物を使ったことはないけど、リーゼントやオールバックといった髪を強固に固める時に使うものだね。匂いが鼻につくほどの医師となるとどんなヤツか気になることこの上ないけど、今は関係ないから置いとくよ。美容整形という綺麗になるための手術で失敗したために口が裂けてしまった口裂け女はポマードと聞くとその時の医者を思い出して逃げ出すって話なわけだけど、哲太はそれを信じてるの?」
「信じるも何も……そういうものだろ、都市伝説って。常識的じゃないって言うか、対処法は荒唐無稽なものが多い」
「じゃあ、言い方を変えようか。この対処法をおかしいと思ったことはない? 疑問に思ったことは? 実物を持参しているならともかく、本当にポマードと三回唱えるだけで逃げ出すんだろうかって」
「……何が言いたい? お前の言い方だと有り得ないって言ってるみたいだ」
「そんな断言するわけじゃないけど、この対処法は疑わしいと思ってるよ。哲太の言うとおり、都市伝説で語られる対策ってのは耳を疑うものが多い。メリーさんに狙われたなら電話に出ない、背後を取られないように背中を壁につけるなんてね。けど、これはこれで理に適っている。でも、口裂け女とポマードに関しては話が違う」
小春は自信満々に違うと断言するが、何が違うのかが哲太には分からなかった。
あと口裂け女だけでも手いっぱいなので他の都市伝説とか軽々しく口にしないで欲しい、とも思う。やめて、話題にして出てきたらどうするつもりなのか。
「ポマードは口裂け女にとってトラウマなんだろ? ポマードって言葉からあの医者と失敗した整形手術を思い出して逃げ出すってのは、俺には理に適ってるように思えるがな」
「まぁ、一見はね。なら、感情を加えて考えてみようか。まず、整形手術に失敗して自分の口が裂けたなんてことになったら哲太はどう思う?」
「そもそも、整形するヤツの気持ちなんか分からん。そもそも俺には整形するなんて選択肢にすら浮かばないし」
「ほうほう、哲太さんは顔に自信があると。いや、そんな金はないって方かな? でも、そこは想像力を働かせようぜ。期待を裏切られたんだ、普通ならキレるだろ? 綺麗になるための整形手術で一転して化け物になったんだぞ。悲しかっただろう、怒りもあっただろう。後々無関係の人間を襲ようになる口裂け女の凶暴性を考えると、ミスした医者なんてとっくに殺されていてもおかしくない」
ぬぅ、と哲太の口からは唸り声しか出てこない。
小春の言うとおり、確かに期待を裏切られることになればその時の悲哀と怒りは計り知れない。結果、殺しに至ったとしても――口裂け女を目の当たりにした者としてはその可能性は否定できなかった。
「その場で殺したか、後になって殺したかなんてのは語られてないことは分からないけど、口裂け女の怒りが医者に向けられるのは当然だ。そんな憎い存在を思い出す言葉なんか言われたら――怖れるよりもキレるのが普通じゃない?」
「要するに、お前はポマードが嘘の対処法だとでも言いたいのか? 確かに俺もポマードなんて唱えるだけで逃げ出すのかってのには半信半疑だったんだけど……」
「半信半疑って言葉が聞けて良かったよ。さっきも言ったけど、哲太の前に現われた口裂け女は哲太の認識で出来ている。哲太が信じられない対処法なんて効果はないんだ」
その言葉は哲太を愕然とさせる。
なんだよそれ。信じ切れなかったなんていう曖昧なもので、効果が左右されるなんて言うのか。
哲太の表情だけで何を言いたいのか察したのか小春は続ける。
「都市伝説自体が曖昧なんだ。信じられるかどうかってのは重要な要素だよ」
「そんな……ならどうしろって言うんだよ? 今からでも信じろとか言われてもできねぇぞ」
「だろうね、信じるって言葉は簡単だけど実行するのは難しいからなぁ。でもさ、出来ることは他にもある。哲太の認識を変えればいいんだ」
小春は椅子から立ち上がると、リンビングの真ん中で両手を広げた。
そして、壁に書かれた文字を見回しながら言う。
「言っただろ、口裂け女には諸説あるって。つまり、口裂け女には哲太の知らない特性、対処法もたくさんあるってことだ。この中で哲太の認識と一致するものがあれば――それはあの口裂け女の弱点となり得るんだ」
だから、と小春は自信満々に笑う。
「そう、だからもっと話そうよ哲太。それで教えてよ、哲太の口裂け女のことをね」




